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2005年11月6日 - 2005年11月12日

2005/11/11

Песняры / Олеся

旧ソ連・ベラルーシのロック・グループ、Песняры(ペスニァーリ。英語表記はPesniary)の、1974年のアルバムだそうです。自分が持っているCDは、このアルバムと1978年の 『Перепёлочка (Perepelochka)』の2枚が収録された2in1なのですが、今日はとりあえず『Олеся (Olesya)』のほうだけ聴きました。

Pesniaryといえば1980年の『ГУСЛЯР (Gusliar)』が混声合唱入りシンフォニック・プログレッシヴ・ロックのとんでもない名作としてコアなファンのあいだでは有名なのですが、このグループ自体はどちらかというとプログレッシヴ・グループではなくコーラス系のポップス・グループのようです。

この1974年のアルバムも、プログレッシヴというよりはコーラス系ポップス作品といった印象があります。イタリアの、日本でいうところのいわゆるラヴ・ロック系の作品に近い感じを強く受けます。ところどころでビート・ロック風になったりサイケデリック風なニュアンスがあったりするところも、1960年代後半から70年代にかけて出てきたイタリアン・ラヴ・ロック・グループの初期のころの姿となんだか重なります。

といっても、そこは旧ソ連。イタリアとは違ったもの悲しさを存分にまとった哀愁がたまりません。また、曲のメロディはポップス風でも、そこに重ねるコーラスが妙にクラシックぽい合唱スタイルなので、ヨーロッパの古い歴史を感じさせる奥行きと深みと趣が醸しだされます。もちろん、オーケストラも入っています。

M1はNew Trolls(ニュー・トロルス)の「Concerto Grosso II」を思わせるような雰囲気の曲で、そのままクラシカルな方向へ突っ走るかと思いきや、その後はもっと世俗っぽいコーラス・ポップスになりますが、なぜかM5のメロディはナポレターナぽかったり、M6ではアラビア風のイントロがエスニック感満載だったり、だけど全体には東欧らしいひなびた哀愁が薄いヴェールのようにかかっていたりと、なかなか味わい深い作品です。録音状態があまりよくなく、ときどき音がひび割れたりするところも、かえって雰囲気を出すのに役立っているように思います。

うん。いいグループだな、Pesniary。カップリングされているもう1枚のほうも聴くのが楽しみです。

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2005/11/10

KETIL BJORNSTAD & ERIK HILLESTAD / MESSE FOR EN SARET JORD

Ketil Bjornstad(ケティル・ビヨルンスタ)はノルウェー出身のけっこう有名なピアニストらしいです。日本盤も何枚かあるらしい。そのKetilと、このアルバムをリリースしているKirkelig Kulturverksted(シルケリグ・クルチュールヴェルクスタと読むらしい)というノルウェーのレーベルのオーナーであるErik Hillestad(エリック・ヒルスタ)によるミサ曲のようです。

Kirkelig Kulturverkstedというレーベルは現代的なアレンジなどを施した良質のトラッド作品とかをたくさん出しているところらしく、このアルバムもただのミサ曲集ではなく、ポップ・ミュージック的な聴き方もできるアレンジがされています。

ソプラノ・ヴォーカルと混声合唱を中心に、穏やかなリズム・セクションやポップス楽器などが歌をバックアップします。考え方としては、フランスのGregorian(グレゴリアン)などに通じるところがあるのかな。でも、Gregorianは完全にポップス・フィールドの音楽だと思いますが、このアルバムはもっとシリアスで、クラシックよりかもしれません。

神聖で厳かにすら響く合唱が、やはり魅力的に思います。自分、合唱ファンだし。また、ミサ曲ということもあって、メロディやコードの進行もいかにもヨーロッパ的な重厚感があって好みです。これでもっとリズム・セクションが強くはっきりと主張して、ロック的な力強さが加わったなら、自分としてはさらにうれしく思うのですが、強力な混声合唱と強力なロック・ビートががっちりと組み合わさったような音楽には、なかなか出会えません。そういう音楽を求めて、ロック/ポップス・フィールドの作品で「混声合唱」というキーワードにひっかかる作品をいろいろと聴いてるんですけどねぇ。

それはそれとして、たとえばAntonella Ruggiero(アントネッラ・ルッジェーロ)の『Luna crescente』のトラッドやクラシックの曲とか、あるいはDonella Del Monaco(ドネッラ・デル・モナコ)のソロ作品とかが好きな人などは、このアルバムも楽しんで聴けるんじゃないかと思います。秋から冬の夜とかに聴きたい感じの作品ですね。

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2005/11/09

3回やって、2回当たった。こわい...

ネット上で見つけた水晶玉占い
なんで当たるのか、わからない。
こわいよ~。


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JINETES NEGROS / JINETES NEGROS

プログレッシヴ・ロックの専門店、Garden Shedで「キーボードによるオーケストレーションを中心に、フルート、ヴァイオリン、混声合唱団をダイナミックに導入したクラシカル・ロック・アレンジが、ドラマチックに高らかに鳴り響く」「シンフォニック・ロック、超力作」と紹介されていたアルゼンチンのグループ。

混声合唱でクラシカルでドラマチックでシンフォニックな超力作ですよ。気になるキーワードのオンパレードです。これを見て、頭の中ではLatte e miele(ラッテ・エ・ミエーレ)とかPesniary(ペスニエリ)とかが鳴り響いてたわけです。わくわく。

しかし...

これ、普通にハード・ロックじゃん。合唱は使ってるけど、ほとんどたんなるコーラスの域を出てない。これといってひねりのない曲構成、単調なリズム、平凡なアレンジ。メロディアスなハード・ロックのコーラス・パートに合唱団を入れたらなんとなくプログレ・ファンにも喜んでもらえそうな感じのものに仕上がりましたってだけのような印象です。この程度でプログレッシヴ・ロックを名乗るなって感じ。これよりか、デス・メタルとかヘヴィ・メタルとかを名乗っているグループ、たとえばTherion(セリオン)とかBlind Guardian(ブラインド・ガーディアン)などのほうがよっぽどプログレッシヴ・ロックのテイストを持ってると思うぞ。

なんだかねぇ、シンフォニック・ロックとしてはオーケストレーションが中途半端。2000年の作品らしいけれど、そのわりにはオーケストレーションの中心となるキーボードの音が妙に薄っぺらくて安っぽい。クラシカル・アレンジも、M4「Floreces, tiemblas y te vas」はNew Trolls(ニュー・トロルス)の「Concerto Grosso II」をいくぶん髣髴させるところはあるけれど、それ以外はことさらクラシカルという感じはないし、ドラマチックに鳴り響いているとも思えない。合唱団も添え物っぽいし。

かといって、メロディアス・ハード・ロックとしてもねぇ、微妙。そもそも曲自体が平凡でドラマ性に欠けているのもつらいのだけど、それよりもなによりも、ロックとしての躍動感というか力強さというか、聴いていてわくわく・どきどきする感じがないのがきつい。

う~ん。けっきょく、プログレとしてもハード・ロックとしても「心に訴えてくる」ものを自分はこのアルバムから感じられないのです。なんとなくシンフォニック・アレンジを施してきれいにまとめてみましたっていう以外の印象がないなぁ。悪くはないけど、まぁこんな程度でしょうか、という感じのアルバムでした。

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2005/11/08

映画『SAW2』

前作『SAW』のヒットから1年足らずで続編をつくりあげるなんて。このフットワークのよさをうちの会社も見習いたいものだ... いや、それはどうでもいいのですけれど。

観てきましたよ、『SAW2』。前作ではすっかり簡単にころっとだまされた自分でした。実行犯の特定(推測)までは早い段階でできてたのだけど、犯行を計画した真犯人がまさかあんなところにいるあの人だったなんてことは気がつかなかったぁ。密室での緊迫した感じやゲームに勝つ=生き残るための「答え」も、いやぁ~な感じ満載のスリリングな映画だった。かなり楽しんで観たのですよ、前作は。

さて、続編です。う~ん、ちょっとテイストが変わりましたね。脳みそ飛び散ったり、釘だらけのバットが頭に刺さったりと、痛いシーン、えぐいシーンは満載ですが、前作ほどの緊迫感や、恐怖のなかでの知的ゲーム感は薄れちゃった感じ。

もちろん、観終わってみれば、本当の意味でゲームをしてたのは監禁された8人ではなく、刑事とじいちゃん、もっといえば姉ちゃんと刑事であって、あの8人には実はあまり意味がないというか、彼ら自身がゲームの「コマ」であって、実はプレイヤーとしての立場はほとんど与えられていなかったというどんでん返しというか、構造上のトリックというか、そういった引っ掛けに今回もまんまとだまされてしまった自分のバカヤローとかは思いますし、そのあたりが「SAW」的で、うまいなぁとも思います。

でもねぇ、映し出されるシーンのほとんどが「コマ」であるあいつらなわけじゃないですか。できればもっと「コマ」たちのあいだの緊張感・緊迫感がほしかったし、「コマ」であってももっと知力が試される、知力を発揮する展開がほしかった。知力フル稼働したあいつらを「コマ」扱いしてしまうジグソウ、と思ったらそのうしろには2代目ジグソウ、くらいの重層構造があって観てる側は頭の中が大混乱、くらいのお話になってたら、もっとおもしろかっただろうと思うのだけど、「コマ」のほとんどが知力放棄してる連中ばかりなのが残念。もっとね、「コマ」の連中と一緒になって「答え」探しをしたかったよ。

モニターのトリックについては、けっこう早い段階で気づいた。少なくとも発信源は別だろうくらいのことはすぐにわかる。しかし、金庫から子供が出てきたときには「あぁ、やられたぁ」と思いましたわ。大事なのは「ルールを守る」こと。最初からじいちゃんはそういってたのに。ルールさえ守れば、息子は助かるって。くそぉ。

しかし、前作でも思ったのだけど、犯行の動機が弱いよなぁ。命を大切にしない者は、生きるに値しない。これはこれでいい(社会風潮的にはかなり危険だけど)として、初代ジグソウはこの考えに取り憑かれたある種の狂信者(精神的に異常や病的とは言い切れない人でも、こういった考えに取り憑かれるケースはあるからね。ある種の宗教とか)と考えて納得がいくのだけど、2代目ジグソウが同様の考えを強固な信念として持つに至る過程と理由が、あれだけでは弱いと思うのだよなぁ。こういった「信念」って、ある程度の時間をかけて徐々に蓄積し強固になっていくものだと思うのだけど。

などと、なんとなく納得できないところや、充分に楽しみきれなかった部分もあるにはあるのだけど、全体としては満足いく内容でした。あの終わりかただと『SAW3』もありそうな感じだけど、次回はぜひ被害者たちにもっと知力フル稼働で答え探しをしてほしいです。

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2005/11/07

映画『白鯨』

ビデオでグレゴリー・ペック主演の古い映画『白鯨』を観たのですよ。これ、原作本をいつか読みたいと思いながらもずっと読めずにいるお話で、ストーリーとか知らなかったのですけれど、もしかしてすごく宗教的というか、キリスト教的な内容なのかしら。

巨大な白クジラに足を食いちぎられた船長が、白クジラへの復讐に執念を燃やす、というのがお話のベースなのだけど、その船長の名前がエイハブ。そしてエイハブ船長の船に乗り、一緒に白クジラを追い、しかし白クジラの逆襲にあい全乗組員が死んだなかで唯一生き残り、白クジラとエイハブ船長の物語の語り部となった船員の名前がイシュマエル。そのイシュマエルがエイハブ船長の船に乗り込む直前に、白クジラの出現とエイハブ船長の死、そして死した船長がふたたび浮かび上がったときに一人を除いてすべての船員が死ぬ、という予言をイシュマエルに与えたのがイライジャという浮浪者(?)。

エイハブ。イシュマエル。イライジャ。これって旧約聖書に出てくる、イスラエルに異教の神を大量に持ち込んでヤハウェの怒りを買ったイスラエル王のアハブ、アブラハムの最初の子供でアラブ人の先祖になったといわれるイシュマエル、アハブ王が持ち込んだ異郷の神とその信者と戦い滅ぼした預言者エリヤですよね、きっと。

白は「神聖」であることを象徴することが多い色に思えます。白くて、巨大で、これまでに多くのクジラとりたちが挑んだけれど一度も勝てずにいるクジラ。これはヤハウェの象徴?

強大な神に挑むエイハブと、彼の破滅を予言するイライジャ、そしてエイハブの無謀な挑戦と破滅を語り伝える任を背負ったイシュマエル。それぞれが、旧約聖書の登場人物と似た役割を持たされてるんだな。

なかなか重層的なお話のようです。映画では2時間程度でけっこうあっさりと話が進んじゃっているけれど、原作はきっともっといろいろな暗示や伏線があるのでしょう。自分は聖書の知識があまりないので、それらの暗示がわからないだろうけど、でもやっぱり本を読んでみたい。そう思いましたわ。

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