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2006年9月10日 - 2006年9月16日

2006/09/15

自分の判断と責任を、どんどん放棄していく

ドライバーが酒を飲んでいるかどうかを感知して、酒気帯びの場合はエンジンがかからないクルマというのを自動車メーカーが開発中なのだそうだ。

酒を飲むと、判断力や瞬発力、感応力が低下し、平常時であれば回避できるようなアクシデントを回避できなくなる。さらには、平常時であれば起こし得ないような事故を起こすケースも多い。

だから、酒を飲んだらクルマを運転してはダメなんだ。
他人にとって、自分にとって、危険が及ぶ可能性がきわめて高いから。

多くのドライバーは、このことをわかっている。わかっていながら、自分だけは大丈夫と、甘い判断で酒気帯び運転をし、事故を起こす。あるいは、そもそも充分な判断力すら持たないままにクルマを操り、大きな事故を起こす。

ならば、もうドライバー自身に判断させるのはやめよう、人間は信用できない、それよりも、クルマに、コンピュータに、調べさせ、判断させよう、ということなのだろう。

酒を飲んだら運転しない。基準は「酔って」いるかどうかではなく、「飲んだ」かどうか。たったこれだけのこと。理性的に考えれば充分判断できることなのに、人間がそれを自分でしようとしないから、機械にまかせる。

アルコールを感知したらエンジンがかからなくなるクルマは、おそらく、そう遠くないうちに実現するのだろう。そして自分が「酒気帯び」かどうかの判断を、機械にまかせてしまう人も出てくるだろう。そういったクルマが普及・一般化したときには、仮にコンピュータに一時的なトラブルやエラーがあって「酒気帯び」を見逃してしまい、事故につながったときも、「だって、コンピュータがOKっていったのだもの」と言い訳をするのだろう。

こうして人は、自分の判断と責任を、どんどん放棄していく。
すでにいろいろな場面で、自分の責任で判断することが放棄されているので、そこにあらたな一場面が加わるだけといえば、それはそうなのだけど。

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2006/09/14

曼珠沙華の季節なのだけど

なんだか寒いです。ずっと雨です。具合悪いです。

毎年、この時期は曼珠沙華を見に
(という名目でピクニックランチ・ワインつきを楽しみに)
巾着田に行くのだけど、
せっかくの三連休も雨のようだし、
ここのところずっと気温が低いので
曼珠沙華の開花も遅れているようだし。
月末ごろのほうが見ごろかもなぁ。

しかし、雨降ってる。
今週はもう、ずっと雨みたい。
雨が続くと、体調悪いのですよ、自分。
しかも最近、めずらしく真面目に仕事をしてて、
めずらしく連日残業2時間半から3時間なんて日々。
通常は、しても1時間半なのに。

そんなこともあってか、
先週末は急に激しい胃痛に襲われ夜も眠れず、
楽しみにしていたItalo pop festaも
かろうじて自分担当のプレゼンテーションまでは耐えたけど、
その日のいちばんの目玉であったFabrizio De Andre'特集は
聴かずに早退しちゃいました。
だって、胃が痛かったんだもん。

胃薬を飲んで、
アルコールを控えて、
意識して早めに就寝するようにして、
いまはほとんどよくなったけれど、
でもまだかすかに違和感が残ってる。
ちょっと多く食べたり飲んだりすると、
すぐに胃から
「また痛くしたろか、コラァ!」
という脅しが聞こえてくる感じ。
日常生活のなかで「内臓の存在」を感じるのって、
やはり具合が悪いからなのだよなぁ。

そして、雨。

最近よかった腰痛も、
また少し悪くなろうとしている気配。
降りやまない雨のせいなのか、
長時間のデスクワークのせいなのか。
いずれにしろ自分の身体は、
真面目に仕事をすることには向いてない。

夏休みまであと2か月(夏じゃないじゃん)。
気力と体力が、
気分と体が、
持ち直してくれるといいのだけど。

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2006/09/12

なんて男っとこ前な!

あんた、かっこいいよ!

待ってなボウズ!今助けに行く
http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=32441

この続き↓も忘れずに(^^)。
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LUCA BASSANESE / AL MERCATO (2006)

1975年12月18日ヴィチェンツァ(Vicenza)生まれの新人カンタウトーレ、Luca Bassanese(ルーカ・バッサネーゼ)のデビュー・アルバムです。シングル・デビュー自体は2005年9月に果たしていますが、それにしても30歳での新人デビュー。いかにもイタリアらしい感じです。

そして、彼が奏でる音楽が、やはりイタリアらしいというか、なんというか。いわゆる「ポップス」ではなく、フォーク・ロック系の曲なのですが、簡単にフォーク・ロックとひとことでは済ませにくい、ラテンやトラッドやジャズなどの風味が入り混じった興味深いアコースティック・ミュージックになっています。しかも、地味。でも、ただ地味なだけでなく、味わい深い。こういった音楽が、いわゆるメイン・ストリームである売れ線とは少し距離を置いた新人のアルバムの中にぽろぽろと見つかるところに、イタリアのポピュラー・ミュージックが持つ奥行きの深さを感じます。

自分はイタリア語がわからないので歌詞の内容も理解できないのですが、この『Al mercato (市場にて)』は、なんらかのコンセプト・アルバムらしいです。田舎の城下町と思われる、布に描いた絵のようなジャケット・アートも印象的ですが、歌詞カードの中央ページには子供が描いたと思われるイラストが多数掲載されていて、ここもなんだか意味ありげです。

アコースティック・ギターのアルペジオにのって子供が独唱するM1「I pesci」や、おじさんがなにかをしゃべってるだけといった感じのM7「Nina」、ア・カペラのM10「Terra adorata」といった変化球もありますが、基本は古いタイプのカンタウトーレ系音楽にラテン&ジャズ・フレーバーをまぶした感じ、といったところでしょうか。M3「La luz de un novo dia」や、Fabrizio De Andre'(ファブリツィオ・デ・アンドレ)のカバーであるM9「Il Bombarolo」などでは、ヨーロッパの古い田舎町で行なわれる祝祭の音楽といったイメージも浮かびます。

また、ガット・ギターと鉄琴のやわらかな響きがほどよく小洒落た感じのM4「Il Destino」、ラテンの哀愁漂うアコーディオンと重たいリズムをバックにした、いなたいトラッド・ロック風のM5「Salta x l'indignazione」、ぶんちゃっぶんちゃっというピアノのリズムが気持ちのいいジャズ・ポップス風のM8「L'Indifferenza」などは、派手さはないけれど愛すべき曲と感じます。

個人的に気に入ったのは、ラテンやタンゴの雰囲気をふりまくアコースティック・ギターとアコーディオンにのってエキゾティックに歌われるM2「Al Mercato」と、ピアノのアルペジオにのって歌われる、やさしげで可愛らしいM6「Canzone di Marta」。とくにM6は、途中からアコースティック・ギターやホイッスル、アコーディオン、コーラスも入り、地味だけれども味わい深いカンタウトーレ作品になっています。

アルバム・リリース以降、地元ヴィチェンツァを中心に積極的にコンサートを行なっているようですが、たぶん、イタリアのヒット・チャートに上がってくるような人気歌手にはなれないでしょう。でも、こういった、地味だけど味のあるフォーク・ロックというのは、やはり「イタリアのポピュラー・ミュージック/カンタウトーレ作品」を楽しむうえでの重要な構成要素だと思います。そしてLucaのこのアルバムは、その点で充分に「イタリアン・ミュージックの魅力の一端」を聴かせてくれているといえるでしょう。ここに、もっとわかりやすいキャッチーさや、ある種の奇抜さのようなものが加わると、もしかしたらSimone Cristicchi(シモーネ・クリスティッキ)のようになるのかもしれないなぁ。

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2006/09/11

見てはいけない何かが映っていたのかしら... ぞぞぉ~

少し前に夜中に地上波で放送された『怪談新耳袋 劇場版』という映画を録画してあったので、観たのです。ショートストーリー8話からなるオムニバス映画で、なんとなく「世にも奇妙な物語」風? 前半はとくに怖いということもなく、終わり方のスッキリしない、だからなんなんだよといった話も多く、まぁ、こんなもんかなぁと思いながら観ていたのです。以下、ところどころネタばれを含みますが、たとえば「姿見」の最後に走ってくる子供?なんて、ちょっとビックリはするものの、冷静に画面を見ると爆笑です。この子は『呪怨』のトシオ君のお友達かしら。

それでも6話めの「視線」は、ありがちといえばありがちなのだけど、いやぁな感じが画面に漂ってて、やっと怪談、というかホラー映画らしくなってきました。こういう、画面のなかからだんだん近づいてくるスタイルというのは、いまや世界中のホラー映画ファンが知っている(のか?)「貞子」系ですね。貞子系は、来るとわかっていても、やっぱりちょっと怖いです。

そして続く7話目の「約束」。以下、激しくネタばれです。

名前を呼ばれるから、必ず返事をしろ、これは約束だぞ... 謎の言葉とともに叔父の家の留守番を引き受けた浩之。その家ではどこからともなく叔父の名を呼ぶ女性の声がし、「はい」と返事をしないと呼び続ける。ただし、返事さえすれば、その日はもう呼ばない。名前を呼ばれるのは1日1回。これがルールだと浩之は思っていた。ある日、意中の若い女性を留守番中の叔父宅に招いた浩之。夜も更け、彼女といい雰囲気になったところで、名前を呼ぶ声。「はい」と返事をし、今日の分はこれで終了と安心して彼女との甘い時間を続けようとしたところ、また名前を呼ぶ声。なぜだ? 今日の分の返事はすんでいるはずなのに。いままでこんなことはなかった。これまでと違うのは、ここに「彼女」がいるということ。にわかに不安になった浩之は、「声」への返事をあとまわしに、この部屋に泊まる気になっていた彼女を必死に帰らせようとします。その間も名前を呼び続ける声。やっと彼女を部屋から出し、あらためて「声」のほうへ振り向いたとき、そこには...

ここで突然、テレビ画面が砂嵐になってしまったのです。

最初は、こういう演出なのかと思いました。しかし、このあと約10分に渡って砂嵐が続きます。録画の終了時間設定を間違えたのかとも思いましたが、ハードディスクレコーダーのカウンタは同じタイトルナンバーのままタイム計測が進んでいます。そして10分後、何事もなかったかのように烏丸せつこの姿が映し出され、いつのまにか最終話の「ヒサオ」が始まっていました。

なに? どういうこと?

砂嵐になる直前、一瞬ですが、画面に何か、枯れ草の吹き溜まりのようなところに立つ、人の足首のようなものが映ったのです。そして突然の砂嵐。映画のエンディングロールのなかには、浩之が何か巨大な化け物のようなものに向き合っているシーンがありました。きっとあのあと、このシーンがあったはずなのです。なのに、砂嵐... いまにも貞子が出てきそうです。

うわぁぁぁぁ。こわいよぉ。

なぜ、突然に砂嵐? 何か「映してはいけないもの」があったのでしょうか。でも、番組中にそれに関するテロップ等は出ませんでした。なぜ? なぜ?? もしやテレビが、あるいはハードディスクレコーダーが、自分で判断して録画を消した? きゃぁ、呪われるぅぅぅぅ。










調べてみたところ、放送のあった日に一部地域で放送事故があり、5~10分にわたってすべてのチャンネルが砂嵐になっていたようです。よかった。呪いじゃなかった。

ホラーストーリーのクライマックスでの突然の砂嵐。お話そのものよりも、このほうがよっぽど怖いです。ヴィデオ録画されたものの一部がなぜか消去されてるのも、かなりこわいですが、これ、放送はたしか夜中の2時くらいからだったと思います。生で観ていた人はきっと、思いっきりびびったことでしょう。

で、けっきょく浩之はどうなったのだろう? 気になる。



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