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2006年7月23日 - 2006年7月29日

2006/07/28

ナスとキノコで適当に

昨日の夕飯は、時間がなかったので適当につくりました。

◎米ナスをひと口サイズくらいの大きさに切って、あく抜きをしておく。
◎フライパンにEVオリーブオイルをたっぷり入れ、きざんだニンニクで香りをつける。
◎ほぐしたシメジとナスをフライパンに入れ、全体にオイルがまぶるように炒める。
◎塩・胡椒で味付け。
◎バターと白ワインで風味付け。
◎最後に白バルサミコとライム果汁を振りかけて、全体になじませてから火を止める。
◎大根おろしをかけていただきます。ナスたちにしっかり味がついてるので、大根おろしには何も足さなくてOK。

昨日はパンを買う時間がなかったので、パスタ料理も適当につくりました。

◎ティファールの小さめの鍋でペンネ・リガーテを茹でる。塩たっぷり。
◎ほどよく茹ったらお湯を捨てる。ペンネは鍋に残したまま、弱火に。
◎EVオリーブオイルをたっぷり振り掛ける。
◎クラッシュガーリックを適当に振り掛ける。
◎一口大に切ったトマトを鍋に投入。ここから強火。
◎トマトが煮崩れるくらいまで、よっくまぜる。
◎ケーパーがあったので、アクセントに入れてみる。
◎乾燥バジリコがあったので、香り付けに入れてみる。
◎温かいうちにいただきます。

ワインはイタリア・ウンブリア州の白ワイン、オルヴィエート・クラッシコを。旨みたっぷりでおいしい。でも、もっとレモン風味の強いスッキリしたワインのほうが、このメニューにはもっと合ったかな。

カンポグランデ オルヴィエート・クラシコ 2004 アンティノリ

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本当にくるのか『Icaro』?

1970年代にデビューしたRenato Zeroといえば、いまも現役で、コンサートを行なえばスタジアム級の会場は満員、アルバムをリリースすれば毎回ヒットという大スターなわけですが、なぜか彼が1980年代にリリースしたアルバムは現在、すべて廃盤・入手困難な常態になっています。その前の1970年代および1990年代以降のアルバムはいまも手に入るのですが、なぜ80年代だけ廃盤?

そんななか、先週たまたまスイスのDischi Volantiのカタログを見ていたら、Renatoの『Icaro』が載っているのを発見! もう長いこと、どこのショップのカタログにも見かけなかった1981年リリースの2枚組ライヴです。カタログからの消し忘れかもしれないなと思いつつ、他のいくつかのアルバムと一緒にぽちっと注文してみました。

昨日、「先日のオーダー分は明日、出荷するよ」というメールが。そして「残念ながら、以下のアイテムはサプライヤーに在庫がなかったよ、ごめんね」という一文。よくあることですし、やっぱりRenatoな買ったんだろうなと思ってバックオーダー品の一覧を見たところ、そこにないのです。Renatoの名前が。そのかわり、「出荷アイテム」の一覧のほうにRenatoが!

くるのか? 本当にくるのか?

いま確認してみたところ、現在はDischi Volantiのカタログから『Icaro』は消えています。もしかして、サプライヤーに残っていたデッドストックの、最後の1枚?

うぅ、楽しみです。

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2006/07/27

FLAVIO OREGLIO / SIAMO UNA MASSA DI IGNORANTI. PARLIAMONE (2006)

なんだか不思議なアルバムです。1958年8月にミラノ近郊ペスキエラ・ボッロメオ(Peschiera Borromeo)で生まれたFlavio Oreglio(フラヴィオ・オレッリォ)は、1985年ころからミラノのパブやキャバレー(そのなかには「La Corte dei Miracoli」という名前の店も!)で歌い始め、1987年に『Melodie & Parodie ovvero: pensieri di un rivoluzionario moderato』でアルバム・デビューします。この『Siamo una massa di ignoranti. parliamone』は6枚目のアルバムになるようです。

さて、このアルバム。なんなのでしょう。基本的にはフォーク・ロック風なんだと思います。ヴォーカル・スタイルは昔の歌手っぽく、低いけど声量があり、きちんと楽譜にそって歌っているような感じ。妙に存在感があります。この時点でフォーク・ロック風な曲とヴォーカル・スタイルにミスマッチ感があるのですが、さらにそこにはさまざまな音楽風味が付け加えられ、いっそう摩訶不思議な感じを受けます。

M1「Credits」、M2「Facce」はフィドルやバンジョーなどが軽快に鳴り響き、カントリー・フレイバー満載です。こういった曲調とFlavioの歌い方は合っていると思います。だけどイントロやアウトロなどに、たとえばヴァイオリンとフルート、ギター、リズム・セクションがユニゾンで演奏したりして、なぜか妙にプログレっぽい雰囲気があったりするのです。

M3「Quando muore un’idea」も似たような感じですが、そこにオルガンがコードを白玉で鳴らし、エレキ・ギターの音が入って、昔のロック風になってきます。さらにはブルージーなハーモニカも入ります。

M4「Siamo una massa d’ignoranti. Parliamone」ではアコースティック・ギターのアルペジオが透明でファンタジックな世界を描き出します。フルートとオーケストラも入り、プログレッシヴ・ロックの粉がほんのりまぶされたような幻想フォークといった印象になります。こんな感じ、誰かに似てるんだけど、誰だったろう。初期のころのSupertramp(スーパートランプ)とかかなぁ。演奏はもんやりと幻想的なのだけど、Flavioの低くて粘りがあって、しかもオールド・スタイルなヴォーカルは妙に現実的で、このミスマッチ感がいいような、悪いような。

M5「Una vita contromano」もM2などと同様に、イントロなどにフルートとヴァイオリンのユニゾンが入り、妙にプログレッシヴ・ロックの雰囲気があります。ヴォーカル・パートに入ると、オルガンの音やアレンジに1960年代後半から70年代くらいのハード・ロックの香りが見え隠れします。

M6「Intermezzo: fiesta」とM8「Intermezzo: Madrig - Ale」は短いインスト曲。

M7「Tango del nulla」はそのタイトルからもなんとなくイメージできますが、トラッドとラテンに古いサロン風のダンス・ミュージックがまじったような、なんとも不思議な雰囲気を持った曲。ミディアム・スローの曲にのって情熱的に踊るロング・スカートの魅惑的な女性(ラテン系)の姿が思い浮かびました。ちょっとPiccola Orchestra Avion Travel(ピッコラ・オルケストラ・アヴィオン・トラヴェル)などに通じるところもあるかもしれません。

ここまででもかなりさまざまな要素を持ち、とらえどころのない音楽性を披露してくれているFlavioですが、このアルバムの最大の聴きどころはM11の「Il pensiero」でしょう。地中海の輝きを思わせるようなアコースティック・ギターの響き。そこに入ってくる厚みのあるキーボードの音色。これ、思いっきりPremiata Forneria Marconi(プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ。PFM)風だと思うのですが。それも、初期のころの。明るさと幻想が入り混じったような曲調で、思わず「なんだこりゃぁ!」と叫んでしまいそうです。だけどそこにのるのはFlavioの妙に声がいい古くさおっさんヴォーカルで、このミスマッチ感、アンバランス感に、どのように対応したらいいのでしょう。

ブルースやカントリーといった要素にほんのりとプログレッシヴな幻想風味のパウダーを振り掛けたようなフォーク・ロック(妙に声のいいオールド・スタイルなヴォーカル入り)といったこの作品。イタリアのJethro Tull(ジェスロ・タル)ファン・クラブに謝辞が捧げられていたりして、プログレッシヴ・ロックを意識していることは明らか(くしくも出演していたキャバレー名もCorte dei Miracoli(コルテ・デイ・ミラコリ)だし)。

と思ったら、ゲストでドラムを叩いているClive Bunker(クライヴ・バンカー)ってJethro Tullの人じゃないですか。さらにはArea(アレア)PFMでも演奏しているWalter Calloni(ワルテル・カッローニ)もゲスト・ドラマーとして参加してます。パーカッションのMiles Bould(マイルス・ボールド)という人はSting(スティング)Jamiroquai(ジャミロクアイ)のアルバムに参加している人だそうですし、オーケストラ・セクションのアレンジを担当したNeil Black(ニール・ブラック)Soft Machine(ソフト・マシーン)の人だって!

なお、自分が手に入れたのはCDのみのものですが、それとは別に「本(Liblo)」がついたヴァージョンもあるようです。その本に何が書かれてるのかは知りませんが、たぶん、歌詞とかだろうな。CDに入っていたブックレットには歌詞が書かれていないので。

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2006/07/26

SUGARFREE / CLEPTO-MANIE (2006)

Sugarfree(シュガーフリー)の2005年リリースのデビュー・アルバム『Clepto-manie』に2006年のサンレモ音楽祭新人部門参加曲「Solo lei mi da'」を追加収録して再リリースされた、いわゆるサンレモ・エディション。再リリースに際してジャケット・アートが変更され、DVDつき(内容は見てないので知りません)の2枚組になりました。

サンレモ参加曲を聴いて、彼らも最近多い、ブリティッシュの雰囲気を漂わせたノスタルジックなポップ・ロック系、たとえばModa'(モダー)などと似たタイプかなと思ったのですが、そのとおりでした。グループの結成は2000年で、もともとは50年代のロックンロールやリズム&ブルースのカバーバンドとしてスタートしたそうですが、さすがにそこまで古い雰囲気はないものの、随所に古き良き時代のブリティッシュ・ポップ・ロックを思い出させるメロディやアレンジがあります。

M1「Solo lei mi da'」やM2「Inossidabile」、M3「Cleptomania」M8「Pur di averti qui」などは、ミディアム・スローな哀愁のロック・バラード。大きなうねりや盛り上がりのない、だけど感傷的なメロディが歌われます。エレキとリズム隊の刻む8ビートが曲にファットな感じを与えています。

M4「Bricila di te」やM5「Terra e cielo」、M7「Particolare」などは、イギリスとイタリアの哀愁をミックスしたような、ほどよくノスタルジックなメロディのポップ・ロック。M1タイプの曲とリズム形態はあまり変わらないのだけど、エレキ・ギターのディストーション比率が下がってクリーンな音の比率が上がることで、あたたかくポップな感じが出ています。M7などではサビでちょっと歌い上げ、ある種の伝統的なイタリアン・ポップスらしさを少し感じます。

M6「Cromosoma」はちょっといなたい感じを持ったポップ・ロック。Francesco Renga(フランチェスコ・レンガ)ほどではありませんが、なんとなく粘っこくてスケベっぽい雰囲気を漂わせています。

M9「Tu sei tutto per me」はM4タイプの曲をテンポ・ダウンしたような感じでしょうか。言葉を単語単位でなぞるように歌うヴォーカルや、バックの楽しげな?コーラスに古い時代のロック/ポップスに通じる雰囲気を感じます。カバーバンドだったころに身につけた味わいが出ているかも。一方M10「Tic tac」は別の方向で、カバーバンドだったころの味わいを表現したのかもしれません。最近はやりのソウル/R&B風味にも挑戦してみましたといった雰囲気のある、いなたくも軽快なロックになっています。

収録された曲の半分くらいはメンバー自身の手によるものでなく、彼らの友人のDavide Di Maggio(ダヴィデ・ディ・マッジォ)という若い作曲家から提供を受けています。そういうこともあってか、グループとしての個性が弱い、最近のよくありがちな若手イタリアン・ポップ・ロック・グループのひとつとして埋没してしまいそう、といった印象はあります。また曲そのものも、これも最近の傾向といえばそうなのですが、あまり印象的な構成や展開を持っているわけではなく、どちらかというと淡々とした、最初から最後までそれほど調子の変わらないものが多く、平凡かつ平板に感じてしまう部分もあります。それでもひとつひとつのフレーズには美しさやノスタルジックな魅力があり、それが、ある種の甘ったれた感じを漂わせるヴォーカルにも合っています。今後、曲のヴァリエーションを広げられるか、あるいは同タイプの曲で演奏や構成面でのクオリティ・アップができるかが、彼らの課題でしょうか。このままだとアルバム1枚、よくても2枚くらいで終わってしまいそうな感じがします。


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2006/07/24

週末に観た映画


■機械仕掛けの小児病棟■
劇場で。ひさしぶりに劇場での映画鑑賞なのに、なんでこれを選んでしまったのかと、激しく後悔。
病院が舞台のホラー、というかゴースト・ストーリーだけど、恐ろしくも哀しくもなかった。看護士が積み木に近づいたときに積み木が表わす(=幽霊からの)メッセージ、「Don't touch」「Mine」「Not yours」が、実は積み木のことをいってるんじゃないとか、幽霊の正体はこっちじゃなくてそっちですかみたいな、ちょっとしたひねりは悪くないんだけどねぇ。なぜ幽霊がそこまで執着するのかが納得できなかったし、「幽霊は場所に憑くのではなく、人に憑く」と再三いっておきながら、だったらなぜ、そこまで執着している患者たちに着いて一緒に新しい病院に行かなかったのかとか、いろいろと腑に落ちないところだらけでした。幽霊のヴィジュアルも、あれかぁ。


■禁じられた遊び■
BSで放送されたもの。名画の古典ではありますが、う~ん、なんだかなぁ。
自分はもともと子供があまり好きじゃない、というか、率直にいって嫌いなこともあって、子供が主人公の作品はたいてい気に入らない。だって、バカなんだもん。そのうえ自分勝手で、わがままで。この映画も、どうしてもそう感じてしまう。
さらに鬱陶しいのが、みなしご(というのは、最近では差別用語なのだそうで。孤児、といえばいいのか?)になった小娘ポーレット。子供のいやらしさだけでなく、こんなにチビなのに女性のいやらしさも持ってる。そしてポーレットよりも年上のはずのミシェルが簡単に、それにひっかかって事件を起こす。中途半端に女性にかかわると男性はバカになるというある種の典型的なスタイルが、こんなに小さな子供たちの時代から確立している。しかもそこには、都会の女(ポーレットはパリ出身らしい)に熱を上げる田舎の男(ミシェルは田舎の農家の三男坊)という図式も組み込まれてる。
なんか、子供の無垢さとか戦争の悲惨さなどといったのとはまったく別の、すごくいやな感じが残ってしまった。


■マルホランド・ドライブ■
地上波で夜中に放送されたもの。
これは難解だ。すべてをきちんとした一連のストーリーとして把握・理解しようと思うと、かなりの脳内解析を行なわないといけないだろう。だけど、ただ画面に映し出されるものに身を任せているだけでも、意味と印象がじわじわと心と身体にしみこみ、広がっていくように感じるのがすごいところ。
もともと難解な構成なのに、テレビ放送された時点で40分!ほどカットされているようなので、正確に理解することは無理だろう。大雑把に、前半がダイアンの妄想と願望とときどき現実、後半(終盤)がほぼ現実ということだろうと思うが、いずれにしろ哀しい話だ。意味ありげに登場する人物たちのなかには、よく役割のわからない人もいたけれど、ノーカットで観ればわかるのだろうか。
それはともかく、非常に印象的な作品だった。「すべてはまやかし」なのだな。


■レイクサイド マーダーケース■
地上波で夜に放送されたもの。
はぁ、そうですか。柄本明のあまりの手際のよさに、こいつぜったい初犯じゃねぇなと思ったのだけど。あまりにも何もしない薬師丸ひろ子は、ぜったい主犯じゃないと思ったのだけど。役所広司が豊川悦司に詰め寄るシーンに現われた子供たちを見て、あ、こいつらだ、と思ったのだけど。その他もろもろ、見ている途中はいろいろと思うことがあって、それなりに楽しかったのだけど。そういう終わり方ですか。そうですか。はぁ。
箱庭的な舞台なので、芝居で観たらおもしろいかもしれない。うまい役者で、緊迫した演技で。

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