« 2004年9月12日 - 2004年9月18日 | トップページ | 2004年9月26日 - 2004年10月2日 »

2004年9月19日 - 2004年9月25日

2004/09/24

Theatre劇団子『好きよキャプテン』

そういえば先週の日曜日はTheatre劇団子の芝居を観にいってきたのだったわ。

劇団子の舞台を観るのは、これが3回目かなぁ。最初は無料招待券プレゼントに当たったのでいったのだけど、そのときの芝居がおもしろかったのと、招待券客への対応もよかったので、その後は公演があるたびに、スケジュールさえあえば必ず観にいくようになった。これまでにいくつかの劇団を無料招待券で観にいったけど、芝居の内容や演技、招待客の扱いなどで「次回も観よう」と思わせてくれるところって、少ないんだよね。カリフォルニア・バカンスなんて、招待しておいてい、招待客はいちばん最後の入場、だから劇場のいちばんうしろの隅で舞台なんてほとんど見えないような席に座らせる。なんのために無料招待券を配ってるんだか。そんななか、劇団子とSky Theater PROJECTは観劇が続いている数少ない劇団。

前置き長いな。

たぶん、制作者・役者が自分と同じような世代なんだろうと思うのだけど、毎回、微妙にツボなネタ振りや笑いがある。今回は「松田聖子」だったりするんだけど、これって、うちらくらいの世代じゃないと、よくわかんないんだろうな。「のちに二谷友里恵と結婚して別れる男と付き合ったあとにカツラ男と結婚して、不気味な娘が生まれる」とか、かなりおかしいんですけど。

こんな、世代や場合によっては笑えるんだか笑えないんだか、笑っていいんだかいけないんだか、ちょっとビミョーなネタをはさみつつも、いつも「かっこわるい青春」から抜け切れない大人のお話になってる。難しく考えたり、構えたりする必要のない、わかりやすくてストレートな舞台。

もとは名門だったけど、いまでは機材も練習場所もない高校のボート部で最後の夏に起きた事件を断ち切れないまま大人になった元部員たち。ひさしぶりの同窓会で過去を振り返り、決着をつけ、新しい一歩を踏み出そうとするところで幕切れ。彼らの芝居はいつも、ほんのちょっとの哀しさや寂しさを残しつつも、最後にはいつも少しの希望や未来が見えて終わるので、観たあとの気分がいいんだよね。そのへんが甘さといえば甘さでもあるのだけど、劇団子の舞台にくればこの「ほどよい甘さ」が楽しめるってことを期待して観にきているところもあるので、これはこれでいいんだ。

役者も、毎回客演陣が登場人物のキャラクターに広がりを加えるけど、レギュラーの役者さんはそれぞれの役のキャラがほぼ決まっているようで、配役を見ればおおよそ「こいつが問題起こすな」とか「こいつはちょっとうっとうしいヤツだろう」とかあたりがつけられるのも楽しい(それがはずれることもあるし)。今回も、あいかわらずアゴの人(すみません、名前覚えられなくて)が事件を起こしてる(笑)。

そういえば、今回の登場人物にはみんな学生時代のあだ名があって、そのあだ名の由来が劇中で説明される。ビンボーなハルオで「ハルビン」、虚弱体質の「ジャッキー」(キョジャッキーから)、自分で自分をこう呼んでくれと宣言しちゃったお調子者?の「プリンス」、部での役職そのままでとくにひねりのない「キャプテン」と「マネージャー」に、在日韓国人という設定の「チョーさん」(妻いわく、韓国で「チョウ」という苗字はないんじゃない? 中国の名前だよ。とのこと)。彼らについては、なぜそういうあだ名なのかが説明され、あるいは役職そのままなので説明の必要もなかったりするのだけど、アゴの人の役柄だけ、あだ名の由来の説明がなかった。ちなみに、そのあだ名とは、

ナイフ

―― わかりやすすぎです(笑)! あんたは辻本茂雄か!!

などと思いつつ、来年春ころに行なわれる予定の次回公演を楽しみにしている自分がいたりするのだな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/09/23

映画『テイキング・ライブス (TAKING LIVES)』

自分、思いっきり勘違いしてまして。他人になりすまして事件を起こすっていうところから、ある種の寄生生物的特性を持った心霊体のようなものがどんどん寄生先の人間を乗り換えて猟奇殺人事件を繰り返すみたいな話だと思ってたんですよ。オカルト系サイコホラーみたいな、ボディ・スナッチャーみたいな。

ぜんぜん違うじゃん。

自分と同じぐらいの年格好で社会とのつながりが希薄な人を殺して、その殺した相手になりすますっていう、いうなれば『太陽がいっぱい』系(内容はぜんぜん違うけど)の「なりすまし」なのね。

そのあたりの勘違いはおいといて、ストーリー的にはけっこうゆるいです。あれだけしか登場人物が出てこなければ、犯人たりえる人物はある程度特定されちゃう。2時間ものサスペンスドラマと同じですね。けっこう途中から話が読めちゃいます。結局こいつが犯人なんだろうなと思ってたヤツがやっぱり犯人だったってことが明かされたあとの展開もありがち。どうせ偽物でしょ、だましでしょと思ってたら、やっぱりだましだったし。

なんかなぁ、シリアルキラーになってしまった理由も、連続殺人をする動機も、あいまいだし説得力に欠ける。カーチェイス・シーンもしょぼいし。もっと物語に説得力と深みがほしかったなぁ。

アンジェリーナ・ジョリーが出演している映画って、じつは観るのがはじめてな気がするのだけど、『トゥームレイダー』(でしたっけ?)のポスターで見るよりも、ずっときれいな人ですね。それくらいかなぁ、見どころは。まぁ、観ている最中はそれなりに楽しめるんですけどね、あとに残る余韻はないな。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2004/09/22

ヴィレッジ

そういえば先日、映画『ヴィレッジ』を観てきました。『シックス・センス』で有名なM・ナイト・シャラマン監督の最新作。

ウェブ上での読後感層とかを見た感じだと、な~んかビミョーそうですねぇ。んでも、CMはそそられるものがあるのよね。森のなかに閉ざされた村。その家々につけられた「しるし」。扉にしるしをつけるなんて、もしやこれ、「過ぎ越し」? またもや聖書ネタがらみ? ワクワク。

なんて思いながら観にいったんですが、あんまり(ぜんぜん?)関係なかった。

ただ、映画自体はそれほど悪くはなかったですよ。あいかわらず「赤」の使い方が印象的で、雰囲気はよく出てる。エイドリアン・ブロディ(だっけ? 『戦場のピアニスト』の人)のイカレ芝居はいいね。知能には障害があるけど、そうでない人と同じように心は弾んだり傷ついたりするっていうのを上手に表現してる。

ストーリー自体は、べつにどうってこともない。シャラマン映画は最後のどんでん返しが見どころ?らしいのだけど、たいしたどんでん返しでもない。

ある種の理想を求めて外界から遮断されたコミュニティをつくり、そこで何年かに渡って生活してきた人々。コミュニティを守るためにコミュニティの創設者たちがつくりあげたルールと、それが「創設者たちによってつくられたルール」だと知らない若いメンバー。そのコミュニティにある日おきた事件。そして余儀なくされた外界への再接触。そういったことが、比較的淡々と描かれているだけ。

でも、淡々としたなかに、それぞれの登場人物の心の動きがあり、揺れがあり、希望があり、閉塞感があり、愛があり、憎しみがある。ふつうに「人間の精神活動」がある。外界から隔絶された、つくられた世界でも、やはり捨てきれないのだろう。そういう意味で、とても人間くさい話だな。

ただ、このコミュニティをつくるにいたった創設者たち(映画内では「年長者」といっていた)が、なぜこのコミュニティをつくった(つくらざるをえなかった)のかという点については、映画で描かれる理由だけでは弱いなぁ。たしかに悲惨なことではあるけれど、それだけで「社会」を捨てて「ゼロから新しい世界をつくる」までにいたるのだろうか。

あと、ふたつほど疑問点。

このコミュニティをつくったのは「年長者」たちだと思うけど、いったい何人でつくりはじめたのだろう? そして、映画で描かれている村は、創設後何年ほどたっているのだろう? 映画内ではけっこうな数の村人がいて、年長者以外に年頃の若者も相当数いるのだけど、外界との接触を絶っている村だから、外との人的交流はないんだよね。ということは、あの若者たちはみんな「年長者」たちの子供? 冒頭で7歳くらいで死んだ子は、年長者たちの子供同士が結婚して生まれた子供? いずれにしろ、この村では近いうちに(すでに?)近親婚が繰り返されるしかなくなる。年長者たちはそのことをどう考えているんだろう。

それと、この映画、舞台は19世紀末だよね。冒頭で死んだ子の墓に189X年とか書いてあった気がするから。でも、最後に森を抜けて街へ到達した女性に薬を渡した兄ちゃんが乗ってたクルマ、あれって19世紀のもの? なんか、えらく近代的なクルマだったと思うんだけど。兄ちゃんが薬を取りに戻った詰め所も、19世紀のものには見えない。もしかして、村のなかだけ19世紀で、森の外は20世紀もしくは21世紀なの? それとも、なにか自分は大きな思い違いをしている??

なんてことが気になる映画でした。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

AL-BIRD / SODOM & GOMORRA XXI

ウズベキスタンのロック・グループ「X Religion(エックス・レリジョン?)」のキーボーディスト、Al Bird(アル・バード)によるソロ・アルバム。X Religionが何人グループなのか知りませんが、このアルバムにはX Religionからベーシストとドラマーが参加してます。

タイトルがソドムとゴモラですからねぇ。「XXI」がなにを意味するのかわかりませんが、テーマ的には「悪徳の滅亡」ですよね、きっと。サブ・タイトルには「Progressive Symphonic Poem」となってます。

ちなみに、ここで演奏されている音楽は、もともとは舞台用のものだったみたいです。Original scenic versionはウズベキスタンのThe Youth Teatreで上演みたいなことが書いてあるし、ジャケットのうしろにも舞台シーンの写真があります。

曲的にはキーボードを駆使したインストゥルメンタルのシンフォニック・プログレッシヴ。ギターが加わるパートもあり、いかにもキーボード・ミュージックというふうにはならず、きちんとバンド・サウンドが楽しめるのがうれしいです。キーボード自体はそれほど音色にヴァリエーションがありませんが、フレーズやアンサンブルに変化があるのと、メロディがいいのかなぁ、とくに飽きることなく聴けます(自分はキーボード・メインのインスト曲って途中でよく飽きちゃうんですけど)。またパイプ・オルガンをガンガン鳴らすパートもあったりして、迫力と広がりのあるロックになっています。

ソドムとゴモラといえば、男色をはじめとしたありとあらゆる快楽・悪徳がはびこり、それを「もう見てられん!」と思ったイスラエルの神(エホバ)が一晩のあいだに焼き尽くした街ですね。唯一、信心深い家族にだけは天使が「逃げなさい。その際、うしろを振り返ってはならない」と告げに来るのだけど、逃げる途中でつい街を振り返ってしまったお母さんはたちまち塩の塊になってしまったという話。この話をテーマにしたトータル・アルバムなので、快楽・悪徳の栄えを表現したパートとかもあるのかなと思ったのですが、全編通して暗いイメージで、快楽・悪徳の栄え的華やかさ・猥雑さといったものはありませんでした。そのあたり、もっと収録曲(パート)に「シーン」をもっと想起させるようなメリハリがあってもよかったかなぁ。

独特のくすんだ感じがまとわりついているあたりが、やはり東欧。音色、フレーズ、展開、アンサンブルともにクオリティはけっこう高いと思います。X Religionも聴いてみたいぞ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/09/21

はじめてのディズニーシー

昨日、はじめて東京ディズニーシーに行きましたよ。最後に東京ディズニーランドに行ったのが、もう5年も前のことで、まだディズニーシーもイクスピアリもできてなかったころ。いやー、舞浜駅前はなんだかすごいことになってるんですねぇ。

そんでもって、ディズニーシー。う~ん、微妙だ。

楽しいことは楽しいんですよ。港町の景色って好きだし。メディテレーニアンハーバーとか、まぁよくできてると思います。アトラクションも、インディ・ジョーンズとセンター・オブ・ジ・アースはなかなかですね。

ただねぇ、パークとしてのコンセプトというか、目的というかが、よくわからない。パークの独自性という点でもねぇ、ちょっと弱いんじゃないですかねぇ。

アトラクション。インディも地底探検も、海と関係ないんじゃないかしらん? なぜそれがディズニー“シー”に? ちなみに地底探検にはネモ船長って出てこなかったと思うんだけどなぁ。海底2万マイルつくったので、単純にジュール・ヴェルヌつながりで出しちゃったのかしらん。

それと、スチームボートのナレーションで「ネモ船長はノーチラス号で2万マイルも旅をした」とかいってたけど、1マイルってたしか1.6メートルだっけ? とすると2万マイルって3万2000キロ? たったそれだけかい!! ノーチラス号は「2万マイルの深海まで」潜って、ふつうの潜水艦では見られない未知の海底世界を旅したっていう話じゃなかったんか? だから「海底2万マイル」なんだろが。なんかなぁ、こういうところ、きちんとつくりきれてないんだよなぁ。

それとなぁ、けっきょくインディ、地底探検、海底2万マイル以外のアトラクションって、新鮮味がない。これはスターツアーズだ、これはイッツ・ア・スモール・ワールド&カリブの海賊÷2だ、これはよく遊園地にあるやつのディズニーランド版? って感じで、ディズニーシーオリジナルってのが弱いよなぁ。インディとかにしても、もとネタにあまりディズニーもシーも感じさせないし。

メディテレーニアンハーバーを囲む街並みは、なかなかきれいにヨーロッパ風。だけど、あくまでも風。ヴェネツィアもどきの場所なんて、失笑もの。スケールの小さなリアルト橋もどきに、不恰好なゴンドラ。

ディズニーランドの「古きよきアメリカ」は、いまではあまり見られなくなってしまった(少なくとも日本人観光客がしょっちゅう行くような場所にはなくなってしまった)アメリカであり、そこにあるのは「本当にはないけれど、多くの人の心のなかにある懐かしい風景」なんだと思う。でもディズニーシーの「ヨーロッパの街並み」は、いまでもイタリアのトスカーナとかドイツの古城街道・ロマンティック街道などに行けばふつうにごろごろある。本当に何百年も前からの石畳と石造りの家、城壁などが残ってる。それを何度も見ちゃってるので、つくりものの「古そうな石造り」とか見せられてもねぇという感じ。

全体的に、イメージが固定しちゃってるんだよなぁ。ディズニーランドは、ありそうでないものが多いから、そこからイメージを膨らませられる。アトラクションから映画がつくられるっていうのは、いい例だろう。でもディズニーシーは、ありそうでやっぱりあるものからパーク内に多いように思う。映画からアトラクションをつくった、いまも見られるヨーロッパの田舎やアメリカの港町の風景をもってきた。そんな感じ。だから、イミテーションの向こうに「本物」を見てしまい、イミテーションが輝かない。

あと、気になったのは、スタッフ。なんかみんな、しんどそうなんですけど。笑顔がない。元気がない。ゲストが声をかければ明るく対応してはいるようだけど、それ以外のときはなんだかつらそうな顔で立っている人が多い。ディズニーランドもいまはこんななんだろうか?

昨日は風が強くて、ブラヴィッシーモは内容変更、そのあとの花火も中止と、ちょっと残念といえば残念ではあった。パークに入ったのは昼の12時半くらいで、パークを出たのは夜の9時。そんなに長くいたわけじゃないけど、もう充分かなという感じ。ディズニーランドなら閉園までいるんだけどね、たいていは。ま、1回くらいは見ておかない戸という目的は達成できた。でもディズニーシーのリピーターになるかというと、自分としては別にいいやという感じ。近いうちに、ひさしぶりにディズニーランドのほうにまた行きたいなという気持ちを強くさせられたディズニーシー初体験なのであった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2004年9月12日 - 2004年9月18日 | トップページ | 2004年9月26日 - 2004年10月2日 »