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2006年7月

2006/07/28

ナスとキノコで適当に

昨日の夕飯は、時間がなかったので適当につくりました。

◎米ナスをひと口サイズくらいの大きさに切って、あく抜きをしておく。
◎フライパンにEVオリーブオイルをたっぷり入れ、きざんだニンニクで香りをつける。
◎ほぐしたシメジとナスをフライパンに入れ、全体にオイルがまぶるように炒める。
◎塩・胡椒で味付け。
◎バターと白ワインで風味付け。
◎最後に白バルサミコとライム果汁を振りかけて、全体になじませてから火を止める。
◎大根おろしをかけていただきます。ナスたちにしっかり味がついてるので、大根おろしには何も足さなくてOK。

昨日はパンを買う時間がなかったので、パスタ料理も適当につくりました。

◎ティファールの小さめの鍋でペンネ・リガーテを茹でる。塩たっぷり。
◎ほどよく茹ったらお湯を捨てる。ペンネは鍋に残したまま、弱火に。
◎EVオリーブオイルをたっぷり振り掛ける。
◎クラッシュガーリックを適当に振り掛ける。
◎一口大に切ったトマトを鍋に投入。ここから強火。
◎トマトが煮崩れるくらいまで、よっくまぜる。
◎ケーパーがあったので、アクセントに入れてみる。
◎乾燥バジリコがあったので、香り付けに入れてみる。
◎温かいうちにいただきます。

ワインはイタリア・ウンブリア州の白ワイン、オルヴィエート・クラッシコを。旨みたっぷりでおいしい。でも、もっとレモン風味の強いスッキリしたワインのほうが、このメニューにはもっと合ったかな。

カンポグランデ オルヴィエート・クラシコ 2004 アンティノリ

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本当にくるのか『Icaro』?

1970年代にデビューしたRenato Zeroといえば、いまも現役で、コンサートを行なえばスタジアム級の会場は満員、アルバムをリリースすれば毎回ヒットという大スターなわけですが、なぜか彼が1980年代にリリースしたアルバムは現在、すべて廃盤・入手困難な常態になっています。その前の1970年代および1990年代以降のアルバムはいまも手に入るのですが、なぜ80年代だけ廃盤?

そんななか、先週たまたまスイスのDischi Volantiのカタログを見ていたら、Renatoの『Icaro』が載っているのを発見! もう長いこと、どこのショップのカタログにも見かけなかった1981年リリースの2枚組ライヴです。カタログからの消し忘れかもしれないなと思いつつ、他のいくつかのアルバムと一緒にぽちっと注文してみました。

昨日、「先日のオーダー分は明日、出荷するよ」というメールが。そして「残念ながら、以下のアイテムはサプライヤーに在庫がなかったよ、ごめんね」という一文。よくあることですし、やっぱりRenatoな買ったんだろうなと思ってバックオーダー品の一覧を見たところ、そこにないのです。Renatoの名前が。そのかわり、「出荷アイテム」の一覧のほうにRenatoが!

くるのか? 本当にくるのか?

いま確認してみたところ、現在はDischi Volantiのカタログから『Icaro』は消えています。もしかして、サプライヤーに残っていたデッドストックの、最後の1枚?

うぅ、楽しみです。

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2006/07/27

FLAVIO OREGLIO / SIAMO UNA MASSA DI IGNORANTI. PARLIAMONE (2006)

なんだか不思議なアルバムです。1958年8月にミラノ近郊ペスキエラ・ボッロメオ(Peschiera Borromeo)で生まれたFlavio Oreglio(フラヴィオ・オレッリォ)は、1985年ころからミラノのパブやキャバレー(そのなかには「La Corte dei Miracoli」という名前の店も!)で歌い始め、1987年に『Melodie & Parodie ovvero: pensieri di un rivoluzionario moderato』でアルバム・デビューします。この『Siamo una massa di ignoranti. parliamone』は6枚目のアルバムになるようです。

さて、このアルバム。なんなのでしょう。基本的にはフォーク・ロック風なんだと思います。ヴォーカル・スタイルは昔の歌手っぽく、低いけど声量があり、きちんと楽譜にそって歌っているような感じ。妙に存在感があります。この時点でフォーク・ロック風な曲とヴォーカル・スタイルにミスマッチ感があるのですが、さらにそこにはさまざまな音楽風味が付け加えられ、いっそう摩訶不思議な感じを受けます。

M1「Credits」、M2「Facce」はフィドルやバンジョーなどが軽快に鳴り響き、カントリー・フレイバー満載です。こういった曲調とFlavioの歌い方は合っていると思います。だけどイントロやアウトロなどに、たとえばヴァイオリンとフルート、ギター、リズム・セクションがユニゾンで演奏したりして、なぜか妙にプログレっぽい雰囲気があったりするのです。

M3「Quando muore un’idea」も似たような感じですが、そこにオルガンがコードを白玉で鳴らし、エレキ・ギターの音が入って、昔のロック風になってきます。さらにはブルージーなハーモニカも入ります。

M4「Siamo una massa d’ignoranti. Parliamone」ではアコースティック・ギターのアルペジオが透明でファンタジックな世界を描き出します。フルートとオーケストラも入り、プログレッシヴ・ロックの粉がほんのりまぶされたような幻想フォークといった印象になります。こんな感じ、誰かに似てるんだけど、誰だったろう。初期のころのSupertramp(スーパートランプ)とかかなぁ。演奏はもんやりと幻想的なのだけど、Flavioの低くて粘りがあって、しかもオールド・スタイルなヴォーカルは妙に現実的で、このミスマッチ感がいいような、悪いような。

M5「Una vita contromano」もM2などと同様に、イントロなどにフルートとヴァイオリンのユニゾンが入り、妙にプログレッシヴ・ロックの雰囲気があります。ヴォーカル・パートに入ると、オルガンの音やアレンジに1960年代後半から70年代くらいのハード・ロックの香りが見え隠れします。

M6「Intermezzo: fiesta」とM8「Intermezzo: Madrig - Ale」は短いインスト曲。

M7「Tango del nulla」はそのタイトルからもなんとなくイメージできますが、トラッドとラテンに古いサロン風のダンス・ミュージックがまじったような、なんとも不思議な雰囲気を持った曲。ミディアム・スローの曲にのって情熱的に踊るロング・スカートの魅惑的な女性(ラテン系)の姿が思い浮かびました。ちょっとPiccola Orchestra Avion Travel(ピッコラ・オルケストラ・アヴィオン・トラヴェル)などに通じるところもあるかもしれません。

ここまででもかなりさまざまな要素を持ち、とらえどころのない音楽性を披露してくれているFlavioですが、このアルバムの最大の聴きどころはM11の「Il pensiero」でしょう。地中海の輝きを思わせるようなアコースティック・ギターの響き。そこに入ってくる厚みのあるキーボードの音色。これ、思いっきりPremiata Forneria Marconi(プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ。PFM)風だと思うのですが。それも、初期のころの。明るさと幻想が入り混じったような曲調で、思わず「なんだこりゃぁ!」と叫んでしまいそうです。だけどそこにのるのはFlavioの妙に声がいい古くさおっさんヴォーカルで、このミスマッチ感、アンバランス感に、どのように対応したらいいのでしょう。

ブルースやカントリーといった要素にほんのりとプログレッシヴな幻想風味のパウダーを振り掛けたようなフォーク・ロック(妙に声のいいオールド・スタイルなヴォーカル入り)といったこの作品。イタリアのJethro Tull(ジェスロ・タル)ファン・クラブに謝辞が捧げられていたりして、プログレッシヴ・ロックを意識していることは明らか(くしくも出演していたキャバレー名もCorte dei Miracoli(コルテ・デイ・ミラコリ)だし)。

と思ったら、ゲストでドラムを叩いているClive Bunker(クライヴ・バンカー)ってJethro Tullの人じゃないですか。さらにはArea(アレア)PFMでも演奏しているWalter Calloni(ワルテル・カッローニ)もゲスト・ドラマーとして参加してます。パーカッションのMiles Bould(マイルス・ボールド)という人はSting(スティング)Jamiroquai(ジャミロクアイ)のアルバムに参加している人だそうですし、オーケストラ・セクションのアレンジを担当したNeil Black(ニール・ブラック)Soft Machine(ソフト・マシーン)の人だって!

なお、自分が手に入れたのはCDのみのものですが、それとは別に「本(Liblo)」がついたヴァージョンもあるようです。その本に何が書かれてるのかは知りませんが、たぶん、歌詞とかだろうな。CDに入っていたブックレットには歌詞が書かれていないので。

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2006/07/26

SUGARFREE / CLEPTO-MANIE (2006)

Sugarfree(シュガーフリー)の2005年リリースのデビュー・アルバム『Clepto-manie』に2006年のサンレモ音楽祭新人部門参加曲「Solo lei mi da'」を追加収録して再リリースされた、いわゆるサンレモ・エディション。再リリースに際してジャケット・アートが変更され、DVDつき(内容は見てないので知りません)の2枚組になりました。

サンレモ参加曲を聴いて、彼らも最近多い、ブリティッシュの雰囲気を漂わせたノスタルジックなポップ・ロック系、たとえばModa'(モダー)などと似たタイプかなと思ったのですが、そのとおりでした。グループの結成は2000年で、もともとは50年代のロックンロールやリズム&ブルースのカバーバンドとしてスタートしたそうですが、さすがにそこまで古い雰囲気はないものの、随所に古き良き時代のブリティッシュ・ポップ・ロックを思い出させるメロディやアレンジがあります。

M1「Solo lei mi da'」やM2「Inossidabile」、M3「Cleptomania」M8「Pur di averti qui」などは、ミディアム・スローな哀愁のロック・バラード。大きなうねりや盛り上がりのない、だけど感傷的なメロディが歌われます。エレキとリズム隊の刻む8ビートが曲にファットな感じを与えています。

M4「Bricila di te」やM5「Terra e cielo」、M7「Particolare」などは、イギリスとイタリアの哀愁をミックスしたような、ほどよくノスタルジックなメロディのポップ・ロック。M1タイプの曲とリズム形態はあまり変わらないのだけど、エレキ・ギターのディストーション比率が下がってクリーンな音の比率が上がることで、あたたかくポップな感じが出ています。M7などではサビでちょっと歌い上げ、ある種の伝統的なイタリアン・ポップスらしさを少し感じます。

M6「Cromosoma」はちょっといなたい感じを持ったポップ・ロック。Francesco Renga(フランチェスコ・レンガ)ほどではありませんが、なんとなく粘っこくてスケベっぽい雰囲気を漂わせています。

M9「Tu sei tutto per me」はM4タイプの曲をテンポ・ダウンしたような感じでしょうか。言葉を単語単位でなぞるように歌うヴォーカルや、バックの楽しげな?コーラスに古い時代のロック/ポップスに通じる雰囲気を感じます。カバーバンドだったころに身につけた味わいが出ているかも。一方M10「Tic tac」は別の方向で、カバーバンドだったころの味わいを表現したのかもしれません。最近はやりのソウル/R&B風味にも挑戦してみましたといった雰囲気のある、いなたくも軽快なロックになっています。

収録された曲の半分くらいはメンバー自身の手によるものでなく、彼らの友人のDavide Di Maggio(ダヴィデ・ディ・マッジォ)という若い作曲家から提供を受けています。そういうこともあってか、グループとしての個性が弱い、最近のよくありがちな若手イタリアン・ポップ・ロック・グループのひとつとして埋没してしまいそう、といった印象はあります。また曲そのものも、これも最近の傾向といえばそうなのですが、あまり印象的な構成や展開を持っているわけではなく、どちらかというと淡々とした、最初から最後までそれほど調子の変わらないものが多く、平凡かつ平板に感じてしまう部分もあります。それでもひとつひとつのフレーズには美しさやノスタルジックな魅力があり、それが、ある種の甘ったれた感じを漂わせるヴォーカルにも合っています。今後、曲のヴァリエーションを広げられるか、あるいは同タイプの曲で演奏や構成面でのクオリティ・アップができるかが、彼らの課題でしょうか。このままだとアルバム1枚、よくても2枚くらいで終わってしまいそうな感じがします。


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2006/07/24

週末に観た映画


■機械仕掛けの小児病棟■
劇場で。ひさしぶりに劇場での映画鑑賞なのに、なんでこれを選んでしまったのかと、激しく後悔。
病院が舞台のホラー、というかゴースト・ストーリーだけど、恐ろしくも哀しくもなかった。看護士が積み木に近づいたときに積み木が表わす(=幽霊からの)メッセージ、「Don't touch」「Mine」「Not yours」が、実は積み木のことをいってるんじゃないとか、幽霊の正体はこっちじゃなくてそっちですかみたいな、ちょっとしたひねりは悪くないんだけどねぇ。なぜ幽霊がそこまで執着するのかが納得できなかったし、「幽霊は場所に憑くのではなく、人に憑く」と再三いっておきながら、だったらなぜ、そこまで執着している患者たちに着いて一緒に新しい病院に行かなかったのかとか、いろいろと腑に落ちないところだらけでした。幽霊のヴィジュアルも、あれかぁ。


■禁じられた遊び■
BSで放送されたもの。名画の古典ではありますが、う~ん、なんだかなぁ。
自分はもともと子供があまり好きじゃない、というか、率直にいって嫌いなこともあって、子供が主人公の作品はたいてい気に入らない。だって、バカなんだもん。そのうえ自分勝手で、わがままで。この映画も、どうしてもそう感じてしまう。
さらに鬱陶しいのが、みなしご(というのは、最近では差別用語なのだそうで。孤児、といえばいいのか?)になった小娘ポーレット。子供のいやらしさだけでなく、こんなにチビなのに女性のいやらしさも持ってる。そしてポーレットよりも年上のはずのミシェルが簡単に、それにひっかかって事件を起こす。中途半端に女性にかかわると男性はバカになるというある種の典型的なスタイルが、こんなに小さな子供たちの時代から確立している。しかもそこには、都会の女(ポーレットはパリ出身らしい)に熱を上げる田舎の男(ミシェルは田舎の農家の三男坊)という図式も組み込まれてる。
なんか、子供の無垢さとか戦争の悲惨さなどといったのとはまったく別の、すごくいやな感じが残ってしまった。


■マルホランド・ドライブ■
地上波で夜中に放送されたもの。
これは難解だ。すべてをきちんとした一連のストーリーとして把握・理解しようと思うと、かなりの脳内解析を行なわないといけないだろう。だけど、ただ画面に映し出されるものに身を任せているだけでも、意味と印象がじわじわと心と身体にしみこみ、広がっていくように感じるのがすごいところ。
もともと難解な構成なのに、テレビ放送された時点で40分!ほどカットされているようなので、正確に理解することは無理だろう。大雑把に、前半がダイアンの妄想と願望とときどき現実、後半(終盤)がほぼ現実ということだろうと思うが、いずれにしろ哀しい話だ。意味ありげに登場する人物たちのなかには、よく役割のわからない人もいたけれど、ノーカットで観ればわかるのだろうか。
それはともかく、非常に印象的な作品だった。「すべてはまやかし」なのだな。


■レイクサイド マーダーケース■
地上波で夜に放送されたもの。
はぁ、そうですか。柄本明のあまりの手際のよさに、こいつぜったい初犯じゃねぇなと思ったのだけど。あまりにも何もしない薬師丸ひろ子は、ぜったい主犯じゃないと思ったのだけど。役所広司が豊川悦司に詰め寄るシーンに現われた子供たちを見て、あ、こいつらだ、と思ったのだけど。その他もろもろ、見ている途中はいろいろと思うことがあって、それなりに楽しかったのだけど。そういう終わり方ですか。そうですか。はぁ。
箱庭的な舞台なので、芝居で観たらおもしろいかもしれない。うまい役者で、緊迫した演技で。

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2006/07/21

MARIO CASTELNUOVO / COM'ERANO VENUTE BUONE LE CILIEGIE NELLA PRIMAVERA DEL '42 (2005)

Mario Castelnuovo(マリオ・カステルヌォヴォ)は1955年1月25日生まれだそうですから、もう51歳になるのですね。ラツィオ州ローマ出身(だけどお父さんはロンバルディーア州、お母さんはトスカーナ州の出身)のカンタウトーレ。1982年にAmedeo Minghi(アメデオ・ミンギ)のプロデュースでアルバム・デビューして以来、おおよそ2~3年ごとにコンスタントなアルバム・リリースを続けています。最近はその間隔がちょっと長くなってきていて、前々作の『Signorine adorate』(1996年)から前作『Buongiorno』(2000年)までが4年、そして現時点での最新作であるこのアルバムまでが5年となっているので、次のアルバムは2010年ころでしょうか。

オリジナル作としては10枚目(Goran Kuzminac(ゴラン・クズミナク)Marco Ferradini(マルコ・フェッラディーニ)とコラボレートした『Q-concert』を含めば11枚目)の作品ですが、これといって作風に変化はないようです。自分は飛び飛びにしかアルバムを聴いていませんが、Amedeoのプロデュースでピコピコしたシンセサイザー・アレンジが安っぽい印象を与えるデビュー作をのぞけば、どれも地味でおだやかで華やかさに欠けるけど多くのカンタウトーレ作品を聴いてきた人には味わい深かったりする玄人好みの作品になっていると思います。

『Com'erano venute buone le ciliegie nella primavera del '42』とおそろしくタイトルの長い(覚えられない)このアルバムも、これまでと同様に、華やかさや浮かれた気分とはほとんど無縁の、とても地味なもの。

M2「L'Ave Maria di un clown」では落ち着いた声の地味なヴォーカルをウッドベースとブラス、哀愁のヴァイオリンが彩ります。終盤ではアルト(かな)の女性ヴォーカルが入り、そのバックでは控えめな混声合唱も聞こえ、それまでの世俗っぽいカンタウトーレの世界が少し神聖な感じに変わります。

M4「Piccolo giudice (siciliana)」も、字余り気味の歌詞を地味なメロディに載せて淡々と歌う、いかにもカンタウトーレ風なアコースティック・ギターの弾き語りが、終盤にきて少し変化するといった構成。Marioによる弾き語りパートのあとに、打楽器と、キーボードによる薄いオーケストレーションの入った女性ヴォーカルのパートが始まります。ここではエスニックな雰囲気のまじったトラッドや民俗音楽風になります。

M5「Montaperti」は映画音楽風のオーケストラルな演奏にのって、本や詩を朗読しているような語りが入るという作品。

M6「Compagnia d'arte scenica viaggiante」はヨーロッパの小さな町のお祭りで行なわれるパレードを思わせるような曲調。ほどよくひなびたアコーディオンの音色や、ぼん・べんと鳴るベースと太鼓、ぶかぶかいうホーンがチープな楽しさを感じさせます。でも、基本はやっぱり地味なカンタウトーレ作品。

M11「Fantasia K397 in re minore (frammento) di W.A. Mozarto」はタイトルどおり、モーツァルトの曲らしいのですが、ピアノの演奏がほんの短い時間入っているだけで、気がついたら終わってました。

アルバム最後のM13「Com'erano venute buone le ciliegie nella primavera del '42」はアルバムのタイトル曲ですが、ゆったりとしたオーケストラの演奏によるインストゥルメンタルです。そういえばM1「Radio valzer」も、ラジオをチューニングするSEはありましたが、基本はオーケストラによるインスト作品だったかな。

他の曲は基本的に、アコースティック・ギターの弾き語りに、適度なオーケストラがかぶさったり、フィドルやラッパがときにバックアップする、どちらかというとメロディよりも歌詞重視タイプのカンタウトーレ作品といった感じ。全体に地味だけど、おだやかなロマンティシズムが漂っています。


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2006/07/20

ANNA OXA / OXA CANTAUTORI (1994)

Lucio Battisti(ルーチォ・バッティスティ)Claudio Baglioni(クラウディオ・バッリォーニ)など著名なカンタウトーレたちの曲をカバーした『Cantautori』(1993年)シリーズ?の第2弾。アルバムの正式タイトルは今回も『Cantautori』のようですが、表ジャケットにはCantautoriという言葉を分解して「Canta autori」と表記されています。

今回もLucio Dalla(ルーチォ・ダッラ)Ivano Fossati(イヴァーノ・フォッサーティ)Raf(ラフ)など、10人のカンタウトーレ作品10曲が収録されています。どれもAnna Oxa(アンナ・オクサ)のために書かれたわけではなく、それぞれのカンタウトーレたちが自分で歌うために書いたものをAnnaがカバーしているだけなので、Annaの声質や歌い方を最大限に活かすような曲というわけではありません。でもAnnaなりに上手に自分の色をつけて表現していると感じます。

低めで、もやっとした感じのある、突き抜けない声と歌い方に個性があるAnna。どの曲もその個性でそれなりに「Annaの歌」として楽しめますが、やはり曲のタイプとの相性は感じます。

Claudio BaglioniのM2「Mille giorni di te di me」などは、オリジナルを知っているからということもありますが、Annaの声と歌い方にはあまりあわないというか、Claudioの歌には到底かなわないというか。とくに最後のほう、わざとかもしれませんが音程が不安定なところがあり、これがとても気になってしまいました。Lucio DallaのM1「Washington」やIvano FossatiのM4「Questi posti davanti al mare」、Fabio Concato(ファビオ・コンカート)のM8「Tienimi dentro te」なども、上手に歌っているけれど、そんなにすごく「いい」という感じは受けません。これらはオリジナルを自分は(たぶん)聴いたことがないので比較はできませんが、おそらくオリジナルのカンタウトーレたちが歌ったほうが、やっぱりいいんだろうなぁという気がします。

一方、M3「Scrivimi」は、やわらかなメロディと落ち着いたアレンジ、ほのかに感じられるナポリ風な香りとジャズの風味が、Annaの声と歌い方にぴったり合っています。Pino Daniele(ピーノ・ダニエーレ)っぽいなと思い作者を確認したところ、Pinoと同じナポリ出身のNino Buonocore(ニーノ・ブォノコーレ)の曲でした。Annaは南イタリアのプーリア州バーリ(Bari)出身。やはり南の感性と相性がいいのでしょうか。M7にはPino Danieleの「Quando」も収録されていますが、これもまた、Annaのヴォーカルと非常にいいマッチングを感じます。

また、M9「La storia」はオーケストラの入ったバラードで、非常に抑制の効いたロマンティシズムを感じる曲。Annaのヴォーカルがどうのという以前に、曲そのものの持つ美しい魅力にひかれます。誰の曲かと確認したら、Francesco De Gregori(フランチェスコ・デ・グレゴーリ)でした。なるほど納得。Annaの抑えた感じのヴォーカルで聴くのも悪くないですが、Francesco本人による歌で聞くと、きっともっとロマンティックな感じになるのだろうな。

ちなみに1993年の『Cantautori』は曲目リストのところに作者名の表記がなく、誰が書いた曲なのかがわからずにちょっと困ったのですが、今回はそれぞれに作者名の表記があって助かりました。

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2006/07/19

ドリトルはDolittleだった

小学生のころ大好きだった「ドリトル先生」シリーズ。学校の図書館にあったシリーズ本、全部読んだな、たしか。
最近、1967年に製作された映画『ドリトル先生不思議な旅』をひさしぶりにテレビで見たのだけど、ドリトル先生はDr.Dolittleなのね。発音を聞いて、初めてわかった。

Do little
どうでもいいような、小さなことを、やれ。

なんか、趣き深い。
“Dolittle”という一塊で「怠け者」とか「ヤクザ者」といった意味があるらしいのだけど(手元の辞書には載ってなかった。スラングだろうな)、もとはきっと、どうでもいいようなことをする(do little)人だったのだろうな。

効率、スピード、金銭的な価値といったものばかりに重点を置くやり方・考え方に、いいかげんうんざりしているし、疲れてもいる。それよりもDolittleでありたいと思う今日この頃。


ところで先日、何年かぶりで東京ディズニーランドに行きまして。トゥーンタウンにある「カートゥーンスピン」というアトラクションには、建物に入ってすぐの内側の壁にいくつかのナンバープレートがぶらさがっているんですが、これがみんな英語の語呂合わせになっているようで、楽しいです。

多くは、発音するとキャラクターの名前っぽくなるといったかたちなのだけど、なかには「IML8」とかある。わかるかしら。「IM L8」と区切るとわかりやすいかな。「アイ・エム・エル・エイト」。これをちょっと早口でいうと「アイムレイト」。つまり「I'm late (遅刻しちゃった)」というナンバープレートなの。

列に並んで待っている間、他のプレートもこうやって解読して楽しんでたのだけど、どうしてもわからなかったものもいくつかある。そのなかのひとつが「RS2CAT」。これはなんだろう。ラストカット?

う~ん、やはりもう少し英語を勉強しなければ。DolittleとIML8でその想いを強くしたのでありました。想っただけだけど(^^;)。

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2006/07/18

気になる盛り上がり

最近、気がついたんです。
気がついたら、あちこちで見かけるのです。

あの、盛り上がり。

西武新宿線で、
東京メトロで、
(ローカルネタですみません)
不自然に盛り上がってる。

そう、自動改札で。

あの盛り上がりは、
明らかに予感させます。
いまはまだ、ただ黒いだけだけど、
いずれそこに文字かマークがつくことを。

「Suica使えます」

きっとそうだ、
ぜったいそうだ、
あの盛り上がりは、

「タッチ・アンド・ゴー」

を可能にする盛り上がりに違いない。

願わくば、
JRのSuicaがそのまま使えますように。
パスネット連合?のみの専用非接触ICカード開発!
などということになりませんように。
少なくとも相互に互換性がありますように。

しかし、いつから導入されるのだろう?
気になる。
早く導入されるといいな。








気になるといえば、もうひとつ。

夏川純って、髪、多すぎ!

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2006/07/14

ANDREA MINGARDI / PROSSIMAMENTE


1948年にボローニャで生まれ、1974年に『Nessuno siam perfetti, ciascuno abbiamo i sui difetti』でアルバム・デビューしたAndrea Mingardi(アンドレア・ミンガルディ)の、これは9枚目のアルバムのようです。デビュー以来、2~3年ごとにコンスタントにアルバムを出し続け、現時点での最新盤は2004年の『E' la musica』なのかな。すでに19枚ものアルバムがある、現役のヴェテラン・カンタウトーレ。なのに、日本ではしかたがないにしても、本国イタリアでもあまり話題にのぼることが多くないような気がします。そういう自分も彼の作品はこれを含めて2枚しか持っていないし。

最初の本格的な音楽活動は18歳のときに結成したGolden Rock Boys(ゴールデン・ロック・ボーイズ)というロックンロール・バンドだったそうで、その後はジャズやブルース、ファンクなどにも興味を持っていきます。ここからもわかるように、けっこうアメリカ的な志向が強い人なのでしょう。実際、自分が持っているもう1枚の彼のアルバム『Si Sente Dire In Giro...』(1990年)はZucchero(ズッケロ)にも通じるようなソウルっぽい感覚が随所にありました。しかしこの『Prossimamente』(1988年)は、それほどソウルっぽかったりアメリカ風ということもなく、イタリアらしいメロディに満ちていると思います。

アルバムの冒頭を飾る「E la radio va」はスケール感のあるミディアム・スローの曲で、ゆったりしたメロディにはほのかにカンツォーネの香りもします。豊かなキーボード・オーケストレーションやサキソフォンによる彩りも入り、厚みのある、どこかゴージャスにすら感じられる演奏にのって、Andreaの力強いひび割れ声が響きます。これ、Al Bano(アル・バーノ)とかが歌ってもよさそうな感じです。

M2「Se tu esistessi」はロック色のあるミディアム・テンポの曲。こういったタイプの曲に彼のひび割れた声は合いますね。キーボードの音づくりやアレンジがちょっと安っぽかったりするのですが、ディストーション・ギターはなかなかいい音色でなっています。

M3「Ah si l'amore」はデジタリックな音のキーボード・アルペジオから始まり、一瞬Giuffria(ジェフリア)とか思い出してしまいました(このグループのことを覚えている人がいま、どのくらいいるだろう。笑)。しかしヴォーカル・パートが始まるとイタリアらしくなってきます。熱いひび割れヴォーカルはFausto Leali(ファウスト・レアーリ)などに通じるかもしれません。

ここまで比較的力強くて“陽”のイメージを持った曲が多かったのですが、つづくM4「Lieto fine」は渋くて少し暗い、“陰”の雰囲気で始まります。だけどそれは最初だけで、ヴォーカル・パートが進むとイタリアらしい明るさとやわらかさが満ちてきます。ゆったりとしたメロディに彩を添えるキーボードのオーケストレーションは古いムード音楽を思い出させるような雰囲気を持っていて、ちょっとロマンティックです。

M5「Oh mamma」は、若者たちの前向きな愛と青春と挫折と成長を描いたアメリカ映画(たとえば『愛と青春の旅立ち』みたいな。ベタだな)のテーマ曲を思わせるようなピアノのイントロから始まります。しかしヴォーカル・パートに入ると一転して、明るく軽やかなイタリアン・ポップスになっていきます。

M6「Cosa si fa dove si va」はシンセ・ベースやキーボードのアレンジがいかにも古い印象というか、Human League(ヒューマン・リーグ)ですか?みたいな“時代”を感じるところがあるのですが、ヴォーカルのメロディ自体はやわらかな哀愁とやさしく暖かな雰囲気があって、なかなか好ましいです。マイナー・キーから始まり、サビでメジャー・キーに転調する展開がロマンティック。しかし、このブカブカいうシンセサイザーのコード・ストロークはどうにかならないのでしょうか。

M7「Chissa'」は、なめらかで美しく、ほどよい明るさとあたたかさがあります。まだ人のまばらな初夏のビーチで海を眺め、ビールや冷えた白ワインを飲みながら聴いたら、気分がよさそう。なめらかなメロディを、歌詞に合わせてぶつ切り風に歌うようなところが、いかにもカンタウトーレぽい感じがして、好ましく思います。しかし、最後のシンセサイザーの音づくり(金管楽器のシミュレート?)はひどいな。

M8「Questa notte ho te」はロマンティックなメロディを持った美しい曲。シンプルなフレーズを並べてあるだけなのですが、Andreaの味わい深いひび割れ声と歌唱力が、それに深みと旨みを与えています。ちょっとMichele Zarrillo(ミケーレ・ザッリッロ)の「Una rosa blu」に曲の雰囲気が似てるかな。

M9「Va bene... cominciamo!」は、Tom Waits(トム・ウェイツ)の「Time」という曲にAndreaLucio Dalla(ルーチォ・ダッラ)がイタリア語歌詞をつけたもののようです。

非常に歌唱力のあるカンタウトーレで、少しひび割れた声も趣があり、力強い歌い方も好ましく感じます。曲のタイプも、少なくともこのアルバムではなめらかで美しく、ときにロマンティックな部分もあり、これも好ましい。ただ、全体にキーボード(シンセサイザー)の音づくりとアレンジがいかにも安っぽくてセンスが悪いというか、古臭いというか(実際、古いアルバムですが)、もう少しなんとかならなかったのかと、その点が残念です。彼のようにヴォーカルに存在感や個性が出せる人は、あまり演奏のアレンジにごちゃごちゃ手をかけず、シンプルなバックで歌ったほうがいいんじゃないかと思います。

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2006/07/11

DAVIDE DE MARINIS / COME DA 2 LUNEDI

1999年に『Quello che ho』でアルバム・デビュー、翌2000年に「Chiedi quello che vuoi」でサンレモ音楽祭に参加(この年に『Quello che ho』をサンレモ・エディションで再リリース)したあと、活動を聞かないなぁと思っていたDavide De Marinis(ダヴィデ・デ・マリニス)のセカンド・アルバム... かと思っていた『Come da 2 lunedi』ですが、実は2001年に『Passo dopo passo』というアルバムを出していたのですね。なのでこれは彼のサード・アルバムになります。

『Quello che ho』は不思議な魅力のあるアルバムで、けっこう気に入ってました。これといって派手さのない、とくにどうということのないポップスなのだけど、過不足なく練られたアレンジや、不意にLucio Battisti(ルーチォ・バッティスティ)の影が横切るのが感じられたりなど、聴いているうちにいつのまにかDavideの世界が耳にしみこんでくるのです。その後の活動・アルバムを期待させるに充分な作品でした。

で、サード・アルバムとなる『Come da 2 lunedi』です。う~ん。このアルバムでも、不意にLucio Battistiがうしろを通り過ぎるような(声質とメロディのつくり方に似てるところがあるのでしょう)部分はあります。ヴォーカルも、それなりに個性的です。ファースト・アルバムとのいちばん大きな違いは、このアルバムは妙に派手でゴージャスな印象があるところでしょうか。そして、ファーストではなかった(と記憶しています)R&B風味が妙に強く感じられるのです。

重く、ときに引きずるような音を持ったロックっぽい演奏。ドラム・マシンを多用し、わざと安っぽいキーボードのアレンジを組み合わせるところなど、最近の若いイタリアン・ロック・グループに見られる傾向ですよね。そして、Tiziano Ferro(ティツィアーノ・フェッロ)の成功以降(か?)急速にイタリアン・ポップス界に広まったソウル/R&B風味のヴォーカル。なんか、すごく「流行にひよった」印象を受けてしまいます。ファースト・アルバムで感じた彼の魅力は、そういった流行とは関係なく、淡々と素直に自分の世界を表現していたところにあったと自分は思っているのですけれど、残念ながらこのサード・アルバムは、Davide本人の姿がよく見えない気がします。オーヴァー・プロデュースなのかなぁ。ちなみにプロデュース&アレンジ(さらには作曲も)はファーストと同じ、Cattivi Pensieri(カッティヴィ・ペンシエーリ)のDavide Bosio(ダヴィデ・ボジオ)。そういえばCattivi Pensieriも長いこと名前を聞かない気がしますが、まだ活動しているのだろうか?

M1「E' stato un attimo」はミドル・テンポの、軽快なポップ・ロック・アレンジがされた曲ですが、メロディは哀愁系。ヴォーカルにはほのかにLucio Battistiの影を感じます。

M2「Tutto passa」はTiziano Ferroなどに代表される、ソウル/R&B系の曲。最近流行りのタイプですね。バックの演奏が妙にファットです。

M3「L'ipotesi」はスローな曲で、なめらかなロング・トーンを響かせるギターや、生まれては消える泡のようなキーボードのアレンジなどが、広がりを感じさせます。ここにもほのかにLucio Battistiの香りが。

M4「Fammi entrare」ではチープなキーボードでむかしのブリティッシュ・エレポップを思い出しました。ヴォーカルはソウル/R&B風、途中のギター・ソロもブルース風ですが、ヴォーカルのバックの演奏はおもちゃ箱をひっくり返したようなコミカルで楽しい演奏というアレンジのおもしろさに、なんとなくSimone Cristicchi(シモーネ・クリスティッキ)を思い出しました。

M5「Lasciati andare」はどことなくエキゾチックで妖しい雰囲気を持って始まります。でもサビではオーケストラが入り、イタリアン・カンタウトーレらしい感じになっていきます。

M6「La felicita'」は、ほんのりラテン・ジャズっぽい雰囲気を持った軽快で楽しげなポップス。クリーン・トーンのエレキ・ギターやオルガンのストロークが軽やかに響きます。

M7「Faccio fatica」は引きずるような重いベースとギターでブルース風に始まります。サビのあたりからはオーケストラも入り、哀愁ノスタルジー系のポップスになっていきますが、全体としてはソウル/R&B風味。

M9「Rimediami un abbraccio」はアコースティック・ギターのカッティングを中心にした軽やかなポップス。明るく乾いた感じがするのだけど、どこか哀愁もあるのがイタリア風でしょうか。終盤ではヴァイオリンも入り、穏やかな夕暮れ時の風景を思い浮かべました。

M11「Che sei」はニューウェーブ系ロック・グループのような重い演奏にのってソウル/R&B風味のヴォーカルが入り、サビではLucio Battistiの幻影が見えるといった感じ。

全体にソウル/R&B風味が強いとはいえ、全部の曲がそういうわけではありませんし、1曲のなかでも前半はソウル/R&B風味だけどサビからはイタリアン・カンタウトーレらしくなるといった曲もあります。メロディやヴォーカルにときどきLucio Battisti風なところが見えたり、あるいはSimone Cristicchiに通じるところを感じたりもします。そういった点でいろいろな期待も抱かせるのだけど、もともとソウル/R&B風味があまり好きでない自分にとっては、ファーストほどは興味を抱けないアルバムでした。なんか、育つ方向が、期待していた方向とは違ってしまったなぁという印象です。

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2006/07/10

再発見の土曜日

7月8日(土)は、関東近郊在住イタリアン・ポップス・ファンの月に1度のお楽しみ、Yoshioさん主宰のItalo-pop-festaでした。

スタートしてもう1年以上が経つ月例会。自分はほとんど毎回出席しています。これまでに毎回、たくさんのアーティスト/曲が紹介され、僭越ながら自分からも何回か紹介させてもらっていますが、正直な話、最近はそれほど、自分にとって新しい発見や感動はなかなか見つけられないことが多いのです。

「もっと多くの音楽ファンに、気軽に、身近に、イタリアン・ポップスを楽しんでもらいたい、イタリアン・ポップスに馴染んでもらいたい」という主宰者の希望もあり、この会で紹介されるのは基本的に、現在よく聴かれているポップス系のアーティストと、最近アルバム・リリース(新譜、旧譜再発含む)のあったアーティストが中心。そのため、紹介される音楽の傾向やアーティストにある種の偏りがある、というよりも、あまり裾野への広がりがない傾向があり(ここにも、あまり裾野を広げると、これまであまりイタリアのポップスを聴いたことがなかった人たちが、かえって混乱してしまうのではないか、それに、このかいをコアなマニアのためだけのものにはしたくない、という主宰者さんの希望があります)、自分としては、それほど新鮮じゃない曲調やアーティストが多かったりするのです。

ただ、すでに何枚かアルバムを持っているアーティストでも、自分が持っていないアルバムから紹介された曲などで、いきなり心をわしづかみ!というケースもあります。CDで持っている曲なのだけど、長いこと聴いていなくて、ひさしぶりに会場で紹介されて魅力を再発見!ということもあります。なので、知っているアーティストだからといってうかうかしていられないというのも、この会の楽しみ。

そして今回の魅力再発見は、なんといってもRafでした。Rafのアルバムは2~3枚持っているはずなのだけど、たしか「Stai con me」はPaolo Vallesiぽくてとてもいい曲だったという記憶はあるのだけど、それ以外はそんなに記憶に残っていないのです。ベテランなんだけどね。なので、曲が始まる前は「いまさらRafぅ~?」という気持ちもあったのですが、曲が始まってみたら、これがとてもいい。Rafってこんなにいいんだっけ?と少しビックリの再発見。最近リリースされた新譜からの紹介だったのですが、これは、買いです。哀愁のメロディとひび割れたヴォーカル。自分のツボです。さらにはPaolo Vallesiとデュエットした映像まで紹介され、これまたいい。けっきょく自分はClaudio BaglioniPaolo Vallesi系のひび割れヴォーカルが大好きなのですね。

そして、もうひとつの衝撃(笑)が、Amedeo Minghiのデビュー?曲。1960年代のテレビ映像です。アルバム・デビューする前の、シングル・デビュー曲のようです。Amedeo Minghiですと紹介されても、ぜんぜん彼とわからない(汗)。曲調も歌い方も衣装も、正統的なカンツォーネ・スタイル。兵役前の非常に若いころの映像のはずなのですが、妙に老けて見えるところもカンツォーネ風?

自分にとっての今回の大きな収穫は、このふたつでした。もちろん、紹介された他のアーティストも楽しく聴けました。Riccardo FogliはあいかわらずRiccardo Fogliだし、Mario & Gianni Rosiniはやっぱりナポリの雰囲気を振りまいてる。Carmen Consoliの歌声はいつ聴いても個性的で色っぽく、Claudio Fioriは予想していたとおりオーソドックス。Francesco Rengaの粘っこい歌声が暑苦しくて、Giorgiaはいつもどおりに歌がうまい。今回紹介されたNegritaの曲がレゲエ風の軽いポップスだったのは、ちょっと予想外でしたが。

また、今回は僭越ながら、自分も紹介者としてAnonimo Italianoを2曲かけました。最初はアーティスト名をいわずに新曲「Piu' che puoi」を聴いてもらって、誰の曲だと思うかを会場に問いかけ。こちらの思惑どおり(笑)「Claudio Baglioniじゃないか?」という答えを得てからネタばらしをしました。そしてもう1曲、Claudio Baglioniの曲をいくつか継ぎ接ぎにしたような名曲(迷曲?)「Se anche tu come me」で、会場のClaudio Baglioniファンに笑っていただきました。いつか機会があったら紹介したいとずっと思っていたAnonimo Italiano。比較的喜んでいただけたようで、うれしく思います。

続いてPOP!ITALIANOのkazumaさんが「La vita e' adesso」をかけてくれました。この曲、Claudio Baglioniの有名な曲です。でも、彼のスタジオ盤に収録されているものと、なんか感じがちょっと違う。実はこれ、Claudio BaglioniのカラオケCDに「歌い方のお手本」として収録されたものだったのです。もちろん、歌っているのはClaudio Baglioniじゃありません。Roberto Scozziという、いわばClaudio Baglioniのそっくりさん。そして、なにを隠そう、Roberto Scozziこそが、デビュー前のAnonimo Italianoなのです。

というわけで、主宰のYoshioさんおよびkazumaさんと仕組んだ、Claudio Baglioniもどき3曲をミステリアス&ドラマチックに紹介するという趣向だったのですが、楽しんでいただけたかしら>会場にいらっしゃったみなさま。

次回Festaは8月19日(土)の予定だそうです。次回は何が聴けるのか、どんな発見・再発見があるのか、楽しみです。


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2006/07/07

またやってしまった

今日はCamaleontiのCDを聴こうと思って、昨日の夜のうちにディスクをセットしておいたポータブルのCDプレイヤーを持って家を出たのだけど、駅へ向かう途中の道でプレイボタンを押したのに音が聞こえてこない。あれぇ?と思ってディスプレイを見たら「no disc」の表示。

あぁ、またやってしまった。

そういえば昨日、電池がなくなったので充電したのだった。ということは、このCDプレイヤーに入れたはずのCamaleontiは、もうひとつのポータブルCDプレイヤーのなかだな。

自宅では、数年前にミニコンポのCDプレイヤーがきちんと再生できなくなったので、代わりに以前に使っていたポータブルCDプレイヤーをミニコンポの上に載せ、LINEに接続して使ってる。

持ち歩き用ポータブルCDプレイヤーを充電するためのコンセントは、ミニコンポのとなりにある。なので充電時は、ふたつのポータブルCDプレイヤーが非常に近い位置に置かれることになる。

そしてときどき、ディスクを入れるプレイヤーを間違える。

そんなわけで、今朝は音なし。

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2006/07/05

弱くなったのか、強くなったのか

寝ているあいだに、蚊にくわれました。
めっちゃかゆい。
ムヒを大量にぬったくってもかゆい。
しかも、くわれたのは昨夜じゃない。
もう、3日くらい前。
なのに、いまもめっちゃかゆいっ!

以前は、こんなことはなかったのに。
かゆくても1日くらいだったのに。
でも、ここ数年は、くわれてから何日もかゆい。

これも、
寝ているあいだに頬についた
枕の線のあとがなかなか消えないのと同様に、
歳をとって体が弱ってきたから、
かゆみがなかなか消えないのだろうか。

それとも、
年を追うごとに
蚊の威力が増してきているのだろうか。

かいぃ~よっ!

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JACULA / TARDO PEDE IN MAGIAM VERSUS

イタリアン暗黒ミサ・プログレッシヴ・バンド(?)Jacula(ヤクラ)の、唯一の正式アルバム。めちゃめちゃはったりが利いたゴシック系暗黒シンフォニックを奏でます。

いきなり鳴り響くチャーチ・オルガンで聴く者の不安をかきたて、チェンバロの演奏に乗ったシャーマニックな女性ヴォーカルでいっそうおびえさすという、安っぽいオカルト・ホラー映画のようなつくり。アルバム的には、このM1「U.F.D.E.M.」のはったり具合がもっとも聴きどころでしょう。

M2「Praesentia domini」に入ると、パイプ・オルガンの木管系の音によるバロック風な演奏が始まり、少し心が休まるかと思っていたら、そこに女性による詩の朗読が入ってきます。演奏をバックに詩の朗読といったスタイルは、プログレッシヴ・ロックにはときどきありますが、徐々にこれが「詩の朗読」なんてものではなく、実はなにかの呪文、おそらく異端信仰の魔術書(キリスト教における聖書)のようなものの朗読ではないか、ということに気づきます。それに気づいた瞬間、そこは異端信仰の儀式の場。オルガンの音色もいつのまにか、木管系のやわらかな音から脅迫的な金管系に変わっています。あぁ、なんてホラー映画チックなわかりやすいはったりでしょう。

前半で思いっきり驚かせ、怖がらせておいたら、そのあとにはつかの間の休息、最後のショックの前に「これですべてが終わったのね」と思わせるかのようなやすらぎの時間があるのがホラー映画の常。このアルバムでもその構成は踏襲されているようで、LPのA面に当たるM1、M2で怖がらせたあと、B面に入ってM3「Jacula valzer」、M4「Long black magic night」で安らぎます。チェンバロやフルートのやさしい音色。M3ではガット・ギターをバックにスキャットが流れ出します。ちょっと「ローズマリーの子守唄」(映画『ローズマリーの赤ちゃん』挿入歌)風? M4にはヴァイオリンも入り、英語による詩の朗読。ちょっとやすらぎパートが長すぎるかもしれません。

そしてM5「In old castle」で、ふたたびチャーチ・オルガンが鳴り響き、終焉。

最初から最後まで、はったりだけで乗り切ったような作品。チャーチ・オルガンの厳かな音色には非常に心動かされるのですが、残念なことに、演奏が下手。せっかくのフレーズがきちんとつながっていないのです。そのうえリズム・セクションがないので、ロックとしてのダイナミズムもない。M5などはオルガン独奏で、これだったらバッハのオルガン曲集をリヒターか誰かの演奏で聴いたほうがましといった感じ。

イタリアン・ロックだから、プログレッシヴ・ロックというジャンルだから、とりあえずおもしろがって聴けるけど、暗黒ミサなロック(もどき)というアイデアがおもしろいから聴くけれど、これがたとえばGoblin(ゴブリン)だったら、演奏も曲づくりもアレンジも、もっと上手に、よりクオリティの高いはったりの利いたものにできたんじゃないかなぁとか思ってしまいます。Jacula、アイデアはいいけど、それを“ロック・グループ”として存分に表現するだけの力がないよなと。しかし、そのもやもや感は、のちにスロヴェニアから登場するDevil Doll(デヴィル・ドール)が払拭してくれるのでした。

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2006/07/04

GIANNA NANNINI / X FORZA E X AMORE

邦題は『愛と力にかけて』でした。Gianna Nannini(ジァンナ・ナンニーニ)のアルバムって、以前は中古で安く見つけることがけっこうあって、そのたびについ買ってしまっていたものだから、そこそこの枚数のアルバムがうちにはあるのですが、そのなかでもこの『X forza e x amore』はなかなか出来のいいアルバムだと思います。基本的にはGiannaらしい、シンプルでストレートなメロディと構成を持った曲に、力強いひび割れヴォーカルが乗るといったスタイルなのですが、それぞれの曲の持つメロディが、シンプルながらも素直で美しい響きを持っているからでしょう。

M1「Radio baccano」やM9「Lamento」などは、ストレートでドラマティックなハード・ロック。パワフルなヴォイスが美しいメロディに乗ります。M1には途中でラップを入れるなどの工夫も見られます。

M2「Io senza te」やM7「Oh marinaio」などではドラマティックなスロー・バラードを聴かせてくれます。M2はシンプルで美しいメロディを素直に歌っていますが、一瞬ファルセット気味になる部分があり、Giannaの歌ではちょっとめずらしいかも。M7ではピアノの演奏をバックに、どこか傷ついた心の傷みや哀しみを感じさせるような、だけどそれをあまり表には出さないようにしているような、そんな情感に満ちたヴォーカルが聴けます。サビではディストーション・ギターも入り、感情の高まりが上手に表現されています。

M5「Principe azzvrro」はほのかに危険な感じのする、ちょっといなたいブルーズ・ロック。たとえばストリッパーのいるようなバー/キャバレーと強いアルコールが似合いそうなイメージです。サキソフォンの響きもどことなく妖しい感じ。しかしサビに入るとGiannaらしい、シンプルなロック・メロディになります。

そのほかにも、軽快なリズムと素直なメロディが交換をもてるポップ・ロックのM3「Bell'amica」や、どことなくBob Dylan(ボブ・ディラン)風というかカンタウトーレ風の味わいがGiannaにはめずらしい感じのM4「Tira tira」のような曲もあります。

アルバム・タイトル曲のM6「Per forza e per amore」はスローな曲ですが、太鼓の響きにエスニックでエキゾチックな香りがあり、どこかの土着な祭典のようです。厚いコーラスも入り、ロック色の強いGiannaの作品のなかで不思議な味わいを持っています。さらにM8「Maremma」はいっそうトラッド風味があってめずらしいなと思ったら、この曲は本当にトラッド・ソングのようです。

基本はシンプルでわかりやすいロックというGianna Nanniniらしさをしっかり出していながら、収録された曲にはさまざまな表情や味わいがあるところが、このアルバムを魅力的にしていると思います。


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