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2005年8月

2005/08/31

LE ORME / IL FIUME

11月に初来日が決まったそうで、観にいくかどうか非常に迷っているところです。でもなぁ、あの歌声は生で聴いてみたいなぁ。

演奏よりも歌声に強くひかれてしまう... 自分にとってLe orme(レ・オルメ)はそういうグループです。一応EL&Pタイプのプログレッシヴ・ロック・グループと呼ばれたりすることもある彼らですが、自分はあんまりプログレということを強く意識して彼らを聴いたことがありません。まぁ、あまり高くない演奏力以上に、イタリアでしかありえない味わい深いヴォーカルの印象があまりにも高いからでしょうか。

演奏はヘタだけど、歌がいいんだよ... 1970年代の、全盛期の彼らに対する、よく聴かれる評価です。実際、それは決して的外れではないと思います。

でも、再結成・活動再開後最初のアルバム(でしたよね、たしか)となる『Il fiume』では、そんな評判を跳ね返すような、いかにもシンフォニック・プログレッシヴらしい力強い演奏を聴けます。楽器が新しくなったこともあるのでしょうが、クリアかつ厚みのあるキーボード・オーケストレーション。ぼこぼこした音だけどドタバタ感の減ったドラム。ポンプ・ロック以降のグループのような伸びやかなギター。そしてなにより、インストゥルメンタル・パートがふんだんに盛り込まれていて、しかもそれが安定した演奏力で、安心して聴いていられるのです。

ヴォーカルは、あいかわらず独特の個性をふりまいています。まさにOrmeのヴォーカルです。このヴォーカルがなかったら、このアルバムがOrmeのアルバムだと自分は気がつかなかったかも。そのくらい、演奏と曲調は1970年代のOrmeとは違うように思います。すっきりとまとまったシンフォニック・プログレッシヴ・ロックが演奏されており、より新しい世代のグループのようです。途中では合唱まで入ってしまったりします。河の水音のSEから始まり、エンディングに向けてじわじわと盛り上がっていく。こういった曲調・構成はわりと自分の好みですが、Ormeらしいひなびた感じが薄まってしまったのは少し残念ではあります。しかしシタールやタブラといったエスニックな楽器も取り入れ、「河」をテーマに(この時代に)コンセプト・アルバムをつくろうという彼らのプログレッシヴ魂に、そして納得のいくクオリティの作品をつくりあげた彼らの技量に、敬意を表します。

うん。いいアルバムだと思いますよ、これ。

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2005/08/30

だんだん住みにくくなってくる


日々の夕食の材料を買っている近所のスーパー「ピーコック」から最近、気の利いた食材が少しずつ消えていきつつあります。

一時よく買っていた缶入りのザワークラウトも、気がつくとなくなってしまいました。小さなサイズで手ごろで助かったのに。まだ大瓶に入ったものは売っているのでなんとかなりますが、これがなくなるのも時間の問題か。

一時、ときたま見かけていたラム肉も、最近ではぜんぜん見かけません。最近のブームに乗ってか、ジンギスカンのたれとかは山盛り売っているのに、ラム肉なしでどうしろと?

ハムやベーコン、ソーセージ、サラダ、キッシュ、調理済みハンバーグなどを量り売りで買えた惣菜コーナーもなくなってしまい、気がつけば盛り合わせ弁当販売コーナーになってるし。

けっきょくここいらの地域では、洋風食材はあまり売れないということなのでしょうか。

しかし、もっとも困ったのが、パン売り場の退化です。ただでさえ日本のパン屋には甘いパンばっかりで、食事用のパン、小麦の風味が感じられたり大麦・ライ麦の香ばしさが楽しかったりする甘くないパンが少ないというのに、ピーコックのパン・コーナーのなかでなんとかがんばっていたプチ・ミッシュが、先週末から消えているようなのです。外はパリパリ、中はふんわり、小麦の風味がする、バゲットをすっごくすっごく小さくしたような、拳骨2個分くらいの大きさの、とってもいいサイズのパンだったのに。食事時に米を食べないうちでは、ほぼ毎日プチ・ミッシュを食べていたのに。ミニ・バゲットでは1日で食べきれない(ことはないのだけど、食べきってしまうと少し食べ過ぎ)けど、プチ・ミッシュならちょうど夕食1回サイズで風味の落ちる前に食べきれて、いい塩梅なのに。

さらに情報によりますと、プチ・ミッシュどころか、バゲットその他のほとんどの「焼きたてパン」が棚から消えているらしい。残っているのは菓子パンと調理パンとメーカーで袋詰めされた食パンやバターロールといった類ばかりだとか。

そんなの、パン屋じゃないやい。

あぁ、通勤路の途中に、パン屋がほしい。ヨーロッパの家庭で普通に食べる食事用のパンを普通に買えるパン屋がほしい。白パン黒パンそしてバゲットにライ麦パンにチャバッタにパン・ド・セーグルにパン・ド・カンパーニュにパン・ド・トスカーナその他もろもろ、食事用の甘くないパンをもっと売ってください。フォションやペックとまでの贅沢はいわないけれど、ポンパドールでもリトル・マーメイドでもいいから近所にできてほしい。でないと、楽しい夕食ができません。美味しいパン屋がない町なんて、住みにくいです。

うまいパンを、パンをぉぉぉぉっ!

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2005/08/29

まぁまぁかなアルベラータ

先週・今週と、行きつけのリストランテ・ステファノが夏休みをとっているもので、ランチに美味しいイタリアンが食べられません。ということで、たまには違うイタリアン・レストランでランチを取ろうと、一部で「神楽坂の隠れた名店」と呼ばれているらしいアルベラータに行ってきました。

ランチのコースは4種類。サラダ・パスタ・デザート・ドリンクのパスタランチ、前菜・パスタ・デザート・ドリンクのAランチ、前菜・パスタ・メイン・デザート盛り合わせ・ドリンクのBランチ、シェフのおまかせコースのCランチ。

オフィシャルサイトのメニュー表を見ると、パスタランチのところには「時間のない方におすすめ」とあります。逆にいえば、パスタランチ以外は時間がかかるぞというお店側の意思表明なわけで、それもあっていままでランチを食べにいかずにいました。自分はランチでもメインディッシュが食べたいタイプなので。

さぁ、1時間の昼休みでメインつきのBランチが食べられるのか。どきどきです。注文をとりにきたカメリエーレ(ウェイター)にたずねます。

12時50分くらいにはここを出たいのだけど、Bランチ頼んでも、時間的に間に合うかなぁ?

ちなみに以前、ステファノでたずねたときの回答は「お客さまが食べてくださるなら」でした。料理はタイミングよくどんどん提供するから、あとはお客の食べるスピード次第です、という意味でしょう。実際ステファノでは非常にタイミングよくランチコースが提供されますので、1時間でも充分に最後までいけます。料理もグラスワインも美味しいものが提供されるので、毎週食べにいくのが楽しみです。

ちなみに以前、神楽坂のカンティーナ・フィレンツェでたずねたときの回答は「無理です」でした。だけどメインが食べたいんだけどなぁと粘ったのですが、「時間的に間に合いません」と重ねて回答され、しかたなくパスタとデザートだけのランチを食べて、しかも料理もグラスワインもすごく美味しいというわけではなくて、哀しい思いをしました。もういかない。

さて、アルベラータはなんと答えるでしょうか。

「12時50分くらいにはここを出たいのだけど、Bランチ頼んでも、時間的に間に合うかなぁ?」
「12時50分ですか、ちょっと難しいかもしれません。混み具合にもよるのですが」
「でも、メイン食べたいんだよなぁ」
「そうですか。では、お客さまに大急ぎで食べていただいて、こちらも大急ぎでつくってどんどん提供する、というかたちでよろしければ、キッチンに伝えて、がんばってみますが」
「んじゃ、それでお願い」

というわけで、Bランチを頼むことができました。最初からお客の都合に合わせる気などさらさらなかったカンティーナ・フィレンツェとは大違いです。さすが「神楽坂の隠れた名店」アルベラータです。見習えよ、カンティーナ・フィレンツェ。もし実際は料理提供が間に合わず、最後のデザートを食べる時間がなくなったとしても、あるいはすべてのコース提供終了が1時ぎりぎりまでかかってしまったとしても、それはそれでよしと思います。こちらが無理をお願いして、お店としてはそれに応えようとがんばってくれたのだけど、どうしても間にあわなかったってこともあるでしょう。お客の食べるスピードにもよるしね。客の「こうしたい」に店側として「対応したい」という姿勢を評価したいと思います。

実際、その後の料理提供は速かった。グラスワインのあと、すぐに前菜の盛り合わせ(アンティパスト・ミスト)が来ました。トリッパのトマト煮、自家製ローストビーフ、ムール貝のオーブン焼き、ジャガイモとタコのサラダ、白いんげんとタコのサラダ、カプレーゼなどが盛り合わさっています。

アンティパストを食べ終わるとすぐに、プリモ(パスタ)がきます。前の皿をさげてから次の皿がくるまでにかかった時間は、2分程度でしょうか。ほんとに大急ぎで提供してきます(笑)。ちなみにプリモはタコのラグーのフジッリ。少し辛口の味付けでした。

プリモを食べ終わってまた2分ほどで、セコンド(メイン)の提供。速い。真鯛のソテーにバルサミコのソース。やわらかで繊細な味です。しかし口の中にまだプリモの辛い味が少し残っていて、せっかくの繊細さがよくわからんかった。

セコンドまで食べ終わった時点で、まだ12時30分を少し過ぎただけ。楽勝です。デザートとドリンクもゆっくり楽しめるでしょう。

セコンドの皿をさげながら「あわただしい食事ですみません」とカメリエーレがいいます。いや、いいんですよ。そうお願いしたのはこっちなんですし。たしかに提供のされ方はあわただしかったところはありますけど、食べるの自体はゆっくり食べましたし。「今日はたまたま、他のお客さまの料理とのタイミングがよくて。普段の3倍くらいのスピードで提供できました」だそうです。

ちなみにカンティーナ・フィレンツェでランチのセットを食べたときは、オーダー時にカメリエーレに「12時50分ごろには店を出たい」と伝えていたにもかかわらず、いつまでたっても終わった皿をさげない、とっくにプリモも食べ終わってるのにデザートをなかなか持ってこない。しかたがないので「時間がないから持ってきて」と請求をかけたけど、それでもゆっくり持ってくる。会計をお願いしてもなかなか伝票を持ってこない。けっきょく1時直前になるまで店を出られなかった、という哀しい記憶があります。

一方、アルベラータでは、そのあとデザートの盛り合わせとエスプレッソをゆっくりいただいて、お店を出たのが12時50分少し前。いい具合です。カメリエーレの気遣いで、予定どおりに食事を終えることができました。見習えよ、カンティーナ・フィレンツェ(いまはもっときちんとしたサービスが提供されるようになっていることを切に願う。自分は、もう行く気はないけれど)。

料理の味自体は、非常に洗練された、上品な味付け。いわゆる「日本人がつくる、日本のイタリアンな味」だと思います。美味しいのだけど、これといって特徴やパンチがないという感じ。自分はイタリアの比較的安いレストランで食べる主張の強い味が好きなので、こういった味付けよりは、やはりステファノで提供されるような料理のほうが好きです。また、繊細さでは、たとえばビストロ・イデアルで出しているようなフレンチのほうが分があるなという感じもします。なので、日本人好みの美味しいイタリアンだとは思うけれど、個人的にはイデアルかステファノで食べたほうがいいという思いは変わりません。ここ数年、いくつかのお店を試したけれど、この2店の優位はなかなか脅かされませんね。

あと、アルベラータは提供しているグラスワインの銘柄がわからないのがちょっと痛い。たずねれば教えてくれるのかもしれないけれど、メニューには載ってないし、提供のときに説明もない。おそらくトレッビアーノ系かなとは思うのだけど、やはりイデアルとステファノで提供されているグラスワインのほうが美味しいんだよなぁ。

というわけで、ホールサービスは悪くないし、料理も悪くないけれど、だからといって「おぉ!」ということもない、まぁまぁなお店でした。昼にイタリアンを食べたくなったのだけどステファノが休みだって時にはまたいくかもしれないです。


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2005/08/26

いぢわる

こういういぢわるはやめようよぉ~。
やりたくなる気持ちはわかるんだけどねぇ~(似たようなことをやったことがある)。
モモさん、めっちゃかわいいですぅぅぅぅ。

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AMEDEO MINGHI / I RICORDI DEL CUORE

うちには2000枚を少し越すくらいのCDがあるのだけど、複数枚のCDを持っているアーティストって、あまりありません。ま、アルバム1~2枚で消えてしまうアーティストが圧倒的に多いからということもありますが。そういったアーティストでなく、ある程度の活動期間にある程度の枚数を出した人でも、コンプリートに近いカタログをそろえているアーティストになると、Claudio Baglioni(クラウディオ・バッリォーニ)やPaolo Vallesi(パオロ・ヴァッレージ)、Vincenzo Spampinato(ヴィンチェンツォ・スパンピナート)、New Trolls(ニュー・トロルス)、Anonimo Italiano(アノニモ・イタリアーノ)など、ごくわずかです。

そんななかでAmedeo Minghi(アメデオ・ミンギ)は、CD化されている作品のほとんどを持っている、数少ないアーティストのひとりです。

なんだろうなぁ。なにかが「すごくいい!」というわけではないのだけど、ついつい買ってしまうんだよなぁ。曲調とかメロディとか、ずっとおんなじで、どのアルバム聴いてもこれといって代わり映えしないのだけど。とくにドラマティックだったりすっごくメロディアスだったりということもないのだけど。歌がめちゃくちゃうまいとか演奏・アレンジがすごく凝っているといったこともないのだけど。だけど、なぜか買ってしまう。

そうやってつい集めてしまったAmedeoの作品のなかでも、個人的に最高作と思っているのが『I ricordi del cuore』です。

初期のころのAmedeoは、アコースティック楽器や生のオーケストラなども導入した、あたたかみと優しさをたくさんまとったポップスを聴かせてくれていたのですが、その後は演奏がシンセサイザーやキーボード中心となり、やたらと壮大なキーボード・オーケストレーションをバックにシリアスな感じもまとうようになっていきます。その壮大シリアス路線の頂点に立つのが、このアルバムだと思うのです。

もちろん、Amedeoの優しい声は変わらないし、メロディの単調さもたいして変わらないし、あたたかみを残した曲もあるし、いくらか軽やかな曲もあるのだけど、ぶわぁ~っと鳴り響く壮大なキーボードをもっとも堪能できるアルバムではないかと。

このアルバム後は、演奏自体はさらにコンピュータ・プログラミング・キーボード集中化が進み、シンプル(単調ともいう)になり、そこに初期のような甘さやあたたかさが追加され、もやぁ~んとした甘いポップスがメインになっていきます。メロディの単調さはそのままに。それはそれで悪くないのだけど、もともとメロディが地味で単調な人なので、演奏面でのメリハリや強い引きといったものが薄れると、曲としてはあまりおもしろくなくなっちゃうわけで。歌声は変わらず魅力的なんだけどね。

というわけで、自分としてはやはり、デビューからだんだんと道を探してきたなかでついに頂点を極めたと思われるこの作品までが好きなのです。そこから先は、この作品にたどり着くまでに見つけてきたことややってきたことを、少しずつ再構築・再生産しているだけのような気がして。

Amedeoの作品のなかでも重く沈んだ感じが強い、どちらかというと異色な肌触りの作品かもしれませんが、ここにはイタリアの、ヨーロッパの、ドラマとロマンを感じるのだなぁ。うん、いいアルバムだと思います。

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2005/08/25

これは、ひどい

不特定多数が見るネット上に、政治等に関する個人的な考えなどを書く気はないし、主張・表明するほど立派な考えも持っていないのだけど、それでもこのマンガは、政治家が、政党が、そのオフィシャルサイトに掲載するものとしては、どうなんだろうか。亀井静香という人は以前からその顔つきやしゃべり方などが生理的にどうしても受け付けないと感じていたのだけど、こういうのを見ると、「受け付けない」と感じた自分の感覚に自信が持てる気がする。

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サービスなお話が見たい・読みたい


最近、ひさしぶりにコミック『ソムリエ』を読み返しています。これ、やっぱいいお話ですよね。
連載時は「ワインの知識・薀蓄がつくマンガ」として、ワイン・ラヴァーやワイン販売店などのあいだで話題になったそうですが、たしかにワインについてのバックストーリーやらその他もろもろが楽しく読めるというおもしろさはあるのですが、自分はそれよりも、レストランでのホール・サービスに真剣に向き合い、取り組み、行動をしていく「ソムリエ」というサービス・スタッフの物語として、このお話が大好きなのです。主人公のソムリエは、ワインの薀蓄などもすべて「よりよいサービス、お客さんに望まれ喜ばれるサービスを提供するため」の道具として扱っているのがいいです。

ワイン・マンガといえばその後、『新・ソムリエ 瞬のワイン』という『ソムリエ』の続編ができたり、最近では『神の雫』が話題だったりします。『新・ソムリエ』は連載時に少ししか読んだことがないのだけど、まぁ、おもしろいといえばおもしろい。『神の雫』は単行本が2巻まで出ていて、2巻とも持っているけれど、これもおもしろいといえばおもしろい。ただ、これらのマンガのおもしろさは、「ワイン・マンガ」としてのおもしろさなんですよね。ワインを造る人とそれを味わう人のドラマが主になっていて、サーブする人とサーブされる人の間のドラマは出てこない。「サービスのマンガ」ではないんです。

自分は、サービス業、とくに飲食店のホール・サービスが好きです。以前レストランで働いていたし(つらくて逃げ出しちゃったんだけどね。:-P)、レストランを辞めたいまも、お客さんとして客席に座って、ホール・スタッフの動きとかを見ているのが好き。一生懸命「サービスの仕事」に取り組む人が好きです。『ソムリエ』を読んでいると、サービスの仕事の楽しさ・素晴らしさを思い出し、あらためて感じます。

こういった「サービスの仕事自体のドラマ」って、実はあまり多くないように思う。『王様のレストラン』だって、舞台はレストランで主人公?はギャルソンだけど、サービスそのものがテーマではないですよね。仙石さんのテーブル・サービスをもっともっとたくさん見たかったのに。

その点、数年前のテレビドラマ『高原へいらっしゃい』(リメイク版)は、ドラマの主題はホテルの再建だったけれど、そこで働くスタッフたちが真剣にお客と仕事に向き合う姿がきちんと描かれていて、「サービスのドラマ」としてなかなか心にしみました。出演者の可愛らしさばかりが話題になった?『マイ リトル シェフ』も、主人公はホール・スタッフではなくシェフだったけれど、ひとりひとりのお客に一生懸命に「より喜ばれるものを」とメニューを組み立てていく姿が「うん、このほうがステキ☆☆☆」。また、ホテル業界関係者のあいだで話題になった『東京ワンダーホテル』も、全体を通してのドラマは若者たちの挑戦がテーマみたいでしたが、白州さんが1日コンシェルジュ?になる回は素晴らしかった。熟練したサービス・パーソンならではの観察力と推理力と気配り。ああいうのを見ると、もうめろめろです。

こういった、サービスという仕事や現場を通じてサービス・スタッフとお客さんとのあいだに生まれるドラマを楽しめる映画・マンガ・小説って、ほかにはどんなものがあるのでしょうか。自分はいま、サービスなお話がとっても見たい・読みたい状態なんです。

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2005/08/24

東京より福岡のほうが、ちょっと偉い?


膝(ひざ)の話です。
ひざには別名?がありますよね。子供とかに向かって使う。

東京生まれで東京育ちの自分が知っているひざの別名は、「ひざ小僧」です。

「いってぇ~、転んで、ひざ小僧すりむいちゃったよぉ~」

などのように使います。
しかし、福岡生まれで高校生時代まで福岡に住んでいた妻は、「ひざ小僧」とはいわないのです。

「あいたたっ! ひざぼんさん、ぶっつけたっ」

ひざぼんさん?

日本をおおまかに東と西に分けると、東京は東文化圏ですが、福岡は西文化圏です。実際、東京で生まれ育った自分から見ると、福岡の生活文化や言葉遣い等にいわゆる関西文化圏との類似を多数感じることがあります。

関西文化圏で「ぼんさん」といえば、それはおそらく「ぼんさんが、へをこいた」遊びに出てくる「ぼんさん」でしょう。ちなみにこの遊びは、東京では「だるまさんが、ころんだ」といっていました。関西に行くと、禅宗の偉いお坊様である達磨(だるま)大師もただの「坊さん(ぼんさん)」になってしまうところが素敵です。

ここから推察できるのは、文化圏的に関西との類似がいくつか見出せる福岡でいう「ぼんさん」も、やはりお坊さんのことではないか、ということ。つまり「ひざぼんさん」とは、「ひざ坊さん」が訛ったのであろう、正しく敬意を込めて呼ぶのであれば「ひざお坊様」であるべきだが、あえて親しみを込めて「ひざぼんさん」と呼んでいるのであろう。

というところまで考えるにいたって、気づきました。

おいらのひざにあるのは「ひざ小僧」。
妻のひざにあるのは「ひざぼんさん」。

どう考えても「小僧」より「坊さん」のほうが、格が上です。偉いです。
ということは、おいらのひざよりも妻のひざのほうが、格が上で、偉かったのです。
さらに地域的に考えて、東京のひざよりも福岡のひざのほうが格上で偉かったのです。

なんとなく、悔しい。
いつどこでつけたのか本人が気づいていない青あざが頻繁にある妻のひざより、傷ひとつないおいらの美しい?ひざのほうが格下だなんて...

世の中には、知らないほうがいいこと、気づかないほうがいいこともあるのだと、改めて知った今日この頃なのでした。

追伸:「だるまさんが、ころんだ」遊びは、福岡では「いんどじんの、くろんぼ」という、いまではぜったいテレビで放送できないであろう掛け声で遊んでいたそうです。「だるまさん」から「ぼんさん」への変遷は想像がつきますが、そこからどうして「インド人」になってしまったのか、謎です。答えはきっと、関門海峡の海の底深くにあるのかもしれません。

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2005/08/23

カピバラさん

最近一部で人気らしいカピバラさん。う、なんか、かわいぃ~。スナップ写真がぁ!

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ペーパーバックに挑戦

ペーパーバックに挑戦シリーズ?も、もう第5弾に入ります。

思い起こすと、最初に挑戦した『Life is Beautiful (La vita e' bella)』はいかにも「イタリア語から英語に翻訳しました」風な文章の流れの美しくなさと見たことも聴いたこともない単語の続出に狼狽、第2弾の『Seven』では「Fu*k」だの「H*ll」だのといったスラングの続出でコアとなる文の意味を読み取るのに疲労、第3弾『Of Mice and Men』ではアメリカ南部の農民ことばがそのまま文字になっていて辞書に載っていない単語が続出し音の感じから標準的な単語を推測しなくてはいけないことに困惑、そして前回の『The Sixth Sence』は文章自体はやさしいのにいまだ圧倒的に単語力(ヴォキャブラリー)が不足しているために文章の意味を把握できないという現実を突きつけられて意気消沈... といった感じですが、それでも「翻訳でない、オリジナルのことば」で書かれている(『Life is Beautiful』は違いますが)からこその「空気や雰囲気」が感じられ、文章の意味はわからないけれど心に届くものがあるように思われて、なかなか楽しかったのです。たいへんだったけど。とくに『Of Mice and Men』は、日本語翻訳版よりも、より深く情感が味わえたように思います。

そして、第5弾。今回は『Jonathan Livingston Seagull a story』です。ずいぶんむかしに日本でもベストセラーとなった『かもめのジョナサン』のオリジナルですね。

これまでのペーパーバックに挑戦は、すべて「日本語翻訳版を先に読んだことがあり、お話の内容を知っているもの」だったので、多少英文が読み取れなくても「ここはたしか、日本語版ではこんなふうなことが書いてあったはず」とストーリーを把握しながら読むことができました。しかし『かもめのジョナサン』は、自分は読んだことがありません。初めての「お話の内容を知らないまま読み進めるペーパーバック」になります。最後まで読みきれるか、心配です。薄い本なのでだいじょうぶだとは思うけど。

今朝の電車の中で読み始めましたが、出だしはまるで詩のようですね。倒置法が使われたりして、おそらく、声に出して読むと美しい音の流れになるんだろうなと思います。まだ2ページしか読んでいませんが、すでに知らない単語が10個くらい出てきました。いちいち辞書で調べていると先に進まないので、適当に「きっとこんな意味の単語だろう」と推測できそうなところは推測で読んでます。さぁ、最後まで読めるのか。ストーリーを把握できるのか。どのくらいの期間で読めるのか。

無事に『Jonathan Livingston Seagull a story』を読み終えられたら、次はミヒャエル・エンデの『Momo』あたりに挑戦してみたいと思います。お話の内容は知らないけれど、家にあったので。

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2005/08/22

あのあとたっぷり怒られたんだろうな

トルコでの初開催となったF1グランプリは、マクラーレンのキミ・ライコネンが初代ウィナーとなり終了しました。キミ&マクラーレンの速さはすごいですね。ぶっちぎりの独走で、ほとんどテレビに映らない(笑)。

ファイナルラップまではファン・パブロ・モントーヤとのマクラーレン1-2できてたのに、最後にフェルナンド・アロンソに抜かれてしまったのは残念。あそこで周回遅れのモンテイロがファン・パブロに追突しなければ、フェルナンドとの差を充分に持っていたファン・パブロも余裕で2位チェッカーだったろうに。あの追突で差が縮まったのと、インタビューによれば追突時にクルマの一部が壊れたらしく、最後までフェルナンドを抑えきれずに3位転落というのは、フェルナンドのルノーとトップ争いをしているマクラーレン・チームとして痛かったし、フェルナンドとチャンピオン争いをしているキミにも残念なことだったな。

しかし、トップ争いをしているチームの、2位争いをしているクルマに、周回遅れのジョーダンのクルマがうしろからぶつかって、しかもそれが原因(とばかりは言い切れないけれど、かなり大きな要因)で2位と3位の順位が入れ替わってしまうというのは、前代未聞ですね。それでもまだファン・パブロが最後まで走りきれてかろうじて3位表彰台にのぼったからいくらかはよかったものの、あそこでファン・パブロがリタイアなんてことになってたら、モンテイロはきっとコロンビアの地下組織によって海の底に沈められてたことでしょう(んなこたぁない)。少なくともファン・パブロに2~3発殴られててもおかしくない。チーム・オーナーのエディ・ジョーダンさんも青くなったことでしょう。きっとマクラーレン・チームにモンテイロと一緒に謝りにいっただろうな。そんでモンテイロは、マクラーレン監督のロン・デニスとファン・パブロにめたくそに怒られて、チームに帰ってからもエディさんにぼろぼろに怒られて、きっと泣きながら家路に着いたことでしょう(ありえない)。

そんなことも含めて、なかなか楽しいトルコ・グランプリでしたわ。

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2005/08/21

イタリアン・ポップス・ファンの夜はふけて


昨日(8月20日)は、東京近郊在住イタリアン・ポップス・ファンの月に1度のお楽しみ、Yoshioさん主催の「イタリアン・ポップス・ファンのFesta」でした。先月のFestaは7月23日(土)に行なわれたのですが、会場に向かう途中で大きな地震があり電車が止まってしまい、けっきょく自分はたどり着くことができなかったので、2か月ぶりのFestaです。

今回は夏休み期間中ということもあってか、これまでよりもちょっと参加者が少なめで(それでも19人いたらしい)、いくぶんこじんまり感はありましたが、CD/DVDによる音楽鑑賞パートは充実していて、イタリアン・ポップスを楽しむ会としてはなかなかいいバランスだったのではないかと思っています。

会場ではGigi Finizio(ジジ・フィニーツィオ)、Marco Masini(マルコ・マジーニ)、Gianluca Grignani(ジァンルーカ・グリニャーニ)、Cesare Cremonini(チェーザレ・クレモニーニ)のニュー・アルバムからそれぞれ数曲ずつ紹介され、最近新譜をほとんど買わなくなってしまった自分にはありがたいです。

Marcoは相変わらず暑苦しく、Gianlucaは初期の荒い感じがすっかりなくなったやさしい音になっていて、少し前から彼らに対して感じていた「個人的には、もういいかな」感をあらためて確認しました。

一方、古いアルバムしか持っていないGigi Finizioはいっそう都会的ナポリ・ポップスな様相を強めており、Gigi D'Alessio(ジジ・ダレッシオ)ぽくなってきたなぁという印象です。彼は声がいいし、こじゃれたアレンジやメロディをスマートにかつナポリらしさを失わずに歌えるようで、Gianni Fiorellino(ジァンニ・フィオレッリーノ)よりもいろんな部分で上な印象を受けましたさ。

Cesare Cremoniniは、ソロ・デビュー作はひとりLunapop(ルナポップ)な印象がけっこう残っていましたが、今回紹介してもらった2曲のうちの1曲では違った印象を出してきていて、だけど彼の特色でもあるノスタルジックな雰囲気はきちんと残っていて、なかなかいい感じです。これは自分もあとで買おうと思いました。1年くらいすればきっと、イタリアでの売価が下がるでしょうから(それまで待つのかよ!)。

自分はAntonella Ruggiero(アントネッラ・ルッジェーロ)特集担当ということで、Matia Bazar(マティア・バザール)時代から2曲、ソロになってから4曲(うち2曲は今年リリースの最新アルバムから)を紹介しました。Matia Bazarがデビューしたのが30年前、日本でアルバムがリリースされけっこう人気があったのが20年ほど前、AntonellaがMatia Bazarをやめたのが15年ほど前。自分くらいの世代のイタリアン・ポップス・ファンにとってはMatia Bazar = Antonellaな印象がとても強いのですが、最近のファンの方はそうでもないんだろうなぁ、というか、AntonellaがMatia Bazarにいたことを知らない、もしかしたらMatia Bazar自体もAntonellaのことも知らない、なんて状況だったら困ったなと思いつつの紹介でしたが、Matia Bazarをよく知っている古くからのファンの方はもちろん、Matia BazarにもAntonellaにもあまりなじみのない方にもAntonellaの素晴らしいヴォーカルを堪能していただき、会場にいた多くの方に喜んでもらえたようでよかったです。

ちなみにCD紹介のコーナーは、POP! ITALIANOのKazumaさんPoohlover.netのSiriusさん、それに自分の3人で担当したのですが、アーティストや音楽の背景などを客観的に紹介するKazumaさんSiriusさんに対し、自分はどうしても主観的な評価・紹介になってしまいます。それぞれのサイトでのアルバム紹介のしかたを見ても、そういった傾向は明らかですが(笑)。せっかくAntonellaを紹介する機会をYoshioさんがくださったのに、「いい声でしょ~」とか「素晴らしい!」みたいな伝え方しかできなくてごめんなさいね、会場にいらっしゃったみなさん。

CDコーナーの前にはYoshioさんによる「聴きくらべ」のコーナーもありました。

少し前にメーリングリストで話題になった「Poster」の聴きくらべでは、オリジナルのClaudio Baglioni(クラウディオ・バッリォーニ)ヴァージョンを初めて聴くという方もいたようで、彼の美声が会場中に響き渡るのはファンとして気持ちいいものでした。しかし、その後にかけられたNew Trolls(ニュー・トロルス)によるカバーも、冒頭からNew Trollsらしい完璧なコーラス・ワークが飛び出し、初めてこのカヴァーを聴いた方には衝撃的だったようです。その後も大胆にコーラスを導入するだけでなく、転調も繰り返すなど、オリジナルとは違ったNew Trollsならではの魅力満載のカヴァーになっており、Claudioのヴァージョンとくらべても遜色のない、非常にクオリティの高いアレンジを楽しめました。

会場でみんなで歌うことの多い「Anima mia」の聴きくらべでは、オリジナルであるI cugini di campagna(イ・クジーニ・ディ・カンパーニァ)のほか、Claudio Baglioni(クラウディオ・バッリォーニ)とMr.Max(ミスター・マックス)とかいうグループによる2つのカヴァー・ヴァージョンが紹介されました。Claudioファンである自分にとっては圧倒的にClaudioヴァージョンが素晴らしい! オリジナルよりも数段いい!! と感じてしまうのはしかたのないところですが、Mr.Maxとかいう変なヒップ・ホップ系グループのラップと言葉遊び(オリジナルの歌詞のパロディになってるらしいのですが、イタリア語がまったくわからない自分はぜんぜん内容を理解できません)が入り混じった「Anima mia」もなかなかおもしろく、これもオリジナルよりいいかも、Cuginiの立場はどこに? な状態でした。

また、1998年に来日コンサートをおこなったMichele Zarrilloの「Una rosa blu」を、あんき~おさんが「いい! いい!!」と騒いだからかにわかに人気アーティストになってきた若手のDennis(デンニス)がカヴァーしているというので、その聞きくらべもありました。Dennisは、意外と(失礼な)いいです。少ししわがれた声の感じがMicheleにちょっと似てることもあり、違和感はまったくありません。んが、フレーズのはしばしに独特のこぶしを回すようなクセがあり、Micheleのオリジナルになじんだ耳には少し不思議に感じました。でも、なかなかいいかも、Dennis。機会があったらアルバムを手に入れよう。たしかファースト・アルバムはすでに10ユーロくらいに値下がりしてた気がするしな。

ほかにも、DVD鑑賞のコーナーではCDコーナーと関連してGigi FinizioやMatia Bazar、それに紙ジャケット再発でここのところ日本国内のファン歓喜のPoohなどが紹介されました。

恒例となっている「みんなで歌おう」のコーナーは、Gino Paoli(ジーノ・パオーリ)の「Il cielo in una stanza」、Adriano Celentano(アドリアーノ・チェレンターノ)の「Azzurro」、Umberto Tozziの「Ti amo」、そして聴きくらべもした「Anima mia」の歌詞がYoshioさんから配られ、まずはCDで歌詞を見ながら曲を聴いてメロディなどを覚え、そのあとにYoshioさんのギター伴奏でみんなで歌うという、これまでとは違うスタイルで始まりました。これまで、その歌を知っている人は歌えるけど知らない人は歌えない、演奏される曲のなかに自分が知っている曲がぜんぜんなくて歌えない、といった点でさびしい思いをしていた参加者の方もいらっしゃったと思うのですが、このやり方だと少なくとも何曲かはみんなと一緒に歌えますね。うん、これはなかなかいいアイデアだと思います>Yoshioさん

そのあとは、半分Yoshioリサイタルみたい(笑)になりながらも知っている曲があれば勝手に歌に参加するというかたちで「歌おう!」のコーナーが続けられ、自分も何曲かで声を出してきました。

もちろん、音楽を聴く・楽しむ以外の、参加者同士の歓談・交流もいつもどおり。たまたま会場となっているマンション最上階の部屋からどこかで行なわた花火大会の花火も見られました。

また、このFestaはポッドパーティ(食べ物や飲み物を参加者がそれぞれ持ち寄る形式のパーティ。そのかわり、参加費は無料なんです)なので、毎回、なにが食べられてなにが飲めるか、個人的に楽しみにしているのですが、昨日も野菜を肉で巻いて焼いたものあり、定番の唐揚げやコロッケあり、美味しいパンやおこわあり、巻き寿司やいなりずしもあり、おなかもいっぱいです。飲み物も、最近mixiの「ワイン 大好き!」コミュニティで話題になったフランスのSo2無添加ワインあり、サルデーニャ産の味わい豊かな赤ワインあり、すっきりさわやかなスプマンテ(スパークリング・ワイン)あり、きりっとした白ワインあり、食後に楽しい甘口のドイツワインありと、バラエティ豊かな品揃え(というのか?)。これでもう少しワインのおつまみ系のものがあれば個人的にいうことなしです(笑)。

東京は相変わらず毎日蒸し暑く、暑さと湿度に弱い自分としては「もう勘弁してください」状態が続いているのですが、パーティのあいだは蒸し暑い不快さをしばし忘れられる、素敵なイヴニングでしたわ。Yukoさん、Pizzanoさん、あんき~おさんら素敵な女性陣にもまたお会いできましたし、初めてお会いする丸岩さんとはMatia Bazarで妙に盛り上がったし。自分は人見知りするので(誰も信じてないな!)あまりお話をしなかった方もたくさんいらっしゃいますけれど、毎回のパーティで少しずつみなさんとお話もしていこうと思っていますので、次回以降もよろしくお願いしますね。自分、人の名前と顔を一致させて覚えるのが苦手なもので、次にお会いしたときに「お名前、なんでしたっけ?」とか聞いちゃうこともあるかもしれませんが、どうか許してくださいね。

次回のイタリアン・ポップス・ファンのFestaは9月17日だそうです。いずれ主催者のYoshioさんからの告知がYoshioさんのBlogうちの掲示板などに掲載されると思います。東京近辺にお住まいのイタリアン・ポップス・ファンの方、また次回会場でお会いしましょう。これまで参加されたことのない方、よかったらぜひ遊びにきてくださいね。

Yoshioさん、毎月ありがとう。まだ告知はないけれど、来月のFestaも参加予定です。よろしくですぅ。

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2005/08/19

スタバの店員?

いや、なんかこれ↓、おもしろかったものですから。

http://portal.nifty.com/special05/08/18/

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豚肉のころころソテー トマト風味

昨日は帰ったのがちょっと遅くて、スーパーに寄った頃にはお肉コーナーはほとんど売り切れ。かろうじて残っていた豚肉の肩・バラぶつ切りのパックをひとつ買って帰りました。時間がないときは、肉を焼くのがやっぱり簡単なんですよね。

フライパンにEVオリーブオイルを少したっぷり目に敷き、みじん切りにしたにんにくを弱火でじんわりと煮揚げする。

にんにくのいい香りが立ち上ってきたら強火にし、しっかりと塩・胡椒をした豚肉ぶつ切りを加える。表面がかりっとしてくるまで焼きましょう。じゅぅじゅぅ。

肉の表面に焼き色がついたら火を弱め、じっくりと肉の中まで火を通す。

肉に8割がた火が通ったくらいで、白ワインを少したっぷり目にふりかけフランベ。ほんのちょっとだけ白ワインで煮る感じ。

白ワインが蒸発しちゃう前に、カットしたホールトマトを、肉全体に行き渡るくらい加え、よく和える。そのまま肉に完全に火が通るまで弱めの火でころころ。

ソース状になったトマトが肉に絡みつき、肉にしっかり火が通ったらできあがり。取っ手の取れるティファールのフライパンでつくったので、肉とソースをフライパンの手前半分強に配置し、あいたスペースにザワークラウトを盛り付けて食卓へ。

ちょっとだけど白ワインで煮てあるのと、その後トマトでも煮焼き風に調理することもあり、カレーなどに入れるぶつ切り肉でもやわらかな歯ごたえで食べられます。つけあわせのザワークラウトも、フライパンの余韻でほんのり温まり、またトマトソースの味がついたところもあって、さっぱりほんわり食べられます。

おいしゅうございました。


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2005/08/18

ANTONELLA RUGGIERO / SOSPESA

ソロになってからのAntonella Ruggiero(アントネッラ・ルッジェーロ)のアルバムは、自分は5枚ほど持っているのですが、そのどれもがそれぞれに表面的な音楽の装い方が違っていて、興味深いというか、わかりにくいというか。インドや中近東の空気を感じさせるエスニック風味になってみたり、若手ミュージシャンとのコラボレーションで実験的なロックになってみたり、弦楽四重奏を従えて室内楽風になってみたり、ビッグバンドを従えてジャズ風になってみたり。ただ、どんなふうに装おうとも、Antonellaが歌えばAntonellaの歌になってしまうという個性の強さが、やはり魅力的です。

『Sospesa』と題されたこのアルバムが、Antonellaの何枚目のソロ・アルバムなのか知らないのですが、自分が持ってるソロ作品のなかではもっとも普通のポップスな感じがします。Antonellaならではの、天空の高みに向かってぐんぐん伸びていくような歌声が堪能できます。

アルバム・トップの「Inafferrabile」から、伸びやかなヴォーカルと七色の歌声が炸裂といった感じ。しかも少しエキゾチックな匂いもふりかけられていて、個人的には最初の1曲でもう満足です。

M3「Non ti dimentico」はゆったりとしたアレンジの分厚いキーボード・オーケストレーションが印象に残ります。いくぶんざらざらとした感じのキーボードの音づくりとあいまって、なんとなくAmedeo Minghi(アメデオ・ミンギ)みたい。

M4「Sospesa」は伸びやかなヴォーカルを活かしたポップな曲で、Antonellaの華麗な歌声を堪能できます。リゾート風な明るい印象もあって、なかなか心地よいですね。

M6「Nonsenso」はスキャット風のヴォーカルを中心にしたアンビエントな曲。

M7「1999」はリズム・セクションのアレンジがちょっとクラブ・ミュージックぽいかな。

アルバム・ラストの「And will love me」はEnnio Morricone(エンニオ・モッリコーネ)の作曲&オーケストラ・アレンジによるバラードです。

全体的に、ちょっと歌メロの魅力が弱いかなという印象もないでもないのですが、魔法の歌声をもつAntonellaのさまざまなヴォーカル・スタイルが存分に堪能できるというという点で、Antonellaの魅力満載な作品だと思います。

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2005/08/17

ANTONELLA RUGGIERO / REGISTRAZIONI MODERNE

今週末は東京周辺に生息するイタリアン・ポップス・ファンのつきに1度のお楽しみ、イタリアン・ポップス・フェスタがあります(詳しくはこちら)。自分は今回、このフェスタでAntonella Ruggiero(アントネッラ・ルッジェーロ)の紹介をすることになってます。そんなわけで、選曲もかねて、あらためて手持ちのAntonella作品を聴きかえしている今日この頃。

ジャケット写真
んで、『Registrazioni moderne』です。「現代的な録音」?というタイトルが示すとおり、Matia Bazar(マティア・バザール)在籍時の往年の名曲をニュー・ウェーヴ系の若いロック・グループの演奏・アレンジでAntonellaが歌う、という試みが収録されてます。

典型的なイタリアン・ポップスといった印象のあるMatia Bazarの曲がアレンジと演奏が変わるとAntonellaが歌ってもここまで違って聴こえるんだぁ ―― ということを実感できる作品です。Matia Bazarって、ポップなんだけど意外と変なメロディ展開を持っていたんだなぁ、でもそれをとても上手に生かすアレンジ・演奏をMatia Bazarはしてたんだなぁと、あらためて思いました。このアルバムでのアレンジも悪くないけど、やはり本家のMatia Bazarのほうが、あの歌メロとAntonellaの歌声の魅力をきちんと理解してるといった印象でしょうか。

ま、このアルバムはこのアルバムとして、楽しんで聴けるのでよいとしましょう。とはいえ、やはりコアなAntonellaファン向けな感じがするので、今度のフェスタでの紹介は違うアルバムからにしようっと。

なお、このアルバムについてはここに、以前に書いたもう少し詳しい紹介があります。よろしかったらご覧くださいね。

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2005/08/16

気がつけばそこには川があった

昨日の夜、東京地方は激しい雷雨がありました。年々、雷の鳴り方、稲妻の光り方がパワフルになってきている気がするのは、気のせいでしょうか。こわいです。雷が自分のほうに向かって落ちてくる気がするのは、自分が罪人(つみびと)だからでしょうか。←という考え方はキリスト教っぽいですね。いや、いってみたかっただけ。

短時間で集中的に豪雨が降ったせいでしょうか、自分の住んでいるアパートの前の小道が、ちょっとした川になってました。下水があふれたようです。自分は雨が降り出す前に家に帰り着いていたのですが、夜10時過ぎに帰宅した妻が教えてくれました。道に水があふれてて、くるぶしくらいの深さになってると。

いまの場所に引っ越してからもう10年以上経ちますが、そんなこと、初めてです。玄関を開けて2回の廊下から道を見てみると、そこには川がありました。なんだかわかりませんが、白くて大きな四角いものがむこうからゆっくりとたゆたってきました。ほかにもなんだかさまざまなものが浮いているようです。

あぁ、妻はこんなすごいところを帰ってきたんだ。朝早くから出かけて、わけのわからん主張を当然のような顔で繰り出す外国人相手に1日一所懸命に仕事をして、夜遅く帰ってきたら家の前にドブの川。

どぶ川の中を歩いて帰ってきたので当然、妻もドブ臭かった。妻の靴から滴る水で、玄関もドブ臭くなった。すぐに風呂場に行って足を洗ったのだけど、風呂に行くまでに歩いた廊下の妻のあしあとから部屋がドブ臭くなった。

ドブ臭いをんな。

なんか、不憫だ...

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2005/08/15

LUNAPOP / ...SQUEREZ?

ジャケット写真
1999年から2000年にかけてイタリアで大ヒットした、ボローニャ出身のボーイズ・グループ、Lunapop(ルナポップ)のデビュー・アルバム。新人グループのデビュー・アルバムで、しかもメンバーがみんな10代という若者たちのグループで、これほどのヒットをするのは快挙でしたね。

あまり「イタリア!」という感じはありませんが、ポップ・ミュージックがまだメロディの美しさを求めていて、のんびりしていた時代の、古きよきブリティッシュ・ポップスを髣髴させる、どこかノスタルジックでやわらかいポップスが楽しめます。Pensiero! websiteのMusicaのページに収録曲のリストやもう少し詳しい紹介がありますので、よかったらご覧になってくださいね。

しかし、デビュー作にして大ヒット・大成功を収めたLunapopも、現時点ではこのアルバムが最初で最後、唯一の作品になってしまっています。リーダーで、すべての曲の作詞作曲をしていたCesare Cremonini(チェーザレ・クレモニーニ)の脱退・ソロ活動開始により、グループは活動を停止。残ったメンバーで再起を図るという噂も一時流れたのですが、最近ではそんな話もぜんぜん聞かなくなってしまいました。

一方、Cesareのほうは2002年にリリースしたソロ・デビュー作の『Bagus』もヒットし、出足順調。先ごろ待望のセカンド・アルバム『Maggese』もリリースされ、着々と活動を続けています。『Bagus』ではひとりLunapopみたいな印象も残ってましたが、『Maggese』はどうなってるんでしょうね(自分はまだ聴いてないのです)。

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2005/08/12

UMBERTO TOZZI / DONNA AMANTE MIA


いまも元気に活動を続けているベテラン・カンタウトーレ、Umberto Tozzi(ウンベルト・トッツィ)のデビュー・アルバムです。

Umberto Tozziといえば初期の大ヒット曲に「Gloria」があるように、英米のポップスにも通じる華やかなポップ・センスを持っている人で、彼のアルバムにはそういった軽やかな印象を受ける曲を多く見つけられるように思うのですが、デビュー作であるこのアルバムでは、いかにもイタリア的な情緒に満ちた曲が大半を占めています。

M1のアルバム・タイトル曲「Donna amante mia」で一気につかまれてしまいます。やわらかくおとなしいパートから、サビでは多人数による美しいコーラスをかぶせてぐわっと盛り上がる。こういった構成のドラマティックさはイタリアン・ポップ・ミュージックの真髄ですね。

つづくM2「Ripensando alla freccia del sud」はUmbertoらしい英米ポップスにも通じるような明るく軽やかな曲。情緒的でドラマティックなM1のあとにこういう曲が続くと、このまま一気にポップ路線に進んでしまうアルバムかと、個人的にちょっと心配になります。こういった曲も悪くはないのですが、自分としては、やはりイタリアらしい情感が感じられる曲のほうが好きなわけで。

などと思っていると突然にM2は終わり、アコースティック・ギターののんびりした音色が聴こえてきます。この落差がまたたまらない。こういった曲配置の妙というか、単曲だけではなく曲同士の並び・連なりでもドラマやストーリーを感じられるのがアルバムのいいところですね。ちなみにこのM3「Io camminero'」は、Il volo(イル・ヴォーロ)がバックを務めたFausto Leali(ファウスト・レアーリ)のアルバム『Amore dolce,amore amaro,amore mio』でカバーされているので、日本でもこの曲のことを知っている人は多いでしょう。

以後は比較的穏やかでイタリアらしい曲が続きます。M5「Mi manca」は彼の大ヒット曲「Ti amo」に通じる匂いを感じます。M8「Scegli」でまた少し軽いポップスが聴けますが、最後はバラード「Tu sei di me」で美しく幕を閉じます。

彼のアルバムは何枚か持っていますが、手持ちのなかではこのアルバムがいちばん自分は好きかもしれません。ちなみにうちにあるCDは、ジャケット(歌詞カード)の表はちゃんとこのアルバムのものなのですが、なかに掲載されている歌詞の半分はなぜかEnrico Ruggeri(エンリコ・ルッジェーリ)の『Polvere』というアルバムのものです(残りの半分はこのアルバムのもの)。変なの。

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胃の検査


昨日は健康診断でした。バリウムを飲んで胃のX線撮影をしているとき、技師のお兄さんにいわれました。

「昨日は何時ごろ夕飯食べました? 7時から9時の間ですか... けっこう消化の悪いものを食べてますねぇ~」

う、残ってましたか。これでも、いつもよりいくらか少なめに食べたんですけど。ふだんよりも3時間も早い時間に食べ始め、食べ終わってるんですけど。

でも、これでふだん、お昼におなかがすかない理由がわかりました。

大量に残ってるんだよ! 胃の中に!!

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2005/08/10

LISA / ESSENZIALE

ジャケット写真を見るとほんわか系の優しいお姉さんといった印象なのですが、歌詞カードに掲載されている写真では意外と派手な感じの人なのですね。髪も赤いし。そして、ジャケットの印象よりもかなり年齢が高そう(1977年生まれらしい。1999年のリリースだから、22歳だけどね。そうは見えない貫禄)。あと、ジャケット写真では鼻のところに修正加えてるな...

それはいいとして。

非常にオーソドックスな女性ヴォーカルものだと思います。ゆったりとした大きなメロディを中心にした、バラード・ポップスといった感じの曲が大半を占めています。オーソドックスなメロディや構成に、オーソドックスな歌い方。これといった特徴はないのだけど、普通に美しい音楽で、普通に心地よく聴いていられます。

最近は自分で曲づくりにも参加する女性シンガーが増えているイタリアですが、Lisa(リーサ)はどうやら歌うだけのようです。そのあたりも、もうひとつ「Lisaの個性」といったものが強く感じられない理由かもしれません。といっても曲を提供しているのはGuido Morra(グイド・モッラ)やMaurizio Fabrizio(マウリツィオ・ファブリツィオ)といった有名どころなので、クオリティ自体は充分なんですけどね。

Lisaの声は、きれいに澄んでいるように聴こえて、実は少しだけ濁りがあります。これが中音域で歌うときにはやわらかな味わいとなって魅力的に感じられます。しかし、高音域に入ると声自体が細くなってしまい、なんとなく声量不足(といっても充分なのだけど、イタリアには豊かな声量を持ったシンガーがたくさんいますからね)を感じてしまうところが少し残念。

などということはありますが、全体に破綻のない、おだやかで心地よいイタリアン・ポップス作品になっているといえるでしょう。オーソドックスな女性ヴォーカルものが好きな方などには楽しめるアルバムだと思います。

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2005/08/09

夏の楽しみがまたひとつ消えた


自分はずっと西武線沿線に住んでいるのです。そして、子供この頃、夏にはほとんど毎年、豊島園に花火を見にいったのです。豊島園の花火はすごいんですよ。たくさんあがるだけじゃなく、ちゃんとあげかたにリズムとかドラマとか流れとかがある。しかも、街中であげているからでしょうか、なんだかすごく近い位置であがるのです。

そしてここ数年。やはり毎年、妻と一緒に豊島園に花火を観にいくのが夏の楽しみのひとつになっていました。夕方から出かけて、花火を見て、そのあとは居酒屋とかで軽く一杯、みたいな。

でもね、もう見られないらしい(詳細はここ)。

事情はわかるけど、やはりさびしいです。子供の頃からずっとあったものが、毎年楽しみにしていたものが、ある日突然、なくなるって。

みゅぅぅ。

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準備不足


明後日は年に1度の健康診断なのですが... 今年は準備不足です。

毎年、健康診断の1か月前くらいから、少しずつ食事量やアルコールの量を調整して、また食事内容も納豆や野菜類を中心にしたものにシフトして、血液サラサラ化計画を進め内臓(主に胃と肝臓)を休ませるようにしてたのですが、今年はだめです。

ここ数か月、1日として休肝日がありません。夜の食事はこのところ比較的普段から野菜比率が高く、また以前のように出来合いの、加熱してから時間が経った油をたっぷり吸った惣菜などを食べることも激減しているのですが、その一方でコンスタントに週2回、昼にフレンチもしくはイタリアンのミニ・コースを食べながらグラスでワインを飲んでしまうという習慣もついてしまい、明らかにこの2日については1日に必要なカロリーをオーバーしてるに違いない。ま、得体の知れない調味料や保存料が多用され、加熱から時間が経って酸化しているに違いない油をたっぷり吸っているに違いないコンビニ弁当などを食べるよりは、よっぽど体にいいとは思いますが。

ちなみに、コンビニ弁当を長期にわたって食べ続けてきた人は、死んだときに体が腐るのが、コンビニ弁当をあまり食べてない人よりも遅いのだそうです。コンビニ弁当に使われている防腐剤が人体細胞に少しずつ蓄積されていくらしい。自分は死んだらとっとと腐って跡形もなくなってしまいたいです。

それはともかく、今回は検診前の各種コントロールがぜんぜんできてません。きっと去年より体重が増えてる(そしてきっと身長はまた減ってる。涙)。肝機能等でひっかかるかもしれない。そのうえ腰痛は再発してるし、左目の上まぶたにはなんかできてるし(妻がいうには「ものもらい」だそうだ。そんなのになるの、初めてだ)、なんだかふんだりけったりな感じです。

といいながらも、今日の昼にはイタリアンのコースを食べにいこうと思ってますし、明日は夜9時までに食事を終えろといわれているので家に帰ってから食べるのでは間に合わないからいきつけのビストロでディナーを食べようとも思っている今日この頃です。

食べたいものは、食べられるときに食べろ。明日はもう食べられなくなるかもしれないのだから。

父が自由業で収入が安定していなかった実家の家訓です。
そしてこれは、いまも我が家の家訓です。

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2005/08/08

芝居『編集王』伊トウ本式

ここしばらくいい感じだったのに、先月あたりからまた腰痛が再発&悪化の方向で、具合が悪いです。そのうえ昨日あたりから左目の上まぶたあたりに痛み&今朝は少し腫れてる気がする手な感じで、ただでさえ憂鬱な月曜の朝がいっそうブルーになってる今日この頃ですが、みなさまいかがおすごしでしょうか。

さて、昨日は、少し前のイタリアン・ポップス・ファンの集いで知り合った役者さん、アントニオ本多さんが出演するお芝居『編集王』を観てきました。

『編集王』といえば、一本気で熱いバカ野郎のカンパチくんが初めて入った「編集」の世界で熱さを撒き散らし周囲を巻き込みながら成長していく人気漫画です。テレビドラマにもなりましたね。原作コミックは連載で何度か読んだことがありますが、けっこう長い話だったような気がします。そのなかから伊トウ本式は、印象深いエピソードのひとつであった「マンボ好塚」のお話をピックアップして芝居化したようです。

うん。おもしろかったですよ。トータルで2時間半くらいの上演時間だったと思うのですが、途中でだれることもなく、最後まで飽きずに観られました。原作コミックの主人公は編集部アルバイトのカンパチくんだったと思うのですが、この芝居での主人公は、ベテラン漫画家マンボ好塚のマネージャーを務める仙台さんと、仙台さんがマンボさんのいちアシスタントだった時代から知っているソガイ編集部員(現・編集長)なんですね。やたらと熱くて空回りのカンパチくんをメインにするよりも、このほうが話に厚みが出ていいな。

たまたまこのエピソードの概要は連載時に飛び飛びに読んで知っていたこともあって、すんなりと話に入っていけました。ところどころにちりばめられた笑いの要素も話が重くなりすぎるのを防ぐとともにストーリー展開にリズムをつけることにも役立っていて、なかなかうまいと感じさせます。それぞれの役者さんの演技自体は特別うまいということもないと思うのですが、安定した演技で安心して観ていられます。セリフをかんだのも全部で6回くらいだったと思うし。

個人的にはソガイ編集長の芝居が気に入ったかな。マンボさんをやった人は、悪くはないのだけど、過去の栄光だけでいまも大金持ち&傲慢な超ベテラン漫画家というイメージからすると、ちょっと線が細い感じです。芝居云々というよりも、役者さんそのもののキャスティングがもうひとつマッチしなかったといった印象。

などといったことはありますが、全体におもしろく、楽しく、ほどよい趣き深さがあり、死にそうに暑い日曜の午後にわざわざ出かけて観にきたことを後悔させない舞台でした。次の舞台もまた観たい。

しかし三京さんって、原作では男じゃなかったか? というか、この原作コミックって、ほとんど男だらけの世界じゃなかったっけ。あまりに色気がないので、舞台では三京さんを女性にしたのかなぁ。それはともかく、あの「血」はこわいですからっ!

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2005/08/05

PROCOL HARUM / THE WELL'S ON FIRE


2003年にリリースされたアルバム。再結成後2枚目になるのかな。朝の通勤電車の中で聴いていたのですが、残念なことにアルバム半分ちょっと聴いたところで会社についてしまいました。なので、その分の印象ということで。

アルバム1曲目の「An Old English Dream」が流れてきたとき、そしてその背後にあの懐かしいハモンド・オルガンの音色が聴こえてきたとき、あぁProcol Harum(プロコル・ハルム)だぁとうれしくなりました。Gary Brooker(ゲイリー・ブルッカー)のひなびたヴォーカルとMatthew Fisher(マシュー・フィッシャー)のひなびたオルガン・サウンドが重なれば、もうそこは古のProcol Harumの世界。Garyはデビュー当時からかなりひなびたおっさんヴォーカルだったためか、あれから30年以上たっても印象が変わりませんね。

と、出足好印象で始まったこのアルバムなのですが、そのままずっとProcol Harumサウンドが聴けるわけではありませんでした。当然ですよね。あれから30年という年月が経っているのです。楽器も録音も近代化され、往年のブリティッシュ・ロック作品によくあった、全体に薄く霧のかかったようなもんやりとしたウェット感などはどんどん消えていってしまいます。いまだ訪れたことのないイギリスは、自分の中ではいつも「霧のロンドン」といったイメージだったのですが、いまではすっかり霧も晴れてしまったようで。

Garyのヴォーカルの味わい深さは変わりませんが、そのヴォーカルを取り巻く楽器の音色やアレンジ、そして曲そのものもどこか都会的・近代的な洗練を感じさせ、古くも懐かしく心地よい匂いを振りまくGaryの声と少しばかり乖離がある気がします。個人的にGaryのヴォーカルが好きなので、彼が歌っていれば大方それでOKのようなところはあるのですが、できれば彼の声に、彼のヴォーカル・スタイルにあった曲・音色・アレンジであれば、さらにいいのになぁと思ってしまうのはしかたのないところ。Procol Harumには、やはりもっとイギリス的で、俗っぽさとクラシカルな歴史と伝統がほどよく入り混じった音楽を期待してしまいます。

それでもM3「A Robe of Silk」のような、以前のProcol Harumを思い出させる曲もあり、古いファンとしてはうれしいところ。こういったタイプの曲がもう少しあって、洗練された今風の(といっても少し古い感じはする)曲との数的バランスが取れていれば、あるいは、古いタイプの曲のイメージを大切にしたまま今風の表現をするといったアレンジができていたなら、さらによかっただろうな。

などということはありますが、Procol Harumファンはきっと、このアルバムも許してしまうし、愛してしまうでしょう。だってアルバムのエンディングは、Matthewのハモンド・オルガンが響き渡るインスト曲なのですもの。

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2005/08/04

PATRICIA KAAS / SCENE DE VIE


実は自分、聴くの初めてなんです、Patricia Kaas(パトリシア・カース)。有名なシンガーですよね。人気者ですよね。アルバムもたくさん出てるし。

でも、ごめんなさい。聴いてみての感想は、「ふ~ん」でした...

いや、悪くはないんですよ。というか、おそらくは素敵なフレンチ・ポップスなんだろうとは思います。ただ、なんというか、普通。普通にフレンチなヴォーカルで、普通にシャンソン風だったりジャズ風だったりロック風だったりする曲を、普通なアレンジに載せて歌ってる... という印象しか受けなかったのだわ。

自分個人の特性というか好みの問題として、女性歌手ってあまり好きじゃないんですよ、もともと。また、ジャズやR&Bなどの、いわゆる黒人系音楽をベースにしたようなものもあまり好きじゃないんです。なので、シャンソン風な曲はまぁフレンチやねぇとそれなりに聴けるのだけど、どうせならもっと「フレンチ!」って感じのほうがいいなぁと思ってしまうし、ジャズ風なものは一気に興味の対象外。ロックは好きなのだけど、このアルバムで聴かれるロック風な曲には「ロック」をあまり感じないのであまり興味を持てず。結果、全体に自分の興味からはずれた曲調のほうが多くなってしまったのですよねぇ。

歌は、それなりにうまいんじゃないでしょうか。また、歌詞の意味などにも気を配ると違った印象も出てくるのかもしれませんが、自分はフランスに限らず、基本的に曲の歌詞はほとんど聴かないタイプなので、歌詞がわからなければ魅力もわからんといわれたら、そんならそんな曲は聴かんと思うだけだったりします。

うぅ。Patriciaファンの方、ごめんなさい。自分には彼女の魅力がわかりませんし、少なくとも現時点ではわかるために努力をしたいとも思いません。とりあえず有名シンガーなので1枚くらい聴いておかなければなと思って手に入れたCDですが、とりあえず聴いたからまぁいいかという結果になってしまいました。

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2005/08/03

椎名林檎 / 加爾基 精液 栗ノ花

椎名林檎といえば数年前、朝の通勤電車の中で彼女の歌う「木綿のハンカチーフ」のカバーを聴いていたら涙が出てきてしまって、乗換駅のホームで泣きながら歩くおっちゃんひとりというこっぱずかしい状況になってしまったことがあります。椎名林檎、おそるべし。

そんなわけで、個人的に聴くことにちょっと危険を感じている椎名さんなのですが、この人やっぱり才能があるよねぇ。彼女の場合の才能は、talentというよりgiftな感じがします。なんとなく。なんて魅惑的な声。

ベースとなっているのはいわゆるポップス/ロックなのだけど、それを彩るアレンジの幅広さ、そしてどんなアレンジでも「椎名林檎」であり続ける歌声の主張の強さが素敵です。ときにジャズであり、ときにラウンジであり、ニュー・ウェーヴ系のロックであり、あえてオールド・ファッションドなポップスであったり。しかも素直にアレンジされているのではなく、それぞれのタイプのなかであえて異質なアレンジを混ぜ込んで緊張感や不安定さを演出したり。そういった姿勢から、アヴァン・ギャルドを内包したプログレッシヴ・ロックに通ずるものを感じます。

そして、ところどころで現われる感傷的な美旋律。古い時代の日本への思いをかきたてるノスタルジィ。

自分は林檎さんの熱心なファンではないし、彼女の曲のすべてがいいと思っているわけでもないけれど、その魅惑的な歌唱とときどき不意に現われるノスタルジックな美旋律にいつも「あっ...」と思わされてしまいます。おそらく、その前後の曲やアレンジで不安定さや緊張感を抱かされているのではないかと思うのだけど、そんな心の揺れ動きの中に突然飛び込んでくるメロディに、一気につかまれてしまう。ずるいです。

どこか懐かしくて美しい中に恐ろしい記憶もなぜかかすかに残っているようなノスタルジィを感じさせるM1「宗教」やM4「おだいじに」などは、もう、いわゆるポップス/ロックの範疇を超えていると思います。プログレッシヴだ。

めくるめく曲と声とアレンジで聴き手の心をかき乱す、危険で魅惑の香りが漂う作品だと思いました。

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2005/08/02

豚肉のソテー レモン風味

来週は年に1度の健康診断があります。毎年、健康診断の前にはアルコールも控えめにし、食事も抑えめ、メニューも納豆や豆腐などを増やして「血液サラサラ化計画」をすすめていたのですが、今年はぜんぜん準備をしないまま検診日を迎えそうです。肝機能とかやばそうです...

さて、昨日のディナーは豚肉のソテーにしました。暑いので、さわやか系の味付けにしてみましょう。

しょうが焼き用の豚ロース肉の両面にしっかりと塩・胡椒を振る。
フライパンにオリーブオイルを敷き、きざんだニンニクを弱火で炒めて香りを出す。
中火にして、豚肉同士が重ならないよう、フライパンに肉を敷き詰めていく。
片面に焼き色がついてきたら豚肉を裏返す。
白ワインを、肉が半分くらい浸る程度、フライパンに入れて、煮焼きにする。
肉に火が通ったらレモン汁をちょっとたっぷりめにふりかけ、強火にしてフライパンをあおり、ワインとレモンのソースを肉全体になじませてできあがり。

つけあわせは、前日につくったカポナータ風を。トマト、なす、大根、ジャガイモ、マッシュルームなどを野菜自身から出る水分と少量の白ワインだけでゆっくりじっくりごく弱火で煮たもの。野菜の旨みと甘みが凝縮されていて、やさしくまろやかな味わいが楽しめます。そして、レモン風味がしっかり利いたさっぱり味のソテー。むはは、美味しいのらぁ~。

ワインは、フランス南西地方コート・ド・ガスコーニュ産の白ワインをきりっと冷やして。アタックはすっきりさっぱりとした辛口を感じるのだけど、その後は口の中でまろ~んととろ~んとオイリーなニュアンス。喉よりも胸の奥に広がる感じのアルコール。華やかな余韻。安いワインだったけど、明るく楽しい感じがしてよかったわん。ソテーとの相性も悪くなかったです。

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2005/08/01

デーモン小暮閣下 / WHEN THE FUTURE LOVES THE PAST~未来が過去を愛するとき~

元聖飢魔IIのフロント悪魔(笑)、デーモン小暮閣下のソロ作品です。聖飢魔II自体は1999年末で当初予定だった「地球制服」が完了したとして活動を停止してしまいましたが、デーモンさんはその後も音楽をはじめ幅広い分野で活動を続けてますね。ちなみに聖飢魔IIは今年、地球デビュー20周年だとかで再結成ライヴなどが予定されているらしい。

自分、けっこう聖飢魔IIって好きだったんですよ。あのキャラクターから少し「お笑いヘヴィメタル」的な印象を持たれているようなところもありますが、曲、というか歌メロがけっこう美しいものが多くて。しかもスタイルの違う、かつ技術的にもうまいギタリストがふたりいるし、リズム隊もしっかりしてるし。どちらかというとブリティッシュ・スタイルをベースにした、意外とドラマティックなハードロック/ヘヴィメタルですよね。

デーモンさんのソロ作は、小暮伝衛門名義によるソロ1作目『好色萬声男』を持っているのですが、これは一時よく聴いてた。HR/HMの聖飢魔IIとは違う、いわゆるポップス系の作品ですが、全体に漂うドラマティックな感じと、ところどころで入るお遊び、和楽器との効果的なコラボレーションなど、デーモンさんの音楽的興味の広さ、奥行きの深さを感じさせるに充分だったと思います。

その後、すっかり日本の音楽から遠ざかっているもので、デーモンさんの歌声を聴くのはひさしぶりなのですが、以前にくらべると少しパワーが落ちたかな。とはいえ、いまでも立派にいい声をしてますね。ファルセットのシャウトも健在だし。

ただ、『好色萬声男』とくらべるとなぁ、収録されている曲自体の魅力がちょっと薄いように思う。あいかわらず和楽器をたくさん配置して、ロックと雅楽?とジャパニーズ・ポップスを混ぜ合わせたような音楽を展開してくれてはいるのだけど、もともとの歌メロ自体にあまり魅力を感じないのですよ。『好色萬声男』にあった「縁」のような名曲がないのが弱点かなぁ。また、お遊びパートもそれほどはじけてないし。

なんとなく、こぎれいにまとまった感はあるのだけど、その分、心の中まで強く訴えかけてくるようなことがなくなってしまった感じで、その意味でちょっと平凡な作品になってしまった印象が残りました。

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