Opus Avantra(オプス・アヴァントラ)。イタリアのプログレッシヴ・ロック界が生んだ至宝。1974年にリリースされたデビュー・アルバム『Introspezione』は芸術と世俗、伝統と革新、叙情性と攻撃性、その他もろもろの対立要素が絶妙なバランスの上に配置され構築された奇跡のような作品でした。その奇跡を生み出したグループが、奇跡の創出から34年を経て、初めて日本にやってきたのです。しかも、たった一夜限りの公演。観ないわけにはいきません。
ふだんは600席くらいのキャパシティがある川崎のクラブ・チッタですが、この日は限定300席。ふだんの半分です。そのため、空間の広い非常にゆったりとした座席配置になっていました。この時点ですでに、いつものライヴ・コンサートとは趣が違います。
開演は18時。オープン前のテープとアナウンスに続き、『Introspezione』の1曲目「Introspezione」が始まります。非常に即興演奏色の強いアヴァン・ギャルドなピアノ。でも、ステージ上で演奏してない。これもテープでした。あれれ?
ところで、彼らのファースト・アルバムって最近では『Introspezione』というタイトルで通っていますが、もともとのLPの背にはたしかOpus Avantraというグループ名しか入っていなかったというように記憶しています。だからむかしは「Opus Avantraのファースト・アルバム」もしくは「Opus Avantraというアルバム」と呼んでいたように思うのだけど、いつのまにアルバム1曲目の曲名である「Introspezione」がアルバムそのもののタイトルになったのでしょうか?
それはともかく、本編が始まってもいきなりテープで拍子抜けしましたが、リリカルなピアノ・パートからはステージ上での実際の演奏が始まりました。そして、いまだステージに現われぬDonella Del Monaco(ドネッラ・デル・モナコ)の歌声がスピーカーから聴こえはじめ、しばらくしてステージ左の袖からDonellaが歌いながら登場。
Donella、でかい。
むかしのオペラ歌手のように体積のある体つきのおばちゃんになっていました。イタリアン・プログレ界で太ったオペラ歌手のように体積のある体つきの美声ヴォーカリストといえばBanco del Mutuo Soccorso(バンコ・デル・ムトゥオ・ソッコルソ)のFrancesco Di Giacomo(フランチェスコ・ディ・ジァコモ)というのが以前はプログレ・ファンのあいだでの共通認識だったはずですが、考えを改めねばなりません。たぶん、いまのDonellaのほうがいまのFrancescoよりも大きいんじゃないでしょうか。
Donellaが登場し、Opus Avantraのメンバーがステージ上に揃ったあとは、よどみなく演奏が進みました。いわゆるプログレのライヴ・コンサートと大きく趣を異にするのは、アンコール時の簡単なメンバー紹介のとき以外、ただの1度もMCが入らなかったこと。ステージ構成の一部としての詩の朗読? モノローグはありましたが、それと歌以外の「声」がステージ上には一切なかったのです。
思うに、Opus Avantraのステージは「コンサート」ではなく、「ミュージック・パフォーミング・アート」とでも呼ぶべきなのでしょう。とくに2時間の公演のうちの前半約1時間はアルバム『Introspezione』の再現となっていて、アルバム収録順に曲が演奏されます。
『Introspezione』の素晴らしいところは、個々の曲にあるのではなく、ああいった音の組み合わせを持った「単位」としての曲があの順番に配置されたこと、その「単位」の流れが心と頭を揺さぶるように組み合わされていたことにあります。「Il pavone」のように単体として美しい名曲もありますが、本来の「Il pavone」の役割は『Introspezione』という作品全体の中であの位置に配置されることだと思うのです。この曲も作品全体のなかのひとつの要素、ひとつの「単位」として扱われることで、作品全体の魅力度が高まるのです。
その意味で、ステージ上でも『Introspezione』が収録順そのままに演奏されたのは正解だと思います。ただ、観客側には「ステージで展開される『Introspezione』を堪能する準備」ができていなかったかもしれません。つい、ふつうのコンサートと同じ気分で、1曲終わるごとに拍手をしたくなってしまうし、してしまう。そこで『Introspezione』の流れが分断されてしまう。『Introspezione』を構成する曲は、いわゆる「曲」ではなく、『Introspezione』という作品の一要素です。クラシックでいうなら楽章みたいなものかもしれません。それを理解し、『Introspezione』の最初から最後まで流れを止めることなく演奏させてあげられたなら、もっと堪能できたかもしれません。
ステージ上には美しい女性4人のストリングス・クァルテットがいて、その音色やヴィジュアル(プラチナ・ブロンドのヴァイオリニストがめちゃめちゃ綺麗だった)で魅了してくれるだけでなく、曲によっては演奏しながらステージの中央まで出てきてダンス?や、Donellaを相手にちょっとした演技?を見せてくれます。このアクションが、なんというか非常に古い感じ。アングラ演劇ぽいというか、むかしの映画に出てくるドラッグ服用による幻想シーンのような印象でした。
後半のステージではセカンド・アルバム以降の作品から何曲かずつピック・アップして演奏されました。個人的にはセカンドから「Flowers on Pride」が演奏されたのが非常に嬉しい感じです。途中、Alfredo Tisocco(アルフレド・ティゾッコ)のピアノ・ソロ曲で激しい眠気が襲ってきたのはきっと花粉症の薬を飲んでいたせいだということにしておきますが、全体に満足のいくステージでした。
ちょっと残念だったのは、Donella Del Monaco。もともとこの人、ヴォーカリストとしてはそんなにうまくないと思うのですが(Donella信者からの反感を一気に集めそう...)、アルバムから想像していた以上にうまくなかった。もちろんクラシックの素養もあるようなので、そこらの中途半端なポップス系ヴォーカリストよりはうまいのですが、地声での歌唱は声量が足りないし音程も少しふらつき気味、ファルセットでのオペラ唱法ではさすがに声量たっぷりですが、意外と表現力がなくて一本調子。残念ながら、衰えを感じました。サビだけファルセットの「Il pavone」もなんだか変な感じ。オリジナルはずっと地声なのに、なぜああいうかたちにしたのでしょうか。地声の高音が出なくなっちゃったのかな。いっそ全編ファルセットで歌ってもらえたら、それはそれで新しい魅力があったかもしれないのに。
Opus AvantraというグループにとってDonellaが重要な役割を持っていることはわかるけれど、その役割はグループのコンセプトとか楽曲のアイデアといったところに抑えたほうがいいのかもしれません。それを「歌」で表現するシンガー/ヴォーカリストとしての役割は、もっと歌える人にまかせたほうがいいのかも。Donellaのヴォーカルってこれまでも、Opus Avantraというグループの中でOpus Avantraの作品を歌っているときしか自分には強い魅力を感じられなかったのだけど、ステージ上のDonellaは、Opus Avantraに囲まれてOpus Avantraの作品を歌っているにもかかわらず、あの奇跡ともいえる作品を生み出した伝説の歌姫ではなく、舞台の上ではしゃぎまわるちょっと歌のうまい中年のおばちゃんに見えてしまいました。
また、ライヴなのでしかたがありませんが、緩急の落差がスタジオ収録にくらべてつけにくいため、もともとの楽曲が持っていた急激な場面転換やドラマ性といったものが薄まっていたように思います。同じ楽曲でも、スタジオ作とは別のものとして楽しんだほうがよさそうです。力強いOpus Avantraも、それはそれとして悪くありませんし、ステージングも含めてライブならではの躍動感が楽しめました。そして、なんだかんだいってもけっきょく本編およびアンコールで歌われた「Il pavone」に涙がこみあげてきてしまう自分だったりもするのでした。
おそらく、1970年代当時のOpus Avantraとくらべたら、精神的な、そして音楽的な密度はかなり低くなっているのだろうと思います。それでもやはり、観にきてよかった。きっと再来日はないだろうことを除いても、観ておいてよかった。そんな、Opus Avantraの夜でした。
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