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2005年10月

2005/10/31

いやぁ~ん、かわいいぃーっ!

もう、なんだかすごくかわいいです、カピバラさん(本物)。まじで長崎バイオパークいきたいっ!

ちなみに長崎バイオパークのサイトの「どうぶつ図鑑」「飼育日記」も和みます。

四足毛皮の哺乳類、好きだぁ~。

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さようなら、ビストロ・イデアル

約2年弱にわたって毎週のようにランチに通い続けていた神楽坂のフレンチ・レストラン「ビストロ・イデアル」。ビストロ・イデアルの売りであった、数々の繊細で丁寧で素晴らしく美味しい料理を提供してくれた黒岩シェフは9月末でお店を去りましたが、その後も大園支配人は残り、ビストロ・イデアルのもうひとつの特徴であり強みでもあった、ビストロでありながらビストロらしからぬ丁寧で洗練されていて、だけどあたたかみにあふれるサービスを提供してくれていました。

しかし今日で、大園支配人もお店を去ります。これでオーナー以外、オープン時から「ビストロ・イデアル」を作り育ててきた現場のスタッフは、誰もいなくなります。

ビストロ・イデアルでは本当にたくさんの美味しい料理を黒岩さんにつくってもらい、大園さんには美味しいワインを紹介してもらい、楽しい時間をいっぱい過ごしてきました。できれば大園さんの最終日である今日、イデアルにランチを食べに行きたいところだったのですが、残念なことに今日のランチは臨時休業なのです。ディナーは営業するとのことでしたが、自分は基本的に平日ランチの客で、ランチの時間帯に楽しい思い出がいろいろあるので、やはり最後も平日ランチで締めたい。

ということで、大園支配人の平日ランチ勤務最終日であった先週金曜日に、ランチを食べに行ってきました。

実は先週の月曜にもランチを食べに行ってまして、そのときに、大園さんの平日ランチ最終日である金曜にも必ず食べに来るからねと予告しておいたのです。そのとき大園さんは「お気遣いなく。もしお時間がありましたらお越しください」などと控えめなことをいってたのですが、金曜日の12時少しすぎ、いつもと同じ時間にイデアルに出向くと、普段は店内で作業などをしながら来店客を待っている大園さんが、めずらしくお店の外でディスプレイなどをいじりながらうろうろしてる(笑)。

お店の外で待ってて、出迎えてくれたんですね。

いつもどおりの人懐っこい笑顔で「予告どおりおいでくださり、ありがとうございます」とおっしゃり、一緒に店の中へ。そして、いつものテーブルに着くと、そこにはすでにワイングラスがセットされていました。もちろんいつもどおり、最初から飲む気で来ましたが、大園さんのほうも飲ませる来満々です(笑)。

メニューは魚と肉(南部高原豚)のどちらかをチョイス。魚は月曜日に食べたものと同じだったのと、10月から厨房に立っている椎名シェフはどちらかというと肉料理のほうが得意な感じだし、とくに南部高原豚はシェフ自らが見つけてきたおススメの食材ということもあって、肉料理をチョイスしました。

そして、いつものとおりグラスワインを頼みます。通常だと、料理を決めたあと、それにあわせて赤か白を2種類ほど提案してくれ、そこから選ぶのですが、今回は違いました。たぶん、ほぼ間違いなく自分が肉料理を選ぶと確信していたのでしょう。そのうえで、料理とのバランスもよく、これまでの何回ものやりとりのなかから自分の好みに合う美味しい白ワインを選び、用意しておいてくれたようです。「今日のご気分が白でよろしければ、これをおススメしたい」と、MerlinのMacon La Roche Vineuse Vieilles Vignes 2002を持ってきてくれました。

いつもであれば、客席奥のカウンターでコルクを抜き、そこでテイスティングをして状態等を確認してからテーブルにボトルを持ってきて、グラスに注いでくれるのですが、最後のランチということもあり、ここもいつもと少し違います。テーブルで、目の前で栓を開け、「一緒に楽しみましょう」といっておたがいのグラスに注ぎます。もちろん大園さんはお仕事中なので、彼のグラスの中はテイスティング程度の量ですが、いま開けたボトルのワインを一緒に味わい、香りや風味について語り合い、ソムリエがこれをどういう風な言葉で表現するかといったことを教えてもらったり、このワインがつくられる土地の土壌や、ぶどうと地域と味わいの関係、つくり手のことなど、いろいろなお話をしてくれました。とくにランチ時間の前半は他にお客さんが一組しかいなかったこともあり、比較的ゆっくりと話すことができました。

選んでくれたワインは、もちろん美味しかった。スッキリしているのに豊かな風味があり、料理と一緒にいただくと肉にさらなる旨みを与え、しかもあと口をさわやかにしてくれる。なので、どんどん食べて、どんどん飲みたくなってしまいます。通常であれば昼には1杯しか飲まないのですが(午後の仕事もありますからね)、この日は特別です。大園さんのサーブを受けられる最終日ですし、このランチのために大園さんが選んでおいてくれた美味しいワインです。ということで、もう1杯飲んじゃいました。ついでに、せっかくなのでカマンベールチーズも出してもらっちゃいました。

美味しい食事に美味しいワイン、そして気分のいいサービスが提供される食卓では、すぐに時間が経ってしまいます。昼休みの1時間なんて、あっというまです。しかし、大園さんのいる「ビストロ・イデアル」での最後の平日ランチは、これまでと同じに楽しくゆったりと、そしてこれまで以上に濃密に、時間を過ごすことができました。ありがとう、大園さん。最後に簡単な挨拶をし、またどこかのお店での再会を約束し、ビストロ・イデアルでの最後のランチは幕を閉じました。

ビストロ・イデアルでは、すでにシェフが変わり、その他のスタッフもすべて変わりました。すでに店内に飾られていたパリの写真も取り去られ、別の写真に変わっていました。最後の「ビストロ・イデアル」であった大園支配人も、今日で店を去ります。これで、自分の知っていた、自分がここ数年のなかでもっとも気に入っていたレストラン、「ビストロ・イデアル」は終わりました。

自分にとって「終わった」というだけでなく、物理的にも「ビストロ・イデアル」は終わるようです。オーナーからの告知が一昨日ありました。11月1日より、ラ・カーヴ・イデアル「ラングル」という、別のお店になるそうです。もはや「ビストロ」ではありません。椎名シェフがもともとイタリアンのシェフ(イデアルの前は、やはり神楽坂の人気イタリアン・レストラン「ルオーゴ」でシェフをされていました)ということもあり、フレンチにこだわらない、よりシンプルで気軽な料理を楽しみながらワインを飲む、というコンセプトのお店になるようです。もう1店あるカーヴ・イデアルとどんな差別化をするのかはよくわかりませんが、先に退職されたスタッフさんの言葉を借りれば「西洋居酒屋」風になるのでしょう。それが、オーナーさんがやりたいお店らしいです。

この1か月で椎名シェフにも顔と名前を覚えてもらったようだし、11月以降に「ラングル」のホールに立つ中尾さんは以前からカーヴとビストロの両方で何度かサーブをしてもらい顔なじみでもあるし、今後もランチに手ごろな価格できちんと美味しい料理(とワイン)とサービスを提供してくれるなら、今後も「別の店」として食べにいくことでしょう。

でも、手ごろな価格で手の込んだ本格的なフレンチのメインディッシュをランチの1時間という短い時間のあいだに丁寧なテーブルサービスを受けながら楽しめる稀有な存在だった「ビストロ・イデアル」は、もうないのです。

さようなら、ビストロ・イデアル。これまでの数々の楽しい食卓をありがとう。

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2005/10/28

ROGER WATERS / RADIO K.A.O.S

自分はもともとPink Floyd(ピンク・フロイド)が大好きで、高校のころなどは毎日のように彼らのアルバムを聴いていたものでした。どのアルバムもそれぞれに気に入っているのだけど、毎日がプログレッシヴ・ロックづけでも音楽づけでもなくなったいま、とりあえずPink Floydを聴こうと思ったときについかけてしまうアルバムは『The Final Cut』だったりします。実は自分、彼らのアルバムのなかでこれがいちばん好きなのです。いまは。

『The Wall』の大成功とPink Floydの分裂というハザマでリリースされた『Tha Final Cut』は、Roger Waters(ロジャー・ウォータース)の個人的な嗜好が強く前面に出ていて、Pink FloydのアルバムというよりはRogerのソロ・アルバムに近い... といわれることも多いようです。ならば、ということでPink Floyd脱退後のRogerのソロ・アルバムに『The Final Cut』の影を求めて何枚かを聴いたのですが、やっぱり違うのですよね。

Radio K.A.O.Sという架空のラジオ局を狂言回しに、世の中を批判したり皮肉ったりというコンセプト・アルバムになっているらしいのですが、自分は英語がよくわからんし、手元にあるのは輸入盤だしで、曲やコンセプトの内容とか、よくわかりません。ラジオ風に曲の合間でDJが曲紹介らしきことをしているのは楽しいですが、音楽的にはアメリカンな要素(あえてそうしているのでしょう)が強く、ソウルフルというかゴスペル風なコーラスも多用され(Pink Floydでもときどき導入されてましたね)、Pink Floyd的なところはほとんど見つかりません。

でも、Rogerのヴォーカルはあいかわらず味わい深く、まぁ、これはこれで悪くないでしょう。M2「Who Needs Information」などではほのかに後期Pink Floydの香りがする気がしますが、これでギターがDavid Gilmourだったらなぁと思ってしまうのよねぇ、やはり。Rogerの歌とDavidのギターという組み合わせが、やっぱり自分は好きだったのだよなぁということを強く感じてしまいます。

このアルバム、もう少し曲がよければいいのにな。妙に明るい感じが支配しているのはいいにしても(意図があってのことだろうから)、単純に曲そのものにあまり魅力を感じないのが残念なところです。脱退後最初のソロとなった『The Pros And Cons Of Hitch Hiking』や、ソロ3枚目の『Amused To Death』のほうが、魅力的に思います。

けれど自分はけっきょく『The Final Cut』に戻っていくのでした。


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2005/10/27

JACULA / ANNO DEMONI

イタリアン暗黒ミサ・プログレッシヴ・バンド(?)Jacula(ヤクラ)の、セカンド・アルバムというか、未発表曲寄せ集め集というか、ディスク・ユニオンではJaculaじゃなくてAntonius Rex(アントニウス・レックス)の作品ということになってるようでもあり、まぁ、そんなアルバムです(どんなアルバムだ?)。要するに、アルバムとしてきちんと意図して制作されたものではないものですね。

Jaculaといえば正式アルバムとして唯一の作品『Tardo pede in magiam versus』がむかしは幻の名盤として有名だったのですが、CD再発されてからはけっこうかんたんに手に入るようになりました。全編に鳴り響くチャーチ・オルガンと、どこかでなにかに憑かれちゃったのではないかのような女性ヴォーカルを中心に、一大暗黒ミサ・ロックを展開するという作風は、やはり個性的で独特のパワーを感じるものでした。その後、さらに暗黒なオカルティック・プログレッシヴ・ロックを演奏するDevil Doll(デヴィル・ドール)が出てきてしまったもので、いま聴くとけっこうちゃちっぽく聴こえてしまうところはありますが。

で、『Anno demoni』です。あいかわらずチャーチ・オルガンが全編に鳴り響いてます。でも、それだけ。なんだかなぁ、ロックとしてのエナジーとか、パッションとか、そういったものを感じないんですよ。そもそもリズム隊がリズム隊としての役割をほとんど与えられていなくて、SE的な使い方になっているので、ロックとしてのリズムやビートがないのです。『Tardo pede in magiam versus』ではもう少し暗黒パワーとそれを推進させるロックのリズムがあったと思ったのだけどなぁ。

正式なディスコグラフィでいうと、Jaculaは『Tardo pede in magiam versus』しかリリースしておらず、その後グループはAntonius Rexへと変化して『Zora』をリリースするわけですが、そういえば『Zora』も暗黒な雰囲気を持ったただのロックといった感じだったような記憶があります。この『Anno demoni』と同じですね。と思ってブックレット裏の曲名リストを見ると、どれもクレジットがAntonius Rex名義になってます。そうか。これ、ジャケットではJacula名義だけど、実質はAntonius Rexのアウトテイク集なのか。Jaculaよりもさまざまな面で劣るAntonius Rexの、正式アルバムに入らなかった未発表曲を寄せ集めたCDと考えれば、納得もできますね。

そんなわけで、暗黒な雰囲気だけで、これといって精神的高揚やロックとしてのカタルシスといったものも感じられない、Morte Macabre(モルト・マカブル)と同様の退屈さを感じてしまう作品でした。頻繁に使われている「夜の密林で鳴く鳥」のようなSEも鬱陶しく、だんだんいらいらしてきた。

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2005/10/26

АРАКС / ИСПОВЕДЬ

グループ名はなんと読むのでしょうか? 英語での表記はAraksらしいので、АРАКСでアラクスと読むのかもしれません。この表記からもわかるように、ロシアのグループのようです。ところで、日本語版ウィンドウズのIMEに収録されているロシア文字は2バイト文字なのですが、全世界的にロシア文字って2バイト扱いなんでしょうか?

アルバム1枚で40分程度というのは、LPで育った自分にとっては非常にいい長さです。この40分の中に、パワフルであったりドリーミーであったりとドラマがあります。

最初はシンセサイザーがけっこう唸るスペーシーなシンフォニック・プログレッシヴ風に始まるのですが、ロシア語のヴォーカルが入るところからやにわに熱いハード・シンフォニック風へと展開していきます。かと思うとストリングスの音が聞こえ、合唱も入り込んできたりして、落ち着いた奥深さもかもし出します。さらにはCamel(キャメル)やGotic(ゴティック)などを思い出させるような暖かいフルートの音色のドリーミーでファンタジックなパートもあります。このアルバム、どうやら組曲のようになっているようで、このフルートのファンタジック・パートがアルバム中に何度か現われては消え、アルバムの最後はこのパートで幕を閉じるといった構成になっています。

アルバムの中間あたりの部分では、なんだか詩の朗読にBGM&SEをつけてみましたみたいな感じになってしまい、自分の好みからするといまいちなんですが、それ以外のパートでは、力強く朗々と歌い上げるという古いイタリアン・プログレッシヴにも通じるようなパートがあったり、シンセサイザーとギターによるスリリングな演奏があったりと、飽きさせません。いくぶんリズムがもたついているところも含めて、全体に東欧らしいひなびた叙情と哀愁もほどよく感じられるシンフォニック・プログレッシヴ・ロックだと思います。


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2005/10/25

映画『シン・シティ』

先週末、映画『シン・シティ』を観てきました。

ハード・ヴァイオレンス・バット・スタイリッシュな映画ということで、一部でずいぶん話題のようですね。実際、えぐいシーンがこれでもかと出てくるけれど、そのシーンの映像自体はメチャスタイリッシュでカッコイイという、これまでにあまり観たことのない感覚の映画でした。

アメリカのどこかにある、汚職と欲望と暴力に満ち溢れた架空の町シン・シティを舞台に、3つのお話+αがオムニバス形式で展開されます。これらの話は、舞台がシン・シティであること、時期がおおよそ同じころであることから、それぞれの登場人物が別のお話の画面にちょろっと映りこむことはありますが、それぞれの話自体は独立しています。

自分、こういったオムニバス形式の映画って、そういえばあんまり好きじゃなかったってことを、あとで思い出しました。どうも、映画を観たというよりは、単発のテレビドラマを3つ続けて見たような、あるいは『夜にも奇妙な物語』とかを見たときのような、軽い感じを受けちゃうことが多いんですよね。映画全体としてのテーマがよくわからないものもたまにあるし。物語の重みとか深さとかを感じられないというか。

この映画も、2時間の中に3話+αも詰め込むのではなく、1時間半くらいでひとつの話をじっくりと見せてもらったほうがよかったなぁと思ってしまいます。とくにブルース・ウィリスが主役の話は、もっともっと深みと厚みのあるものになると思うのだけど。悪徳の町シン・シティに生きる「最後の正義」が60歳を越えた老刑事というのは、なかなかハード・ボイルドな渋い設定だと思いますし、演じるブルースもいい味を出してたし。

それぞれの話自体のつながりはあまりないけれど、そこで起きる事件の元凶をたぐるとロアークという権力者ファミリーにつながるという共通項があり(第2話はそうではなかったかしら)、うそと金と暴力にまみれた町でひたむきな愛のために戦う孤独な戦士を主役に置くというスタイルを通すことで、映画全体としてのある種の統一感と方向性を演出しています。

町の権力者であり、すべての悪と暴力と汚職の元凶でもあるロアーク議員が「この世でもっとも強いものは“うその力”だ。うそこそが世の中を動かす」というようなことをいったり、シン・シティの住人(だったか?)が「アメリカほどいい国はないぜ」などといっていたりするなかに、現代アメリカのおごった姿への皮肉と批判を見る、そして、どんなに世の中が悪にまみれ暴力にうもれ汚職がはびころうとも“愛”だけは死なない、“愛”のみがそれらの邪悪な力に立ち向かいうる力なのだ、というのがこの映画のテーマだ、というようにも考えられるのだけど、でもけっきょくマーブ(ミッキー・ローク)もハーティガン刑事(ブルース・ウィリス)も死んじゃったのですよね。悪の根源は、愛の力では根絶できないのですよ。という皮肉も含んでるのかな?

そんなわけで、おもしろいといえばおもしろいのだけど、だからどうだといえばだからどうなのという感じでもあり、単純に雰囲気を楽しむ映画かなぁという気がします。ノワールでハード・ボイルドなアメリカン・コミックをそのまま「動く絵」にしただけで、「映画」を観たという印象は残りませんでした。

ほとんどのシーンがモノクロで、衣装や小物や血など映像の一部のみに鮮烈な赤や黄色といった配色を施すという表現方法はかっこよくはあるけれど、また、それゆえに残酷シーンがそれほどスプラッタにならずに観られるという人もいるけれど、自分としては全編フルカラーの飛び散る血液や脳みそなどで吐き気をもよおしながらそれでも観る、というほうがよかったかなぁとも思います。

しかし、キャスティングは非常によかったですね。ミッキー・ロークはすごいメイクのためにぜんぜんわからなかったけど、ブルース・ウィリスもベニチオ・デル・トロもすごくぴったり。そして驚愕の!イライジャ・ウッド。キャスティングした人、すごいや。ジョシュ・ハートネットの役回りがなんだか中途半端でしたが、これは続編への複線?


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2005/10/24

芝居『胎内』を観てきました

青山円形劇場って、初めていったのですが、本当に舞台が円形なんですね。こんなステージで芝居するの、脚本つくる人も演じる役者さんも大変だろうな。常にお客の誰かが役者さんの背中を観ているわけですから。

というわけで、観てきました。『胎内』。奥菜恵、長塚圭史、伊達暁による3人芝居です。阿佐ヶ谷スパイダースの舞台は何度か観ているので、生の長塚さんも何度か観ているのですが、奥菜さんを生で観るのは初めてです。それがとても楽しみ。彼女、けっこう舞台での評判がいいですからね。伊藤さんってのは、誰だ?

んで、観終わりました。

う~む。演劇というよりも、朗読劇を聞きにいったような感じです。登場人物の3人とも、大量のセリフをしゃべります。戦時中に掘られた洞窟(防空壕)の中に閉じ込められたという設定ですから、舞台も常時薄暗く、ときどき登場人物同士のケンカの際に動きがあるくらいで、それ以外はとくに身振り手振りの演技があるというわけでもなく、ずっとなにやらグダグダとしゃべり続けてます。

なのに、伊藤さんのセリフは早口なうえあまり明瞭ではなく、なにをいってるんだかよくわからない。舞台となっている時代が戦後すぐということで、セリフもところどころレトロ調?なのだけど、その言葉遣いに若い役者3人がうまくなじみきっていない。とくに奥菜さん演じる村子という女性のセリフは、古い言葉遣いと新しい言葉遣いが入り混じり、ちょっと気取った上流お嬢様風の言葉遣いと野卑な売春婦風の言葉遣いが入り乱れ、なんだか気持ちが悪いのです。非常に丁寧な「ですから」に小娘風の「さぁ~」がついた「ですからさぁ~」(これを「だからさぁ~」風にいう)のとか、なんだかむずむずしちゃいます。奥菜さん、発声自体は非常に明瞭でしっかりしており(3人のなかでもっともきちんとセリフが聞き取れた)、感情もうまいこと乗せていたのですが、明瞭な分、元のセリフ自体の気持ち悪さが耳についてしまいました。

そんでもって、やたらと観念的で、なんだか落としどころのない物語。もともと原作は古い作品のようですが、古い作品なんだなってのが強く感じられました。『美しきものの伝説』とかと似た匂いを感じる。こういうの、自分はちょっと苦手かもしれません。

そんなわけでして、観終わっての感想。まずは一緒に観にいった妻から。

「なんでもいいから、誰か早く彼らをあそこから出してやれよ」

そして自分。

「奥菜恵ははっきりした顔だなぁ。綺麗だ」

こんなんで、すみません。

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2005/10/21

LA DIFFERENZA / PRESO!

2005年のサンレモ音楽祭新人部門参加曲「Che faro'」を収録した、La differenza(ラ・ディッフェレンツァ)のアルバムです。この曲は、新人部門で2位をとったんでしたっけ?

たぶん、まだデビューしてそんなに経ってないグループなんじゃないかと思うのですが、ジャケットに写ってるメンバーの写真を見ると、なんだかみんな冴えない感じの兄ちゃんです。ブックレットの裏表紙には写真の下にメンバーの名前が書いてあるのですが、写真での並び順とメンバー名の並び順が同じだとしたら、ドラムのMax(マックス)、あんた、けっこう年いってるんとちゃうん? キーボーディストのJakka(ヤッカ)、あんた、キーボーディストには見えましぇん。リズム隊だろ?

などと、どうでもいいツッコミを入れちゃおうかなぁというくらい、あんまりセンスのないジャケットです。ちなみに、右上でアルバム・タイトルの『Preso!』がツタに絡まってるようなイラストは、なんだかサイケデリック。

サンレモ参加曲の「Che faro'」はマイナー調で古いブリティッシュの香りがするノスタルジックな哀愁炸裂のバラード系ポップスでしたが、アルバム全体を聴いてみると、こういったマイナー系の曲は少ないみたいです。メジャーキーでミディアム・テンポの、けっこう軽快な曲がたくさんあります。なんとなく演奏にチープ感を漂わせて人懐こい感じを醸しつつ、シンセサイザーのオーケストレーションなんかは意外と分厚いという、チープなのにファットというなかなかいい感じの演奏を聴かせてくれます。

全体に古いブリティッシュ・ポップ・ロックの香りが強くあり、こういうのってLunapop(ルナポップ)あたりからイタリアの若いグループにけっこう蔓延してるよなぁ、イタリアの若手グループがどんどんブリティッシュ・ノスタルジィに向かってるなぁ、などと以前は感じていたのですが、最近では「古いブリティッシュ・ノスタルジィを感じさせるようなポップ・ロック」=「イタリアの最近のポップ・ロック」というような印象になってきちゃいました。これがイタリアのいまのグループ・サウンズだ(表現がおかしいか?)、みたいな。

だいたいね、いま20代前半くらいの若い音楽ファンの多くは、古いブリティッシュ・ポップ・ロックなんて、あまり知らないでしょうしね。Electric Light Orchestra(エレクトリック・ライト・オーケストラ)とかKinks(キンクス)とかElton John(エルトン・ジョン)などといった有名どころはいまでもたまに古い曲を聴くこともあるかもしれないけれど、彼らのような独特のやわらかさと、アメリカのポップスのように甘いだけでないユニークさのようなものを持ったブリティッシュ・ポップ・ロックが、むかしはたくさんあったのよ。あの頃の独特の甘さと哀愁が、ちょっと姿を変えて、最近の若いイタリアン・ポップ・ロック・グループの音楽にたくさん練りこまれている感じがするのですわ。

このアルバムで、とくにそういった印象が強いのが、やはりサンレモ参加曲のM1「Che faro'」でしょうかね。この曲はかなりノスタルジックで哀愁も強め。M4「Pensiero dolcissimo」も、さびで一気に演奏が厚くなるという、イタリアらしい美と哀愁のバラードですね。

でもM2「Percezione 90」やM3「Preso!」では明るい感じが前面に出てきて、べたべたと甘い哀愁を垂れ流すグループじゃないぞっていう主張?を感じます。M7「Lola」やM8「Onderadio」などは軽快で、むかしの歌謡曲ロックみたいなチープ感もあって、なんか楽しげ。ちなみにM7で聴かれるオルガンの響きも懐かしさを強めます。M9「Non cambiare discorso」はバラードだけど、メジャーキーを使ったシンプルで素直なメロディがさわやかで明るい感じを出しているのが好ましいです。

ベースがけっこう重い曲が多く、しかも単純にルートを8分音符できざむだけといったアレンジも多くて、それがブリティッシュ・ノスタルジィを感じさせる一翼をになっている部分はあるものの、ときに単調かなと感じてしまうこともあるのだけど、彼らがそういうアレンジしかできないというわけではない(意図を持って、わざとそういうアレンジにしている)というのが明確にわかるのが、M6「Sogno interrotto」。この曲、自分はけっこう好きだぁ。アコースティック・ギターのクリアなコード・ストロークで始まるイントロとか、なんだか印象的。ベースも曲前半ではフレーズを奏でて動きをつくり、さびではルートのほうに戻っていってどっしりとした厚みを出すという役割を演じてる。ノスタルジィとセンチメンタルを感じさせる歌メロも魅力を感じるし。

自分が以前にイタリアのアーティストたちに求めていた「イタリアらしさ」は、いまのイタリアの音楽からはなかなか見出すことができなくなってしまって、それはそれで残念ではあるのだけど、La differenzaとかを聴いてると、いまのイタリアの若者たちの音楽には、英米からの影響は強いものの、やはり英米とまったく一緒ではない、いまのイタリアの若いアーティストならではの「イタリアらしさ」といったものがあるのかもなぁと感じます。そして、それはそれで悪くないかなぁと思えるようになってきた今日この頃です。


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2005/10/20

最後にひとつ約束してね

仕事もせずに、こんなものを読んでしまいました。途中で止められなかった。

地下鉄で女の子のサイフを拾った前スレ1の話し
http://maesure.fc2web.com/index.html

うぅ、勤務中なのに、泣きそうです。

電車で女の子を助けてしまいますた 2両目(その2)
電車で女の子を助けてしまいますた 2両目(その3)

は、かなり危険です...

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SERGIO BORSATO / LA STRADA BIANCA

渋いなぁ。未舗装の砂利道の上に立つブルー・ジーンズに革靴の男の足だけと、その足の横に立てて置かれているブラウン・サンバースト(しかも虎目!)のアコースティック・ギターの写真がジャケットになっているのだけを見ても、このアルバムがどういったジャンル・タイプの音楽か想像できそうですが、まさにそのままの感じでした。

アメリカの開拓時代を思わせるような(その時代に生きてたことがないので、本当のところはわかりませんが)、少しカントリー風味の入ったフォーク。

これだけでこのアルバムの紹介は充分な気がします。ブックレット裏面に写っている、おそらくSergio Borsato(セルジォ・ボルサート)本人と思われる、アコースティック・ギターを肩に担いでいるおっさんも、いかにも「荒野に行くぜ!」風です(というには、少しワイルドさが足りないけど)。

ブックレット内には歌詞の背景にセピア色の写真がいくつも掲載されているのですが、それが蒸気機関車だったり、ノミで人形のようなものをつくってるおじいちゃんだったり、手のひらに大地の土を乗せた頑丈そうな男の手だったり、砂利道の上で自転車に乗るおっさんをめずらしそうに取り囲むご婦人方だったりと、いちいちなにか背景となるドラマがありそうです。きっとこのアルバム自体、なにかコンセプトというか、ストーリーのようなものがあるのかもしれませんが、イタリア語がわからない自分には、理解のしようがありません。

アコースティック・ギターのストロークを中心にした弾き語り風のフォーク・ミュージックに、フィザルモニカ(アコーディオン)やフィドル(ヴァイオリン)、ハーモニカなどが彩と、ときに哀愁を添えます。少し枯れた声質の落ち着いたヴォーカルもいい味を出していて、たとえばFrancesco Guccini(フランチェスコ・グッチーニ)だとかLuigi Grechi(ルイジ・グレキ)などに通じるところもあると思います。彼らの音楽、とくに少し古いものが好きなら、Sergioのこのアルバムも楽しめるのではないでしょうか。

地味な作品ではありますが、M1「La strada bianca」などはロマンティックな香りもするフォーク・ミュージックで、中期のFabrizio De Andre'(ファブリツィオ・デ・アンドレ)やMassimo Bubola(マッシモ・ブボラ)に通じるものもあると思いますし、一方でにぎやかなカントリー&ウェスタン調のM4「Vecio fighel」やエレクトリック・ギターの伸びやかなギターソロが聴けるフォーク・バラードのM5「Ricomincero'」などもあり、ただ地味で単調なだけのアルバムにはなっていません。ポップスやロックのような華やかさは期待できませんが、こういった、もともとはイタリアにおけるBob Dylan(ボブ・ディラン)フォロワーたちをさす言葉として生まれたといわれるCantautore(カンタウトーレ)という言葉が、その言葉のもともとの意味としてぴったりくる感じのする音楽も、たまにはいいものです。

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2005/10/19

BLUVERTIGO / ZERO

自分がふだん音楽を聴く時間は、主に朝の通勤電車の中です。ポータブルCDプレイヤーをバッグに入れて、手持ちのCDをヘッドフォンで聴いてるの。

ただ、うち、けっこう職場に近いんですよ。乗り換え利用の電車2本でいくのですが、だいたい30分程度で会社に着いちゃう。つまり、CDを聴ける時間が30分程度しかないわけです。

むかしのアルバムは30分~40分程度のものが多かったので通勤時でも大方が聴けるのですが、最近のアルバムは収録時間が長くて、いつも半分くらいしか聴けません。困ったものだ。

そんなわけで、このBluvertigo(ブルヴェルティゴ)のアルバムも、今朝は半分しか聴けませんでした。だって、総収録時間が68分とかなってるんだもん。長いよ。

ベーシストのMorgan(モルガン)率いるBluvertigo。イタリア本国でなかなか人気のある若手グループと思っていたのですが、気がつけばもう中堅といってもいいくらいに長く活動していますね。なのにうちには1枚もアルバムがなかったので、ネットショップで何枚か売られているもののうち、いちばん安い値段がついてたもの(笑)を買ってみました。1999年の作品のようです。

Bluvertigoに対して自分が持っていたイメージは、オムニバス盤などに収録された曲や、Antonella Ruggiero(アントネッラ・ルッジェーロ)の作品でコラボレートしたときの曲などから、“デジタリックでラウドなニューウェーヴ風ロック”というものだったのですが、このアルバムを聴いて、あながち間違いじゃなかったなと再確認しました。

リーダー(なんだよね?)のMorganがベーシストだからということもあるかもしれませんが、ベースの音がでかい。しかも重い。引きずるような重低音が、高校生の頃とかにたまに聴いていたニューウェーヴやオルタナティヴ・パンクを思い出させます。ベースを中心にした、このどっしりした重低音を屋台骨に、上に乗っかるシンセサイザーのわざと薄っぺらい音づくりとのコントラストが不思議にいい感じ。このぺらぺらしたシンセもあの頃のニューウェーヴ・パンク、Stranglers(ストラングラーズ)とか、あるいはSoft Cell(ソフト・セル)とかを思い出します。

Massimo Volme(マッシモ・ヴォルメ)などもそうですが、こういったタイプの曲は、若いころは聴いていたこともあるのだけど、最近はさっぱりです。どちらかというと、いまは興味を持てないタイプ。あまり得意ではないタイプ。

ではあるのですが、やはり高い人気を持つグループには、それだけのものがあります。Bluvertigoの曲には、ただのニューウェーヴ/パンク系といって済ませてしまうにはもったいない、なにかがあるのです。それは、ときおり現われる美旋律だったり、妖しいエロティシズムだったり。

まだアルバム前半しか聴けていないのですが、M3はほんの少し懐かしい感じのなだらかな歌メロがデジタリックな演奏に乗っかっていて、聴いていてひきこまれます。M5ではエロティックなベースラインの上にガラスのように透明なピアノの響きがかぶさり、初期の筋肉少女帯を思い出してしまいました。M6はBluvertigo featuring David Bowie(デヴィッド・ボウイ) with 筋肉少女帯みたいな印象だし。

イタリアらしい感じはほとんどないのですが、全体にいかにもヨーロッパな雰囲気、歴史と伝統を背負った重さのようなものが感じられ、それが現代的なデジタル・サウンドとうまく調和している。そんな印象を受けました。これはこれで、なかなかいいです。イタリアンじゃないけど。

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2005/10/18

雨降ってるのに

それにもう10月もなかばをすぎたというのに

なんだか暑いです

なぜか汗かいてます

天気が悪いと腰が痛いです

憂鬱です

U2です

UVカットです

キットカットです

きっときみはこなぁ~いぃ~です

だったら待ってないでもう帰れよって感じです

パソコンの漢字変換が妙に遅い今日です

仕事したくねぇなぁ~

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2005/10/17

イタリアン・ポップス・フェスタでおなかいっぱい

10月15日の土曜日は関東近郊在住イタリアン・ポップス・ファンの月に1度のお楽しみ、Yoshioさん主催のイタリアン・ポップス・フェスタ@亀戸(仮称)の日でした。

自分にしてはめずらしく開始時間どおり(おい!)というか、時間より前に会場のあるソシオグランデに着いたら、ふだん使っている19階のスカイルームがまだ別のグループに使われているため、最初の2時間くらいは1階のガーデンで行なうといいます。芝の生えた屋外にテーブルなどがあり、これはこれで気持ちがいいなぁと、やはり次官前に準備にきていたニョッキさん、Mariさんらと機材のセッティングなどをあらかた済ませたところに管理人さんがやってきて、スカイルームがあいたのでどうぞだってさ。セットしたばかりの機材をかたづけ、本会場であるスカイルームへ運び、改めてセッティングです。

なんてことをしているうちに開始時間の16時を30分ほど回ってしまったのですが、その時点で会場にいたのは自分らのほかに、今回新顔のイタリア人男性&日本人女性のカップル、それに参加者みんなに愛されている(おもちゃにされてる?)丸岩さん(けっきょく彼のハンドルはなにに決まったのでしょうか?)のみ。さすがイタリアン・ポップスが好きな人たちの集まりだけあって、会場への集まり方というか時間の感覚もイタリア~ンな感じです。

とか思っていたらYoshioさんの携帯電話が鳴り、Yoshioさんは会場から出ていってしまいました。聴くところによると、本当は18時に亀戸で友人と待ち合わせて会場入りするはずだった今回新顔のイタリア人が、時間より1時間半も早い16時半に亀戸についてしまい、そこから自力で会場入りしようと思ったのだけど駅から会場に来るまでのあいだで迷子になってしまったようで、Yoshioさんへ救援要請の電話をしてきたのだそうです。遅れて会場入りするという連絡のなかった日本人よりも、遅れて会場入りするという連絡をしてきたイタリア人のほうが早く会場入りするという、実は日本人のほうがイタリア時間で生活しているのではないかと認識を新たにさせるようなこともあったのですが、これらの事実のほとんどは当日参加された日本人の方はご存じないのでしょう(笑)。

17時を過ぎたあたりからだんだんと参加者もそろい、まずは音楽紹介のコーナー。ニョッキさんのたっての希望であったORO(Onde Radio Ovest)による「Vivo per lei」のオリジナル・ヴァージョン(この当時は「Vivo per...」というタイトルでした)、そして、Andorea Bocelliによってカバーされたヴァージョンの歌詞をつけたGatto Panceriが歌う「Vivo per lei」のレアな音源の聴きくらべから始まりました。派手でゴージャスな雰囲気さえただようOROヴァージョンも、シンプルにギターの弾き語りで歌われたGattoヴァージョンも、どちらもそれぞれに魅力があり、やっぱもともとの曲メロがいいからなぁと納得。

続いて、僭越ながら自分の担当でナポリ出身のアーティストの紹介。といってもナポレターナとかはあまり聴かない自分が紹介するので、ほんのちょっとだけマニアックです。

まずは最近は日本でも人気のあるGianni Fiorellinoの、ナポリ・ローカルのスターからサンレモ出場へのきっかけになったであろうナポリ音楽祭優勝曲の「Girasole」、続いてGianniが曲提供とアレンジを担当した無名のシンガー、Luigi Amatoを1曲。続けて日本でもファンの多いGigi FinizioとGigi D'Alessioの“Gigi”つながりでは、どちらもあえて古い曲(D'Alessioはデビュー・アルバムから)を紹介しました。最近ではすっかりスタイリッシュな彼らももとは田舎臭いナポリ・ポップだったんだと、そのルーツを感じてもらえたらなと。

さらには、こうした若いナポリ・シンガーたちがあこがれにしていたナポリのスター、Nino D'Angeloと、そのNinoが曲を提供した得体の知れないグループ、Fratelli d'Itanoを1曲ずつ。Fratelli d'Itanoの曲はイタリア南部的というか地中海的というか、雑多な感じのお祭りソングぽいニュアンスがあったので、そのニュアンスをさらに推し進めた地中海ポップスということでDaniele Sepeを1曲。これがあまりに雑多で何でもありな地中海ポップスだったので、少し路線を戻すということで、地中海の香りとジャズの風味が心地よいPino Danieleと、南部の香りと超個性的な歌声が魅力のEnzo Gragnanielloを1曲ずつ。この流れがけっこうコアな南部ミュージックになってしまったので、締めにはオーソドックスなナポリ・ポップスということでEduardo De Crescenzoを1曲紹介しました。その後、Eduardoのヒット曲「Ancora」が聴きたいというアンコールがあったので、Yoshioさんが特別に「Ancora」もかけてくださいました。

こういった「特集もの」の紹介は、これまでは紹介者がひとりで曲をかけながらアーティスト・プロフィールや曲の背景などを紹介・解説というスタイルをとっていたのですが、今回は、自分があまりナポリに詳しくないということもあり、前半ではYoshioさんと、後半ではお仕事の都合で送れて会場入りされたkazumaさんと、かんたんな対談形式というか、パネル・ディスカッションのような感じで紹介しました。このほうが解説の幅も広がり、いい感じだったように思います。

続いて、ニョッキさんによる「この曲を聴いてくれ!」(仮称)のコーナー。Danilo AmerioにFausto Lealiという、熱く歌い上げるカンタウトーレを紹介してくれました。Daniloはこれまでにアルバムが4枚出ていると思うのですが、そのなかで唯一自分がもっていないアルバムからの紹介で、あいかわらずの味わい深いダミ声が印象に残りました。

そして、kazumaさんとMariさんによる883の紹介。自分は883のアルバムは比較的最近の1枚しか持っていなくて、かなりチャカチャカした軽い印象を持っていたのですが、紹介されたのは少し前の曲のようで、意外とユーモラスななかにイタリアらしい美しさがあり、悪くありませんでした。

ちなみに今回のFestaには初参加のイタリア人が3人いたのですが、彼らは「もっとロックを聴きたい」といっていたらしいです。イタリアのロックは英米と違ういいメロディを持っていてかっこいいんだぞーと主張していたようですが、彼ら、ひとりを除いてみな日本語があまり得意ではなく、イタリア人同士でイタリア語で盛り上がっていたために、その主張は他の日本人にはあまり届かなかったみたいです。残念でした。でも、次回は少しロックをかけようかね。

ちなみに、これはのちに知ったのですが、今回参加のイタリア人のうちの一人(いっさい日本語をしゃべらん人。最後までイタリア語オンリーで通した)は、なんと2000年のサンレモ音楽祭に参加したLythiumというグループでベースを弾いていたのだそうです。Lythiumのアルバム、たしか持ってたぞ俺。あとで聴いておかねば。そんなこともあって「もっとロックを!」と主張したのでしょう。

音楽紹介のあとは、最近イタリアに旅行した自分とYoshioさんの、それぞれのたびの報告。写真やビデオをスクリーンに映しながらでしたが、ま、他人の旅なんてあまり興味がひかれるものではないですね(笑)。画像・映像は美しかったけれど。

そして最後は恒例の「一緒に歌おう!」(仮称)のコーナー。今回はAmedeo Minghi e Miettaの「Vattene amore」とEros Ramazzottiの「Piu' bella cosa」、Giorgiaの「Di sole d'azzurro」でした。個人的に、「Vattene amore」はAmedeoパートは音が低くて声が出ず、Miettaパートは音が高くて声が出ず、苦労しました。しかし、このコーナー、もう少し多くの人に参加してもらえればいいなぁ。もっと参加しやすく(みんなで歌いやすく)するいいアイデア、ないでしょうか。前に出て歌うのがちょっとハードルなのかな。ワイヤレスマイクを用意して、着席している人にもマイクをまわすとかできたらいいのかも。

またCD/DVDによる音楽紹介のコーナーも、だんだんと「聴く」よりも「参加者同士でしゃべる」ほうが主になりつつあるような感じがして、これもどうしたものか。もう少し「聴く」ことを楽しみつつ参加者同士でも交流する、という雰囲気にできるといいですね。たとえばいまは真ん中にセットしてあるテーブルは部屋の隅に置き、食べ物・飲物はそこでとる。部屋の真ん中にはスクリーン向きに置いた椅子だけにする、とかはどうだろか。あんまり効果ないかな。それよりも、もっとみんなが注意を向けたくなるような曲紹介・解説を考えたほうがいいのかしらん。

などと反省も含みつつ、次回はなにを紹介しようか、いまから頭を悩ましている自分です。

そうそう、今回は知人でトスカーナ州アレッツォ(Arezzo)出身のRobertaが初参加だったのですが、彼女、まだ日本に来たばかりであまり友達もおらず、日本語もそれほど堪能というわけでもなく、ちょっとさびしい思いをしていたようです。会場ではおかしなイタリア人2人とも友達になったようだし、また日本人参加者の方もいろいろと話しかけてくださったおかげで、とても楽しい時間を過ごせたと喜んでいました。みなさん、ありがとうございました。日本には数ヶ月滞在の予定だそうなので、また次回も参加してくれると思います。そのときにはまた、よろしくお願いしますね。

ちなみに今回のフェスタは、会前日に主催のYoshioさんから「毎回、主食が少し足りない感じです」といった趣旨のメールがメーリングリストで流された影響か、パン類・ご飯類が充実していました。すっかりおなかがいっぱいになりました。その分、ちょっとワインが足りなかったですね。途中でイタリア人2人がワインの買い出しにいって2本追加してくれたのですが、それでも最後は少しショート気味でした。むぅ、次回はもう1~2本多くもってかなくちゃだめかなぁ。

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2005/10/14

STADIO / LA FACCIA DELLE DONNE

いきなりコズミックな印象すら漂わせるエレ・ポップな演奏が聞こえてきて、思わずアルバムを間違えたかと思いましたよ。

Stadio(スタディオ)はもともとLucio Dalla(ルーチォ・ダッラ)のバック・バンドがグループとして独立したものらしいのですが、だからなのか、演奏が非常にうまいと思います。まるでアメリカのグループのような、輪郭がはっきりとしていてカチッと締まった演奏を聴かせてくれるグループです。なのでエレ・ポップ風の曲も、非常にシャープな印象です。

ただ、演奏はシャープで締まった感じなのですが、ひび割れた声のヴォーカルは非常にパッショネイトで哀愁に満ちていて、すごくイタリアくさい。このヴォーカルの個性はStadioの大きな魅力です。

M4「C'e'」などのバラード曲ももちろん味わい深くていいのですが、Stadioの魅力って、M2「Allo stadio」やM7「Porno in TV」などのようにもう少し軽快な感じの曲で活かされる気がします。かといってM5「La faccia delle donne」のような、アメリカ臭の強い軽さはどうかなぁとは思いますが。M6「Ti senti sola」などもそうですが、このアルバムではちょっとアメリカっぽさを強く感じる曲が多い気がします。

オープニングだけでなく、アルバム・ラストを飾るM8「Non sai cos'e'」でもまたエレ・ポップ風なアレンジが出てきて、アルバムの構成としては、なんだかおもしろいです。こういった感じの曲がはやっている時代だったのでしたっけ、このころって?

ちなみにすべての曲にメンバー以外のクレジットがあるのですが、もともとはLucio Dallaと一緒に活動していたという割りには、8曲収録されたなかにLucioがからんだ曲は1曲しかありません。2曲はVasco Rossi(ヴァスコ・ロッシ)、残りの5曲はLuca Carboni(ルーカ・カルボーニ)が提供しているようです。

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2005/10/13

DANIEL SENTACRUZ ENSEMBLE / MADE IN ITALY

そのむかし、まだ自分が小学生(中学生?)くらいの頃だったでしょうか、テレビで「カックラキン大放送」(だったと思う)というヴァラエティ番組がありまして、毎週、楽しみに見ていたのですよ。番組内の名物コーナー?、研ナオコさんの「ナオコばあちゃんの縁側日記」とか、野口五郎さんの「刑事ゴロンボ」とか、覚えてる方も多いかもしれません。

で、この番組のエンディング曲が、とても印象的なメロディで、ずっと耳に残っています。「楽しかったひとときが、いまはもうすぎてゆく」という歌詞つきで。

この印象的な曲が、実はイタリアの曲だと知ったのは、比較的最近のことです。Dario Baldan Bembo(ダリオ・バルダン・ベンボ)のベスト盤を聴いていたときに、なんだか聴いたことのあるメロディだなぁ、なんだったっけなぁと思い巡らしているときに突如、浮かんだのです。

「楽しかったひとときが、いまはもうすぎてゆく...」

あ、これってカックラキン大放送! いや、ビックリしましたね、あのときは。

というわけで、この曲のオリジナルは、イタリアのDaniel Sentacruz Ensemble(ダニエル・センタクルズ・アンサンブル)というグループの「Soleado」という曲だったのです。Dario Baldan Bemboは作曲だかアレンジだかにかかわっていたようですが、このグループ自体はCiro Dammicco(チロ・ダッミッコ)がいたグループということで日本のイタリアン・プログレッシヴ・ファンに知られていますね。

たしかに「Soleado」は印象的な美しいメロディを持った曲ですが、やはりBGM的なのはたしか。そしてこういった曲調は、このグループの印象そのものといった感じがします。意外と軽快な曲もあるのだけど、そしてそれらもメロディ的にはなめらかで印象的なのだけど、グループとしての個性や押し出しといったものは強くなく、やっぱりBGM的。

「Soleado」のような歌詞のないハミング?だけのインスト(といっていいのか?)曲も多く、ヴォーカルが入る曲もとくにヴォーカリストの個性で聴かせるというタイプではなく。ちなみにヴォーカルは女性がふたりくらいと男性がいるのですが、たとえばSchola Cantorum(スコラ・カントルム)のように複数ヴォーカルを生かしたアレンジがされているわけではなく、たんにメロディを奏でる楽器のひとつのような扱いに思えます。

そんなわけで、BGMとしてかけておくにはじゃまにならないし気持ちもいいのだけど、一生懸命聴くタイプのグループではないかなぁという感じ。印象としてはAlbatros(アルバトロス)のようなタイプ、いわゆるイージー・リスニングを演奏するグループだと思います。そう思って接すれば、なかなかかわいらしいグループだし音楽じゃないでしょうか。

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2005/10/12

過ぎ去った“時”は戻らない

先週、ひさしぶりに映画を観にいきまして。3週間ぶりくらいかなぁ、劇場で観るの。ここのところ仕事が忙しかったので、なかなかいけなかったのですよ。

観たのは『チャーリーとチョコレート工場』。おもしろかったですよ。んで、観た感想などを昨日の朝、けっこうたっぷり書いたのですが、書き終わって「保存」のボタンを押した瞬間、ココログがメンテナンスに入りまして... 通常であれば文書登録画面に行くところが「ただいまメンテナンス中です」画面になってしまい、それではとブラウザの「戻る」ボタンで前画面に戻ろうとしたのですが、戻れない。けっきょく、朝早くに一生懸命書いた文章は消えてしまいました。ちっ。エディタで書いてからコピペするんだった。

というわけで、もうこの映画の感想は書きません。でも、キーワードだけ。

「ウンパ・ルンパさいこー!」
「ジョニー・デップがウォンカさんのモデルにしたのは、マイケル・ジャクソンよりも、ミッキーマウスの“闇の部分”に違いない」


さて、昨日のお昼は神楽坂のビストロ・イデアルで食べたのですが、シェフが黒岩さんから椎名さんに代わって2週目。先週は1品しかなかったワンプレートランチが、今週は2品(肉と魚)からのチョイスとなっていました。それについては歓迎したいところですが、なんとなく、以前にくらべると「昼から美味しいものをしっかり食べた」という満足感が得られないのは、なぜかしら。

それよりも、残念なこと。大園支配人が今月末で退職するのです。大園さんから直接、お知らせいただきました。

実は自分、大園さんが今月いっぱいだということを、以前から知っていました。先にお店を辞められたスタッフの方から聞いていたので。でも、本人から直接聞くと、やはりショックというか、残念な気持ちでいっぱいです。

ビストロ・イデアルがオープンして2年とちょっと。自分が通い始めたのは1年半くらい前からでしょうか。おいしい“メイン・ディッシュ”をランチ時間に食べられるお店を探して神楽坂のいろいろなフレンチやイタリアンを物色していた頃です。イデアルではじめて食べた料理がなんだったか、いまとなっては覚えていませんが、ただ「この店の料理は、違う!」と鮮烈に思った記憶は残っています。以後は、イデアルとの食べくらべで「どっちのお店のほうが美味しいか」がお店選びの判断基準となり、けっきょくイデアルと同列に並ぶお店はリストランテ・ステファノしか見つけられなかったのです。

イデアルの圧倒的な強みだった、繊細で丁寧につくられた素晴らしい料理の数々を提供してくれた黒岩シェフは、いまはもうイデアルにいません。シェフの素晴らしい料理を楽しげに運んでくれたホールの杉嵜さんも、もういません。そして、シェフの料理に劣らず丁寧で、しかもときに愛嬌たっぷりなサービスをしてくれた大園支配人も、まもなくイデアルを去るのです。

たった1年半くらいの期間です。それに自分は1週か2週に1度ランチを食べにいく程度の客です。ディナー利用は4回くらいだったかな。お店で過ごしたトータルの回数や時間なんて、そんなにたいしたものではありません。

でも、その少ない時間のなかで、たしかに「素敵な時間」をすごし、お店とお客との「しあわせな関係」を彼らとともに楽しんできたのです。たった16席程度の「ビストロ・イデアル」という小さなお店で。

いつもの場所に、黒岩さんがいて、大園さんがいて、杉嵜さんがいて、そして自分がいる。そこで生み出されたしあわせな時間は、もう戻りません。誰かが抜けても、なにかが変わっても、同じものは生み出せません。それはしかたのないことだし、悪いことではありません。新しいスタッフと新しいお客のあいだでは、新しい「しあわせな関係」をつくればいいのですから。

でも、自分はおぼえておくでしょう。ビストロ・イデアルという小さなお店で、素敵な料理人とホール・スタッフとともに過ごした“しあわせな時”を。

「サービスは一期一会」

香川県にある小さなフレンチ・レストランでマダムを務める麻本いをりさんの言葉です。

お店は変わらずそこにあるかもしれないけれど、そこで働く人とそこを訪れるお客は、いつまでも変わらないというわけではありません。だからこそ、毎回を大切にしたい。素晴らしい料理人とスタッフに提供される素敵な食事を、その時間と空間を、大切に楽しみたい。だって、そのために「レストラン」にいくのですから。

突然の退職でひとことも挨拶できなかった黒岩シェフ、これまでありがとう。あなたの料理は本当に美味しかった。病気を治されて、いずれどこかのお店に復職されたときは、ぜひまた食べに行きたいです。

杉嵜さん、楽しく華やかなサービスをありがとう。いずれどこかで、一緒にワインを飲みましょう。

そして、大園支配人。きめ細やかであたたかい心遣いをありがとう。ワインや料理についてもいろいろ教えてくださってありがとう。丁寧なサービスをありがとう。人懐こい笑顔をありがとう。退職後はしばらくご実家のほうで静養されるとのことですが、いずれどこかのお店に復職されたときは、ぜひまた大園さんのサービスを受けたいです。あ、でもまだイデアルでの勤務が3週間ほどありますね。来週も再来週も、ランチ食べにいきますからーっ。


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2005/10/07

ふりかえればまだそこに

仕事上の理由と個人的な興味から、飲食店繁盛会が出している「飲食店繁盛会 ワンミニッツセミナー」というメルマガをとっています。毎週1回、非常にシンプルでかんたんなのだけど奥行きの深いサービスを提供するヒントが書いてあり、とても参考になるし勉強になるし共感もできるのです。

10月2日に発行された号では、お客さんのお見送りについて書かれていました。

行きつけのバーで飲んでいたときのこと。その日はマスターとの話が弾み、本当であれば深夜3時に閉店のところ、気がつけば朝6時まで店に居座ってしまっていたのだそうです。それに気づき、申し訳ないことをしたなぁという気持ちでいっぱいになったのだけど、マスターはそんな感じはまったくみせず、それが当たり前のように、普通にずっと接してくれていました。店を出るときも、マスターはお見送りをしてくれました。「マスター、ありがとう」といって店を離れ、マスターに悪いことしたなぁ、明日もお店なのになぁと思いながら200メートルほど歩き、ふと振り返ったら... マスターはまだ扉のところで、見送ってくれていたのです。

そしてこのメルマガの書き手さんは気づきます。

「ただお見送りするよりも、振り返ったときにそこにいてくれるということが、こんなにも嬉しいんだ!」

こういうの、わかるなぁ。お見送り自体はしてくれるお店が増えてきているようには思うけど、見送り続けてくれるお店って、実はあんまり多くないのですよね。

もちろん、お客さんがいっぱいで店内が忙しいときには、なかなかゆっくり見送っていられないということはあります。そういうときには、こちらだってわかりますから、べつになんとも思いません。でも、たとえばホールがすっかり落ち着いていてこれといった動きが出そうにない状況であったり、自分が最後のお客であったりしたときなどは、扉のところまで見送るだけでなく、そのあとも見送ってくれていると、ふと振り返ったときにまだそこで見送っていてくれると、やはりうれしいものです。

「お見送り」って、たんに「店からお客を外に出す」という意味じゃないと思うのです。「今日はお店に来てくださってありがとう、気をつけてお帰りになってくださいね、そしてまた来てくださいね」という、お客へ対してのあたたかい心遣いだと思うのですよ。その意味がわかっていれば、そういう気持ちがあれば、すぐに店内に引っ込んでしまうことなんてありえない。

サービスにはいろいろな「型」があって、サービス・マニュアルではその「型」を「すべきこと」として教えます。でも「型」は、マインドを形として表現するひとつのモデルにすぎません。「型」だけを教えてマインドを教えないと、「お客さんが帰るときには扉のところまでお見送りする」というスタイルだけしか教えないと、意味も考えずに「店からお客を外に出す」だけのお見送りをしてしまうのでしょう。大切なのは、「お見送りとは、お客さんに対するあたたかい心遣いである」ということなのに。

自分はあまり外食をしないのだけど、その理由のひとつに、楽しい食事ができる店が実は少ない、というのがあります。形だけのサービス、場をわきまえない下品なお客、その他もろもろ、食事の雰囲気を壊す要素だらけなお店がたくさんあります。そのほとんどは、お店側のスタンスがはっきりしていない、ホールのスタッフがお店の意思やサービスの意味について理解していないことによります。

そんななかで、数少ない、いつ行っても確実に満足できるお店が、神楽坂のビストロ・イデアルでした。

非常に丁寧な仕事をする黒岩シェフの料理は「フレンチって、こんなにおいしかったんだ」と再確認させてくれました。パプリカのババロアは絶品。また、すべてにおいて火の入れ具合が絶妙で、これより早ければ生焼けになってしまう、でもこれより遅ければ焼きすぎで硬くなってしまうというぎりぎりのところで料理を提供してくれました。いままで嫌いだったもの、食べられなかったものも、ここで出されると食べられてしまう。どころか、おいしく感じて、以後、好きになってしまうということも何度もありました。

そして、支配人の大園さん。彼のサービスも素晴らしい。鹿児島出身で、人懐っこい笑顔を持ち、フレンドリーに、しかしお店とお客との距離はきちんと測ったサービス。その立ち居地のバランスが非常にいい。サービス・パーソンとして働いて21年、ソムリエの勉強もしたことがあり、ワインについても詳しい。すべてのお客にきちんと目を配り、あたたかな心遣いを端々で見せてくれます。

結婚記念日に食事にいったときも、妻の誕生日に食事にいったときも、大園さんは必ず、お見送りをしてくれました。神楽坂の細い坂道で、姿がぼんやりと見えなくなるまで。あんなにたっぷりと見送ってもらったこと、ほかの店ではないな。自分は大園支配人のサービスが大好きです。

しかしイデアルは、変わりつつあります。

体調を崩した黒岩シェフは、先月でお店を去りました。急きょ迎え入れられた椎名シェフは、おそらく準備不足もあるのでしょう、まだその腕前を充分に発揮できてはいないような印象を受けます。また、繊細で手間をかけた料理が得意だった黒岩シェフとは、スタイルがだいぶ違うようにも感じられます。手のかかった煮込みや魚料理やムースなどよりは、グリエなどの肉の焼き物のほうが得意らしい。

そして大園支配人。彼のサービスがあるかぎり、イデアルは「イデアルらしさ」の一片を保つことはできるでしょう。でも、もし彼もお店を去ってしまったら... 手の込んだ本格的なフレンチを、熟練のメートル(支配人)のサービスで、しかも手ごろな価格で楽しめるというイデアルの魅力は、すべてなくなってしまうでしょう。そして、そうなりそうな予感がひしひしと感じられる今日この頃。

ふりかえればまだそこに、人懐っこい笑顔の大園支配人が見送ってくれている。クリスマスも、来年の結婚記念日も、来年の誕生日も、そういう情景が当たり前のように見られると思っていたのに。見たいと思っているのに。

お客は、お店につくのじゃないのです。とくにチェーン店ではない、こじんまりとした規模のお店では、お客は「人(スタッフ)」につくのです。たったひとりのスタッフで、お店もお客もいろいろなことが変わるのですよね。そこが飲食店経営って難しいなと思うのでした。

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2005/10/06

GIGI FINIZIO / UNA VITA UNA STORIA

最近はイタリア全国区での認知度も上がってきたようで、日本でもファンがけっこういるナポリ出身のカンタウトーレ、Gigi Finizio(ジジ・フィニツィオ)の、ナポリ・ローカルの時代のアルバムです。

ナポリのシンガーって、メジャー・レーベルで全国デビューする前に地元のレーベルから大量のアルバムをリリースしていることが多いようで、GigiもナポリのZeusレーベルからけっこうな数のアルバムを出しています。しかも、時代のせいもあるのでしょうが、最初はカセットテープだけで、のちにCDもリリースされたアルバムとかもあるようで、どのアルバムが何年リリースなのかよくわかりません。このアルバムも、ZeusからのCDで(P)1999とはなっていますが、もともとはカセット・オンリーだったような感じで、オリジナルのリリース自体はもっと古いのかも。彼のファン・クラブでもこのあたりはよく把握できないのか、ディスコグラフィのページを見ても、メジャー・リリースになった最近(2000年以降)のアルバム以外はリリース年が書いてない、オフィシャル・サイトにはディスコグラフィ自体がない、という状態です。さすがナポリです(なにが?)。

のちのアルバムではずいぶんと都会的な要素を感じさせるナポリ・ポップスになり、サンレモ後のGigi D'Alessio(ジジ・ダレッシォ)やGianni Fiorellino(ジァンニ・フィオレッリーノ)とあんまり変わらなくなってきた気がするGigi Finizioですが、ナポリ・ローカル時代の彼は、もっともっとナポリ風。そこに微妙にチープ感をかもし出す薄っぺらなキーボード・アレンジなどがときおり入ってしまうところなども、サンレモ前のGigi D'AlessioやGianni Fiorellinoとあまり変わらない気がします。それでも、この3人のなかではFinizioがいちばん都会風なのかなぁ。

彼の伸びやかな歌声は、やはり魅力ですね。この濁りのない感じの歌声が、彼に都会風の印象を与えているのかもしれません。曲の感じなどはD'AlessioやFiorellinoとあんまり違わない気がするけれど、声の個性でFinizioらしさを主張しているように感じられます。

こういったナポリ・ポップ、一時は好きでよく聴いていたのですが、だんだんどれを聴いても誰を聴いても同じような気がしてきてしまい、最近ではあまり聴いていませんでした。でも、たまに聴くとやはりいい感じです。いかにもイタリア(それも南)なメロディや雰囲気は、太陽の国イタリアに対する憧れをかきたてます。

しかし、このCD、録音クオリティが悪いんだよな。音が割れがち。これだからマイナー・レーベルは... って、Zeusはナポリでは大メーカーなはずなんだけどなぁ。

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2005/10/05

RON / UNA CITTA' PER CANTARE

たしかデビューは1970年代の中ごろだったような気がします。最初の頃は本名のRosalino Cellamare(ロザリーノ・チェッラマーレ)で活動していましたが、その後Ron(ロン)に改名し、おそらくいまも現役なんじゃないでしょうか。最近はあまり名前を聞かない気がするけれど。アルバムもけっこうたくさんあり、根強いファンもいるようです。

しかし自分にとっては、いつも「もうちょっとなんだけどなぁ」という物足りなさや歯がゆさを感じてしまうカンタウトーレ。メロディもそこそこきれいだし、ヴォーカルもそこそこ味わいがあるのだけど、けっきょく「そこそこ」でしかなく、あともう一歩のドラマというか奥深さというかアピールの強さがあれば... と、いつも思ってしまいます。

そんなわけで今回も、たまたま1980年代前半のアルバム3枚のボックス・セットが中古で安く売っていたので買ってしまいましたが、それほど期待せずに聴いたのですよ。で、聴いてどうだったかというと、やっぱり「もうちょっとなんだけどなぁ」という感じでした(笑)。

1曲目のアルバム・タイトル曲はいい感じで、ヴァイオリンとギターのみの地味~な歌から途中でコンサートでの歓声のSEが入りその後はオーケストラが導入されて盛り上がっていく、という構成は、ベタな感じではあるけれど、素直にじ~んときてしまいました。この曲で「もしや今回は!」とかなり期待したほどの、なかなかの曲です。

しかし、その後は良くも悪くもないロックだったり、すっごく普通なフォーク・ソングだったり、微妙に平凡なポップスだったり。

M2「Come va」とM3「Nel deserto」はロック系の曲なのですが、これ、きっとDavid Bowie(デヴィッド・ボウイ)とかが歌ったらもっとかっこいいと思うんですよ。いや、ほんと、David Bowieに歌ってほしい。Ronには、こういったちょっとクセのあるポップ・ロックをかっこよく歌いこなすのは難しそうです。

M6「Mannaggia alla musica」はFrancesco De Gregori(フランチェスコ・デ・グレゴーリ)の曲なのですが、いかにもDe Gregoriらしい、とても素朴なフォーク・ソングです。これ、De Gregoriが自分で歌ったなら、素朴ななかにも味わい深さが感じられるものになるのだろうけど、Ronが歌うと普通のフォーク・ソングになっちゃう。

M5「Nuvole」などは、おしいんだよなぁ。Giampiero Reverberi(ジァンピエロ・レヴェルベリ)のアレンジによるオーケストラも入って、イタリアらしいやわらかなメロディもあって、ロマンティックに盛り上がっていきそうな気がするのに、気がするだけで終わっちゃう。なんでだろうなぁ。メロディ自体は悪くないのに、曲全体の構成というか、曲としてのドラマのつくり方があまりうまくないんだよなぁ。

アルバム・ラストのM8「Tutti cuori viaggianti」も、イントロでは少しジャジーな雰囲気を漂わせてて、なんとなくしゃれた大人のロマンを振りまくのかと思ったら、歌が入ったとたんに普通のポップスになっちゃうし。

そんなわけで、自分の感想としては「あいかわらずなRon」といった感じのアルバムですが、それでもM1がいい曲だったので、それだけでもOKとしましょう。

ちなみにこのアルバムに収録されている曲のほとんどはLucio Dalla(ルーチォ・ダッラ)とRon(クレジットでは本名のR.Cellamareになってるけど)によるもので、M3はDe Gregoriとの曲、M6はDe Gregoriのみの曲だったりするのですが、アルバム中ベストと自分には思えるM1はL. Dalla-O'Keefe名義なのですよ。O'Keefe(オキーフェ?)って誰だろう? わかりませんが、少なくとも、曲づくりにRonがかかわらないほうがいい曲ができる、という証明のような気がします(笑)。

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2005/10/04

これでキミのページもHG! フゥー!

これ、おかしいです!

ウェブの好きなページを表示しているときに、ブラウザの、URLを打ち込むところに以下のスクリプトをコピペします(JavaScript ONの状態でね)。

JavaScript:with(document.body)innerHTML=innerHTML.replace(/<\/(a|A)>/g,'フゥーーー!!').replace(/。/g,'フゥーーー!! ').replace(/」/g,'オッケ~~!!」').replace(/w/g,'セイセイ');focus()

そうすると、そのページの記述がなぜかレーザーラモンHG調に(フゥー!)。
自分のページとかでやってみると、かなりきます(笑)オッケー!

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チンクエ・テッレの1週間(8)

2005/09/10(土) 雨→曇り/晴れ

8時起床。天気予報では今日のジェノヴァ周辺は1日曇りのはずだけど、窓の外は雨が降っている。残念。10時ころにはなんとなく上がってくれるといいのだけど。

と思っていたら9時過ぎには雨が上がった。よかった。

10時少し前、ホテルをチェックアウト。荷物をフロントに預け、リオマッジォーレへ。さっそくお気に入りのビーチへいくが、ビーチに着く直前に雨が! まじですか。でも、岩陰でしばらく雨宿りしていたら雨も上がり、そのあとには明るい日差しが出てきた。気温も上がってきたし、波も昨日ほど荒くなく、なかなかよい海水浴日和。しかし自分らは午後の飛行機に乗らねばならず、海に入ったあとに体や水着を乾かす時間が足りない。なので手足を浸ける程度で、あとは海を眺めて過ごす。

12時過ぎにランチ。昨日食べた店のとなりで、アッチゥーゲ(アンチョビ)のフリット(フライ)とアンチョビのパスタ、ミックスサラダ、白ワインと水を頼む。アンチョビは、日本で売っているいわゆる塩&オリーブ浸けではなく、フレッシュなイワシの小さいもののこと。これのフリットはワカサギのフライのようだし、パスタもフレッシュ・アンチョビの甘い味が楽しめる。地元産のテーブルワインともばっちりの相性。食後にシャケットラとエスプレッソを頼み、全部で49ユーロ。チンクエ・テッレ最終日に地元名産のアンチョビ料理と地元のデザートワインを楽しめてよかった。

14時過ぎ、店を出てまたビーチへ。帰りの電車は15時半ころ。あと1時間くらいはビーチでもんやりできる。靴を脱ぎ、ときどき海に足を浸けたり、ビーチでぼーっとしたりして過ごす。朝の雨がうそのようにいい天気。これから飛行機に乗るのでなければほんとうに海に入りたい。

15時、帰り支度をしてビーチをあとに。リオマッジォーレの町と海に別れを告げ、ラ・スペツィアへ戻る。ホテルに預けてあった荷物を引き取り、16時10分発のピサへ向かう電車に乗る。

のだけど、ここはイタリア。出発が10分遅れ、あと20分程でピサ中央駅に着くはずのところでなぜか15分ほど停車し(もちろん社内放送や停車の理由の案内などはない。あったところでなにをいっているのかわからんが)、ピサについたのは定刻の30分ほど遅れ。予定では17時16分に中央駅に着き、うまくいけば17時20分発、多少遅れても42分発の空港行き電車に乗れるはずだったのだが、両方とも乗り逃してしまった。このあとの空港行き電車は18時50分発。これだと空港に着くのが少し遅いので、空港まではバスで行くことにする。イタリアの路線バスに乗るのはひさしぶり。タバッキでチケットを買うのもひさしぶり。ちょっと楽しかった。

18時15分ころ、空港着。まだチェックインは始まっていない。しばらく空港内で待つ。18時45分、チェックイン開始。さくさくとチェックインし、帰りは通路際の席をゲット(できたはず)。小さな空港でこれといって冷やかすお店もないので、とっととデパーチャーへ進み、ゲート前で登場開始まで待つ。

パリ/シャルル・ド・ゴール行きAF1067便は定刻どおりピサを出発。離陸の30分後にサンドイッチとドリンクのサービス。サンドイッチはツナかチーズのチョイスだったが、チーズはプロセスチーズではなくちゃんとカマンベールが挟まっているところがさすがエール・フランス。食後は着陸までうつらうつらとする。気流が悪くてかなり揺れる。

定刻より10分ほど早くパリ着。広いシャルル・ド・ゴール空港で遭難しかけながら、なんとか成田行きのゲートにたどり着く。ゲート入場時にアフリカ系のお客がスタッフとトラブっており、自分が危険物検査のゲートを通るときに明らかに警報がなったのに、ノーチェックだった。いいのか、それで?

成田行きAF278は時間どおり23時35分に出発。あとは食べて寝て映画を観て日本に着くのを待つだけ。

食事は2回。ディナーは、サーモン入りのパスタサラダ、串刺しにされたモッツァレッラとセミドライトマト、鳥肉のグリル ジャガイモ・パプリカ・ズッキーニのバジル風味沿え、カマンベールチーズ、ヘーゼルナッツアーモンドペストリー、洋梨のフラン。これに白ワインをつけた。サーモンは少し魚臭い感じだったが、他はまずまずの味わい。メインは肉よりも付け合わせの野菜のほうがおいしかった。

朝食は2種類のハムと2種類のスライスチーズ、フロマージュブラン、ミックスフルーツ、オレンジジュース、フィナンセ。どれもおいしいのだけど、疲れてきてしまったのとディナーがけっこう量が多かったこともあってか、あまりお腹がすかず、全部は食べ切れなかった。機内食を完食できなかったのはひさしぶり。

映画は... ほとんど寝ていたのでけっきょくなにも観なかった。ペネロペ・クルツの出ている『サハラ』は観たかったのだけどな。

まもなく成田に到着。今年の夏休みも終わってしまった。長くはないけれど、いい夏休みだったな。来年は夏休みを取れるだろうか。取れたら、どこに行こう? その前に年末年始だな。オーストラリアに行けるといいのだけど。


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2005/10/03

チンクエ・テッレの1週間(7)

2005/09/09(金) 雷雨→曇り/晴れ/一時雨

8時少し前に起床。願い空しく、窓の外は激しい雨。しかも雷まで鳴ってる。これではどうしようもない。強い稲光があるたびに、テレビのどこかのチャンネルが映らなくなる。そうやってだんだん観られるチャンネルが減ってくるのだけど、しばらくすると先に観られなかったチャンネルから復旧してはいるようだ。

9時過ぎ、朝食を食べているあいだに、だんだん空が明るくなってきた。小降りになるかもしれない。少しの雨なら、町に出て教会巡りなどをするのもいいなと思っていたが、9時半過ぎにはとりあえず雨があがり、空もなんとなく明るくなってきた。それでも雲は多いし、快晴とはいかずときどき雨もまた降るだろうけれど、これくらいの天気なら活動できる。なのでリオマッジォーレへでかけることにする。

10時過ぎの電車でリオマッジォーレへ。とりあえずこのあいだ見つけたビーチへいってみるが、これがこれまでにみてきたリオマッジォーレの海と同じ海かと思うほど波が荒く、とてもじゃないが泳ぐのは危険。実際、誰も泳いでいない。しかし、日本海の荒波を思わせる海を眺めているのは、それはそれで気持ちのいいもの。午前中はずっと海を眺めて過ごした。

12時半ころ、昼食。コントロヴェラッチォ(Trattoria Controvelaccio)という店に入る。魚介のラザニア、野菜のオーブン焼き、アンチョビに詰め物をして揚げたもの(Acciughe ripiene)、水とワイン500ccで39ユーロ。ちょっと高めかな。でもアンチョビは抜群においしい。詰め物をしたアンチョビフライはこの地方の名物料理らしく、機会があれば食べたいと思っていたのだが、食べられてよかった。ワイン(Colli di Luni)との相性もばっちり。Colli di Luniは、けっして高級ワインの味ではないので、日本には輸入されないだろうし、輸入されても売れない気がするが、ここで地元の魚料理と一緒に楽しむには最適な味わいといえるだろう。

食後はまたビーチに戻り、荒れる海を観て過ごす。砂浜ではなく石がゴロゴロしたビーチなので少し痛いのだが、タオルを敷き、折り畳み傘をビーチパラソルがわりにセット。日を浴びながら寝転がり、暑くなったら足だけ海につかる。そのままうたた寝をしてしまった。

雨が降ってきたので目が覚める。17時。町へ戻り、バールでお茶を飲んで一休み。雨がやむのを待つ。バールを出たあとは、近所の土産物屋や食料品店などを軽く冷やかす。

ホテルの近所のスーパーが20時で閉まってしまうので、なごり惜しいが19時ころの電車でリオマッジォーレをあとにする。明日はもう日本に帰らなければいけないが、飛行機がピサ空港を飛び立つのは20時45分なので、それまでまたリオマッジォーレにいよう。ただ、ラ・スペツィアからピサへいく電車があまりなく、16時10分発の電車に乗らなければいけない。電車の本数や、電車が遅れがちなこと、ホテルに預けた荷物を回収することなどを考えると、昼過ぎくらいまでしかいられないな。

ラ・スペツィアのスーパーで夕飯の買い物。プロシュート・クルド(生ハム)、モッツァレッラ(今日は牛乳のやつ)、インサラータ・ルッサ(Insalata russa。ロシア風サラダ。野菜のマヨネーズあえ)、アンチョビのフィレ(Filetti alici)、リグーリア産のオリーブ、お米のタルト(Torta di riso)、野菜(たぶん、ズッキーニ)のタルト(Torta di verdure)、ピエモンテ産のDolcetto d'Acqui 1999 / Calisano。これがイタリアでの最後の夕食。でも、とりあえずリグーリア/チンクエ・テッレ近郊のご当地料理はだいたい食べたかな。

食後は荷物をまとめてチェックアウトに備える。あぁ、もう帰るのかぁ。せめて明日の昼過ぎまでがいい天気であるように。


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