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2006年6月11日 - 2006年6月17日

2006/06/16

東京都産もあとれたてピチピチ

あなたを「商品」として企画してくれます(^^)。

あなたの商品企画室

ちなみにおいらを商品企画すると、

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商品名:
「東京都産もあとれたてピチピチ」

キャッチコピー:
本場東京都の味を生きたままあなたの手に。

種類別名称:
思わず新鮮な魚と思いがちだが実は、40歳の男性(人間)

商品名:
東京都産もあとれたてピチピチ

原材料名:
もう少し頑張りましょうな通知表
何事も粘り強い忍耐力
思いやる心
一般的な平凡的な極めて標準な肉体
休暇申請中の肝臓
人のアドバイスを聞かない頑固者
僅かな過ちへの謝罪
糖分
着色料(白色2号)

賞味期限:
人間としては後、38年くらいです。
異性の対象としては後、9年くらいです。

保存方法:
(開封前) テレビの音が聞こえる近くに置いて下さい。
開封後の取り扱い とりあえずテレビでも見せてあげてください。

製造者:
もあの父と母
今から約40年と数ヶ月程前、東京都のとある一室において(以下略)

「東京都産もあとれたてピチピチ」の販売数見込み:
同年代の人たちに大変話題になり、40歳の人の24%が欲しいと一瞬思ったが、実際売れた数は980個

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原材料にある「人のアドバイスを聞かない頑固者」「僅かな過ちへの謝罪」というのが、なんだかリアルですぅ(^^;)。

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用法・用量を守りましょう


今日は朝からざぶざぶと雨が降っていて、
自分は先週した無茶の後遺症か、
いまだに体調がもうひとつな感じで、
なのに昨日もワインを飲んでしまい、
しかもそのワインが思っていたよりも重い味で、
そのうえ寝不足気味なのはあいかわらずでもあり、
ただでさえ冴えない気分なのに雨は激しく降り続き、
家でぼんやりとしていたいという気持ちをもてあましつつ、
なんとか着替えて仕事へと向かったのに、
ヘッドフォンから流れてきたのはGiorgio Canaliで、
一気に陰鬱な気分に逆戻りしてしまった。

うちにはCDがおそらく2000枚くらいあって、
もう自分でもどれがどんな曲だったかよくわからない。
印象に残っているいくつかのアルバムは、
聴きたい気分のときに選んで棚から取り出すけれど、
それだと聴くアルバムが偏ってしまう。
それに出勤時や就寝時にかけるアルバムを、
そのつど選択するのもすでにわずらわしい。
だから特別に選んで聴く以外のアルバムは、
順番にローテーションでプレイヤーに乗せている。

棚にはアーティストの出身国がアルファベット順に、
国別のなかではアーティスト名のアルファベット順に、
アーティスト別のなかではアルバムの発表順に、
きちんとそろえて並べてある。
そして今朝の出勤用として順番が回ってきたのが、
よりにもよってGiorgio Canaliの「Che fine ha fatto lazlotoz」。

これはなにかの試練でしょうか?
















Giorgio Canali(ジォルジォ・カナリ):
20年ほど前に活動をしていたイタリアの伝説的なパンク/ニューウェーヴ・グループ、CCCP(のちにConsorzio Suonatori Indipendenti(コンソルツィオ・スォナトーリ・インディペンデンティ。CSI)と名称が変わる)の元ギタリスト。その後Per Grazia Ricevuta(ペル・グラツィア・リチェヴータ。PGR)と一時活動をともにし、現在はRossofuoco(ロッソフォーコ)を率いる。

Che fine ha fatto lazlotoz
Giorgio Canaliが1998年にリリースしたソロ・アルバム。なぜかこのアルバムではアーティスト名が「Giorgio Canali?」と、最後に「?」がついている。テンションのゆるい、粘つくようなギターのコード・ストロークと、重い音像が特徴的で、ゴシックというほどではないが、光の少ない、暗闇で蠢くタイプの音楽は、1980年代にBauhaus(バウハウス)やKilling Joke(キリング・ジョーク)などを聴いていた耳には懐かしく感じるかもしれない。半分くらいの曲はフランス語で歌われ、残りはイタリア語だが、どちらにしろイタリア的な印象はほとんどなく、ブリティッシュ・ニューウェーブ的な音楽。
なお、同名のポルノ俳優がいるようだが、おそらく別人・無関係と思われる。


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2006/06/15

ジャケ買い


Fausto Leali(ファウスト・レアーリ)のアルバム『Amore dolce, amore amaro, amore mio』について書いたら、tontoさんから「もしかして、ジャケ買いか?」というコメントがつきました。このアルバム、ちょっぴりエロティックですから(笑)。

学生時代とくらべると、いまではすっかり少なくなりましたが、それでも自分は年間30枚から40枚くらいはCDを買っていると思います。そして、その半分くらい(もっと多いかな)は、いわゆる「ジャケ買い」です。そのアーティストやアルバムについてそれなりの情報を事前に得てから買うのではなく、カタログを見て(最近は90%以上をネット通販で買っているので)、ジャケット写真を見て、収録曲のタイトルの雰囲気などを見て、売価を見て、よさそうかなと思うものを買ってる。tontoさんには申し訳ない?けれど、このときの判断基準に「ジャケに女性が載っている」といった項目はありません(笑)。

そんなわけで、Pensiero! websiteをご覧いただいてもわかるかもしれませんが、うちには日本人イタリアン・ポップス・ファンのみならず、イタリア人ですらほとんど名前を知らない、曲を聴いたことがないような、得体の知れないアーティストのアルバムがけっこうたくさんあります。

事前情報がないままに入手したこれらのアルバムは、実はけっこう有名な人だということがのちにわかったり、本当にアルバム1枚でひっそりと消えていった人だったりと、いろいろではありますが、おおむね、気に入っています。「すごくいい!」と思えるものに出会うことは多くはありませんが、たいていはそれなりに「いい」ですし、「これはダメだぁ」というものはほとんどありません。

ものを買うというのは、けっきょく「感性」を買っているのだと思います。自分に合った、自分が好きなタイプの「感性」を持ったなにかを、買っているのです。そして、「感性」を商品上でどうやって表現するか、というのも、やはり感性です。

音楽は、目で見てはわかりません。なので、本来なら「実際に聴く」のが、その「感性」を知るうえではいちばんいいのですが、気になった音楽のすべてを「聴く」ことはできません。そういった環境は、まだ整っていません。

実際の音が届かないリスナーに、別のかたちでそのアーティストの、アルバムの「感性」を表現する。そのひとつがアルバム・ジャケットと、曲名だと思うんです。これは、ヒントなのです。なので、これらに何か感じるものがあったなら、自分はその感覚を信じます。誰かが「いい」といったかどうかよりも、自分が自分に合ったものを見つけ出す「感性」を、大切にしていきたいと思っています。

音楽に限りませんね。たとえば小説も、そのタイトルのつけ方に、著者や制作担当者、出版社の感性が現われます。ぜんぜん現われているようには感じられないものも少なくありませんが、そういったものはたいていの場合、最初から(自分にとっては)問題外。好みは別として、送り手側の何らかの「想い」が感じられるもののほうが、気になります。そのうえで、たとえば『白い犬とワルツを』というタイトルには強く魅かれるものがあるけれど、『マディソン郡の橋』には何も感じない。『博士の愛した数式』にはすごく魅きつけられるけれど、『世界の中心で、愛をさけぶ』にはまったく興味を持てない。そして、タイトルに魅きつけられたものは、実際に読んでも、やっぱり趣深く感じられるのです。

ワインだってそうです。多くの場合、ラベルが美しいワイン、というよりも、ラベルのデザインが気に入ったワインは、美味しいといいます。重要なのは「気に入った」という部分。ワインは、その生産者の「想い」によって、似たような環境、あるいは隣接する畑から取れた同じ種類の葡萄でつくっても、味わいが変わってきます。そして、つくり手がワインに対してどのような「想い」を持っているか、その「感性」が、ラベルにもにじみ出ていることが多いのです。なので、ラベルのデザインが自分にとって好ましいものであるということは、つくり手の「感性」が自分にとって好ましいものであるケースが多い。自分にとって好ましい「感性」をもったつくり手によるワインは、味わいも自分にとって好ましいことが多い。よって、ラベルのデザインが気に入ったワインは、(自分にとって)美味しいことが多いのです。

いずれにしろ重要なのは、「自分にとって」好ましい、ということ。「誰か」がいいといったからでなく、「多くの人」がいいといっているからでなく、「自分が」自分に対して自身を持って「これは、いい。好きだ」といえるか。たとえ他の人が「それは、よくない。嫌いだ」といったとしても揺るがずに「でも、自分は好きだ」といえるか。

そういうものに出会うには、他人の感性は参考程度に収め、それよりも自分の「感性」を信じて、自分で探すしかないのではないかなぁと思うのです。

などという理屈をつけながら(^^;)、あいかわらず自分はジャケ買いを続けているわけです。

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2006/06/14

FAUSTO LEALI / AMORE DOLCE, AMORE AMARO, AMORE MIO

1944年10月28日生まれのダミ声カンタウトーレ、Fausto Leali(ファウスト・レアーリ)が、バックにイタリアン・プログレッシヴ・ロックのスーパー・グループ、Il volo(イル・ヴォーロ)を従えて録音したアルバム。LP/CDともに日本盤がありますが、もとのアルバムにはたんに「Fausto Leali」としかアーティスト・クレジットがないのに、日本盤では「ファウスト・レアーリ e イル・ヴォーロ」とイル・ヴォーロを強調するかたちでクレジットされているのが、なんだか寂しく感じます。狙いはわかりますが。

それに自分も、日本盤LPがリリースされたときに、Il voloのクレジットに魅かれてこのアルバムを入手したのは抗いようのない事実であります。好きでしたから、Il voloのセカンド・アルバム。そしてFausto Lealiのこのアルバムも、以前は大好きで、よく聴いたものです。最近しばらく聴いていなかったで、ひさしぶりにCDラックから出してみました。しかし...

なんだか、あんまり楽しめないのです。Faustoの熱い歌があり、Il voloの上昇気流に乗ったような演奏も変わらずにあるのだけど、以前のようにに「いい!」と思えない。

このアルバム、カンタウトーレの作品としては、Il voloの色が強く出すぎているのかもしれません。Il voloの演奏は素晴らしいのだけど、その演奏が支えるべきFaustoの歌に、というか、曲そのものに、実はあまり魅力がないように思います。彼があの声で歌って、Il voloが演奏しているから、なんとなく「いい感じ」に聴こえるけれど、そして、それこそがこのアルバムのアドヴァンテージなのかもしれないけれど、そのアドヴァンテージを取り除いたところに残る「核」となるべき楽曲に、あまり魅力を感じない。自分にとってもっとも魅力的に響いてしまう部分はIl voloの演奏なのですが、であればIl voloのアルバムを聴いたほうがいいわけで、結果としてカンタウトーレ作品としてもプログレッシヴ作品としても微妙に中途半端な印象が残ってしまいました。

M1「Io camminero」はUmberto Tozzi(ウンベルト・トッツィ)の名曲で、Tozziも自身のアルバムで歌っています。Tozziヴァージョンのほうがすかすかした感じで聴き手の感情が入り込む余地が多くあり、自分は好きです。

M2「Il volo della farfalla」はもう、そのまんまIl voloの曲そのものといった感じ。上昇気流にのってぐんぐんと空高くのぼっていくような高揚感が心地よいです。

M3「Brucia il paradiso」はなめらかでさわやかなメロディを持った軽快なテンポの曲。女性ヴォーカルも入ります。バックのピアノがときどきホンキートンク調になるのも楽しいですが、全体の演奏はかなりIl voloチック。

アルバム・タイトル曲となるM4「Amore dolce, amore amaro, amore mio」はFaustoのひび割れた声質を活かした哀愁のバラード。あふれ出す情感が止まらないといった感じです。

M5「Una grande festa」はやわらかくあたたかい感じのフォーク風の曲。初期のClaudio Baglioni(クラウディオ・バッリォーニ)とかが歌っててもよさそう。アコースティック・ギターのストロークが心地よく響きます。Faustoもあまり力まず、リラックスして歌っています。

M6「L'ultima volta」はピアノのアルペジオに導かれて始まるマイナー調の哀愁バラード。短めのヴォーカル・パートが終わったあとは演奏がリズミックになり、そしてまた湿った哀愁へと戻っていく構成になっています。ヴォーカル・パートよりも演奏パートのほうが印象に残る曲。

M7「Una chiesa di alberi e ginestre」はどうといったことのないミディアム・テンポのポップス。

M8「Hey psst psst donna」は少しユーモラスな雰囲気のあるロックンロール。こういった感じの曲、アメリカのStyx(スティックス)にもあったような気がします。

M9「Dum dum la la」は素朴であたたかみのあるフォーク・ソング。ほどよい哀愁とほどよいシンフォニック・アレンジがうまく混ざり合っています。カンタウトーレとしてのFaustoの味わいが前面に出ていて、自分としては、このアルバムのなかでもっとも好きな曲。

M10「Amore vivo」は軽快なムード・ミュージックといった感じ。リゾート地で聴いたら気持ちよさそうなリラックス感があります。

M11「Ai dedick piu'」はインストゥルメンタル。ひっかかるように奏でられるアコースティック・ギターのメロディ、すっきりとしたオルガン、そして飛翔するエレキ・ギター。ここにFaustoの影はまったくなく、完全にIl voloの曲になっています。

FaustoのヴォーカルとIl voloの演奏は、相性としてはいいものだと思います。でも、Faustoの作風とIl voloの作風がうまく融合しているようには、自分にはあまり思えないのです。おたがいに溶け合って新しいものが生まれたというよりは、ふたつの要素をくっつけてみただけのような。Premiata Forneria Marconi(プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ)がバックアップしたFabrizio De Andre'(ファブリツィオ・デ・アンドレ)のライヴ・アルバムは、その点がみごとなんですけどね。

結果的にFaustoのこのアルバムは、やはりプログレッシヴ・ロック・ファン向け、Il voloファン向けといった要素が強いように感じます。Faustoのファン、カンタウトーレのファンからすると、「歌」の魅力が少し弱いように思うのです。そういう意味では、アルバムのアーティスト・クレジットを「ファウスト・レアーリ e イル・ヴォーロ」とした日本のキングレコードの感覚は、間違いじゃなかったのだろうな。



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2006/06/13

NEW TROLLS / SEARCHING FOR A LAND

LP時代はスタジオ収録のディスク1とライヴ収録のディスク2の、2枚組でリリースされていました。CDでは1枚に収められています。朝の出勤時に聴いたので、スタジオ収録部分しか聴けませんでした。

名作と名高い『Concerto grosso per I』『UT』のあいだに、しかも『UT』と同じ年にリリースされてしまい、そのうえ歌詞が英語ということもあってか、2枚組というボリュームのある作品でありながら、あまりぱっとしない印象のアルバムですが、なかなかどうして、味わい深いものになっています。

オーケストラ入りの『Concerto grosso per I』や派手な『UT』などにくらべるとインパクトは弱いのですが、これらの「いかにもイタリアな感性と情熱」とはちょっと違った、どちらかというとイギリスのプログレッシヴ・ロックに近い匂いを、自分はこの作品に感じます。もちろんイタリアの香りもあるのだけど、それだけでなく、イギリス風の、おだやかで、余裕があって、少しユーモラスな部分やイタズラっぽい感じもあったりして、どことなくCaravan(キャラヴァン)などのカンタベリー系音楽を思い出したり。あるいは、のちのIbis(イビス)へと通じる匂いを感じたり。

初来日公演でも演奏された「In St.Peter's Day」は、やっぱり美しい曲ですね。後半のとってつけたようなキーボードのシンフォニック・アレンジが、当時の「プログレやるぞ!」的な気分を端的に表わしているような気がしますが、個人的には唐突すぎてバランスが悪いように感じます。他の曲も、どれも派手さはあまりないものの魅力的です。ほどよくジャジーで、ほどよくシンフォニックで、ほどよくフォーキー。コントラストの強いイタリアの風景よりは、うっすらと靄がかかったイギリスの風景が思い浮かびます(イギリスにいったことはないけれど)。あと、全編を通してギターのアルペジオの美しさが印象に残りました。New Trolls(ニュー・トロルス)やイタリアン・プログレッシヴ・ロックのコアなファンなら聴かずにおくのはちょっともったいない、なかなかの名盤だと思います。

 

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2006/06/12

キングコング?

100円ショップの人形3人が冒険に出かける「100円ドラマ」後編。
今回ついに謎の黒い巨大動物、キングコングに遭遇!?

100円ドラマ(後編)

キングコング!?の初登場シーンがたまらないぃ~っ!
鼻よっ! 手よっっ!! 黒いのよーっっっ!!!

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