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2005年6月19日 - 2005年6月25日

2005/06/24

こんなの見つけました

http://www.infonegocio.com/xeron/bruno/italy.html

くだらねぇ(笑)。

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O TERCO / CRIATURAS DA NOITE

あいかわらずすぐに止まってしまうポータブルCDプレイヤーで聴いてますが、このアルバム、なかなかいいかもしれない。

アルバムの1曲目でいきなり古臭いグループ・サウンズみたいな歌が聞こえてきたときはどうしようかと思いましたが、全部が全部そんな曲なわけではなく、軽やかなジャズ風味を持った曲や、地中海音楽を思い出させるようなきらきらしたアコースティック・ギターが印象的な曲などもあり、そのどちらもけっこうシンフォニック。そんな曲たちの合間にほんのりサイケがかったニュアンスのあるオールド・スタイルなグループ・サウンズ風がまぎれてる、といった印象でしょうか。

しかし、なぜ歌詞がみんな英語? そのためもあってか、古いブリティッシュ・ポップ/ロックにずいぶんと肌触りが似ているように思います。ファースト・アルバムの頃のYes(イエス)とか、初期のCaravan(キャラヴァン)とかが持っていたポップな面に通じるような。アップ・テンポなヴォーカル曲は、それほどいいとは思えませんが、バラードではシンフォニック・ロックらしい歌と演奏が聴けて、悪くありません。

でも、おそらくヴォーカル・レスのインストゥルメンタル曲のほうがよりシンフォニック度・プログレッシヴ度が高くて、個人的にはやはりこっちのほうが好みです。イギリスとイタリアとオランダが入り混じったような、ポップでジャジーでちょっとメランコリックな感じ。軽やかなギターのカッティングが耳に残ります。だけど、ヨーロッパのようなある種の硬さや重さといったものが希薄なところが、南米ブラジルの味なんでしょうか? そのあたりはよくわかりませんが、とくに意識しないで聴いていると南米だという印象をぜんぜん受けません。やっぱ古いブリティッシュに聞こえるなぁ。

O Terco(オ・テルソ)は『Casa Encantada』しか聴いたことがなかったのだけど、あのアルバムよりはこのアルバムのほうが好みだわ。うん、悪くないです。


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2005/06/23

さっさと買い換えろよ

何度か書いてますが、通勤時に使っているポータブルCDプレイヤーが絶不調です。演奏中に、なんでもないところで、予告もなく、突然電源が落ちる。電源が落ちるところはランダムで、振動があろうがなかろうが、落ちるときは落ちるので、落ちるきっかけ(原因)がわからん。

それでも、いつも必ず絶不調なわけではないんです。最初から最後までトラブルフリーで聴き終えられることもありますし、とりあえず5~10分くらいはノンストップで聴けることも多いのです。

でも、今日は過去に数回しかなかったほど絶不調。連続演奏時間が長くて20秒ほどしかいきません。昨日に引き続き、友人のニョッキさんが貸してくれたFlavio Venturini(フラヴィオ・ヴェンチュリーニ)&Toninho Horta(トニーニョ・ホルタ?)のCDを聴こうと思ったのですが、イントロの数小節しか聴けない。電源が落ちる都度プレイボタンを押しなおし、スキップでいま落ちた曲のアタマまで持っていき、サーチで落ちた部分の少し先まで進めて続きを聴こうとしても、また10秒ほどで落ちてしまう。それを延々繰り返しているうちに、仕事にいくのがいやになりました(といって、休めるわけではないのだけど)。

Flavio&ToninhoのCDとの相性が悪いのか、それとも天気が悪いからなのか、よくわかりませんが、こんなもん、CDプレイヤーじゃないやい。真剣に、新しいCDプレイヤーへの買い替えが急務です。なんてったって最近は、通勤時くらいしかCDを聴く時間がないので。

プレイ→落ちる→スキップ→サーチ→プレイ→落ちる→スキップ→サーチ→プレイ→落ちるを15分ほど繰り返したところで、むなしくなってヘッドフォンをはずしました。けっきょく1曲もきちんと聴けず。電車のトビラの脇のバーのところに寄りかかりながら、電車の中ってどのくらいの周期で掃除してるのかなぁ、つり革とかバーとかって、ちゃんと拭き掃除するのかなぁ、きちんと拭きとってほしいなぁ、だって、あんな人やこんな人やそんな人があんなものやこんなものやそんなものを触ったかもしれない手で思いっきりつかまってるんだもんなぁ... などとぼんやり考えてたら気分が悪くなった。うぇ~。

関係ありませんが、昨夜は仕事を早く切り上げて錦糸町に「京極噺」を観にいきました。神田山陽の講談と茂山一族?による狂言、そして小朝の落語が一度に聞けるというお得な催し。山陽さんはあいかわらず元気にはじけてておもしろかったし、初めて観る狂言も楽しくて、また観たいと思った。しかし、小朝さんはなぁ。もっとおもしろいかと思ったんだけどなぁ。残念ながら、小朝さんの落語では「絵」が浮かびませんでした。あぁ、また志の輔さんを観にいきたい。

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2005/06/22

LO BORGES / SOLO

つきに1度のお楽しみとなっているYoshioAntonioさん主催のイタリアン・ポップFESTAで知り合ったニョッキさんが貸してくださったCD。ブラジルの人らしいです。ミナス派というグループ?に所属しているらしいです。きみをミナス派とみなす... つまらなすぎ。

さて。

自分はあまり南米の音楽は聴かないのです。南米プログレもそんなに持ってない。ちょっと小洒落たおねえちゃん系音楽ファンのあいだではずいぶん前からボサノバ人気が高かったりしますが、ボサノバって、BGMに流してると心地よいですよね。でも、あまりに心地よくて、ゆるゆると音と時間が流れていってしまい、気合を入れて聴こう、スピーカーから流れてくる音楽に負けない心構えをしよう、音楽が映し出す映像の中に自分を投げ込もう、といった感じにはならないのですよ。いや、いつもそんな聴き方ばかりしてたら疲れるけど。そんなわけでボサノバって、心地いいけどBGM以上にはならないんだよな、自分にとって。

で、Lo Borges(ロ・ボルゲス... でいいのかな?)なんですが、とてもなめらかで美しいメロディが満載です。Loさんの声も優しげで、あたたかい感じ。聴いててとても心地いいです。あまりに心地よくて、ゆるゆると音と時間が流れていってしまいます。音楽のジャンルとしては違うけど、自分にとってのかかわり方のタイプとしては、ボサノバ系。お茶を飲みながら、あるいはマンガを読みながら、ウェブをチェックしながら、ぼんやりと聴く分にはいいかなぁと思うのだけど、一生懸命聴こう、音楽が映し出す場面の中に自分も入ろう、といった感じにはなりません。

なんていうのかなぁ、あんまり曲の構成にドラマティックな部分がないからなのかなぁ。ある意味で洗練されてて、メロディや構成に無理やいびつなところがないんだと思います。だからとても心地いいのだけど、自分はいびつさなどで「引っかかる」のが好きなんだろうな。メロディや構成がこれだけなだらかなら、せめてヴォーカルだけでもときどきいびつになってほしい。そこにドラマが生まれるのだから...

でも、そうならないところが南米系の魅力なのかもしれませんね。同じラテンでも、イタリアやフランスとの違いはそのあたりなのかも。おそらく、南米ミュージックとしてはかなりよい感じのアルバムなのではないかと思います。でも自分は眠くなっちゃいました(ニョッキさん、ごめん)。眠くなるほどにリラックスできるってことで、それはそれでいい音楽だとは思います。

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2005/06/21

扇風機ではもうだめか

高い気温と高い湿度に気力と体力を奪われまくりです。
家でもじめじめ、会社でもじめじめ。
夜、暑くてよく眠れません。
1日中眠くて仕事になりません。
プチ断食でもしようか(なんのために?)。

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2005/06/20

フォーガットン

ジュリアン・ムーア主演の映画「フォーガットン」を観てきましたよ。

劇場でかかってた予告がえらくかっこよく、楽しみにしてたのですよ。事故で亡くした息子のことを忘れられずにいる母親。しかし、その息子が「存在していた」という痕跡がどんどん消えていく。「息子」は痛んだ神経が生み出した妄想なのか、それともなにか巨大な陰謀に巻き込まれているのか... どきどき。

しかし、そうきたかぁ~。

いやね、すでに観た人からの噂はチョコチョコと聞いてたんですよ。けっこうとんでもないことになってるって。こっち系だと思って観にいったら、あっち系だったって。なので、ショックではないのですが、そうかぁ。

とりあえず印象に残ったこと。

ジュリアン・ムーアがすっごくたくさん走ってる(太陽にほえろ!かよ)。
警官がちゅどーんって飛んでいくときにびっくりした。
ゲイリー・シニーズの使い方がもったいない。
アンソニー・エドワーズほとんど意味ねぇ。

このくらいで勘弁しといたるわ。

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どうしちゃったんだアメリカ・グランプリ!?

いやぁ、びっくりしましたね。予選の放送時にミシュランがタイヤの交換を求めていることは伝えられていたし、それに対してブリジストンは「いいですよん」といってたわけだし、ミシュランが交換を要求した理由はドライバーの安全のためにだったわけだし、特例として認めてやれよって感じだったのですが、FIAは認めなかったのね。10週以上走ったタイヤは危ないとミシュランがいってるのに、だったら10週ごとにタイヤ交換しろというわけですか。レギュレーションどおり、タイヤ交換のためのピットインでは給油禁止のままでですか。いずれにしろ、レースにならないわねぇ、それじゃ。

というわけで昨日のアメリカ・グランプリは、今年登録されている10チーム20台のうち、ミシュラン・タイヤを使っている7チーム14台がフォーメーション・ラップのみでピット・イン&リタイア(というか、レースをボイコット)。レースを行なったのはブリジストンを使っているフェラーリ、ジョーダン、ミナルディの3チーム6台のみという、びっくりするようなことになってしまいました。

20台でスタートして、途中でいろいろなことがあって、最終的に残ったのが6台、といったレースだったらありえるけど、最初から6台しかスタートしないなんて、ねぇ。これはひどいね。これはレースじゃないですよ。ま、3位表彰台にのぼれたジョーダンのモンテイロはうれしそうでしたけど。こういうことでもないと、ジョーダンが表彰台でジョーダンとミナルディの全車がポイント獲得なんてことはなかなかありえないですから、それはそれでいいんですけど、フェラーリはどう思ってんのかねぇ。

今回のミシュラン側のボイコットは「ドライバーの安全確保のため」が理由なわけじゃないですか。その結果、半数以上のチームが「安全確保ができない」のでレースを放棄したわけですよね。でもさ、理由がこれであるなら、全チームの全ドライバーがボイコットすればよかったのに。今回はたまたまミシュラン側にそういう問題が起きたわけだけど、いつ立場が換わってブリジストン側に問題が起きるかわからないですよね。そのときにはミシュランだけが走ってブリジストンがボイコット? そうじゃないでしょ。危険を承知で走らせようとしている運営団体に対して、全参加チームおよびドライバーが団結して抗議をしてほしかったよなぁ。たとえば全車がフォーメーション・ラップのみしかしなかったなら、ミシュランが緊急空輸したタイヤを使っての再レースの可能性もあったかもしれないのに。いや、ないのかな。最近のFIAはどうも意固地な感じがするときがあるからね。

しかし、せっかくの休日を使って、高いチケットを買って、このレースを観にいったお客さんたちはかわいそうだ。なんのためのルールなのか、誰のためのルールなのか、いちばん大切なことはなんなのか、よく考えてほしいよ。真剣に考えた結果があの判断なのだとしたら、どうしてそういう判断になったのか、なにを重視したのか、FIAの考えを聞かせてほしい。そこに、レース・ファンを納得させる、ドライバーを納得させる、チームを納得させる、きちんとした考えはあるのだろうか。

とりあえず、モンテイロ君はおめでとう。でも、こんなレースはもう観たくない。

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