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2006年6月

2006/06/30

ご飯がいくらでも食べられる

って、褒め言葉なんでしょうか...
ご飯ばっかり、そんなにいっぱい食べたくないんですけど。
ていうか、ご飯がなくてもいっぱい食べられるものが食べたいんですけど。

日本の食事って、ご飯が中心なんですよね。
ご飯のことを「主食」って呼ぶくらいですから。
日本人は、ご飯を食べるために、その他の皿を用意する。

でも、おいらは日本の「主食」じゃなくて西洋の「主食」が食べたい。
主食=メインディッシュです。
ご飯よりも、メインを食わせろ。
メインで腹いっぱいにさせてくれ。

日本の食卓には「料理」と「ご飯」が並び、
西洋の食卓には「料理」と「パン」が並びます。
「料理」はどちらにもあり、違いは「ご飯」か「パン」か。
見た目はそう見えるかもしれないけれど、
「ご飯」と「パン」では役割が違~う!
日本の「料理」と西洋の「料理」も食卓での意味合いが違~う!

おいらは料理が食べたいんだよぅ。
メインディッシュが食べたいんだよぅ。
ご飯を大量に食べさせるために濃い味付けをされた料理なんて食べたくないんだよ。
料理だけでお腹いっぱい食べられる味付けのメインを出してくれ。

米は「ご飯」じゃなくて「野菜」だっ!

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2006/06/29

これがおいらの実力さ(ToT)

こんなの見つけました。

魔法のMD5 - MD5バトル

戦うふたりのニックネームを入れて「戦闘開始」ボタンを押すと、どちらが強いかわかります。
ためしにイタポ仲間と戦ってみました。


対戦結果(あいうえお順)

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もあ vs あんき~お 戦闘開始!!
[あんき~お]の攻撃 HIT [もあ]は180のダメージを受けた。
[あんき~お]が[もあ]を倒しました(ラウンド数:1)。


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もあ vs kazuma 戦闘開始!!
[kazuma]の攻撃 HIT [もあ]は96のダメージを受けた。
[もあ]の攻撃 MISS [kazuma]は攻撃を回避した。
[kazuma]の攻撃 HIT [もあ]は52のダメージを受けた。
[もあ]の攻撃 MISS [kazuma]は攻撃を回避した。
[kazuma]の攻撃 HIT [もあ]は57のダメージを受けた。
[kazuma]が[もあ]を倒しました(ラウンド数:3)。


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もあ vs Sirius 戦闘開始!!
[Sirius]の攻撃 HIT [もあ]は159のダメージを受けた。
[もあ]の攻撃 MISS [Sirius]は攻撃を回避した。
[Sirius]の攻撃 HIT [もあ]は98のダメージを受けた。
[Sirius]が[もあ]を倒しました(ラウンド数:2)。


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もあ vs shun 戦闘開始!!
[shun]の攻撃 HIT [もあ]は1のダメージを受けた。
[もあ]の攻撃 MISS [shun]は攻撃を回避した。
[shun]の攻撃 HIT [もあ]は7のダメージを受けた。
[もあ]の攻撃 MISS [shun]は攻撃を回避した。
[shun]の攻撃 HIT [もあ]は28のダメージを受けた。
[もあ]の攻撃 MISS [shun]は攻撃を回避した。
[shun]の攻撃 HIT [もあ]は22のダメージを受けた。
[もあ]の攻撃 HIT [shun]は44のダメージを受けた。
[shun]の攻撃 HIT [もあ]は77のダメージを受けた。
[もあ]の攻撃 MISS [shun]は攻撃を回避した。
[shun]の攻撃 HIT [もあ]は56のダメージを受けた。
[shun]が[もあ]を倒しました(ラウンド数:6)。


----------
もあ vs Toshie 戦闘開始!!
[Toshie]の攻撃 HIT [もあ]は72のダメージを受けた。
[もあ]の攻撃 MISS [Toshie]は攻撃を回避した。
[Toshie]の攻撃 HIT [もあ]は98のダメージを受けた。
[もあ]の攻撃 MISS [Toshie]は攻撃を回避した。
[Toshie]の攻撃 HIT [もあ]は130のダメージを受けた。
[Toshie]が[もあ]を倒しました(ラウンド数:3)。


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もあ vs ニョッキ 戦闘開始!!
[ニョッキ]の攻撃 HIT [もあ]は1のダメージを受けた。
[もあ]の攻撃 MISS [ニョッキ]は攻撃を回避した。
[ニョッキ]の攻撃 HIT [もあ]は70のダメージを受けた。
[もあ]の攻撃 MISS [ニョッキ]は攻撃を回避した。
[ニョッキ]の攻撃 HIT [もあ]は1のダメージを受けた。
[もあ]の攻撃 MISS [ニョッキ]は攻撃を回避した。
[ニョッキ]の攻撃 HIT [もあ]は2のダメージを受けた。
[もあ]の攻撃 HIT [ニョッキ]は1のダメージを受けた。
[ニョッキ]の攻撃 HIT [もあ]は7のダメージを受けた。
[もあ]の攻撃 MISS [ニョッキ]は攻撃を回避した。
[ニョッキ]の攻撃 HIT [もあ]は42のダメージを受けた。
[もあ]の攻撃 MISS [ニョッキ]は攻撃を回避した。
[ニョッキ]の攻撃 HIT [もあ]は24のダメージを受けた。
[もあ]の攻撃 MISS [ニョッキ]は攻撃を回避した。
[ニョッキ]の攻撃 HIT [もあ]は0のダメージを受けた。
[もあ]の攻撃 MISS [ニョッキ]は攻撃を回避した。
[ニョッキ]の攻撃 HIT [もあ]は1のダメージを受けた。
[もあ]の攻撃 MISS [ニョッキ]は攻撃を回避した。
[ニョッキ]の攻撃 HIT [もあ]は1のダメージを受けた。
[もあ]の攻撃 HIT [ニョッキ]は1のダメージを受けた。
[ニョッキ]の攻撃 HIT [もあ]は61のダメージを受けた。
[ニョッキ]が[もあ]を倒しました(ラウンド数:11)。


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もあ vs ぷんと 戦闘開始!!
[ぷんと]の攻撃 HIT [もあ]は74のダメージを受けた。
[もあ]の攻撃 MISS [ぷんと]は攻撃を回避した。
[ぷんと]の攻撃 HIT [もあ]は64のダメージを受けた。
[もあ]の攻撃 MISS [ぷんと]は攻撃を回避した。
[ぷんと]の攻撃 HIT [もあ]は127のダメージを受けた。
[ぷんと]が[もあ]を倒しました(ラウンド数:3)。


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もあ vs Mari 戦闘開始!!
[Mari]の攻撃 HIT [もあ]は97のダメージを受けた。
[もあ]の攻撃 MISS [Mari]は攻撃を回避した。
[Mari]の攻撃 HIT [もあ]は36のダメージを受けた。
[もあ]の攻撃 HIT [Mari]は19のダメージを受けた。
[Mari]の攻撃 HIT [もあ]は144のダメージを受けた。
[Mari]が[もあ]を倒しました(ラウンド数:3)。


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もあ vs メローネ 戦闘開始!!
[メローネ]の攻撃 HIT [もあ]は1のダメージを受けた。
[もあ]の攻撃 MISS [メローネ]は攻撃を回避した。
[メローネ]の攻撃 HIT [もあ]は81のダメージを受けた。
[もあ]の攻撃 MISS [メローネ]は攻撃を回避した。
[メローネ]の攻撃 HIT [もあ]は79のダメージを受けた。
[もあ]の攻撃 MISS [メローネ]は攻撃を回避した。
[メローネ]の攻撃 HIT [もあ]は1のダメージを受けた。
[もあ]の攻撃 MISS [メローネ]は攻撃を回避した。
[メローネ]の攻撃 HIT [もあ]は43のダメージを受けた。
[メローネ]が[もあ]を倒しました(ラウンド数:5)。


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もあ vs YoshioAntonio 戦闘開始!!
[YoshioAntonio]の攻撃 HIT [もあ]は105のダメージを受けた。
[もあ]の攻撃 MISS [YoshioAntonio]は攻撃を回避した。
[YoshioAntonio]の攻撃 HIT [もあ]は87のダメージを受けた。
[YoshioAntonio]が[もあ]を倒しました(ラウンド数:2)。


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もあ vs らむ 戦闘開始!!
[らむ]の攻撃 HIT [もあ]は141のダメージを受けた。
[もあ]の攻撃 MISS [らむ]は攻撃を回避した。
[らむ]の攻撃 HIT [もあ]は63のダメージを受けた。
[らむ]が[もあ]を倒しました(ラウンド数:2)。

……

………

…………

……………(ToT)

おいら、弱すぎ。
あんき~おさん、強すぎ。

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UMBERTO TOZZI / GLORIA

1982年にニューヨーク出身の新人歌手、Laura Branigan(ローラ・ブラニガン。2004年8月に亡くなったそうです)がカバーし全米ナンバー1ヒットとなった「Gloria」の原曲を収録した、Umberto Tozzi(ウンベルト・トッツィ)の4枚目(だったかな)のアルバム。タイトル曲のインパクトが強い分、他の曲がいくぶんおとなしめに聴こえてしまいますが、それぞれに味わいのある曲が収録されています。

M1はアルバム・タイトルともなっているヒット曲の「Gloria」。軽快なメロディはキャッチーで覚えやすく、印象的です。ディスコ風のシンプルなリズムと派手なキーボードのアレンジには少し時代を感じます。

M2「Qualcosa qualcuno」は一転し、おだやかなリズムとあたたかなメロディを持った曲。明るい色の花がたくさん咲いている草原に寝転んで、晴れた青い空を眺めているような、くつろいだ気分になります。

M3「Non va che volo」はエレクトリック・ピアノのもわもわとしたやわらかい音色にのって、Umbertoのやさしい歌声が響きます。おだやかでゆったりとしたメロディ。ときおり顔を出す寂しげな雰囲気。オーケストレーションやコーラスも導入され、イタリアらしい美しさを持っています。M2やM3などを聴くと、Umberto Tozziって「Gloria」のような軽快なタイプの曲のほかに「Donna amante mia」みたいな曲も書ける人だったんだよなということを思い出します。

M4「Alleluia se」は「Gloria」と同様の、リズムを強調したディスコ風な曲。キーボード・アレンジも派手でやかましいです。軽快でポップだけれど、「Gloria」ほどのキャッチーさはありませんね。

M5「Mamma maremma」ではファルセット・ヴォーカルをちりばめ、どことなくユーモラスな感じを出しています。言葉数の多いバックのコーラス文字あまり気味で、ちょっと楽しいです。

M6「Valzer」はストリングスに導かれて始まります。前半はおだやかなワルツ調で、後半では4拍子に変わります。親しみやすいメロディが心地よく響きます。

M7「Notte chiara」はクリーン・トーンのツイン・エレキ・ギターがアメリカのウェスト・コースト風の爽やかさを感じさせます。バックに響くオルガンの音色やコーラスなどにも、古いアメリカのポップ・ロックを思わせますね。平和な感じのするあたたかなポップスです。

M8「Fatto cosi'」はピアノをバックに歌われるゆっくりしたポップス。ほどよくひび割れた歌声と、おだやかで素直なメロディ展開、適度な都会風味は、最近のMassimo Di Cataldo(マッシモ・ディ・カタルド)やGianluca Grignani(ジァンルカ・グリニャーニ)などに通じるところがあるかもしれません。

M9「Puo darsi」も都会的でやさしくあたたかい感じのしゃれたスロー・ポップス。この曲も途中でリズムパターンが4拍子から8分の6(12?)拍子に変わり、曲の印象に変化をつけています。



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2006/06/28

週末に観た映画

えびボクサー
地上波で夜中に放送されたもの。うん。変な映画。でも、なんとなく趣き深い。ばかばかしくてありえないんだけど、もしかしたら少しはありえそうかもしれないとも思ったりして。ばかばかしい設定なのだけど、それを真面目につくってるのがいいです。最後のハグのシーンでは、ちょっとじ~んときちゃったり。
ちなみに、この映画に触発されて『いかレスラー』がつくられたというような話を聞いたことがありますが、こっちは観てがっかりしたというか、しょうもなーっと思ったというか、無駄に疲労した記憶があります。なんでこうなっちゃうかなぁ。さらにその後『コアラ課長』とか『かにゴールキーパー』などといった映画もつくられているようですが、観る気がしない。あ、でも、テレビで放送されたらちょっと観ちゃうかも。


(ハル)
深津絵里主演の古い映画。地上波で夜中に放送されたもの。以前に1度観たことがあって、そのときはけっこういいお話じゃんと思った記憶があるのですが、ひさしぶりに観てみたら、ちょっときつかった。インターネットが普及する前、パソコン通信&モデムの時代の話なのだけど、もう、なんというか、登場人物たちが気持ち悪い。深津さんはあいかわらず可愛いのだけど、時代もあってか、役柄上か、ときどきすごい化粧で登場するし、彼女を追いかける古い友人?は明らかにストーカーだし、あいたたたな青年実業家みたいのも出てくるし、もう、なんだかなぁ~といった感じでした。
ただ、走り抜けていく新幹線越しの最初の出会いのシーンと、最後のシーンでの深津さんのセリフは、やはり素敵な感じがしますね。若いな。いろいろな意味で。


TOMMY
地上波で夜中に放送されたもの。世界初のロック・オペラ・アルバム、The Who(フー)の『Tommy』をミュージカル映画化したもの。映画の前に舞台用ミュージカルになっていたのでしたっけ?
アルバムのほうは、一部の曲がカットされた1枚ものCD(オリジナルは2枚組LPでした)で聴いたことがあって、けっこう気に入っているのです。哀愁も漂えばキャッチーなメロディもあり、なかなかドラマティック。
映画でもその音楽がふんだんに使われているので、曲を楽しむ分にはいいのだけど、ストーリーって、こんなだったんですね。最初のほうはPink Floyd(ピンク・フロイド)の映画『The Wall』にちょっと似てるのかなと思ったのですが、途中から、熱狂的な信者を集める新興宗教が発生してから崩壊していくまでの物語?になっていきました。楽しみどころがよくわからん。けっきょく最後、Tommyは、彼の周囲にいるすべての人間からも自由になった、ということなのかしら? そうだとすると、やっぱりちょっと『The Wall』に似てるのかもしれない。
ちなみに劇中、Eric Clapton(エリック・クラプトン)、Elton John(エルトン・ジョン)、Tina Turner(ティナ・ターナー)が登場し、歌や演奏を聴かせてくれます。


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2006/06/27

ENGLAND / GARDEN SHED

まもなく来日公演も行なわれるEngland(イングランド)。『Garden Shed』(邦題は「枯葉が落ちる庭園」でしたっけ)は1977年にリリースされた、彼らの唯一のオリジナル・アルバムです(のちに未発表曲集が1枚出てます)。

なんといいますか、彼らの音楽って、可愛らしいです。Genesis(ジェネシス)風な演奏やアレンジもあって、いわゆるブリティッシュ・シンフォニック・プログレッシヴの音なのだけど、プログレにありがちな大仰さとか押し付けがましさとか小難しさといったようなものが、Englandの音楽にはないんですよ。コーラスもポップな感じだし。

プログレッシヴ・ロックの体裁は持っているけれど、また、彼ら自身がプログレッシヴ・ロックが大好きで、「シンフォ・プログレやりたい!」という気持ちを前面に出して曲をつくり演奏をしたのだろうと思うのだけど、でも彼らの音楽の根底にあるのはプログレッシヴじゃなくて、ブリティッシュ・ポップスなんじゃないかしら。曲の端々に出てくるフレーズやパッセージなどがいちいちキャッチーで可愛らしい。

こういう感覚って、むかしのブリティッシュ・グループが、その音楽ジャンルにかかわらず、けっこう普通に持ってたように思うんです。その点で、このEnglandThe Beatles(ザ・ビートルズ)もFruupp(フループ)もThe Who(ザ・フー)もThe Kinks(ザ・キンクス)もPilot(パイロット)もElectric Light Orchestra(エレクトリック・ライト・オーケストラ)も、あんまり変わらないような気がします。みんな、いろいろな衣装を身にまとっているけれど、根底にはブリティッシュ・ポップスの可愛らしいメロディが流れてる。

メロトロン導入比率も高く、つくり方によっては気負ったシンフォニック・プログレッシヴにだってなったであろうところを、そうせずに(できずに?)、なんだかとてものんびりとした、聴いていてほっと心が和むような、天気のいい日に縁側に座ってお茶をすすっているような(もちろん、ひざの上には猫が丸くなって寝てる……←あくまでも、イメージですが)、そんな音楽にしてしまったEnglandというグループが、なんだかとてもいとおしく感じられるアルバムです。


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2006/06/24

いま、うちの前の道を

小学校低学年くらいの男の子数人が大きな声で

♪いっしょうだんごけ~
いっしょうだんごけ~♪

と歌いながら通り過ぎていきました。

いっしょうだんごけー?

一升だんご権??

一生だんご刑!?

だんごを食べるなら草だんご。

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2006/06/23

TURQUOISE / PO DRUGIEJ STRONIE...

ポーランドのグループだそうです。デビュー・アルバムが女性ヴォーカル入りの極上シンフォニック・ロックということで話題になったようですが、これは2003年リリースのセカンド・アルバム。女性ヴォーカリストはふたりクレジットされてますが、デビュー作で歌っていた人とは違うらしいです。

うーん、どうなんでしょう。ざっと聴いた印象では、シンフォニック要素の強いプログレッシヴ・ハードといった感じです。それも、どことなく15年くらい前の日本のプログレ・ハードみたいな。

曲は大別して「男性が歌うもの」と「女性が歌うもの」の2種類に分かれます。男性&女性のヴォーカル・アンサンブルとかはないみたい。そしてM3「Spotkanie」やM5「Po tej stronie」など、とくに「男性が歌うもの」にプログレ・ハード要素が強く、しかも、ちょっといなたい。声質は個性があるし、投げやりな感じに歌うスタイルも悪くはないんですが、曲自体の魅力が弱いかな。たとえばM5は、テクニカル・プログレの要素も付け加えようとしたのだけど、演奏力と構成力が追いつかず、テクニカルになりきれないで中途半端な曲に終わっちゃったような印象もあります。

一方「女性が歌うもの」はトラッド風味があり、清楚ですがすがしい感じが心地よく響きます。ふたりの女性ヴォーカルは、それぞれに少し個性が違うようですが、M2「Desiderata」とかのヴォーカルを担当している人のほうが自分には好みです。またM4「Piesn Aayrne」はピアノをバックに、間奏にはアコースティック・ギターのソロも入り、なんとなくIllusion(イリュージョン)とかを思い出しました。しかし、女性ふたりによるヴォーカル・アンサンブルとかも、とくにないのだな。

M6「Suita d-minor」はちょっとした組曲。パイプ・オルガンとアコースティック・ギターによる「Tangal」はイントロダクション的な小曲ですが、一瞬、サンプリングと思われる合唱が入り、合唱ロック好きな自分は「おっ」と思ってしまいます。続く「Zdobede i ciebie」はMoody Blues(ムーディ・ブルース)の「メランコリー・マン」のようなメロディとコード進行のイントロで気を引かれるのですが、男性ヴォーカルが入ると普通のプログレ・ハードになってしまいます。第3部の「Glos serca」ではヴォーカルが女性にチェンジし、哀愁度も高まりますが、プログレ・ハード・グループが演奏するバラードといった印象が抜けません。しかし最終楽章である「Testament sel'entinell」では、より哀愁度の高いほうの女性にヴォーカルが代わり、演奏もトラッド色が強くなります。すがすがしく清涼感のあるゆっくりしたシンフォニック・ロックにヴァイオリンのソロも入り、たおやかでクラシカルな情感も高まります。

M1「Prolog」がパイプ・オルガンによるクラシカルな小曲で、ちょっと期待したのだけど、全体にはほどほどの演奏技術によるほどほどなシンフォニック・ハード・プログレといった感じでした。しかし、ヴォーカルはポーランド語(ですよね?)で歌われていて、あまり耳になじみのないその独特な言葉の響きがとても印象的です。いい要素はいくつもあるので、それなりに楽しめるシンフォニック作品にはなっています。

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2006/06/22

Opera 9

自宅のコンピュータで使っているOperaをVer.9にアップデートしました。

うん、いいぞ、これ。

アップデートしたら特定のページで表示がおかしくなったとか、うまく動作しないページができてしまったといった不具合にあってらっしゃる方もいるようではありますが、自分の使用範囲ではいまのところ、とくに問題ないです。

というか、Accomodation Lineのページが使えるようになったのがうれしい!

Accomodation Line... 世界各国のホテルをオンラインで予約できるサービス。お値段も比較的お手ごろで、登録されているホテル数もけっこう多く、使い勝手も悪くないのですが、唯一困っていたことが、Operaではきちんとページが作動しなかったこと。かといってこのページを使うときだけIEを起動するのも面倒で、長いこと使わずにいたんですよ。

ここのページ、むかしはOperaでも作動したんです。というか、ページ側ではきっとこれといった変更はしてないだろうから、Operaの側の問題だと思うんですけどね。たしか、Opera6では使えたのだけど、Ver.7/8では使えなくなちゃった。でも今回のVer.9へのアップデートで、ふたたび使えるようになったのです。

うん、よかった。これでイタリア以外の国の宿探しが少し楽になるな(イタリアはVenereを使ってます)。

職場のマシンもアップデートしておこう。

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2006/06/21

SEBASTIAN HARDIE / FOUR MOMENTS

オーストラリアン・プログレッシヴ・ロックのトップ・グループであり、また、あまたあるシンフォニック・プログレッシヴ・アルバムのなかでも傑作としての輝きを放つ、Sebastian Hardie(セバスチャン・ハーディ)のデビュー作。プログレッシヴ・ロックやシンフォニック・ロックといえばヨーロッパのものだと(おそらく)多くの人が思っていた1970年代の半ばに、ヨーロッパから遠く離れた南半球の海に浮かぶ大陸で、よもやこんなにも芳醇な香りあふれるシンフォニック・ロックが生まれていようとは、当時、いったい誰が想像したでしょうか。

たしかLPではM1からM4までがA面で、この4曲で「Four Moments」という組曲扱いだったように記憶しています。実際、これらの4曲は共通したテーマ・メロディを持っていて、切れ目なく続いていきます。

M1「Glories shall be released」ではいきなりの雄大なメロトロンに圧倒されます。ここで奏でられるのが組曲「Four Moments」のテーマ・メロディで、マイナー調だけど、どこかおおらかなあたたかさがあります。続くヴォーカル・パートは軽やかでポップなメロディですが、これが第2のテーマ・メロディになっています。そして最後はまたメロトロンに乗った第1のテーマ・メロディに戻り、雄大に終わります。この終わり方は無理やりくっつけたような印象がありますが、こういった強引さもプログレッシヴ・ロックの醍醐味ではありますね。なお、M1で奏でられた、この2つのテーマ・メロディは、このあとの曲中にも頻繁に現われます。

ある意味で派手なM1に続くM2「Dawn of our sun」は、少し落ち着いた雰囲気を持っています。ゆったりしたメロディラインは、たくさんの星が瞬くオーストラリアの夜空を眺めているようです。演奏のなかに一瞬だけ、エレクトリック・ピアノによる第2のテーマ・メロディが可愛らしく奏でられるのも印象的です。

M3「Journey through our dreams」は、切なげに歌われる第1のテーマ・メロディで始まります。続いてそのメロディをメロトロンが引き継ぎ、分厚く、雄大に奏でていきます。その後はロックを感じさせる力強さを持った演奏で、スペーシーな雰囲気を持ったシンフォニック・ロックへと展開。2本のギターにキーボードもかぶせたハーモニーを聴かせたり、かすかにブルースのニュアンスを持ったギターが心震えるメロディを奏でたり。そして最後はメロトロンをバックに第1のテーマ・メロディを歌い上げます。

M4「Everything is real」では第2のテーマ・メロディがシンセサイザーで軽快に演奏されます。バックの演奏も楽しげです。そして突然、メロトロンが鳴り響き、一転してシンフォニックに。最後はオレンジ色に染まりだした夜明けの空を眺めているような、暖かな希望を感じさせる優しいメロディが余韻を残して終わります。

ここまでがLPのA面で、組曲「Four Moments」。以後はLPのB面で、別の曲になります。しかしM5「Rosanna」はM4の最後に出てきたメロディから始まります。M4は、組曲「Four Moments」のエピローグであると同時に、M5のプロローグでもあったわけですね。なかなか凝った構成です。

このM5は、最初はM4と同じ長調の暖かなメロディで始まりますが、その後、このメロディを短調へと変調し、哀愁系の曲へと変わっていきます。この印象的なメロディが何度も浮かんでは消え、澄んだ夜空のような美しくも懐かしい情景を映し出します。

そしてアルバム最後の曲「Openings」へ。最後なのに、オープニング。ここになにかの意図を感じますが、もしかしたら、たんにある種の時間あわせで収録されたのかもしれません。というのも、M1からM5まではメロディに連続性や関連性があるのに対し、この曲だけ、他の曲との関連を見つけられない、独立したものだからです。だからといって、この曲がたんなる時間合わせの内容かというとそんなことはありません。もそもそとしたテーマ・メロディには、ほのかにいなたい感じがありますが、それを奏でるギターの丸い音色に対し、キラキラと華やかなキーボードの音色がうまく対比しています。その後はエモーショナルに展開。ギターは天空へとのぼり、光り輝く星座のあいだを泳ぎまわるようです。やわらかに使われるメロトロン。どことなく東洋的な印象を漂わせるパートもあります。テーマ・メロディをはさんでさまざまな表情を見せる演奏からは、オーストラリアの広い大地と空間を感じられます。

このアルバムに収録された曲はどれも、難しいことはやっていないと思います。インストゥルメンタル・メインのシンフォニック・プログレッシヴですが、けっしてテクニカル系の演奏ではありません。そのかわり、シンプルだけど印象的なテーマ・メロディを、わずかにバリエーションを加えながら、何度も上手に曲中に浮かび上がらせ、その前後で曲の表情を変えるといった構成のうまさで、最後まで飽きさせず、聴き手の心をひきつけます。音楽でひきつけるには、優れた演奏も大切だけど、それ以上に優れたメロディと優れた構成が必要だということが、あらためて感じられます。

あたたかい南半球の大地から生まれてきたシンフォニック・ロックは、ヨーロッパのそれとは違ったおおらかさと人懐こさ、あたたかさを存分に感じさせてくれます。同じピノ・ノワールやシラーでワインをつくっても、繊細さや生真面目な力強さを感じさせるフランスワインに対し、オーストラリアのワインはおおらかで気さくな感じがします。そしてSebastian Hardieの奏でるシンフォニック・ロックにも、やはりおおらかで気さくな感じを受けるのです。

また、このアルバムから聴かれる音楽から浮かぶ情景は、夜。秋のオーストラリアで、アサートン高原からケアンズに戻る途中の山道で眺めた、満天の星空を思い出します。初めて星座が「絵」として見えたあの日。天の川が本当に「天の川」だと感じられたあの夜。このアルバムを聴いていると、あのときの情景が脳裏によみがえってくるのです。

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2006/06/20

バーテンダーよりソムリエ

最近『バーテンダー』というコミックを読んでるんですよ。なんだか、いろいろな人が「おもしろい」と、お酒うんちくマンガとしてではなく「サービス」の世界を扱ったマンガとしておもしろいと、評価してたので。

とりあえず単行本の1巻から4巻までをそろえまして、読んでみました。

うん。おもしろいかもしれない。おもしろいかもしれないけれど、そんなにおもしろくない。

このコミックの原作は城アラキさんという人で、この人はコミック『ソムリエ』の原作者でもあるのです。『ソムリエ』も、単行本2巻の途中くらいまではそれほどでもないのだけど、そのあとはサービスの世界の物語としてどんどんイキイキしてくる。なので『ソムリエ』よりもあとに発表されたこの『バーテンダー』にも、イキイキとしたサービスの物語を期待してたのだけど...

1話1話はそれぞれにサービスの物語としておもしろいんです。1話完結読みきり形式の連載だから、それはそれでいいんです。でもそれを「単行本」というまとまった形で読むと、ものたりない。それぞれの「おもしろいお話」が連なりとして機能して「おもしろい単行本」にならない。

ちなみに、もうひとつ話題のワイン・コミックに『神の雫』というのもあって、これはこれでまたおもしろいのだけど、こっちは長~いお話が続く、「読みきり形式」じゃない連載なので、単行本でまとめて読む分にはおもしろいのだけど、きっと連載でぶつ切りで読んだらフラストレーションがたまりそう。読み逃しの回とかあった日には、その後に読み続けるモチベーションが一気に落ちそうです。

その点『ソムリエ』は、基本は読みきりだけどお話によっては2~3回の連続ものというフレキシブルさを持ち、それぞれのお話ひとつひとつに完結したおもしろさを持ちながら、お話同士のつながりのなかで背景にもっと大きな物語もつくっていた。その点が秀逸だなと思うのです。

しかし『バーテンダー』には残念ながら、少なくとも4巻まで読んだかぎりでは、「手前のお話」しか見えてこない。毎回のおもしろい「手前のお話」のつながりから「背後のお話」が見えてきて、その「背後のお話」に「手前のお話」とはまた違った物語が読み取れたりすると、そういった重層的な構造になっていると、単行本として多くのページを読むのにおもしろいものになるのだけどなぁ。いまはまだ、今日はこんな事情を抱えたお客さんがきました、それに対し主人公のバーテンダーがこんなサービスを提供しました、お客さんは喜びました... の羅列といった感じ。すべての「お話」に共通して登場する唯一の人物である、主人公のバーテンダーがめざすものや秘めている想い、それへの葛藤や挫折や喜びや成長といったものがすごく希薄。だから、なんだか1話ごとにぶつ切りの印象になってしまう。

ひとつひとつのお話はいいのに、全体としてまとめてみたときに大きな流れや物語が感じられず、断片しか印象に残らない。なんというか、ヒット曲ばかりを集めたベスト盤CDみたいだ。そして自分は、ベスト盤CDがあまり好きじゃありません。ひとつひとつに小さなドラマを、小さなドラマを内包したひとつひとつのつながりで大きなドラマを、と考えて構成されているようなものが好きなのです。

『バーテンダー』5巻では、そういったドラマが少しは見えてくるのでしょうか。それとも、これまでと同じような「1話ごとに読めばそれでよし」といった感じなのでしょうか。もしこれまでとたいして変わらない構造なら、5巻は読まなくてもいいや。

やっぱり自分は『ソムリエ』のほうが好きだなぁ。カクテルよりもワインのほうが好き、カウンターでのサービスよりもホールやテーブルでのサービスのほうが好きという、自分の好みからいっても、めざすべきはバーテンダーよりもソムリエだな... って、めざすのかよ!?

ところで、『ソムリエ』の続編?『新ソムリエ・瞬のワイン』は、どうなんでしょうか? おもしろいのかな。


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2006/06/19

週末に観た映画

ダ・ヴィンチ・コード
金曜の夜に劇場で。さすがにもう、すいてました。原作本もたった2日間の間にたくさんのことが起きるスピーディな展開でしたが、映画はさらにスピーディ。というか、これ、物語ダイジェストですか? 勢いに乗ってスクリーン上に映し出される出来事を追いかける以外に、あまり楽しみはなし。この映画だけからでは、おそらく事件や登場人物たちの背景といった深みまでは楽しめないだろうなぁ。アメリカらしいアクション映画の一種になってました。なんとなく「ナショナル・トレジャー」ふうな印象でした。
あと、原作でモヤッとした登場人物たちの行動(なぜそんな行動を?)が、映画ではいっそうモヤッとしちゃってました。いくつか設定の変更もあり、いっそう薄っぺらくなった感じ。なぜソニエールとソフィーの関係を変えちゃったんだろう。映画でのファーシュは宗教団体と癒着したダメ警部にしか見えない。銀行の支店長の行動は映画ではいっそうわけがわからない。ラングドン教授がかなりキリスト教会側寄りに人物設定されちゃて、映画化に際してかなりキリスト教会に配慮した(というか、びびった?)のがありありといった感じです。
う~ん。原作も思ったより薄っぺらい感じでしたが、映画はそれをさらに薄くしちゃった感じだなぁ。


愛と青春の旅立ち
BSで放送されたもの。リチャード・ギアが若い。で、この映画の主題はいったいなんだったのだろう。いや、ギア演じる主人公ザックの成長物語だとは思うのだけど、だから、なに?といった感じ。ちなみに原題は「An officer and a gentleman」だけど、これもよく意味がつかめない。officer(将校)がザックで、gentleman(紳士)がフォーリー軍曹? それとも、officerもgentlemanもザックのこと? 士官学校を卒業するザックが「軍曹のことを忘れない」といったときに軍曹が返した「I know」という返事は、ちょっといい感じだったけど。


80デイズ
地上波で放送されたもの。新宿での劇場公開は、たしか2週間程度で打ち切られてた気がする。ジャッキー・チェンにアーノルド・シュワルツェネッガーといったあたりの出演以外に、これといって話題になるところなしといった感じ。だらだらとした展開と、突如繰り広げられるカンフー系アクション・シーン。むぅぅ。ジュール・ヴェルヌの原作を読んだことがないのだけど、有名な「80日間世界一周」って、こんな話なんですか? あと、日本語吹き替えの原田泰三さん、もう少し勉強しましょう。女武将の吹き替えを担当した杉本彩さん、はまりすぎ。この役の女優さんもどことなく彩姉さんぽい雰囲気だったし。
休みの日の昼下がりにお茶飲んだりお酒飲んだりしながらだらだらと見るには悪くない程度の映画かな。


ダブル・ヴィジョン
地上波で放送されたもの。これ、たしか公開時に劇場に観にいった記憶がある。そして、いまいちだったような記憶もある。あらためてテレビで観て、やっぱりいまいち。雰囲気はあるんだけどねぇ。オカルトとサイコ・スリラーのあいだを中途半端にすすんじゃって、最後はそんなオチですか、みたいな。「双眼(ダブル・ヴィジョン)」の持つ邪で恐ろしい意味が皮膚感覚として刷り込まれているような人には、これでもいいのかもしれない。ていうか、道教にはほんとうに双眼なんていう考え方があるのだろうか?


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2006/06/16

東京都産もあとれたてピチピチ

あなたを「商品」として企画してくれます(^^)。

あなたの商品企画室

ちなみにおいらを商品企画すると、

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商品名:
「東京都産もあとれたてピチピチ」

キャッチコピー:
本場東京都の味を生きたままあなたの手に。

種類別名称:
思わず新鮮な魚と思いがちだが実は、40歳の男性(人間)

商品名:
東京都産もあとれたてピチピチ

原材料名:
もう少し頑張りましょうな通知表
何事も粘り強い忍耐力
思いやる心
一般的な平凡的な極めて標準な肉体
休暇申請中の肝臓
人のアドバイスを聞かない頑固者
僅かな過ちへの謝罪
糖分
着色料(白色2号)

賞味期限:
人間としては後、38年くらいです。
異性の対象としては後、9年くらいです。

保存方法:
(開封前) テレビの音が聞こえる近くに置いて下さい。
開封後の取り扱い とりあえずテレビでも見せてあげてください。

製造者:
もあの父と母
今から約40年と数ヶ月程前、東京都のとある一室において(以下略)

「東京都産もあとれたてピチピチ」の販売数見込み:
同年代の人たちに大変話題になり、40歳の人の24%が欲しいと一瞬思ったが、実際売れた数は980個

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原材料にある「人のアドバイスを聞かない頑固者」「僅かな過ちへの謝罪」というのが、なんだかリアルですぅ(^^;)。

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用法・用量を守りましょう


今日は朝からざぶざぶと雨が降っていて、
自分は先週した無茶の後遺症か、
いまだに体調がもうひとつな感じで、
なのに昨日もワインを飲んでしまい、
しかもそのワインが思っていたよりも重い味で、
そのうえ寝不足気味なのはあいかわらずでもあり、
ただでさえ冴えない気分なのに雨は激しく降り続き、
家でぼんやりとしていたいという気持ちをもてあましつつ、
なんとか着替えて仕事へと向かったのに、
ヘッドフォンから流れてきたのはGiorgio Canaliで、
一気に陰鬱な気分に逆戻りしてしまった。

うちにはCDがおそらく2000枚くらいあって、
もう自分でもどれがどんな曲だったかよくわからない。
印象に残っているいくつかのアルバムは、
聴きたい気分のときに選んで棚から取り出すけれど、
それだと聴くアルバムが偏ってしまう。
それに出勤時や就寝時にかけるアルバムを、
そのつど選択するのもすでにわずらわしい。
だから特別に選んで聴く以外のアルバムは、
順番にローテーションでプレイヤーに乗せている。

棚にはアーティストの出身国がアルファベット順に、
国別のなかではアーティスト名のアルファベット順に、
アーティスト別のなかではアルバムの発表順に、
きちんとそろえて並べてある。
そして今朝の出勤用として順番が回ってきたのが、
よりにもよってGiorgio Canaliの「Che fine ha fatto lazlotoz」。

これはなにかの試練でしょうか?
















Giorgio Canali(ジォルジォ・カナリ):
20年ほど前に活動をしていたイタリアの伝説的なパンク/ニューウェーヴ・グループ、CCCP(のちにConsorzio Suonatori Indipendenti(コンソルツィオ・スォナトーリ・インディペンデンティ。CSI)と名称が変わる)の元ギタリスト。その後Per Grazia Ricevuta(ペル・グラツィア・リチェヴータ。PGR)と一時活動をともにし、現在はRossofuoco(ロッソフォーコ)を率いる。

Che fine ha fatto lazlotoz
Giorgio Canaliが1998年にリリースしたソロ・アルバム。なぜかこのアルバムではアーティスト名が「Giorgio Canali?」と、最後に「?」がついている。テンションのゆるい、粘つくようなギターのコード・ストロークと、重い音像が特徴的で、ゴシックというほどではないが、光の少ない、暗闇で蠢くタイプの音楽は、1980年代にBauhaus(バウハウス)やKilling Joke(キリング・ジョーク)などを聴いていた耳には懐かしく感じるかもしれない。半分くらいの曲はフランス語で歌われ、残りはイタリア語だが、どちらにしろイタリア的な印象はほとんどなく、ブリティッシュ・ニューウェーブ的な音楽。
なお、同名のポルノ俳優がいるようだが、おそらく別人・無関係と思われる。


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2006/06/15

ジャケ買い


Fausto Leali(ファウスト・レアーリ)のアルバム『Amore dolce, amore amaro, amore mio』について書いたら、tontoさんから「もしかして、ジャケ買いか?」というコメントがつきました。このアルバム、ちょっぴりエロティックですから(笑)。

学生時代とくらべると、いまではすっかり少なくなりましたが、それでも自分は年間30枚から40枚くらいはCDを買っていると思います。そして、その半分くらい(もっと多いかな)は、いわゆる「ジャケ買い」です。そのアーティストやアルバムについてそれなりの情報を事前に得てから買うのではなく、カタログを見て(最近は90%以上をネット通販で買っているので)、ジャケット写真を見て、収録曲のタイトルの雰囲気などを見て、売価を見て、よさそうかなと思うものを買ってる。tontoさんには申し訳ない?けれど、このときの判断基準に「ジャケに女性が載っている」といった項目はありません(笑)。

そんなわけで、Pensiero! websiteをご覧いただいてもわかるかもしれませんが、うちには日本人イタリアン・ポップス・ファンのみならず、イタリア人ですらほとんど名前を知らない、曲を聴いたことがないような、得体の知れないアーティストのアルバムがけっこうたくさんあります。

事前情報がないままに入手したこれらのアルバムは、実はけっこう有名な人だということがのちにわかったり、本当にアルバム1枚でひっそりと消えていった人だったりと、いろいろではありますが、おおむね、気に入っています。「すごくいい!」と思えるものに出会うことは多くはありませんが、たいていはそれなりに「いい」ですし、「これはダメだぁ」というものはほとんどありません。

ものを買うというのは、けっきょく「感性」を買っているのだと思います。自分に合った、自分が好きなタイプの「感性」を持ったなにかを、買っているのです。そして、「感性」を商品上でどうやって表現するか、というのも、やはり感性です。

音楽は、目で見てはわかりません。なので、本来なら「実際に聴く」のが、その「感性」を知るうえではいちばんいいのですが、気になった音楽のすべてを「聴く」ことはできません。そういった環境は、まだ整っていません。

実際の音が届かないリスナーに、別のかたちでそのアーティストの、アルバムの「感性」を表現する。そのひとつがアルバム・ジャケットと、曲名だと思うんです。これは、ヒントなのです。なので、これらに何か感じるものがあったなら、自分はその感覚を信じます。誰かが「いい」といったかどうかよりも、自分が自分に合ったものを見つけ出す「感性」を、大切にしていきたいと思っています。

音楽に限りませんね。たとえば小説も、そのタイトルのつけ方に、著者や制作担当者、出版社の感性が現われます。ぜんぜん現われているようには感じられないものも少なくありませんが、そういったものはたいていの場合、最初から(自分にとっては)問題外。好みは別として、送り手側の何らかの「想い」が感じられるもののほうが、気になります。そのうえで、たとえば『白い犬とワルツを』というタイトルには強く魅かれるものがあるけれど、『マディソン郡の橋』には何も感じない。『博士の愛した数式』にはすごく魅きつけられるけれど、『世界の中心で、愛をさけぶ』にはまったく興味を持てない。そして、タイトルに魅きつけられたものは、実際に読んでも、やっぱり趣深く感じられるのです。

ワインだってそうです。多くの場合、ラベルが美しいワイン、というよりも、ラベルのデザインが気に入ったワインは、美味しいといいます。重要なのは「気に入った」という部分。ワインは、その生産者の「想い」によって、似たような環境、あるいは隣接する畑から取れた同じ種類の葡萄でつくっても、味わいが変わってきます。そして、つくり手がワインに対してどのような「想い」を持っているか、その「感性」が、ラベルにもにじみ出ていることが多いのです。なので、ラベルのデザインが自分にとって好ましいものであるということは、つくり手の「感性」が自分にとって好ましいものであるケースが多い。自分にとって好ましい「感性」をもったつくり手によるワインは、味わいも自分にとって好ましいことが多い。よって、ラベルのデザインが気に入ったワインは、(自分にとって)美味しいことが多いのです。

いずれにしろ重要なのは、「自分にとって」好ましい、ということ。「誰か」がいいといったからでなく、「多くの人」がいいといっているからでなく、「自分が」自分に対して自身を持って「これは、いい。好きだ」といえるか。たとえ他の人が「それは、よくない。嫌いだ」といったとしても揺るがずに「でも、自分は好きだ」といえるか。

そういうものに出会うには、他人の感性は参考程度に収め、それよりも自分の「感性」を信じて、自分で探すしかないのではないかなぁと思うのです。

などという理屈をつけながら(^^;)、あいかわらず自分はジャケ買いを続けているわけです。

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2006/06/14

FAUSTO LEALI / AMORE DOLCE, AMORE AMARO, AMORE MIO

1944年10月28日生まれのダミ声カンタウトーレ、Fausto Leali(ファウスト・レアーリ)が、バックにイタリアン・プログレッシヴ・ロックのスーパー・グループ、Il volo(イル・ヴォーロ)を従えて録音したアルバム。LP/CDともに日本盤がありますが、もとのアルバムにはたんに「Fausto Leali」としかアーティスト・クレジットがないのに、日本盤では「ファウスト・レアーリ e イル・ヴォーロ」とイル・ヴォーロを強調するかたちでクレジットされているのが、なんだか寂しく感じます。狙いはわかりますが。

それに自分も、日本盤LPがリリースされたときに、Il voloのクレジットに魅かれてこのアルバムを入手したのは抗いようのない事実であります。好きでしたから、Il voloのセカンド・アルバム。そしてFausto Lealiのこのアルバムも、以前は大好きで、よく聴いたものです。最近しばらく聴いていなかったで、ひさしぶりにCDラックから出してみました。しかし...

なんだか、あんまり楽しめないのです。Faustoの熱い歌があり、Il voloの上昇気流に乗ったような演奏も変わらずにあるのだけど、以前のようにに「いい!」と思えない。

このアルバム、カンタウトーレの作品としては、Il voloの色が強く出すぎているのかもしれません。Il voloの演奏は素晴らしいのだけど、その演奏が支えるべきFaustoの歌に、というか、曲そのものに、実はあまり魅力がないように思います。彼があの声で歌って、Il voloが演奏しているから、なんとなく「いい感じ」に聴こえるけれど、そして、それこそがこのアルバムのアドヴァンテージなのかもしれないけれど、そのアドヴァンテージを取り除いたところに残る「核」となるべき楽曲に、あまり魅力を感じない。自分にとってもっとも魅力的に響いてしまう部分はIl voloの演奏なのですが、であればIl voloのアルバムを聴いたほうがいいわけで、結果としてカンタウトーレ作品としてもプログレッシヴ作品としても微妙に中途半端な印象が残ってしまいました。

M1「Io camminero」はUmberto Tozzi(ウンベルト・トッツィ)の名曲で、Tozziも自身のアルバムで歌っています。Tozziヴァージョンのほうがすかすかした感じで聴き手の感情が入り込む余地が多くあり、自分は好きです。

M2「Il volo della farfalla」はもう、そのまんまIl voloの曲そのものといった感じ。上昇気流にのってぐんぐんと空高くのぼっていくような高揚感が心地よいです。

M3「Brucia il paradiso」はなめらかでさわやかなメロディを持った軽快なテンポの曲。女性ヴォーカルも入ります。バックのピアノがときどきホンキートンク調になるのも楽しいですが、全体の演奏はかなりIl voloチック。

アルバム・タイトル曲となるM4「Amore dolce, amore amaro, amore mio」はFaustoのひび割れた声質を活かした哀愁のバラード。あふれ出す情感が止まらないといった感じです。

M5「Una grande festa」はやわらかくあたたかい感じのフォーク風の曲。初期のClaudio Baglioni(クラウディオ・バッリォーニ)とかが歌っててもよさそう。アコースティック・ギターのストロークが心地よく響きます。Faustoもあまり力まず、リラックスして歌っています。

M6「L'ultima volta」はピアノのアルペジオに導かれて始まるマイナー調の哀愁バラード。短めのヴォーカル・パートが終わったあとは演奏がリズミックになり、そしてまた湿った哀愁へと戻っていく構成になっています。ヴォーカル・パートよりも演奏パートのほうが印象に残る曲。

M7「Una chiesa di alberi e ginestre」はどうといったことのないミディアム・テンポのポップス。

M8「Hey psst psst donna」は少しユーモラスな雰囲気のあるロックンロール。こういった感じの曲、アメリカのStyx(スティックス)にもあったような気がします。

M9「Dum dum la la」は素朴であたたかみのあるフォーク・ソング。ほどよい哀愁とほどよいシンフォニック・アレンジがうまく混ざり合っています。カンタウトーレとしてのFaustoの味わいが前面に出ていて、自分としては、このアルバムのなかでもっとも好きな曲。

M10「Amore vivo」は軽快なムード・ミュージックといった感じ。リゾート地で聴いたら気持ちよさそうなリラックス感があります。

M11「Ai dedick piu'」はインストゥルメンタル。ひっかかるように奏でられるアコースティック・ギターのメロディ、すっきりとしたオルガン、そして飛翔するエレキ・ギター。ここにFaustoの影はまったくなく、完全にIl voloの曲になっています。

FaustoのヴォーカルとIl voloの演奏は、相性としてはいいものだと思います。でも、Faustoの作風とIl voloの作風がうまく融合しているようには、自分にはあまり思えないのです。おたがいに溶け合って新しいものが生まれたというよりは、ふたつの要素をくっつけてみただけのような。Premiata Forneria Marconi(プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ)がバックアップしたFabrizio De Andre'(ファブリツィオ・デ・アンドレ)のライヴ・アルバムは、その点がみごとなんですけどね。

結果的にFaustoのこのアルバムは、やはりプログレッシヴ・ロック・ファン向け、Il voloファン向けといった要素が強いように感じます。Faustoのファン、カンタウトーレのファンからすると、「歌」の魅力が少し弱いように思うのです。そういう意味では、アルバムのアーティスト・クレジットを「ファウスト・レアーリ e イル・ヴォーロ」とした日本のキングレコードの感覚は、間違いじゃなかったのだろうな。



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2006/06/13

NEW TROLLS / SEARCHING FOR A LAND

LP時代はスタジオ収録のディスク1とライヴ収録のディスク2の、2枚組でリリースされていました。CDでは1枚に収められています。朝の出勤時に聴いたので、スタジオ収録部分しか聴けませんでした。

名作と名高い『Concerto grosso per I』『UT』のあいだに、しかも『UT』と同じ年にリリースされてしまい、そのうえ歌詞が英語ということもあってか、2枚組というボリュームのある作品でありながら、あまりぱっとしない印象のアルバムですが、なかなかどうして、味わい深いものになっています。

オーケストラ入りの『Concerto grosso per I』や派手な『UT』などにくらべるとインパクトは弱いのですが、これらの「いかにもイタリアな感性と情熱」とはちょっと違った、どちらかというとイギリスのプログレッシヴ・ロックに近い匂いを、自分はこの作品に感じます。もちろんイタリアの香りもあるのだけど、それだけでなく、イギリス風の、おだやかで、余裕があって、少しユーモラスな部分やイタズラっぽい感じもあったりして、どことなくCaravan(キャラヴァン)などのカンタベリー系音楽を思い出したり。あるいは、のちのIbis(イビス)へと通じる匂いを感じたり。

初来日公演でも演奏された「In St.Peter's Day」は、やっぱり美しい曲ですね。後半のとってつけたようなキーボードのシンフォニック・アレンジが、当時の「プログレやるぞ!」的な気分を端的に表わしているような気がしますが、個人的には唐突すぎてバランスが悪いように感じます。他の曲も、どれも派手さはあまりないものの魅力的です。ほどよくジャジーで、ほどよくシンフォニックで、ほどよくフォーキー。コントラストの強いイタリアの風景よりは、うっすらと靄がかかったイギリスの風景が思い浮かびます(イギリスにいったことはないけれど)。あと、全編を通してギターのアルペジオの美しさが印象に残りました。New Trolls(ニュー・トロルス)やイタリアン・プログレッシヴ・ロックのコアなファンなら聴かずにおくのはちょっともったいない、なかなかの名盤だと思います。

 

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2006/06/12

キングコング?

100円ショップの人形3人が冒険に出かける「100円ドラマ」後編。
今回ついに謎の黒い巨大動物、キングコングに遭遇!?

100円ドラマ(後編)

キングコング!?の初登場シーンがたまらないぃ~っ!
鼻よっ! 手よっっ!! 黒いのよーっっっ!!!

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2006/06/07

ALAN SORRENTI / COME UN VECCHIO INCENSIERE ALL'ALBA DI UN VILLAGGIO DESERTO

Alan Sorrenti(アラン・ソッレンティ)といえば、最近では一般的に、明るく都会的で軽やかなポップ・ソングを歌うシンガーといったイメージのようです。あるいはディスコ・ミュージックとして彼の名前を知っている人もいるかもしれません。実際、アメリカに渡ってからの彼の音楽は、アメリカナイズされた軽快なポップスが多いようで、また、そういった音楽を歌っている期間のほうが、いまとなっては長くなりました。

でも、プログレッシヴ・ロックの方面からイタリアン・ミュージックに入ってきたファンにとってのAlan Sorrentiは、繊細で不安定な世界を独特の浮遊感にのせて表現する、Claudio Rocchi(クラウディオ・ロッキ)にも通じる稀有なカンタウトーレといった印象でしょう。『Come un vecchio incensiere all'alba di un villaggio deserto』と名づけられたこのアルバムはAlanのセカンドで、彼がアメリカに渡る前の、危うい音世界が存分に堪能できる作品です。

音程があるようなないような、空間に無造作に放り出されるような歌は、どことなくシャーマニックです。静かな呪術儀式を思わせるような太鼓。ときに美しい旋律を奏で、ときに不安感をかきたてるようなヴァイオリン。不用意に触ったら崩れて壊れてしまいそうな歌声をそっと支えるコントラバス。シンセサイザーの奏でる穏やかなカオス。ふわふわと空間をさまよう不安定な精神。

サイケデリック・フォークの香りを色濃くまとい、独特の浮遊感と不安定感のなかを放浪するAlan Sorrenti。しかし、そこに暗い影は感じられず、意外と明るい、体の中から外へと出て行こうという意識が見え隠れするように思うのは、気のせいでしょうか。その点が、より内向的、内省的な印象の強いClaudio Rocchiとは違うように感じます。

ちなみに参加ミュージシャンには、パーカッションにAntonio(Tony) Esposito(トニ・エスポジト。Toni Espositoと表記するときもありますね)、フルートにDave Jackson(デイヴ・ジャクソン)、キーボードにFrancis Monkman(フランシス・モンクマン)といった、プログレッシヴ・ロック・ファンにはなじみのある人たちの名前が見えます。



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2006/06/06

TIPOGRAPHICA / THE MAN WHO DOES NOT NOD

プログレッシヴ・ロック・ファンのあいだで人気の高いTipographica(ティポグラフィカ)の、1995年に行なわれたツアーから収録されたライヴ・アルバムだそうです。このグループ、以前から名前は知ってたのだけど、音は聴いたことがなかったので、中古で安く売っていたのを入手してみました。

なるほど。テクニカルなジャズ・ロック系プログレッシヴなんですね。ヴォーカルレスで、ソロはギターやサックスが主にとると。彼らがいうには、4拍子の曲をスコアに忠実に演奏しているのだそうですが、複雑な符割でユニークなフレーズが次から次へと繰り出され、かなりフリーな印象、アドリブのような印象を受けます。

やっていることはとてもテクニカルなのだけど、なぜかのほほんとしたような、暖かげな、やさしげな雰囲気があります。いわゆるカンタベリー系ジャズ・ロックのような、あるいはFrank Zappa(フランク・ザッパ)のような、どことなく人懐こい感じがあるので、インスト系のジャズ・ロックやテクニカル・プログレのようなものが苦手な自分でも、なんとなく気分よく聴いていられます。


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2006/06/05

好きなのはやっぱり「訪問者」

昨日はひさしぶり(かな?)に芝居を観てきました。Studio Lifeによる「トーマの心臓」。Studio Lifeは以前から気になっていた、男性のみによる劇団(しかも美系ぞろいという評判)で、かなり人気があり、けっこうチケットがとりづらい。「トーマの心臓」はドイツのギムナジウム(高等中学)を舞台にした、知っている人は知っている萩尾望都による傑作コミック。気になる組み合わせです。どちらも舞台で観るのは初めて。

会場は新宿の紀伊國屋ホール。手ごろなサイズの小屋ですね。チケットもぎりやグッズ販売をしている劇団関係者が一様にシュローターベッツ(劇の舞台となるギムナジウムの名前)の制服を着ていて、すでにコスプレ状態。そして、圧倒的に女性客だらけ。紀伊國屋ホールのキャパシティが何人かは知りませんが、おそらく会場にいた男性客は10人程度でしょうか。異様な雰囲気です。

で、お芝居なんですけれど、まぁ普通でした。というか、役者さんとしてはみんなあまりうまくはないかなぁ。連れもいっていたのですが、なんというか、ホストクラブのショータイムみたいな印象(ホストクラブいったことないですが)。雰囲気先行といった感じでした。とくにオスカー役の人が思いっきりホストっぽい。動きも装いも。ユーリは稲垣吾郎風で、ヘルベルトは南海キャンディーズの山ちゃんに見えてきちゃったし、レドヴィはだんだん江頭2:50に見えてきたという声もあり。なんてことを書いたら、Studio Lifeの熱狂的な女性ファン(ライファーとかいうらしい)に刺されるな。

途中に10分の休憩を挟んで、トータルで3時間程度の上演時間。長い。うしろのほうの席にいた高校生くらいの女子はかなり興奮気味に喜びまくっていましたが、なるほど、女の子ウケしそうな感じではあります。舞台にかける演目も特徴的だしね、この劇団。その演目の選び方に興味があったのだけど、それをこういうふうに雰囲気とビジュアル先行で表現するのがここの特徴なんだろう。会場に男性客がほぼ皆無なのもなんとなく理解できた感じです。

「トーマの心臓」は、もともとがよくできた物語。それをそのまま舞台にしてる。とくにどこかのシーンをはしょったり独自の解釈で掘り下げたりといった編集・演出等はせずに、原作を忠実になぞってる印象。だから上演時間も長くなっちゃうけれど、原作のよさも壊さない。でも逆に、だったら舞台で観る必要を自分は感じない。原作を読んだほうがいい。せっかく舞台化するのなら、舞台ならではの演出・解釈が見たかった感じです。もしくは、もっともっと芝居に深みと厚みのある役者さんたちで見たかった。

ああいう舞台、ああいう芝居、ああいう劇団コンセプト?も、あっていいし、彼らならではの魅力というのもあるのだろうけれど、自分の好みや、自分が舞台に求めるものとは、方向が違うな。なのでたぶん、彼らの舞台はもう観ないだろう。少なくとも、しばらくは。

ちなみに自分は、「トーマの心臓」も悪くはないのだけど、それよりもオスカーがシュローターベッツにくるまでを描いた「訪問者」のほうが圧倒的に好きなのです。泣きます。また読もう。



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2006/06/02

JOZEF SKRZEK / KONCERT SWIETOKRZYSKI

ポーランドのプログレッシヴ・グループSBBのキーボーディスト、Jozef Skrzek(ヨゼフ・スカルツェク)が1983年にワルシャワのホーリー・クロス教会で礼拝のあとに行なったコンサートを録音したものだそうです。いわゆるライヴ盤ということなのでしょうが、会場が教会ということもあってか、また演奏される曲の雰囲気にもよるのか、観客の歓声や拍手といったものは入っていません。そもそも観客がいたのかどうかもわかりませんが。

完全なソロ・コンサートだったようで、演奏者はJozefただひとり。ひとりでオルガンとシンセサイザーを演奏し、ときどきヴォーカルもとっています。古い教会につきものの大きなパイプ・オルガンがあるようで、これがとても荘厳に、美しい音を響かせます。ときには木のやわらかいぬくもりを感じさせ、ときには金属のきらびやかな音色を奏で、ときには地響きのような重厚さを響き渡らせます。

こういったオルガンのパートはいいのですが、シンセサイザーのパートが自分は苦手。なんだかグニョグニョやっているだけで、音楽として楽しめません。そして意外とこういったパートが多いのが、ちょっと自分にはつらいです。また、リズム・セクションがいないのも、自分にはつらいところ。

主にポーランド語(ですよね?)で歌われるJozefのヴォーカルは、どことなく牧歌的な雰囲気もあり、また言語の持つ響きそのものも味わいがあって、なかなか好ましく感じます。チャーチ・オルガンの響きのうえに彼の素朴なヴォーカルがのるパートがもっと多ければ、そしてそこに簡素でもいいのでリズム・セクションが入っていれば、自分にとっての好み度はもっと高くなったのになぁ。

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2006/06/01

畑亜貴 / 棺桶島

リリース当時、プログレ・ファンのあいだではけっこう話題になった作品だったように思います。中古で安く売ってたので、聴いてみました。

自分は、だめだ、これ。

出だしはTeru's Symphonia風に展開していくのかなと思ったのだけど、実際、Teru's Symphonia風のファンタジックでドリーミーな音世界が広がるシンフォニック・プログレッシヴ系の音楽なのだけど、このヴォーカルがどうしても好きになれません。歌謡曲のような、アニメ主題歌のような声と歌い方。実際、この人はアニメやゲーム方面での活動が多いようで、当然といえば当然なのでしょうが、自分はだめです。ヴォーカル・ラインも歌謡曲風だし。そういう意味では、ジャパニーズ・シンフォ・プログレのひとつの典型かもしれません。

ファンの方によると、破滅型の歌詞が素晴らしいといった評価があるようですが、自分、歌詞ってほとんど聞かないし、あまり興味がないんです。それに、歌詞カードなしで聞いてると、よく聞き取れないし。

ストリングスやキーボードや東洋系の管楽器なども導入され、シンフォ・プログレ、シンフォ・ポップスとしては興味深い演奏だと思います。でも、おそらくファンの方にとってはもっとも魅力的な部分であろう彼女の「歌」が、自分の好みと大きくはずれてしまっています。なんというか、おたがいに出会う相手を間違えた、といった感じでしょうか。


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