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2018/01/06

ペット・セメタリー2 Pet Sematary 2 (1992)

1989年公開の前作は、原作小説の持つ魅力には遠く及ばないものの、原作の持っていた「深い愛情ゆえの間違った判断と行動の結果として起きる恐怖と悲劇」がそれなりにきちんと描けていて、なかなかよくできた映画だった。

しかし、その後日談となるこの2作目は、もう残念としか言いようがない。子どもたちがつくったペット・セマタリーの奥にある、ミクマクインディアンが「腐った土地」として廃棄した古い埋葬地(という説明は映画のなかではされていないが)に死んだものを埋めると生き返る、という設定だけを都合よく使った、前作とは別物と考えたほうがいい。

死んでしまう理由も、それを生き返らせる理由も、非常に場当たり的で思慮に欠け、そうしなければならないと決心させるに足る愛情や悲しみの深さもないし、それをすることに対する倫理的な葛藤もまったくない。『ペット・セマタリー』という作品は、そこが物語の根底部分のはずなのに、そういったことをすべてすっ飛ばして、単純なモンスターもどき映画にしてしまった。ミクマク族の古い埋葬地も、そこへと続く道への境界線である枯れ木の山を越えるには強い意志が必要だし、死んだものを入れるための穴を掘るのは大人でさえ一晩かかるような、石が多くて非常に硬い土地だから、ここでも「どうしても生き返らせたい」という硬い意志が必要なはずなのに、この映画では子どもでもたいして苦労せずに掘れる土地になってる。簡単に死んで、簡単に穴を掘って埋めることができ、簡単に生き返ってくる。

「そこに死んだものを埋めると、それが生き返る土地がある」というアイデアがほしかっただけならば、『ペット・セマタリー』(映画では『ペット・セメタリー』と表記)というタイトルは使わないでほしかった。これが『ペット・セマタリー』のシリーズでなければ、それなりに楽しめたかもしれないのに。




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