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2006年6月4日 - 2006年6月10日

2006/06/07

ALAN SORRENTI / COME UN VECCHIO INCENSIERE ALL'ALBA DI UN VILLAGGIO DESERTO

Alan Sorrenti(アラン・ソッレンティ)といえば、最近では一般的に、明るく都会的で軽やかなポップ・ソングを歌うシンガーといったイメージのようです。あるいはディスコ・ミュージックとして彼の名前を知っている人もいるかもしれません。実際、アメリカに渡ってからの彼の音楽は、アメリカナイズされた軽快なポップスが多いようで、また、そういった音楽を歌っている期間のほうが、いまとなっては長くなりました。

でも、プログレッシヴ・ロックの方面からイタリアン・ミュージックに入ってきたファンにとってのAlan Sorrentiは、繊細で不安定な世界を独特の浮遊感にのせて表現する、Claudio Rocchi(クラウディオ・ロッキ)にも通じる稀有なカンタウトーレといった印象でしょう。『Come un vecchio incensiere all'alba di un villaggio deserto』と名づけられたこのアルバムはAlanのセカンドで、彼がアメリカに渡る前の、危うい音世界が存分に堪能できる作品です。

音程があるようなないような、空間に無造作に放り出されるような歌は、どことなくシャーマニックです。静かな呪術儀式を思わせるような太鼓。ときに美しい旋律を奏で、ときに不安感をかきたてるようなヴァイオリン。不用意に触ったら崩れて壊れてしまいそうな歌声をそっと支えるコントラバス。シンセサイザーの奏でる穏やかなカオス。ふわふわと空間をさまよう不安定な精神。

サイケデリック・フォークの香りを色濃くまとい、独特の浮遊感と不安定感のなかを放浪するAlan Sorrenti。しかし、そこに暗い影は感じられず、意外と明るい、体の中から外へと出て行こうという意識が見え隠れするように思うのは、気のせいでしょうか。その点が、より内向的、内省的な印象の強いClaudio Rocchiとは違うように感じます。

ちなみに参加ミュージシャンには、パーカッションにAntonio(Tony) Esposito(トニ・エスポジト。Toni Espositoと表記するときもありますね)、フルートにDave Jackson(デイヴ・ジャクソン)、キーボードにFrancis Monkman(フランシス・モンクマン)といった、プログレッシヴ・ロック・ファンにはなじみのある人たちの名前が見えます。



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2006/06/06

TIPOGRAPHICA / THE MAN WHO DOES NOT NOD

プログレッシヴ・ロック・ファンのあいだで人気の高いTipographica(ティポグラフィカ)の、1995年に行なわれたツアーから収録されたライヴ・アルバムだそうです。このグループ、以前から名前は知ってたのだけど、音は聴いたことがなかったので、中古で安く売っていたのを入手してみました。

なるほど。テクニカルなジャズ・ロック系プログレッシヴなんですね。ヴォーカルレスで、ソロはギターやサックスが主にとると。彼らがいうには、4拍子の曲をスコアに忠実に演奏しているのだそうですが、複雑な符割でユニークなフレーズが次から次へと繰り出され、かなりフリーな印象、アドリブのような印象を受けます。

やっていることはとてもテクニカルなのだけど、なぜかのほほんとしたような、暖かげな、やさしげな雰囲気があります。いわゆるカンタベリー系ジャズ・ロックのような、あるいはFrank Zappa(フランク・ザッパ)のような、どことなく人懐こい感じがあるので、インスト系のジャズ・ロックやテクニカル・プログレのようなものが苦手な自分でも、なんとなく気分よく聴いていられます。


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2006/06/05

好きなのはやっぱり「訪問者」

昨日はひさしぶり(かな?)に芝居を観てきました。Studio Lifeによる「トーマの心臓」。Studio Lifeは以前から気になっていた、男性のみによる劇団(しかも美系ぞろいという評判)で、かなり人気があり、けっこうチケットがとりづらい。「トーマの心臓」はドイツのギムナジウム(高等中学)を舞台にした、知っている人は知っている萩尾望都による傑作コミック。気になる組み合わせです。どちらも舞台で観るのは初めて。

会場は新宿の紀伊國屋ホール。手ごろなサイズの小屋ですね。チケットもぎりやグッズ販売をしている劇団関係者が一様にシュローターベッツ(劇の舞台となるギムナジウムの名前)の制服を着ていて、すでにコスプレ状態。そして、圧倒的に女性客だらけ。紀伊國屋ホールのキャパシティが何人かは知りませんが、おそらく会場にいた男性客は10人程度でしょうか。異様な雰囲気です。

で、お芝居なんですけれど、まぁ普通でした。というか、役者さんとしてはみんなあまりうまくはないかなぁ。連れもいっていたのですが、なんというか、ホストクラブのショータイムみたいな印象(ホストクラブいったことないですが)。雰囲気先行といった感じでした。とくにオスカー役の人が思いっきりホストっぽい。動きも装いも。ユーリは稲垣吾郎風で、ヘルベルトは南海キャンディーズの山ちゃんに見えてきちゃったし、レドヴィはだんだん江頭2:50に見えてきたという声もあり。なんてことを書いたら、Studio Lifeの熱狂的な女性ファン(ライファーとかいうらしい)に刺されるな。

途中に10分の休憩を挟んで、トータルで3時間程度の上演時間。長い。うしろのほうの席にいた高校生くらいの女子はかなり興奮気味に喜びまくっていましたが、なるほど、女の子ウケしそうな感じではあります。舞台にかける演目も特徴的だしね、この劇団。その演目の選び方に興味があったのだけど、それをこういうふうに雰囲気とビジュアル先行で表現するのがここの特徴なんだろう。会場に男性客がほぼ皆無なのもなんとなく理解できた感じです。

「トーマの心臓」は、もともとがよくできた物語。それをそのまま舞台にしてる。とくにどこかのシーンをはしょったり独自の解釈で掘り下げたりといった編集・演出等はせずに、原作を忠実になぞってる印象。だから上演時間も長くなっちゃうけれど、原作のよさも壊さない。でも逆に、だったら舞台で観る必要を自分は感じない。原作を読んだほうがいい。せっかく舞台化するのなら、舞台ならではの演出・解釈が見たかった感じです。もしくは、もっともっと芝居に深みと厚みのある役者さんたちで見たかった。

ああいう舞台、ああいう芝居、ああいう劇団コンセプト?も、あっていいし、彼らならではの魅力というのもあるのだろうけれど、自分の好みや、自分が舞台に求めるものとは、方向が違うな。なのでたぶん、彼らの舞台はもう観ないだろう。少なくとも、しばらくは。

ちなみに自分は、「トーマの心臓」も悪くはないのだけど、それよりもオスカーがシュローターベッツにくるまでを描いた「訪問者」のほうが圧倒的に好きなのです。泣きます。また読もう。



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