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2004年8月22日 - 2004年8月28日

2004/08/27

ナスと生ハム

昨日の夜は、厚さ1センチくらいに切った米ナスを生ハム(国産)でくるんで、オリーブオイルで単純に焼いてみた。塩・胡椒はなし。最後に白ワインをひとふり。

国産の生ハムって、塩味ばっかり強くてあまり肉の旨みを感じないので、つまみとしてそれだけ食べ続けるのはどうかなぁと思う味なのだけど、こうやって料理の調味料代わりに使う分にはいい感じ。パッケージには「生のままで食べろ」って書いてあったけど、焼いたほうがおいしい気がするぞ。

中火で両面をじっくり焼いたので、外にまかれた生ハムにはこんがりと焼き目がつき、なかのナスはふんわりと焼きあがりました。ナスだけをそのまま油でいためると、ナスがどんどん油を吸ってべちゃべちゃの油っこいものになっちゃうことも多いのだけど、生ハムを巻くことでナスに直接油がしみこむのを防いでくれたみたい。ふっくりと焼きあがりましたわん。味わいも、ナスの甘みとハムの塩味に、ほんのり肉の旨みが混じりあって、メインとして楽しめる一皿になりました。

そのほかには、舞茸をオリーブオイルと塩・胡椒でささっと炒めて軽く白ワインをふったもの、レタスとレモントマトに白ワインヴィネガーとオリーブオイルをまぶしたサラダを用意。それと、ルブイユという作り手のオート・コート・ド・ボーヌ2001。どれもワインともおいしく合わせられて、楽しい食事になりましたわ。

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2004/08/26

EVITAR BANAI / TRIP SONG

イスラエルのシンガー・ソングライター。アーティスト名とアルバム・タイトルにはかろうじて英語表記があるのですが、それ以外は全部イスラエル語?で表記されているため、ぜんぜん読めません。

このアルバムは、おそらくセカンド・アルバム。某ショップでは彼のことを「イスラエルのMauro Pelosi(マウロ・ペロシ)」といった紹介をしていますが、それはどうかなぁ。たしかにファースト・アルバムは陰鬱なヴォーカルに哀しげでさびしげなピアノとストリングスがかぶさる感じがなんとなくMauro風ではありましたが、このセカンド・アルバムでは、Mauro風なイメージはほとんどないといっていいんじゃないでしょうか。

『Trip song』というアルバム・タイトルからもわかるように、かなりサイケデリックを意識したつくりになっています。Evitar Banai(エヴィタール・バナイ)のヴォーカルは浮遊感があって、Claudio Rocchi(クラウディオ・ロッキ)やAlan Sorrenti(アラン・ソッレンティ)などに通じるところもあり、ある意味ヴォーカルだけで充分サイケデリック風味なのですが、ClaudioやAlanにくらべると、歌声の持つ力と密度が小さい。なのに、バックの演奏は派手なサイケデリック風をめざしているため、ヴォーカルとバックのバランスが非常に悪くなっていると思います。

とくに、過剰にデジタリックな処理をされた派手なリズムや、無駄に雰囲気をあおるシンセサイザーのアレンジはいただけません。ピアノやウッド・ベースなどのアコースティックな楽器との対比でサイケな感じを強調しようという意図なのかもしれませんが、あまりにもバランスが悪い。不協和・不調和による調和とは程遠い位置にあると感じます。そのうえ、曲、歌メロ自体が持つ魅力・存在感もファースト・アルバムより少なくなっているため、いっそうぼやけた印象になってしまいます。

イスラエルの言葉には、フランス語のRの発音をさらに強調し汚くしたような「ふがっ」といった音があるようで、前作ではそれがとても気になりました。前作は、曲もアレンジもロマンティックでシャンソン風なところが多く、そのなかに出てくる「ふがっ」はあまりにそぐわなかったからです。でも今作では、この「ふがっ」があまり気になりません。この音自体があまり出てこない感じがしますし、出てきたところで、バックの演奏がそれ以上に汚い音なので、それほど違和感がないのでしょう。

以上、あくまでも私的な感想ですが、正直にいってがっかりな出来。せっかく個性的で魅力的な歌声を持っているのですから、その声を生かすメロディとアレンジを聴きたかった。もっとシンプルでストレートなアレンジのほうが、彼の歌が生きると思います。

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2004/08/25

PROCOL HARUM / SHINE ON BRIGHTLY

たしかセカンド・アルバムだったと思います。Procol Harum(プロコル・ハルム)らしい、大英帝国の気品をふんだんに漂わせつつもじつは世俗でいなたい酒場ミュージックの雰囲気もふりまく音楽が堪能できます。

このアルバムではまだマシュー・フィッシャーが在籍しているので、かれのひなびた哀愁オルガンも楽しめます。ただ、ファースト・アルバムに収録されている大ヒット曲「Whiter shade of pale (青い影)」のような泣きのクラシカル・オルガンを期待すると、ちょっと期待はずれかもしれません。

あらためて気づいたのですが、初期のProcol Harumにはギターが入ってたんですよね。ファースト・アルバムはしばらく聴いてないので古い記憶になりますが、あまり(というか、ほとんど)ギターの記憶がありません。でもこのアルバムでは、ずいぶんとギターが元気よく鳴っています。思えばギタリストは、ジミ・ヘンドリックスの再来などといわれたこともあるロビン・トロワーですから、このくらいのヘヴィな音色を鳴らして当然ですね。しかし、ロビン・トロワーとProcol Harumって、あまり印象が重なりません。だから早くに脱退してしまったのでしょうか。

ロビンの脱退は、自分としてはどうでもいいといえばどうでもいいのですが、マシューの脱退は、やはりちょっと残念です。彼のオルガン・サウンドは、Procol Harumのイメージの一端を担っていたと思うので。

ゲイリー・ブルッカーのヴォーカルはやはり味わい深く、そこに彼の弾くピアノとマシューのオルガンがかぶさったときに、Procol Harumのもっとも「イギリス的」な音ができあがるように思います。このアルバムでいえばM6~M7あたりの流れに彼らの魅力が強く感じられます。

やっぱりいいグループだなぁと思います。もう少しアルバムそろえようかな。

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2004/08/23

GIANLUCA GRIGNANI / UGUALI E DIVERSI

Gianluca Grignani(ジァンルカ・グリニャーニ)もすっかり中堅どころのアーティストになりましたね。初期のころは土臭いストレートなロック・シンガーだった気がしますが、最近はほどよいポップさを備えた重厚なロックを得意としているように感じます。ミディアム・テンポの曲が増えたのも、最近の彼の傾向かな。

Gianlucaって、声がいいですね。太くて力強いのだけど、そのなかにそこはかとない頼りなさや優しさ、甘さが見え隠れしてる。この声がミディアム・テンポのメロウなメロディにとてもよくマッチします。また、美しいバラードもこの声の魅力を充分に引き出します。

この前のアルバムもそうだったと記憶していますが、ちょっと曲調が似通ったものが多く、メロディや構成にもある種のワンパターンさを感じる部分があることは否めません。それがGianlucaの曲の個性になっているともいえますが、もう少し曲ごとの個性というのも期待したい感じです。彼の場合はヴォーカルに個性があるので、曲調やテンポに変化をつけても声の個性で求心力を得られるでしょう。

むかしながらの土臭いストレートなロック、美しいロック・バラード、ほどよくポップな曲など、それなりにバラエティはあって楽しめます。あっさりめのオーケストレーションも雰囲気づくりに役立っています。自分の好みとしては、これにもう少しリズムの変化や緩急豊かな展開があればなぁとは思いますが、充分にやわらかなイタリアン・ポップ・ロック・ヴォーカルの魅力を感じられるアルバムだと思います。

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2004/08/22

映画『16歳の合衆国』(ちょっとネタばれ)

映画『16歳の合衆国』を観てきました。

なんか、救いのない話だ。これがアメリカ人(の一部)が最近持っている気持ちなのかなぁ。

主人公のリーランドは、ものごとのネガティブな面にばかり視線が行ってしまう16歳の少年。現状がネガティブではなくても、この先の未来にはネガティブな展開しかないと考えてしまうような、ある意味では繊細な、でもじつは臆病な性格。そのリーランドが、恋人(ジャンキー)の弟を殺してしまう話。その弟には知的障害があるため、リーランドは「彼の未来にはいいことなんかなにも待っていない」と考え、未来の不幸を防ぐために、いま殺しちゃう。

この事件をきっかけに、恋人の家庭(みんな問題ありまくり)が崩壊しかけ、リーランドの家庭はとっくに崩壊してて、教師と恋人の関係も崩壊しかけ、なんだかんだとあるわけです。

思春期にリーランドみたいな考え方に傾くことっては、べつに珍しくはないわな。ただ、そこから「他人の不幸を断ち切るために、不幸のなかにいるその他人を殺す」という行動には、普通は出ない。いくらリーランドがその子の姉とつきあっているからといっても、殺人の動機としてはあまりに弱いと思うのだなぁ。やはり本当の動機は、「彼のため」ではなく、もちろん「恋人のため」でもなく、「自分のため」なはず。未来には不幸な世界しか待っていない恋人の弟を殺すことで、未来には不幸しか待っていないように思えてしかたがない自分を終わりにしたかったのかなぁ。

いずれにしろ、殺人という行動を起こすかどうかはべつにして、リーランドの考えていること、感じていることは、まったく理解不能なことではない。そういうこともあるよね、こういう子もいるよねって思いながら観ていけば、それなりにこの映画の持つ世界の中に自分を置くことはできる。

ワケわからんというか、不要だよなと思ったのは、リーランドの父親。家庭を顧みない売れっ子作家。作家としては一流だけど家庭人として、父親としては失格なおじさん。こういう父親がいるからリーランドのような子が育つっていうことをいいたかったのかもしれないが、それならそれでもっと父と息子のこれまでのかかわりとかをきちんと描かんと。ただおっさんが出てきてモノローグしてるだけじゃいかんでしょ。それに、こういう子供って、親がどうかとはあまり関係なく、こういう考え方を持つものだと思う。いっそのこと、リーランドの家庭環境なんかはまったく画面に出さないほうが、かえってリーランドという少年の心の中に入っていきやすかったなと思うのだわ。

最終的にリーランドは、世の中はネガティブなことばかりではないということを感じ、世の中に少し心を開こうと思った矢先に、ジャンキー恋人の姉のボーイフレンド(リーランドのせいで家庭が崩壊した恋人の仇をうちに来た、と見せかけて、自分と恋人の関係が悪化したことを彼のせいにしたくて来た)に刺し殺されるんだけど、最後、リーランドは笑ってるんだよね。少しポジティブな気分になってきたところで「終わり」が来たから、彼は自分の未来の「ネガティブ」な部分を見ずにすんだ。その点でいえばある意味ハッピーエンド。彼の教師は恋人とヨリを戻し、リーランドを殺した兄ちゃんは「恋人の家庭のために」という大儀のもとリーランドを殺したいという自分の欲望を果たし、おそらくジャンキー姉ちゃんは結局ジャンキーから抜けられないだろうし、別れを望んでいたジャンキーの姉は望みどおり彼と別れて遠くの大学へ行く。そして「哀しみにあふれている世界」はなにも変わらないまま、ずっと続くんでしょう。

という雰囲気を感じて、そういう世界の中を漂って、ふ~んって思って終わっちゃう映画でした、自分にとっては。

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