『ポーの一族』 宝塚 花組公演(2018年)
宝塚歌劇団の舞台って観たことがなくて、いちど観てみたいと思っていました。
そしたら、ふだんは有料のCATVチャンネル「タカラヅカ・スカイ・ステージ」が無料放送をする日がありまして、映像でとはいえ舞台にふれる機会が得られました。
『ベルサイユのばら』とか『ロミオとジュリエット』とか、いろいろな舞台中継があったのですが、話をよく知っていて個人的にも好きなものをということで、2018年に上演された『ポーの一族』を観ることにしたのですが、いまから思うとこれが失敗だったような気もします。
『ポーの一族』って、ユーロピアンな趣に満ちたゴシック・ロマンな作品だと思います。ヴィジュアル面では優雅さや華麗な感じを醸しつつ、背景にはじっとり湿った薄暗い悲しみが通奏低音のように鳴っている、中世ヨーロッパへの憧れやある種のコンプレックスを刺激するような作品です。
しかし宝塚歌劇団の『ポーの一族』からは、そうしたユーロピアンな趣が、ゴシック・ロマンな哀愁が、漂ってきません。エドガーが望まずにしてヴァンパネラになってしまったいきさつからアランとともに旅立つあたりまでを2時間半くらいで描いているので、物語り部分に深みや奥行きを出しにくいのはわかるけれど、それにしてもなんだか薄っぺらい話になっています。ヴィジュアル面は華やかで美しいけれど、ストーリーにおもしろみを感じられない。
そしてね、ともかく曲がね、ユーロピアンともゴシック・ロマンともほど遠い感じです。なんというか、昭和の歌謡曲臭がすごい。歌メロの端々に演歌のような旋律があります。それに輪をかけて残念なのが演奏です。演奏技術がではなく、アレンジが、もう本当に昭和のテレビの公開番組(「8時だよ!全員集合」とか)などで演奏されたときの歌謡曲みたい。金管楽器がぶかぶか鳴ってて、盛りあげるところで派手にシンバル叩いて、リズムは単調で、洗練とはほど遠いです。そこの盛りあげは金管ではなくストリングスで優雅にだろ、そこは金管ではなく木管で繊細にだろ、とか思ってしまうことが何度もあって、物語に感情移入しにくいったら。
ミュージカルで、曲や演奏の雰囲気が物語がもつイメージと大幅に違うのは、なかなかにきついです。
それに、宝塚だからしかたがないのですが、出演者が全員女性なので、歌声の幅が狭いです。もちろん男役さん、娘役さんで発声や音域などに違いはあるのですが、それでもやはりどれも「女性の歌声」です。みなが美しい声で、だみ声の人とか、妙にこぶしの入る歌声の人とかはいません。歌声や歌い方にあまり幅がないので、だんだん飽きてきちゃう。ミュージカルは、複数の男性や女性がさまざまな歌声をいろいろな表情をつけて聞かせてくれるところが自分にとっての魅力のひとつだったりするので、歌声に幅が感じられなかったのは残念です。
テレビで観る舞台中継では生のステージの持つ魅力が十分には伝わらないことは理解していますが、それにしても残念な印象が残る初宝塚でした。最初に観る作品は、ゴシック・ロマンな哀愁を纏う(はずの)『ポーの一族』ではなく、華やかさや華麗さを楽しむタイプのものを選べば良かったのかなと思います。