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2004/12/13

白い犬とワルツを

これの原作本日本語翻訳を文庫で読んだのは、ずいぶん前のこと。まだ日本で話題になる前で、たまたま近所の小さな書店でタイトルに引かれて手にしたのがはじめだった。これとか、デヴィッド・リンチの『ストレイト・ストーリー』とか、じいさんがなんらかの目的を持って遠出するロード・ムービーふうの話って、自分は好きなのだわ。

などと思っているうちに、いつのまにやらどこかからの口コミがきっかけになって文庫本はベストセラー、アメリカだかイギリスだかで制作された(おそらくテレビ用)映画もNHK(だったか?)で放映され、これまたいい出来。そのブームに目をつけたのか、日本でも映画化されたわけでして、その日本版の映画『白い犬とワルツを』を観たのです。

ひどい。

もう、なんだか全然別の話です。奥さんが死んで、そのあとに不思議な白い犬が現われるっていう枠組みだけ使って、まったく違う話をつくっちゃったなぁという感じ。これに『白い犬とワルツを』というタイトルを載せちゃいけませんよ。

不思議な白い犬とじいさんがダンスを踊るシーンだって、あんなじゃない。しんどいじいさんは、足が悪くてふつうに歩くのはしんどい。だけど頑固だから、歩行器なんか使わん! と、せっかくある歩行器に目もくれない。だけどある日、娘夫婦らが心配するから(だったか、それとも歩行器なしではほんとに歩けなくなったからだったか、忘れた)としかたなく使った歩行器に犬が手をかけて、それがまるで一緒に手を取り合ってダンスを踊っているみたいに感じ、なんだか楽しくなって、それ以後、歩行器を使い始める=頑なな心が解けていく、というようなことだったはず。ま、日本では「歩行器」になじみがなく、形やら用途やらがぴんとこないから違う方法で表現、と考えたのかもしれないけど、それにしても、ねぇ。

あ、ちなみにこの話、原題は『To Dance with a White Dog』だったと思います。「白い犬とダンスをするために」っていう意味ですね。これを単純に「ダンス」ではなく「ワルツ」と言い換えた翻訳者さんのセンスのよさ、作品への愛情を、この日本映画はまったく無視してしまった気がします。

だいたいね、もともとの話はとってもさわやかなんですよ。だからこそ、感動的なんです。なのに、なんですか、この映画。重い。べたべたしてる。日本という風土に置き換えると、こんなふうになっちゃうんですか。なんで在日朝鮮人を登場させる意味があるんですか? どうして在日朝鮮人に対する日本人の嫌がらせを映画内に取り込む必要があるんですか? この話がもともと持つものとはまったく関係ないじゃん。原作には神経質な黒人のメイド(乳母?)が出てきて、この人が「あの犬は幽霊だ」とか、その他もろもろで娘たちを心配させたり起こらせたりするんですが、たしかに日本でメイドとか乳母とかいわれても困るし、舞台当時のアメリカにおける黒人の地位といったものを日本人に感じさせるのも難しいかもしれませんが、だからって、在日朝鮮人の方たちとは、ずいぶん違うんじゃないの?

長年一緒に暮らしてきた妻の死、そして、徐々に近づく自分の死という、テーマとしては重いものを扱いつつも、そこに愛があり、ある種の希望があり、感謝があり、さわやかな感動があった原作のよさが、ことごとくつぶされてしまったように思います。なにも、無理して日本を舞台に映画化する必要はなかったのに。

最後、死んだじいさんの墓の、かぶせられたばかりのやわらかい土の上に、犬の足跡がぽこぽこぽこって残っているのを子供たちが見つけるシーンで湧き上がる、えもいわれぬ暖かい感情を返してくれ!

この映画を観て「話題になったわりにはたいした話じゃないな、暗くてキライ」と思ったあなた! 原作はぜんぜん違いますから。ぜひぜひ文庫本を読んでね。

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