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2006年7月30日 - 2006年8月5日

2006/08/04

LEDA BATTISTI / TU, L'AMORE E IL SESSO (2006)


1971年2月生まれのLeda Battisti(レダ・バッティスティ)の、サード・アルバムになるのかな。彼女のバイオグラフィには記述がないのだけど、Battistiという苗字で、生まれはラツィオ州リエティ(Rieti)県のポッジォ・ブストーネ(Poggio Bustone)というのは、1998年9月9日に亡くなったイタリアの偉大なカンタウトーレ、Lucio Battisti(ルーチォ・バッティスティ)と同じ。きっと娘なんでしょうね(と思ったら、Ledaのお父さんとLucioのお母さんが従兄弟同士という関係なんだとか。しかもLedaの本名の苗字はBattistiではないらしい)。

Lucioは偉大だったけれど、Ledaはどうかというと、なんかあんまりぱっとしない感じです。ところどころでアラビックだったりスパニッシュだったりといったエスニック風味がまぶされていて、それはLedaの南欧の血を感じさせるエキゾティックな容姿と合っていて魅力的ではあるのだけど、そこから先へと気分が進めない。M1「Ancora Una Parola」でのわずかにウィスパー気味な歌声も、もっと心に響いてきてよさそうなのに、耳で止まってしまう感じなんです。自分にはいくつかの「好きなイタリアン・ポップスのツボ」みたいなのがあるのだけど、残念ながらLedaの歌・曲は、そこにかすらない。

普通に美しいメロディで、現代風のデジタルなリズムが配されて、要所でエスニック・アレンジを施すといった変化の工夫もあって、作品として悪くはありません。M6「Corazon Latino」とかはPaola & Chiara(パオラ・エ・キアラ)みたいだし。

でも、たとえばM3「Tu L'amore E Il Sesso」では、せっかくサビの部分でメロディ的にも演奏的にも高揚していくのに、ヴォーカルがそれについていけていないので、もやっと感が残ってしまう。M5「Il Vento Sulla Sabbia」も、スパニッシュ・ギターにフォルクローレっぽい笛の音、ニューウェーヴ風のリズム・セクションといった演奏の個性に、ヴォーカルが埋没しちゃってる。こういった曲・アレンジを歌うには、歌声に個性と力強さが足りないと思うんですよ。これがAntonella Ruggiero(アントネッラ・ルッジェーロ)だったら、もっともっと魅力的な作品になっただろうなぁと、そんな印象ばかりが残ってしまいました。



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2006/08/03

PAOLO MARINO / SENZA FRONTIERA (1992)


Paolo Marino(パオロ・マリーノ)という名前を聞くのは初めてな気がするのと、某インターネットショップのニュー・リリースのコーナーにあったことから、新人カンタウトーレのデビュー・アルバムかもと思って入手したのですが、どうやら旧譜のCD再発だったようです。このアルバムをプロデュースしたPiero Cassano(ピエロ・カッサーノ)のサイトに記載がありました。それ以外の情報は、オフィシャルサイト等がないため、バイオグラフィもディスコグラフィもわからないのですが、どうやらこのアルバム1枚のみで消えてしまったようです。

曲を聴いてみると、それも致し方なし、といった感じです。自分で作詞作曲をする(作曲にはPiero Cassanoも協力しています)カンタウトーレですが、そこから生み出された曲は、平均点はクリアしているけれど、これといって個性のないもの。ほのかにひび割れた歌声はイタリアらしい心地よさを持ってはいるけれど、こういった声の人はMassimo Di Cataldo(マッシモ・ディ・カタルド)などをはじめイタリアには多数いて、やはり平均点といった感じです。悪くないのだけど、聴きどころというか、Paoloならではの個性が感じられないのが残念です。

とはいえ、アルバムとしては、ほどよく都会的に洗練されたロック色が強めのポップスと、ゆったりとメロディアスなバラード系の曲とが、よいバランスで配置されていて、気持ちよく聴けます。あまりイタリアぽさは強くなく、ゴスペルチックなコーラスが入るなどアメリカ系哀愁の匂いが強めですが、声も曲もそれなりによいので、BGM的に聞き流す分には悪くないと思います。LPの内容をそのままCD化したようで、とくにボーナス・トラックなどもないため、収録時間が40分程度というのもコンパクトで、自分にとっては好ましいです。

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2006/08/02

最近のがっかり


リストランテUA(ウーアー)のパスタランチ。ソースは3種類あるうちの、「シラクーサ風」とかいう、ナスとしし唐(だったか?)の入ったトマトソースを選んだ。

太めのパスタは、歯ごたえはけっこうもっちりしっかりとしてていいのだけど、小麦の味がしない。たとえばこの麺にオリーブオイルをまぶしただけで美味しく食べられるかというと、そうはならないように思う。

ソースはなかなかおいしいのだけど、茹で上げた麺に上からかけただけ。せっかくのソースの旨みを麺が吸っていないし、麺とソースがからんでもいない。麺の下、皿の底にソースから分離した水分がたまり、面の上には水分が抜けかけた固形部分が乗っかってるといった感じ。

このお店、町の洋食屋じゃなくてリストランテなのに、シェフもそれなりに有名らしく、評判がいいようなのに、このパスタは本当にがっかり。安い以外に来店動機を見つけられない。これなら何年か前にファミレスのジョナサンで食べたパスタのほうが美味しかったぞ。

味付けや調理のスタイルの好みには、個人差がある。あまり小麦の味のしない麺が好きな人もいるだろうし(オーマイとかショーワ、ママーのスパゲッティって、あまり味がしないと思うけど、それなりに売れてるみたいだし)、昔ながらのソースを上からかけただけで麺にからめたりしみこませたりしないタイプの調理・提供方法が好きな人もいるだろう。だから、UAのパスタランチに関しては、あくまでもリストランテが出すスパゲッティに対して自分が抱いた期待からするとかなりがっかりだったわけだけど、それはたんに、自分の好みからはかけ離れているだけともいえる。日本における「スパゲティ」という位置づけのなかでは、けっしてまずいわけじゃないんだろう。たぶん。おそらく。きっと。もしかしたら。実際、ランチは満席になっていることが多いみたいだし。

それよりも残念だったのが、DiSKのランチ。

最近ランチ営業を始めたバー。ランチメニューは2種類で、それぞれ限定20食とか書いてある。バーなので、調理設備が整っているとは思えないし、迅速に複数オーダーに対応できる構造になっているとも思えない。その分、仕込を充分に行なって対応しよう、それが可能なのが20食まで、ということだろうと思うのだけど。

注文したのは、チキンのドミグラスソース煮。出てきたのは、ライスとサラダとチキンがひとつの大皿に盛られた定食状のもの。それは、べつにいい。問題は、ここです。

焼いたチキンの上から、ドミグラスソースがかかっている。

ドミグラスソース“煮”じゃないじゃん。メニューに書いてあるのと違うじゃん。嘘じゃん。なんで「チキンソテー ドミグラスソース」て書かないんだよ。そういえばトラットリアOggiでも、煮込んでいない、上からソースをかけただけの「チキンのトマト煮」をランチで出してたりする。神楽坂では「煮」というのは上からソースをかけるということなのか?

しかも、注文を受けてから提供までがえらく早い。いや、早いのはいいのだけど、早すぎ。

だって、焼いてないんだもん。

焼き上げてステンレスのボールに入れておいたチキンを温めなおすこともせずに皿に盛り、上からソースをかけただけ。なので、チキンがぬるい。というか、ほとんど冷たい。ライスとソースは温かいけど、メインであるチキンが、ほとんど「朝つくったお弁当を温めずに昼に食べてます」みたいな状態。そういえばトラットリアOggiでも焼き上げてバットに並べたチキンをとくに温めなおしもせずに提供された。神楽坂では焼いたチキンを温めなおさずに提供するのが常識なのか?

これはもう、美味しいとかまずいとかいうのとは違う話だと思う。

飲食店として、メニューに嘘を書く、そのうえ、本来温かくあるべきものを温かくせずに提供するなんて、ダメだろう。料理に対する意識の低さがありありと感じられる。料理提供に興味がないなら、酒しか出せない店なら、ランチ営業なんてしなけりゃいいのに。

あぁ、本当にがっかり。素晴らしい料理を素敵なサービスとともに手ごろな価格でランチに提供してくれたビストロ・イデアルがなくなってしまったことが、あらためて非常に残念に思われる。

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2006/08/01

FRANCESCO NUTI / STARNUTI (2006)

Francesco Nuti(フランチェスコ・ヌーティ)、1955年5月17日トスカーナ州プラト(Prato)生まれ、だそうです。自分はこの人のことをぜんぜん知らないのですが、彼はシンガー/カンタウトーレというよりは、俳優、脚本家、監督として映画の世界で有名らしいです。これまでに20本近い出演作・10本以上の脚本・監督作があり、現時点での最新の出演作は2005年の『Concorso di colpa』だそうですが、やっぱり自分は知りません。

このアルバムは、これまでに彼が出演した映画の挿入歌を中心に新曲をいくつか混ぜ込んだもののようで、最新の曲は2006年、いちばん古い曲は1982年のものとなっています。24年もの隔たりがあるわけで、声の感じもまったく違い、最初はおじいちゃんと若者のふたりのシンガーがいるのかと思いました。

おじいちゃん声の新曲は、フォークをベースに、ジャズっぽいアレンジなどで軽やかさを加えたり、ボサノバ風やトラッド風の味付けをしたり、といった感じ。ただ、演奏をどのようにしても、おじいちゃん声のヴォーカルが泥臭いフォークのような雰囲気をかもし出してしまいます。

一方、若かりしころの曲は、年代的なこともあってか、どれもオールドスタイルなポップスというか、歌謡曲的。Gianni Morandi(ジァンニ・モランディ)とかが歌ってもよさそうです。

M2「Giulia」は1988年の曲で、アコースティック・ギターの響きが美しく、ちょっとナポリ風な感じがしたり、どことなくLucio Dalla(ルーチォ・ダッラ)を思い出したり。サキソフォンも入り、おだやかなロマンティシズムとさわやかな空気を感じます。

M4「Santo Domingo」も1988年の曲で、アコースティック・ギターの弾き語りによる古いスタイルのイタリアン・バラード。そのむかしナポリなどにいたという「歌い屋」(若い男性に頼まれて、彼の恋する女性の部屋の窓に向かい、路上から、彼の想いをのせた歌を、彼の代わりに歌ってあげる、という商売)の姿がほのかに思い浮かびました。

M5「Batte la spola」は2006年の曲で、イントロで聴かれるアコースティック・ギターとバグパイプのような管楽器?の響きが地中海音楽やトラッドを思わせます。

M7「Sara' per te」は1988年の曲で、イタリアらしいメロディアスなポップス。キーボードのオーケストレーションも入り、歌メロにはRenato Zero(レナート・ゼロ)の「Il cielo」を思わせるような部分もあったりして、さわやかでやわらかな哀愁を感じます。

M9「Se hai vista camminare」は1998年の曲で、オーケストラとサキソフォンの響きがロマンティックな、地味だけど味わいのあるバラード。中間部ではリズムやコーラスも入り、イタリアン・ポップスらしい美しい楽しさもあります。

収録されている曲は、Francesco自身が書いているものと、おそらく彼の息子だと思われるGiovanni Nuti(ジォヴァンニ・ヌーティ)が書いているものがほとんどなのですが、それでも、さまざまな映画の挿入歌の寄せ集めであること、作曲・録音年代も幅広くばらばらであることなどから、アルバムとしての統一感や求心力に欠けます。でも、上に記したような曲など、いくつかは自分の好みに合うものもあったので、まぁこれはこれでいいでしょう。

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