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2004年5月16日 - 2004年5月22日

2004/05/22

真珠の耳飾りの少女

映画『真珠の耳飾りの少女』を観てきました。

銀座のシネスイッチは、毎週金曜日がレディースデイだったんですね。知らずに出掛けたら、お客さんは女性だらけで、そのうえ満席という、なんだかすごく居心地の悪い鑑賞になってしまいました。上映前にアイスクリーム「彩」のプレゼントがあったのが唯一、レディースデイに紛れ込んでしまったつらさの報いとなったでしょうか。美味しかった。

映画のほうはというと、すごく静かな映画でした。余分なせりふや音のない、ヨーロッパらしい静寂がありました。

ストーリー的には、じつはあまり引き込まれるところはなかったなぁ。

最後まで観て感じたのは、自分の「分」というものをわきまえない人、理解しない人は、哀れだなということ。理解しないというよりは、気づいてはいるのだけどそれを認められない人、受け入れられない人、のほうが的確かな。あ、主にフェルメールの奥さんのことですけどね。とはいえ、フェルメールも使用人のグリートも、それぞれの分をはみ出しちゃったから奥さんがそれ以上に分をはみ出しちゃったんですけどね。

あと、題材が絵画だけあってか、映像のひとつひとつがとても絵画的というか、瞬間瞬間を切り取ったようなシーンがとても美しいです。とくに光と陰の使い方が秀逸で、そのコントラストがいかにもヨーロッパらしい。

こういった光と陰とのコントラストって、西洋絵画を見たりすると強く感じられるんですが、実際にヨーロッパに行くと、ちょっとした街角や小道でほんとに鮮やかに感じられるんですよね。絵画をドラマティックに演出する技法という面もあるのかもしれませんが、普通に日常の風景が鮮やかなコントラストに満ちているから、ああいう絵になったんじゃないかなと思います。

そのほかに印象に残ったことといえば、主役である使用人の少女グリートを演じたスカーレット・ヨハンソンの口が終始半開きで、個人的には、頭悪そうに見えていまいちだったこと。その唇が最近のヨーロッパ人(ヨハンソンという名字からすると、スウェーデン人ですか?)にしてはずいぶんぽってり系だなと思ったこと。ぽってりした唇を半開きということで、ある種のエロチック差を表現しようという意図だったのかもしれませんが、エロチックというよりは頭悪そう、あるいは鼻が悪そうと思ってしまった自分はアホウでしょうか。

それと、フェルメールを演じた役者さん、コリン・ファースでしたっけ。この人、名前を聞いたことがあるので、けっこう有名な人なんですよね、きっと。おそらく自分も出演作をいくつか観てるんじゃないかと思いますが、記憶にありません。で、そのフェルメールさんなんですが、いつの瞬間からか、彼の顔がどんどこどんのぐっさんに見えてしょうがなくなってしまい、いつ松方弘樹の真似をしだすかとか、なにか歌い出すんじゃないかとか、そんなことばかりが頭に浮かび、どんどん集中力がそがれていってしまいました。

う~ん、こんな観方でよかったのだろうか(よくない!)。

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2004/05/21

Aphrodite's Child "Reflection"

Aphrodite's Child(アフロディテス・チャイルド)といえば、プログレッシャー(とニフティのプログレ隔離室では呼んでいたような)にはグリーク・ロックの傑作『666』なんですけど、今朝電車のなかで聴いてたのは『666』以前の、ユーロ・ポップなころの彼らのベスト盤。

ていうか、プログレ者以外の人には、ユーロ・ポップな彼らのほうがなじみがあるらしいですね。とくに自分らより上の世代の、現在40代なかばくらいな方たちにとっては。「Rain and Tears(雨と涙)」とか、日本でもヒットしたらしい。

このベスト盤(LP!をMDに録音しました)を聴くの、ひさしぶりなんですが、あらためて聴くと、なんだかいいです。「Spring, Summer, Winter & Fall」とか、名曲です。ユーロ・ポップスらしい、美しいメロディとなめらかで奥行きのあるアレンジが楽しめます。のちにグリーク・ポップの、というかユーロ・ポップのスターになった(らしい)デミス・ルソスのあたたかいヴォーカル(ふるえたような歌声が素敵)もじんときます。ヴァンゲリスのキーボードは……まぁ、こんなもんでしょう。

どれもメロディや展開が素直だよなぁ、このころの曲って。こういう曲って、誰かが仕掛ければリバイバルヒットになりそうに思うんですけど、どうでしょ?

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Cajo = Rosso dell'Umbria 2000

今朝は頭が痛いです。夕べ飲んだCajo(カーヨ)が残ってる感じ。

イタリアのウンブリア州って、ほとんどDOCワインがないんでしたよね、たしか。でも、その分IGTで美味しいワインが多いような気がします。

で、昨晩飲んだCajoもウンブリアIGTの赤ワイン。サグランティーノというウンブリアの土着品種と、メルローにカベルネといったおなじみのボルドー品種が、それぞれ3分の1ずつブレンドしてあるそうな。

この「ボルドー品種」が、自分にとってはネックなのよねぇ。とくにカベルネ・ソーヴィニヨン。この葡萄と、スペインのテンプラニーリョが、どうも自分には体質に合わないようで。いや、美味しいんだけどね(カベルネの味はそんなに好きじゃない)、でも、飲んだあと、しばしば頭が痛くなっちゃうのよ。

このCajoも、飲んでるときはまぁまぁおいしかったんだけどなぁ。アルコール度数は12.5%とそんなに高くないし、飲んだ量だって普段とおなじだし、デミグラスソースでポークシチューつくって食べながら飲んだから胃にもやさしかったはずなのに……やっぱり頭が痛いよぉ。

ちなみに味的には、ちょっとカベルネが強い感じでした。どことなく金属っぽいの。サグランティーノは飲んだことがなくて、どんな味なのかわからん。個人的には、このブレンドなら、正体不明?のサグランティーノがもっと前面に出て得体の知れない味になっているか、メルローの上品さがもっと全面に出てる感じになってたほうが好きだったろうな。

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2004/05/20

かにを食っちまった

このあいだのゴールデンウィークね、シンガポールに行ってたんですよ。シンガポールに行くのは2回目なんですが、前に行ったとき、もう10年以上前ですが、会社の同僚に連れられていった(社員旅行だったのだよ)屋台で食べたかにの黒胡椒炒めがすっごくおいしかった記憶があって。

で、ひさしぶりのシンガポール。今回は妻と行ったんですが、やっぱりシンガポールにきたらかにを食べようと思ってたのね。

基本的にふたりとも屋台飯が好きなので、滞在中はほとんどフードコートで食事をしてたんだけど、最終日くらいはちょっと贅沢に食べようと。だったら、最後に豪華にかにを食べよう、妻に食べさせてあげよう……てことで、クラークキーの川沿いの店で食べたんですわ、かに。

いやぁ、でかかった。かに一杯のぶつぎりで3キロくらいあったんじゃないか。めっちゃうまかったんだけど、もう、ある意味うんざりするくらいの量で、もうしばらくかにはいいやって。それが5月4日の夜でした。

で、今日。スーパーで夕飯の材料を買ってるとき(うちは共働きなので、水曜と木曜は自分が夕飯つくるんです)、惣菜売り場でね、見かけちゃったんですよ、渡りがにのからあげ。

うまいんだよねぇ~、渡りがに。思わず買っちゃいましたよ。「かにはもう、しばらくいい」と思った2週間前のことなんかすっかり忘れて。

そんなわけで、今日の夕飯は昨日のうちにしこんでおいたポークのデミグラスシチューと渡りがにのからあげ、それになすのマリネイタリア風です。ワインはウンブリアのIGT「Cajo(カーヨ)」。このワインはちょっとボルドー風な味なので、デミグラスソースのシチューにはぴったりでしたが、かにとは微妙だったかな。

でも、だけど、やっぱり! かにはうまい!!

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ジャマイカン・フード

先週のアフリカ・フェスタ(日比谷公園)、先々週のタイ・フード・フェスティバル(代々木公園)。どっちも年々来場者が多くなってきてて、このままいくとすぐに麻布十番納涼祭状態になってしまうな、きっと。

とくにタイ・フェスティバルのほうは来場者が地べたにシートを敷きどんどん座り込むし、ゴミ箱以外にもごみが散乱・あふれ放題という状態だしで、開催するごとに無秩序化(アジア化?)がすすんでる気がする。困ったことだ。アフリカ・フェスタのほうが、まだ認知度がタイ・フェスティバルよりも低いのか、落ち着きはあるな。

で、来週末は代々木でジャマイカ・フェスティバルというのが行なわれる。こんなの、前からやってたのかなぁ。はじめて知った。でもって、こういったお祭りにはつき物の食べ物屋台も、ちゃんとジャマイカ料理が出るらしい。

ジャマイカ料理って、どんなだ? ぜんぜん想像つかないんですけど。でも、楽しみだなぁ。おいしいんだろうなぁ。

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2004/05/19

いまだけ100円!

今日も、ついマクドナルドに行っちゃいました。だってさ、マックシェイクがいまだけ100円(明日まで)なんだもん。マックシェイク、好きなんです。アイスクリーム好きな人はだいたい、シェイクも好きですよね?

先週は期間限定発売の抹茶味、昨日は定番のストロベリー味、そして今日は基本のバニラ味。マックはシェイク100円をときどきやるけど、そのたびに、それぞれの味のシェイクを頼むためにマックに通ってしまう……。思うつぼじゃん。

しかし、販売価格が総額表示になってからもう1か月以上たつというのに、シェイクを買ってつい「105円」を財布から出してしまった自分って……。年をとると環境の変化に順応するのに時間がかかるのね。はぁ。

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2004/05/18

失楽園

あ、日本のだれだかの書いた不倫小説(?)じゃないよ。ミルトンの『失楽園(Paradise Lost)』です。うちの奥さんは若いときに文学少女だったからか、奥さんの本棚を探すとときどきこういった本が見つかるんです。ただ、奥さん自身は持ってるだけで読んだことがないみたいだけど(ニセ文学少女か?)。

なんかねぇ、壮大です。神への反逆を企てて地獄へ落ちた堕天使サタンが、地獄の門を通り抜け、おなじく堕天使リュシフェルらを率いて、アダムとイブのいる人間の地で再度、大天使ミカエルと神の子イエスが率いる天使の軍勢と、神の座を求めて戦う。その記述のところどころに、ミルトンが考えるところの「神の世界」「キリスト教」「聖書」に関する解説が入っていて、ほぉ~とか思ったりう~むとか思ったり。なかなかおもしろいぞ。

ただねぇ、これ、叙事詩なんですよ。格調高いの。文章自体はけっして読みにくくない翻訳がされてるんだけど、区切りなくひたすらえんえんと続く「美しい文章」を読み続けるのは、なかなかしんどいです。聖書もそうだけど、ドラマ、小説として読めば、かなりおもしろいと思うんだよなぁ。だけど、このかたちのままでは、かなり気合を入れて読まないと、読みすすめられない。通勤電車のなかでの15分プラス10分という細切れ時間で読むには、重すぎです。

あぁ、文庫の『小説「聖書」』みたいなスタイルで、だれか『小説「失楽園」』とか『小説「神曲」』とか書いてくれないだろうか。そこに書かれた「ドラマ」が読みたいぞ。

ちなみに、いま読んでる文庫の『失楽園』、どうやら上下巻に分かれてるようなのだけど、うちには上巻しかない。もうすぐ読み終わるんだけど、下巻を買うかどうか、微妙。ていうか、やっぱりうちの奥さんは読んでないんだな、この本。

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野菜が入ってればなぁ

今日のお昼はマクドナルドのダブルチーズバーガーとストロベリーシェイク。トータル250円。安い!

あたしゃけっこうマクドナルドが好きです。月に数回はマックでお昼を食べます。世の中には「マックなんて安いだけで、おいしくないじゃん」ていう人もいっぱいいますが、あたしゃうまいと思うんですけどねぇ、けっこう。少なくともモスバーガーより好き。

ただねぇ、マックのハンバーガーは野菜が入ってないんだよねぇ。あと、ピクルスの味がいまいちかな。チーズも味が濃すぎ。テリヤキだれ甘すぎ。←文句ばっかじゃん。

ダブルバーガーにレタスを入れてくれぃ。ベーコンレタスバーガーにトマトを入れてくれぃ。チーズをもう少し品のある味のものにしてくれぃ。そして、お値段据え置きで(^^;)。そしたら、もっと食べに通ってやるぞ。

ほんとはなぁ、バーガーキングがおいしかったんだけどなぁ。日本撤退が悔やまれる。あとウェンディーズもおいしい。会社のそばにないのが悔やまれる。

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2004/05/17

1990年のヴァルテッリーナ

昨日、1990年ヴィンテージのヴァルテッリーナ・インフェルノを飲みましたよ。ヴァルテッリーナは前にも飲んだことがあるけど、14年も前のヴィンテージ(古酒)ははじめて。

いやぁ、おいしかった。ヴァルテッリーナがこんなにおいしいなんてねぇ。やっぱりネッビオーロでつくられてるワインは、10年は経たないと味が穏やかにまとまらないのかしらん。バローロもバルバレスコも、10年以上経ってるもののほうが圧倒的においしいもんな。てことは、ガッティナーラも長期熟成物を飲んだら印象が変わるかも。

10年以上前のヴィンテージをお手ごろ価格(3000円台前半まで)で買えることってなかなかないんだけど、見つけたら迷わず買いだわ。

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夜ごとに太る女たちのために

邦題はたしか、こんなでしたよね。Caravan(キャラヴァン)の名盤『For Girls Who Grow Plump in the Night』です。

ひさしぶりに聴いたのですが、プログレッシヴ・ロックは「重い・暗い・長いの三重苦」といわれるなか(笑)、Caravanの奏でる軽やかでどこかのほほんとしたプログレッシヴ・ロックは貴重。
ヨーロッパの田園を思わせるのんびりした感じと、アメリカのカントリーやフォークソングにも通じるようなやわらかさ。だけどアメリカほど乾いてなくて、ちょっと湿ったあたたかさなのがやっぱりイギリス?
ヴァイオリンというよりはフィドルの音色で、でもメロディやフレーズはフィドルというよりはヴァイオリンな、だけど実態はヴィオラだったりする弦楽器も魅力。

そんなのんびりのほほんなCaravanですが、「A Hunting We Shall Go」はYes(イエス)の「Close to the Edge」と並ぶブリティッシュ・シンフォニック・プログレッシヴの最高のサンプルかつ名曲だと思います。

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2004/05/16

スクール・オブ・ロック

映画『スクール・オブ・ロック(The School of Rock)』を観てきました。

いやぁ、おっかしかったです。おもしろかったです。そんで少しじ~んとしちゃいました。

ストーリー的にはね、超ご都合主義でぬる~い話なんですよ。才能はないけどロックを心から愛してるダメ男デューイが、その「ロックへの暑苦しいまでの愛情」ゆえに自分でつくったバンドをくびになり、金がなくて友人のネッド(元のロック仲間。現在は「代用教員」というかたぎの商売)の家に転がり込んだはいいけど、ネッドの彼女は「ロックな心」のかけらもない超体制派。その彼女の入れ知恵(?)で「金が払えないなら出てってくれ」とネッドにいわれちゃったデューイが、ネッド宛にかかってきた私立小学校からの代用教員依頼の電話に出て、ネッドになりすまして学校で働き、金を得ようと考える。もぐりこんだ学校は超保守的な超一流学校で、子供たちは勉強ばかりで覇気がない。しかし音楽的な才能があることにデューイが気づき、子供らをしこんでロックバンドをつくってバンドバトルに出場し優勝してかつての仲間らを見返してやろうと考えるんだけど、そのために子供たちに「ロック」を教えているうちに、子供たちと一緒に「ロックする」ことにのめりこんでいき、子供たちも「ロックする」ことで生き生きと自分の可能性に気づいていく……てな感じでしょうか。

ね、くだらない話でしょ。一歩引いて冷静に観たら、ばかばかしくて観てられないと思うんですよ。でもね、スピーカーから粘っこいエレキ・ギターと大地を震わすバスドラム、力強いベースの音が響いてくるとね、そんなことは関係なくなっちゃう。

ロックの「ロ」の字も知らないままに、まじめにまじめに育てられた子供たちに「この曲知ってるか」ってはじめに聴かせるギターのイントロがBlack Sabbath(ブラック・サバス)の「Iron Man」で、いきなりのけぞっちゃいましたよ。なんでサバス? なぜアイアン・マン?? マニアックだ。次にDeep Purple(ディープ・パープル)の「Smoke on the Water」のリフを聴かせてたけど、順番が逆じゃないの? それともアメリカではパープルよりもサバスのほうがロックなんだろうか。ま、たしかにサバスのほうが「ロック」だとは思うんだけど。

「ロックとはなにか」を感じてもらうためにデューイが「宿題」として子供たちに渡すCDもたまらんです。ギター担当の子にはJimi Hendrix(ジミ・ヘンドリックス)、ドラムの子にはRush(ラッシュ)の『2112』(Neil Peart(ニール・パート)は天才だ!とかいいながら)、キーボードの子にはYes(イエス)の『Fragile』(「Round About」をよく聞け!とかいいながら。そしてその子はRick Wakemanをすっごく小粒にしたようなクラシカルなキーボード・プレイをオルガン・サウンドで弾くようになるのだ!)、ソウルフルな歌声を持った黒人の女の子にはPink Floyd(ピンク・フロイド)の『Dark Side of the Moon』を渡して「The Great Gig in the Sky」を聴けっていうんだぜ。的確なようでいて、じつはかなりエキセントリックなセレクションだと思いません? 制作者はプログレッシヴ・ロックのファンなのか。

ほかにもT.Rex(ティ・レックス)やLed Zeppelin(レッド・ツェッペリン)、The Who(フー)、Kiss(キッス)、AC/DCとかががんがんかかって、どんどん自分がロックに熱中していた1970~1980年代、エレキ・ギターを抱えてバンドでロックを演奏していた学生時代に連れ戻されちゃう。

クライマックスとなるバンド・バトルでの演奏シーンでは、デューイは小学生が着る半ズボンの学生服にギブソンのSGという、見る人が見れば明らかにAC/DCのAngus Young(アンガス・ヤング)なかっこうで登場。めっちゃ盛り上がっちゃいました。できればランドセルもしょってほしかった。ステージでお尻も見せてほしかった。

そして、客席へのダイブ。思わず拍手しちゃいましたよ。じわぁ~ってきちゃいました。ほかにも何人か拍手してた。

ほんと、単純で、うそっぽくて、すごく予定調和な映画なんです。でもね、少なくとも自分は知ってるんです。けんかしたり共感したりしながら一緒に曲を演奏し、バンドの音をつくりあげる楽しさを。それをステージにかける興奮を。そしてステージが終わったあとの心地よい虚脱感を。それをまた味わいたいために、ひとつの曲に、自分たちのバンドに、一生懸命に打ち込む喜びを。そういった気持ちを思い出させてくれる映画でした。

最後のスタッフロールが終わり、劇場の照明がともる瞬間も、思わず拍手しちゃいました。ほかの席からも、ぱらぱらとではあったけど、拍手が起こりました。あのとき拍手した人たちって、きっとバンド経験者だぞ。

映画を観たのと同時に、まだロックが幸せだった古き良き時代のロック・コンサートをも観たような、そんな印象が残りました。席で座って観るだけでなく、演奏シーンでは立ち上がって踊りたかった。声をかけたかった。そして、もっともっと大きな音で聴きたかった。ロックって、やっぱりいいな。

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パッション

映画『パッション(The Passion of the Christ)』を観てきました。

いやぁ、うわさに違わず「痛い」映画だった。執拗に続く拷問の描写が、かなり厳しいです。

映画は、イエスが十字架にかけられるまでの最後の12時間を克明に描いてるのだそうです。いきなり、山に登っての最後の祈りのシーン(「目を覚ましていろ」といわれたのに2回も眠りこけてしまうダメダメなペテロたちの場面)から始まって(それも2回目の居眠りから)、すぐにユダが兵隊連れてやってきちゃう。できれば最後の晩餐の席から観たかったなぁと思います。というか、いきなりこのシーンからじゃ、新約聖書終盤の知識がない人には、なんだか全然わからないでしょうね。

同様にエンディングも、十字架上で息絶えて、キリストの降架(ピエタ)のあといつの間にか墓の入り口が閉じられ、すぐに墓のなかで復活(そんなシーンは聖書にはなかったように思うんだけど)で終わってしまう。そのあとの、弟子たちの前に姿を現わすシーンとかがないので、これまた中途半端な感じ。弟子の前に姿を現わし、最後に光とともに昇天するシーンを観たかったし、それがないとやっぱり知識のない人にはわけわからん状態だろうな。

では、なんでここだけ抜き出して映画にしたんだろう。なぜあそこまで執拗にイエスを痛め付ける場面ばかりを映し続けたんだろう。

映画系の掲示板等では、痛め付けられるイエスおよびイエスを痛め続ける行為に注目が集まってる気がするのですが、自分はその行為を行なったり観ていたりしている人の心の動きに引かれました。

イエスを深く愛していたのに、イエスへの直接的な迫害・拷問の引き金を引いてしまったユダの心の動き(しかも、その行動は最初から、神から与えられた役割として予定されていたんですよね。なのに後世まで「裏切り者」扱いされてかわいそうなユダ。自分はちょっとユダびいきなんです)。

いちばんの弟子を自認していながら、イエスへの迫害をくいとめられなかったばかりか、イエスの予言どおり3回もイエスを裏切ってしまったペテロの心の動き(イエスが復活したときに、イエスに3回「私を愛しているか?」と聞かれるんです。3回の裏切りには3度の償いを。泣かせるシーンです)。

イエスから多くの救いと愛を受けたのに、それを見ていることしかできなかったマグダラのマリアの心の動き。

人の子の母としてひどく心を痛めるのと同時に、神の子の母としてイエスの運命を受け入れようとするマリアの心の動き。

民衆の集団的な狂気に押し切られ、不本意ながらもイエスを磔刑にしてしまったピラトの心の動き。

司祭らの扇動のおかげで釈放されることになったバラバが一瞬、イエスに対して見せる改悛に似た表情からうかがえる心の動き。

イエスに肉体的苦痛を与える「仕事」をしているうちに、いつのまにか我を忘れて「苦痛を与える行為」にのめりこんでいってしまうローマ兵たちの心の動き。

イエスとともに十字架をゴルゴタまで運んだ男の心の動き。

痛めつけられるイエスを見て、痛めつけるローマ兵に同化していく民衆と、逆に悲しみや不安、後悔を感じていく民衆たちの心の動き。

そういった揺れ動く人々の心が、わずかな表情の変化などからうかがえます。そして、その揺れ動きに呼応するかのように、現われては消えるサタンが暗示する、人間の心に生まれる意識的な、あるいは無意識的な悪意。

人物についての描写が少なくてわけわからんという意見も多いのだけど、自分はそうは思いません。たしかに「背景」に関する描写は少ないけど、それは「聖書の物語を知っている」ことが前提になっているからで、その部分は、この映画を見るうえで観客に課されている義務でしょう。というか、もとからキリスト教国の観客に見せることを考えてつくられているので、当然でしょう。その前提のもとで、この映画で切り出された「最後の12時間」にかかわる人々の、その12時間のなかでの人物描写は、とてもよく描かれていると思います。

聖書の知識があることが前提になっていること、主人公がイエス・キリストであることから、どうしても宗教映画ととらえられてしまうのはしかたがないのだけど(ネット上でも宗教対決みたいになってるところがたくさんありますね)、じつはこの映画の主役はイエスではなく、イエスを取り巻く人なのではないでしょうか。イエスの受難を見るのではなく、受難を与えている人を見る映画なのではないでしょうか。

そう考えると、これは人間が普遍的に持つ悪意と善意を描いたもので、聖書はそのための「舞台」にすぎず、宗教やキリスト教自体は、じつはあまり関係ない気がします。なまじっか「聖書」「イエス」というキャラの強いキーワードが前面に立っているため、見るべきポイントがずれてしまってはいないでしょうか。

であれば、新約聖書のなかで大きな意味を持つと思われる「イエスの復活」があれほど簡単にしか描かれず、その後に続く昇天は無視されていることが、なんとなく納得できる気がするんです。キリスト教的考え方を描き出すことより、世界中で起きている、無益で未来のない、非人道的で悪意に満ちた残虐な戦いや諍いが、キリストのいた時代からなくならずにいることを観客に見せつけ、それに対してどう感じるか、ひとりの人間としてなにができるか、なにをすべきかを、問いかけているのかな。そんなふうに感じた映画でした。

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テキサス・チェーンソー

映画『テキサス・チェーンソー (The Texas Chainsaw Massacre)』を観てきました。

「怖い」「痛い」「途中で席を立ちたくなった」など、ホラー・ヴァイオレンス映画としては最大限の賛辞(?)があちこちで送られてるんですが……。

たしかに痛かったです。肉きり包丁で腕を切り落としたり、精肉用フックに兄ちゃんを引っ掛けたり、思わず「うっ」ってなるようなシーンは、たしかに多かった。始まってけっこうすぐに脳みそ吹っ飛んでるし。

でもなぁ、やっぱり「びっくり系」の怖さがメインなんだよなぁ。なんていうか、もっと「見えない怖さ」みたいなものが自分は好きなわけで、突然目の前に現われたり大きな音を出したりしてびっくりさせるのは、びっくりはするけど怖いとは思わないのよ。

もちろん、実話がモデルになってる映画ということで、こんな事件を起こした人たちが実際にいたという点での「怖さ」はある。でも、それはそれ。これは「映画」だから、やはり「映画」という世界での怖さを期待したい。

異常犯罪家族であるヒューイット家の面々に、あまり異常さが感じられなかったのが、この映画があまり怖くならなかったいちばんの原因だろうな。保安官役の人は充分にキチガイっぽさを出してたけど、ほかの人たちに異常さ、怪しさが足りない。それにレザーフェイス、動きがすばやすぎ(笑)。やっぱ、もっとのっそりと、だけどいつまでもしつこく追いかけてくるってなってないと。動きののろいやつなのに、どうしても逃げられないっていうのがあると、すご~く精神的にやられるんだよなぁ。

などといった点でちょっと残念には思うのだけど、途中に「笑い」の入らない純然たるホラー・ヴァイオレンス映画はひさしぶり。怖い映画に「笑い」はいらない。笑いを廃し怖さのみを追求したという点では、とても好ましい映画でした。

* Blogオープンに伴い、以前に使っていた掲示板を閉鎖したので、掲示板に最近書いたものをこちらに移行しました。

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ぼくは怖くない

映画『ぼくは怖くない(Io non ho paura)』を観てきた。

舞台は南イタリアのどこかなのかな。すごーく貧しそうな、小さな村。時代はいつなんだろ? 物売りに来るトラックのラジオからIvan Graziani(イヴァン・グラツィアーニ)の「Lugano addio」が流れてたってことは、1970年代の終わりなんだろうか。それとも、懐メロとして流れてたのかな。

貧しい村に住む貧しい少年が主人公。少年の父をはじめとした村の大人たちがみんなでグルになり、ミラノの富豪の息子を誘拐して身代金を取ろうとしてる。それと知らずに地価の穴に監禁中の富豪の息子を見つけ、友達になってしまった少年。それを大人たちに告げ口した少年の友達と、息子が知ってしまったことを知って苦しむ父親。それぞれの登場人物がきちんと意味と役割を持っていて、よくできた映画になっていると思う。

絶望していた富豪の息子が、声をかけてくれた少年に「君は守護天使?」と問いかけるのだけど、なにげで少年の名前はミケーレだったりする。ミケーレって、大天使ミカエルのイタリア語読みだよね。

ミケーレが穴の中の富豪の息子と会ってることを大人たちに告げ口したのは、ミケーレの友達のサルヴァトーレ。告げ口するなんて友達じゃない!と思ってしまいそうだけど、そこからミケーレのことを心から愛している父の迷い(良心)が表に大きく出始め、最終的にすべてが「救済」へと向かう。だから彼の名前はサルヴァトーレ(救済者)なのかな。

ちなみに誘拐されてたのはフィリッポという名前の金髪の男の子で、フィリッポってのはイエスの12使徒の一人ピリポのイタリア語読みだったりする。フィリッポのおかげで父とミケーレはさらに深い愛情で結ばれるし、フィリッポとミケーレの間にも強い友情が生まれる。さすが愛を説いて歩いたイエスの弟子?

ついでにいえばミケーレの母の名前はアンナで、聖母マリアの母と同じ名前。大人たちの犯罪の一部に属していながらも、最後まで天使(ミケーレ)を愛し、他の大人たちから守ろうとする愛情深い母を演じている。さすが聖アンナ。

誘拐事件自体については、じつはあまり触れられていないので、なんで突然あんなにピンポイントで憲兵が現われたのかとか、腑に落ちない感じはあるんだけど、べつにそこがテーマじゃないからね。ミケーレの成長、ミケーレとフィリッポの友情、ミケーレと父親の愛情、父親の改心といったものがテーマなはず。それらが暖かくやさしい視線で描かれていて、じんわりとくる映画だった。

* Blogオープンに伴い、以前に使っていた掲示板を閉鎖したので、掲示板に最近書いたものをこちらに移行しました。

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