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2006年8月20日 - 2006年8月26日

2006/08/25

SFINX / ZALMOXE (1978)


Sfinx(スフィンクス)は、ルーマニアのグループらしいです。M1「Ursitoarele」は「Dies irae (怒りの日)」風のメロディに続いて合唱が入り、もしや荘厳なシンフォニック・プログレッシヴ作品かと期待が一気に高まったのですが、その後は合唱というよりはハーモニーが多くなり、どこか牧歌的にすら感じられるフォーク風なヴォーカルが微笑ましい、軽快でさわやかなシンフォニック・ロックになっていきました。そして、この軽快なさわやかさが、このアルバムの基本的なトーンのようです。

全体に、どことなく、初期のYes(イエス)とか、あるいはEngland(イングランド)とかに通じる感じがします。また、歌メロにイタリアン・ロックとのある種の類似性を感じるという人も多いようですが、自分には、牧歌的で、田園風景を思い出させるようなコーラスなど、とてもイギリス的に思います。Moody Blues(ムーディ・ブルース)とかBarclay James Harvest(バークレイ・ジェームス・ハーヴェスト)とか思い出しちゃう。M3「Mierea」では「サァー」と鳴るやわらかなキーボードの白玉コードにポップでキャッチーなメロディがのり、Alan Parsons Project(アラン・パーソンズ・プロジェクト)とかがやりそうな感じだし。でも、軽やかで明るくあたたかな演奏はCamel(キャメル)的というよりは、スペインのGotic(ゴティック)風? カラフルで人のよさそうなキーボード・ワークは、もしかしたらオーストラリアのSebastian Hardie(セバスチャン・ハーディ)、よりもWindchase(ウィンドチェイス)のほうか、にも通じる?

M4「Pestera」はバックの演奏に少しプリミティブなニュアンスや、いくぶん邪悪な感じも漂わせているのだけど、歌メロはフォーク/カントリーみたいな雰囲気があり、さらにシタール風の音色を出す楽器がエキゾティズムを加え、フルートがファンタジックな感じをトッピングするという、わけのわからないミスマッチ感が楽しいです。

M8「Kogaion」はスキャット・コーラスの合間に、テレビゲームのような安い音づくりをしたシンセサイザーによるファンファーレが入ったり、古いSF映画でUFOがレーザー光線を出すときの音のようなSEが入ったり、なんだかチープ感が満載なのですが、それらがすべて微笑ましく感じられます。後半ではギターが大きめにフィーチャーされ、力強くハードな印象になっていくのだけど、やっぱりどこかスカスカな感じがあるところも可愛らしい。

やわらかい音色でカラフルなフレーズを奏でるキーボードを中心とした、さわやかであたたかみのある軽やかなシンフォニック・ロック。それぞれの曲の終わり方がちょっとあっさりしててものたりないかなと少し思ったりもしますが、展開・構成は小気味よく楽しげで、飽きることがありません。ルーマニアン・ナンバーワン・プログレッシヴ・グループによる東欧シンフォニック・ロックの名盤との評価の高いアルバム。聴いていて楽しく気持ちのいい、よい作品だと思います。


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2006/08/23

ELENA LEDDA / MAREMANNU (2000)

1959年にカリアリ(Cagliari)近郊のセラルジゥス(Selargius)で生まれたサルデーニャの歌姫、Elena Ledda(エレーナ・レッダ)の、たぶん5作目のアルバム。半分以上はサルデーニャのトラッド・ミュージックのようです。なので歌詞もサルデーニャ語のようですが、手元のCDはドイツでリリースされたものなのか、ドイツ語訳詞と英語訳詞がついてます(標準イタリア語訳はなし)。

彼女のアルバムは、Suonofficina(スォノッフィチーナ)というグループをバックに従えた『Sonos』(1987年)というアルバムを以前に聴いたことがあるのですが、これが非常に素敵な地中海音楽で、Elenaの力強い生命力に満ちた伸びのある歌声と、地中海トラッドとポピュラー・ミュージックがミックスされたようなキラメキに魅力された記憶があります。

2000年にリリースされたこの『Maremannu』は、『Sonos』よりもずっとトラッドに近いようです。もちろん、完全なトラッドというわけではなく、地中海ポップス的なアレンジもあるのですが、それでも、トラッド風の音楽に興味がないポピュラー・ミュージック・ファンには少しつらいかもしれません。

バックに薄いコーラスがつく程度で、ほぼア・カペラに近いM1「Fizu 'e su mundu」は、トラッド風であるとともに、どことなくグレゴリオ聖歌などをも思わせる静謐さがあり、Elenaの魅惑的な歌声を堪能できます。

M5「Dilliriende」もヴォーカルはトラッド風ですが、バックの演奏は南洋のリゾートを思わせ、明るく楽しげです。

M6「Maremannu」でも、Elenaの伸びやかな歌声を楽しめます。まるで、青くおだやかな海の上を、あるいは、夕日の落ちるサバンナの上を、ゆったりと流れていく気持ちのよい風のような雰囲気。トラッド風の弦楽器の響きも心地よく、地中海の香りもします。

自分の好み的には、よりポピュラー・ミュージックやロックの要素が強い『Sonos』のほうが合いますが、このアルバムはこのアルバムで、聴いていて気持ちのおだやかにある、なかなか素敵な作品だと思います。


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2006/08/22

LAURA PAUSINI / LIVE IN PARIS 05

会社のそばに今日、新しいトラットリーアがオープンするんです。ランチ営業もあるらしいので、さっそく昼にいってみようかなと思っているのですが、オープン初日は混んでいるかなとも思いつつ... さらに心配なのは、某『TVBros.』の星占いによると、今日は「注意日」で、その内容がたしか「ものすごくまずいものを食べることになる」だったような(^^;)。初日はお店の側もまだ慣れてないからなぁ。別の日にしたほうがいいかなぁ。

で、Laura Pausini(ラウラ・パウジーニ)です。あいかわらずです。デビューから10年以上経ち、またライヴ盤であることもあってか、だいぶ力強いヴォーカルを聴かせるようになりましたが、これといって強い個性のない優等生的な歌い方は変わりません。

自分にとってLauraは、とくに好きでも嫌いでもない、あまり興味のないシンガーです。中古で安く売っていることが多いのでアルバムはけっこう(ほとんど?)持っていますが、積極的に「Lauraを聴こう」と思ってプレーヤーにかけることは、ほとんどありません。でもLauraの歌にはわかりやすい「イタリアらしさ」があるので、かかっていてもじゃまには感じません。

Lauraの魅力ってきっと、クセのない素直さなんだと思います。そして、Lauraを取り巻くスタッフたちはそれをよくわかっていて、Lauraの魅力を表現できるかたちの楽曲を提供したり、演奏・アレンジをしたりと、充分にサポートをしてるのでしょう。

Lauraのヴォーカル自体は、伸びやかで、なめらかで、よく声が出ているとは思うけれど、表現力があるか、情感を乗せるのがうまいか、というと、そうでもないと自分は思っています。なので、Lauraの歌唱で聴いて「いい曲」と思える曲は、たぶんLaura以外のそこそこ歌のうまい人が歌っても「いい曲」と思えるだろうし、たとえばFiorella Mannoia(フィオレッラ・マンノイア)Dolcenera(ドルチェネーラ)などのように豊かな表現力や独特の個性を持ったシンガーが歌えば「すごくいい曲」に感じられるんじゃないかなと思うんです。逆にいえば、Lauraが歌うからこそ「いい曲」に聴こえる、というケースは、あまりないのではないかと。別の角度からいうと、Lauraって、たとえば個性と表現力を持ったシンガーが自分の歌をサポートさせたりハーモニーをつけるためのコーラス・ガールとしてはよさそうだけど、一緒に歌って新たな魅力を生み出すためのデュエットの相手としては機能しないような、そんな気がするのです。

けっきょくLauraの魅力は、多くの部分を「楽曲のよさ」に依存している。自分はそう思っています。逆にいえば、平凡な曲をヴォーカルのうまさでカバーし魅力的に聴かせるだけの力はあまりない、と思っています。その点がFiorellaDolceneraなどとは違うわけで。

このライヴでも、たとえばM2「Un'emergenza d'amore」なんて、非常に平凡な、ありきたりな曲だと思います。それをいつもどおり、素直に歌っているので、いっそうありきたりな印象を受けます。もしこういった曲が多ければ、Lauraにぜんぜん魅力を感じないでしょう。でも、こういった曲以上に、M3「Vivimi」やM4「La solitudine」、M12「Incancellabile」といった「素直にいい曲」が多く提供されていることで、Lauraの魅力が維持されてると感じます。

そんなわけで、Lauraに提供されている楽曲には興味があるけれど、シンガーとしてのLaura自身にはほとんど興味がもてない自分なのでした(←日本にいる多くのイタリアン・ポップス・ファンを敵に回したか?)。


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2006/08/21

週末に観た映画

ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ
夜中に地上波で放送されたもの。ストーリー的には、それほど深みはない感じ。このミュージカルが制作された当時はどうだったかわからないけれど、いまとなってはありきたりなテーマなように思う。全編に流れる音楽はいいな。古き良き時代の、グラマラスで危険で妖しくて情熱的なハードロック満載。David Bowie(デヴィッド・ボウイ)とかAlice Cooper(アリス・クーパー)とかNew York Dolls(ニュー・ヨーク・ドールズ)とか思い出しますね。ただ、ヘドウィグのヴォーカルがあまりうまくないのが残念。もっと「歌える」人で聴きたかったかも。アンドロギュヌスの神話をモチーフにした「Origin of Love」はなかなかの名曲です。


この世の外へ クラブ進駐軍
BSで放送されたもの。なんでしょうねぇ。なんか、ドラマが希薄だ。主要登場人物の数が多いのだけど、それぞれが抱えるものが充分に描ききれていなくて、どれも中途半端になってしまった感じ。たくさんの登場人物たちの絡み合いが最終的にどこかに昇華するかというと、そうでもなかったし。ラッセルさんは最初、なんであんなに日本人が嫌いだったの? それもわからなければ、心変わり?の理由もよくわからん(まさか、あの演奏だけで!?)。観終わってみれば、主演の萩原聖人さんの歌の下手さと、ぜんぜんジャズに聴こえない演奏ばかりが印象に残りました。


■呪われた森■
夜中に地上波で放送されたもの。ディズニー制作だそうですが、映像はゴシックな雰囲気満載のイギリス風。1980年制作と古いこともあって、SFXなどはちゃちなんだけれど、それもかえって雰囲気を高めてますね。いちおう、ゴースト・ストーリー風なのだけど、ホラーというよりはミステリーでしょうか。怖がらせることよりも、少女が忽然と姿を消した謎の解明に主眼があり、そこに秘密結社と入会の儀式、40年に1度(だったか?)の日食などをからめて上手に展開していると思います。家主の老女として登場するベティ・デイヴィスが、めちゃめちゃ存在感と妖しげな雰囲気を振りまいてますが、一瞬、加賀まりこさんにも見えたりします。


サイン
地上波で夜9時台に放送されたもの。とりあえず、笑っておこう。水に弱い宇宙人って、むかしそういう映画があったな。宇宙からの光を浴びた植物かなんかがワラワラと襲ってくる話。なんというタイトルだったか。しかし監督、画面に出すぎ。


ドッグヴィル
DVDで。これは、すごいな。3時間があっというまでした。いや、あっというまじゃなくて、観終わったあとにはけっこう疲れたのだけど、でも、観ていて「長い」と感じなかった。こういった性悪説的な話って、自分は好きというか、納得しやすいというか、理解しやすいというか、真実味があるように自分には感じられます。
登場人物の誰一人として「正しいこと」を行なっていない。そもそも、「正しいこと」も「真実」も、ある特定の閉じた世界の中での価値判断でしかなく、不変の真理ではない。より「力」のある者が、自分の決めた「正しいこと」「真実」を押し付けているだけ。けっきょくすべては「傲慢」でしかない。それは、町でも田舎でも、強者の世界でも弱者の世界でも、同じこと。
「下劣な者の町(Dogville)」(「dog」には古い意味として「下劣なやつ」という訳があるそうです)にやってきた「神の寵愛・慈悲(Grace=ニコール・キッドマンの役名)」により、町が崩壊・消滅する話。これはソドムとゴモラなのでしょうか。町の住人と家屋はすべて焼き尽くされ、最後に生き残ったのは犬のモーゼス。正しく「犬の町(Dogville)」になったと同時に、イスラエル人を導いた偉大な預言者モーセの名を持ったこの犬が、新たな「十戒」を世に広めるのかもしれません。下劣な十戒を。
家屋等のセットを組まず、床にチョークで地図と間取りを書いただけのうえで役者が演じるという特殊な技法なので、映画というよりは舞台中継を見ている感じ。いっそ、舞台で観たかったかも。


宇宙戦艦ヤマト(前編・後編)■
地上波で夜中に2日に渡って放送されたもの。テレビ版の連続ものを編集して劇場用にまとめたもののようで、おそらく、劇場用の新規場面制作はないのではないか。ぶつ切りのダイジェストといった感じで、話や場面のつながりなどに無理やり感が満載。長大な作品をスキップサーチで見ているような、あらすじだけを見させられているような、そんな印象でした。有名な「肌が青くない(白い)デスラー総統」のシーン(歩いている途中に肌の色が城から青に変わる)がいちばんの見せ場か。


ウォルター少年と、夏の休日
地上波で夜9時台に放送されたもの。気楽に楽しんで観られる。夢や冒険への憧れが無数にあふれていた古き良き時代(世の中的にも、自分的にも)の名残りを感じられる。主演のじいさんの一人、ロバート・デュバルって、『地獄の黙示録』で空挺部隊長をやってた人ですよね。メコン川でサーフィンする、「弾なんか、あたりゃせん」っていう。彼が歳とってこんなふうになったんだ(違う違う)などと想像するのも、また楽し。じいさんふたりの最後の散り方も爽快。ライオンのジャスミンと同じように、きっと笑いながら死んだんだろう。ハーレイ・ジョエル・オスメントは、あいかわらず不細工だ。ところで、最初のほうでは犬と一緒によく歩いていた豚さんは、どうしたのだろう。途中から見かけなくなってしまったのだけど。やっぱり、食べられちゃったのかしら。

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