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2020/02/09

言葉の選択の不統一が気になる

最近、電車の中吊りでみかけたシーバスリーガルの広告文面が微妙に気になります。
大写しになった宮藤官九郎さんの顔写真とともに、次のような文章が書かれています。


魔法使いの脚本家
映画で監督、演出、役者
作詞に作曲、ギタリスト
多彩な男の日課はジョギング
(シーバスリーガル12年の広告より)


気になるのは、言葉の選び方。

2行目は、「魔法使いの脚本家」=宮藤官九郎さんが、「映画」の分野においてどんな役割を果たしているかを端的に示そうとしたのだと思います。宮藤さんは「監督」であり「演出」であり「役者」であると。

もう、こう書いた時点で気持ち悪いです。

「監督」は、ここでは「映画監督」の略であり、映画製作全体において特定の役割をもった「人」のことだと考えられます。
「役者」はもちろん、その映画作品において役を演じる「人」のことですね。
しかし「演出」は、映画製作において誰かが行う「事」のひとつであり、「人」ではありません。「演出」を行う「人」のことを示す言葉には、「演出家」という名称があります。

つまり2行目は、それぞれ「人」「事」「人」を表す単語が並んでいるわけで、これがとても気持ちが悪い。なぜ1つだけ「事」を交ぜてしまったのでしょうか。

 映画で監督、演出家、役者

というように、すべてを「人」で統一したいと、自分はどうしても思ってしまいます。
あるいは、「監督」を「人」ではなく「映画製作を指揮・指導(監督)すること」という「事」を表す言葉として扱うのなら、

 映画で監督、演出、演技

というように、すべてを「事」で統一したい。

この「人」と「事」の不統一は、3行目でも続きます。


作詞に作曲、ギタリスト


あぁ、気持ちが悪い。

「作詞」は「歌詞をつくること」、「作曲」は「曲をつくること」であり、いずれも明白に「事」です。
しかし「ギタリスト」は「ギターを弾く人」のことであり、明白に「人」です。
つまり3行目は、「事」「事」「人」の並びになっているわけです。

「作詞する」「作曲する」とは言っても、「ギタリストする」とは言いません。
「私はギタリストです」は自然でも、「私は作詞です」「私は作曲です」は不自然です。
こういう不統一な言葉がひとつの文のなかで並列に扱われることが、自分にはとても気持ち悪いのです。

「作詞」をする「人」のことは「作詞家」と言い、「作曲」をする「人」のことは「作曲家」と言います。
ですから3行目は、すべてを「人」に統一し、

 作詞家に作曲家、ギタリスト

のほうが、それぞれの言葉がもつ意味の連なりとしては破綻がないと感じます。

ただ、ここは1行目の「魔法使いの脚本家」が「どんな人か」を説明する部分でもあるので、「作詞家」と「作曲家」をつなぐ言葉は「に」よりも「で」のほうが美しいですね。

 作詞家で作曲家、ギタリスト

逆に、すべてを「事」に統一することもできます。
「ギタリスト」とは「ギターを演奏する人」のことですから、すべてを「事」にするなら、

 作詞に作曲、ギター演奏

となりますね。
この場合、ここは1行目の「魔法使いの脚本家」が「どんなことをするか」を説明する部分となるので、「作詞」と「作曲」をつなぐ言葉は「に」のままで自然です。

そして4行目の最後は「ジョギング」という「事」で締められています。
ならば、全体を「事」で統一してしまいたい。

というわけで、これが広告のコピーではなく、ビジネス系・実用系の書籍の本文に書かれる文章であったなら、自分は次のように校正を入れたことでしょう。

 魔法使いの脚本家
 映画で監督、演出、演技
 作詞に作曲、ギター演奏
 多彩な男の日課はジョギング

「魔法使いの脚本家」は、映画では「監督」「演出」「演技」をし、音楽では「作詞」「作曲」「演奏」をする。そして毎日「ジョギング」している、と。こんな感じでいかがでしょうか。

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