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2004年7月18日 - 2004年7月24日

2004/07/24

うちの冷蔵庫が……やばい

あきらかにね、冷蔵庫よりワインセラーのほうが冷えてる。ワインセラーは12度から14度のあいだの保つように調整してある。それより庫内温度が高い冷蔵庫って……。冷蔵品って基本的に「10度以下で保存」だよねぇ。
やばい。

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2004/07/23

Umberto Balsamoが入荷

ガーデン・シェッドの新入荷情報を見たら、去年リリースされたUmberto Balsamo(ウンベルト・バルサモ)の新譜『 ...VORREI APRIRE IL CIELO SABATO SERA A SPINA DI ROSA』がいまごろ入ってきてた。

これ、いいアルバムなんですよ(Pensiero! に雑感を書いてあります。こちらを参照してね)。Umbertoはむかしからぜんぜんかわらんねぇ。

このアルバム、イタリアでもあまり出回らなかったみたいで、リリースされたこと自体あまり知られていないようですが、過去に日本盤が出たことのある彼の作品群がお好きな人には、きっと素敵な贈り物になるはず。

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2004/07/22

魔璃鴉 / MARIA

1970年代中ごろに活動していたらしい、日本のプログレッシヴ・ロック・グループです。MARIAというグループ名は、イギリスのイエスをJesusだと勘違いした(本当はYes)らしい当時のメンバーが、イエスよりも偉大なグループになろうと、イエス(Jesus)を生んだ母マリアをグループ名にしたらしいというおバカな逸話がライナーノーツに書いてあります。脱力です。

録音はスタジオを使ってされていますが、マスターテープが紛失しているとかで、カセットテープからのCD化になっています。そのため、録音状態はあまり(かなり)よくありません。音の抜けとかすごく悪い。でも、演奏自体は迫力があり、とくにドラムはかなりすごいです。福島正彦という人なんですが、その後も音楽界に残ったのだろうか。アマチュア・バンドで終わらせてしまうにはもったいない。

迫力のドラムと、うなるベースの、リズム・セクションがしっかりしているので、演奏がすごく安定しています。キーボードもまずまず。ギターは、ちょっとバッキングのアイデアが乏しいかな。1970年代中ごろだと、このくらいでしかたないかなとも思えますが。

初期のYesやGenesis(ジェネシス)、Pink Floyd(ピンク・フロイド)などからの影響がうかがえるアレンジと演奏。ときにCosmos Factory(コスモス・ファクトリー)を思い出させるところもあり、あの時代のジャパニーズ・プログレッシヴらしいなという感じです。ヴォーカルに、ロック・ヴォーカリストとしての魅力が弱いという点でもジャパニーズ・プログレぽいです。布施明とか尾崎紀世彦とかカルメン・マキくらいの歌唱力があればなぁ。

そして、歌メロの魅力のなさは致命的な感じです。せっかく演奏面ではブリティッシュな、ユーロピアンな重厚さを発揮しているのに、歌メロが出来の悪い歌謡曲。もう少しなんとかならなかったんだろうか。メロディ・メーカーとしてはいまいちですね。改めてカルメン・マキ&オズの偉大さを感じてしまいました。

などという弱い点も多々ありますが、イギリスから渡ってきたプログレッシヴ・ロックに心奪われ、自分たちで日本のプログレッシヴ・ロックをつくろうとした当時の若いミュージシャンたちの熱い気持ちは存分に伝わってきます。こうしたグループたちの音楽が、のちのNovela(ノヴェラ)などといったグループにつながり、そこからさらにX Japan(エックス・ジャパン)やMalice Mizer(マリス・ミゼル)などにつながっていったんだよなぁなどということを考えると、なかなか感慨深いものがありますね。

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2004/07/21

ラタトゥイユとお米のサラダ

フランス人の知り合いに聞いたのだけど、ラタトゥイユってフランスでは夏の料理なんですって。

ラタトゥイユ。トマトとか野菜とかを煮込んだスープみたいなもの。そういえば、あそこに入る野菜ってトマトをはじめ、夏野菜かも。でも、スープだから、温かい料理だから、夏に食べたら暑いんじゃん?……って聞いたら、あれ、冷やしても食べるんだそうだ。

そういえばフレンチとかでアントレの盛り合わせとか頼むと、冷たいラタトゥイユが少し乗ってることがあるな。そうか、冷やして食べればいいんだ。

ちなみに、教えてくれたフランス人いわく、冷蔵庫で冷やしておけば5日は持つのだそうだ。月曜につくって、金曜日まで食べられる。ただし、数日間保存するときは、たまねぎは入れちゃだめなんだって。たまねぎを入れると痛みやすくなるらしい。だから、すぐ食べるときはたまねぎを入れるけど、冷やして数日に分けて食べるときは入れない。ここ、気をつけてねといわれた。

ちなみにイタリアの南部のほうではカポナータという料理があって、これがやっぱりトマトとかの野菜を煮たもので、見た目ラタトゥイユにそっくりなんだけど、そのフランス人は知らなかった。ていうか、イタリア人でも中部より上に住んでる人は知らないことが多いらしいけど。これもそういえば、アンティパストの盛り合わせを頼むと冷たいやつが乗ってたりしたことがあったような気がする。

そうか。夏はカポナータ(ラタトゥイユ)か。おいしいな。

夏の定番といえば個人的にはお米のサラダ(夏だけじゃなく、自分は1年中食べてるけど)。自分がはじめてお米のサラダに出合ったのはイタリア・トスカーナのシエナだったから、うちでつくるお米のサラダはイタリア風(トスカーナ風?)にワインヴィネガーもしくはレモン汁とオリーブオイルに塩の味付けなんだけど、北フランスでは、味付けがぜんぜん違うらしい。

フランス人の彼いわく、味付けはマヨネーズとケチャップなんだそうだ。ただし、この味付け、日本のお米でつくるときはすすめないといってた。日本の米は甘みが強いので、ケチャップの甘みとぶつかって、変な味になるんだそうだ。

う~ん、マヨとケチャップかぁ。なんか、アメリカ人とかが好きそうな組み合わせだ(偏見)。自分はやっぱ、イタリア風のお米のサラダのほうが好きだなぁ。

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2004/07/20

4人の食卓

映画『4人の食卓』を観てきました。

『猟奇的な彼女』主演女優による韓国ホラー映画みたいに紹介されていたような気がしますが、これはホラーじゃないですね。トラウマ系サイコ・スリラー?

ところどころ、エグイです。高層マンションの上階から幼児を落とすシーンとか、坂道の途中に座っている子供がバックしてきたダンプカーに踏み潰されるシーン、その踏み潰された子供がマンホールのなかに捨てられてるシーンとか、飛び降り自殺して落下していく女性と目が合ってしまうシーンなど、見てて厳しいです。そういったことが主人公ふたりのトラウマになり、そのトラウマが心に引き起こす夢とも幻とも現実とも判然としないヴィジョンに苦悩していくんですね。

電車のなかで母親に毒殺されたふたりの子供がなぜ“彼”の「食卓」に現われるのか、その理由はよくわかりません。ただ、「ふたりの子供」が目の前で死んだ、「ふたりの子供」を助けられなかったということが、“彼”にとってはヴィジョンをよみがえらせるトリガーにはなっていますね。電車のなかで死んだ、ふたりの子供。幼少期に“彼”の目の前で死んだ、ダンプに踏み潰された子供と家事で焼け死んだ妹。

たまたま“彼”の食卓で「ふたりの子供」を見てしまった“彼女”にとっても、霊媒体質というご都合主義的な能力を与えられているのがなんだかなぁという部分はありますが、子供がふたりというのは意味がありそうです。映画のなかでは、マンションのベランダから落とされて殺される子供は、“彼女”の子供ひとりしか映りませんでしたが、投げ落とした“彼女の友人”は育児ノイローゼで、「子供を私に近づけないで」といっていました。それに対して“彼女”は「あなたの子供じゃない」と答えているシーンがありました。ということは、きっと、実際に“彼女”の目の前で死んだのは、“彼女”の子供と友人の子供のふたり。ふたりとも、マンションの下のコンクリートに打ち付けられて死んだのじゃないでしょうか。

つまり、“彼”の食卓で「死んだふたりの子供」を見た“彼”と“彼女”には、その時点でどちらにも「目の前で死んだ子供、助けられなかった子供」が、ふたりいたわけです。“彼”にとっては、忘れていたその記憶が、目の前で実際に見たふたりの子供の死体というかたちで現われたのかな。では、“彼女”も同じ「形」で見たのはなぜ? やはり霊媒体質だからなのでしょうか。このへんが、釈然としないといえば、釈然としない。

あと、“彼”の婚約者の役割、立場というのも、ちょっとよくつかめなかった。けっきょく婚約者は、“彼”の元には返ってこないのでしょう。最後のほうで“彼”が、“彼女”が選んだガラスの食卓を(この食卓に死んだふたりの子供がいる)粉々に壊し、“彼女”に「戻ってきてくれ」と電話をするシーンがあります。しかしいちばん最後のシーンでは、食卓はそのままで、“彼”のほかに「死んだふたりの子供」と「死んだ“彼女”」が食卓を囲んでいます。自分が思うに、おそらくこちらが真実。“彼女”を信じられなかった(信じたくないと思った)せいで、結果として“彼女”を死に追いやってしまった“彼”。またひとり、“彼”の目の前で死んだ、助けられなかった人が増え、その人が“彼”の食卓に着くのです。

あれ、もしかして“彼”も死んでしまったのかな。“彼”が“彼女”を信じなかったせいで“彼女”は死んでしまった。“彼”の婚約者も“彼”を信じようとせず、話を聞こうともしなかった。ここに関連性を求めるなら、婚約者に信じられなかった“彼”も死への道を進むのかも。ということは、食卓は本当に壊され、最後のシーンがヴィジョン? う~ん、よくわからなくなってきたぞ。

いずれにしろ、怖い映画というよりは、悲しい話だと思います。横溝正史や江戸川乱歩が好んで書きそうな、あるいは『人間の証明』などにも通じそうな、悲しみを感じます。貧しい時代の貧しい生活のなかで避けることができずにおきてしまった忌まわしい出来事が深く心の奥底に暗い影を落とし、貧しさから抜け出した現在にも一点の染みとなって悪い影響を与えることから、あらたな忌まわしい出来事が起きる……。

観終わったあとに、いろいろなことを考えさせる、思わせる映画でした。もう1回観ようかな。それとも小説のほうを読んでみようか。

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