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2004/09/22

ヴィレッジ

そういえば先日、映画『ヴィレッジ』を観てきました。『シックス・センス』で有名なM・ナイト・シャラマン監督の最新作。

ウェブ上での読後感層とかを見た感じだと、な~んかビミョーそうですねぇ。んでも、CMはそそられるものがあるのよね。森のなかに閉ざされた村。その家々につけられた「しるし」。扉にしるしをつけるなんて、もしやこれ、「過ぎ越し」? またもや聖書ネタがらみ? ワクワク。

なんて思いながら観にいったんですが、あんまり(ぜんぜん?)関係なかった。

ただ、映画自体はそれほど悪くはなかったですよ。あいかわらず「赤」の使い方が印象的で、雰囲気はよく出てる。エイドリアン・ブロディ(だっけ? 『戦場のピアニスト』の人)のイカレ芝居はいいね。知能には障害があるけど、そうでない人と同じように心は弾んだり傷ついたりするっていうのを上手に表現してる。

ストーリー自体は、べつにどうってこともない。シャラマン映画は最後のどんでん返しが見どころ?らしいのだけど、たいしたどんでん返しでもない。

ある種の理想を求めて外界から遮断されたコミュニティをつくり、そこで何年かに渡って生活してきた人々。コミュニティを守るためにコミュニティの創設者たちがつくりあげたルールと、それが「創設者たちによってつくられたルール」だと知らない若いメンバー。そのコミュニティにある日おきた事件。そして余儀なくされた外界への再接触。そういったことが、比較的淡々と描かれているだけ。

でも、淡々としたなかに、それぞれの登場人物の心の動きがあり、揺れがあり、希望があり、閉塞感があり、愛があり、憎しみがある。ふつうに「人間の精神活動」がある。外界から隔絶された、つくられた世界でも、やはり捨てきれないのだろう。そういう意味で、とても人間くさい話だな。

ただ、このコミュニティをつくるにいたった創設者たち(映画内では「年長者」といっていた)が、なぜこのコミュニティをつくった(つくらざるをえなかった)のかという点については、映画で描かれる理由だけでは弱いなぁ。たしかに悲惨なことではあるけれど、それだけで「社会」を捨てて「ゼロから新しい世界をつくる」までにいたるのだろうか。

あと、ふたつほど疑問点。

このコミュニティをつくったのは「年長者」たちだと思うけど、いったい何人でつくりはじめたのだろう? そして、映画で描かれている村は、創設後何年ほどたっているのだろう? 映画内ではけっこうな数の村人がいて、年長者以外に年頃の若者も相当数いるのだけど、外界との接触を絶っている村だから、外との人的交流はないんだよね。ということは、あの若者たちはみんな「年長者」たちの子供? 冒頭で7歳くらいで死んだ子は、年長者たちの子供同士が結婚して生まれた子供? いずれにしろ、この村では近いうちに(すでに?)近親婚が繰り返されるしかなくなる。年長者たちはそのことをどう考えているんだろう。

それと、この映画、舞台は19世紀末だよね。冒頭で死んだ子の墓に189X年とか書いてあった気がするから。でも、最後に森を抜けて街へ到達した女性に薬を渡した兄ちゃんが乗ってたクルマ、あれって19世紀のもの? なんか、えらく近代的なクルマだったと思うんだけど。兄ちゃんが薬を取りに戻った詰め所も、19世紀のものには見えない。もしかして、村のなかだけ19世紀で、森の外は20世紀もしくは21世紀なの? それとも、なにか自分は大きな思い違いをしている??

なんてことが気になる映画でした。

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コメント

「ヴィレッジ」を見てきたので、やっとこちらを読む事ができました。

>過ぎ越し
って何ですか?

私は森に住む者の正体ばかり気にしていたので(怪物でごまかされるのはイヤ)、結末に満足しました。
単純なので「年長者」に老人が居ないという事はこの村じゃ、みんな病気で早死にしてるのかな、なんて思ったりして。すっかり騙されてしまいましたよ。

>189X年とか書いてあった
ありました。
>「社会」を捨てて「ゼロから新しい世界をつくる」までにいたるのだろうか
理想郷なのでしょう。宗教の人たちも熱心にパンフレットを配りに来ますが、こういう所に行きたがる人たくさんいると思います。アーミッシュに憧れる人もいますしね。

結局、犯罪から逃れる為に隔絶された生活を選んだのに犯罪は起きるんだな、が感想です。
この映画を見て「アザーズ」を思い出しました。過去と現在が同時進行。
で、シャマランは最後に出てたよね?

投稿: hello nico | 2004/09/28 01:05

「過ぎ越し」は、旧約聖書「出エジプト記」に出てくる話です。エジプトで虐げられているイスラエル人たちを約束の地カナンへ導こうとモーセ(十戒で有名な人)がファラオに頼むのだけど、ファラオがうんといわない。そこでイスラエルの神はエジプトにいろいろな嫌がらせ(10の災い)をするんです。ナイル川の水を血にしちゃったり、国中を蛙とかアブだらけにしちゃったり、国民と家畜を腫れ物だらけにしたり、雹を降らしたり。それでもファラオが「うん」といわないので、最後の災いとして、エジプト中にいるすべての子供(人・家畜とも)のうちの長男を一晩のうちに皆殺しにするんです。ただし、入り口の扉に子羊の血で「しるし」を書いたイスラエル人の家だけは、その災いが「過ぎ越し」て、子供は死ななかったっていうお話。さすがにファラオも青ざめて、イスラエル人たちの出発を許しました。ちなみにイエス・キリストが最後の晩餐を食べたのは、この「過ぎ越し」を祝う「過越祭」の食事です。

>こういう所に行きたがる人たくさんいると思います。

そうですね。理解できなくはないです。ただ、すでに「ある」ものは「ある」からねぇ。もう「ない」ことにはできない。「ある」ことの否定ではなく、「ある」ことを認識したうえで改善・改革の方法を探さないと、根本的な解決にはならないと自分は思ってしまいます。

>結局、犯罪から逃れる為に隔絶された生活を選んだのに犯罪は起きるんだな

それが「人間」ということなのでしょう。人は皆「罪」を背負っているという考え。ただ、キリスト教でいう「原罪」は「sin」であって「crime」ではないけどね。

嫉妬に駆られて刺してしまったノアは、カインのように「しるし」をつけてはもらえなかったのね(相手が死ななかったから?)。
そのノアを殺した主人公の盲目の娘は、じつは「それ」がノアだとわかっていて殺した、という節もあります(彼女は「色」でそれぞれの人を識別してましたからね。目が見えないからこそ「見え」ていた、という解釈です)。彼女は「カインのしるし」をもらったのだろうか。

>過去と現在が同時進行。

現在を生きられない人が、無理やり過去を引っ張り出した。そういう話でしたね。でも、破滅は近いですね、あの村。

>シャマランは最後に出てたよね?

自分は彼の顔を知らないのでわからないのだけど、森林警備隊?の事務所で新聞読んでた人だそうですね。やっぱり顔が思い浮かばん(笑)。ていうか、いつも名前をシャラマンといってしまう(汗)。

投稿: もあ | 2004/09/28 09:23

ふ~む、宗教に詳しいのですね。

>すでに「ある」ものは「ある」からねぇ
ここの部分、頭こんがらがりました。

ごめんなさい、はっきり覚えてないのだけれど、アイヴィは全員の色を見分ける事ができたんでしたっけ? 特別な人の色しか見分ける事ができないのかと思ってました。例えばルシアス、彼の色は結局何色だったのでしょうか。
でも、多分ノアの色も見えてたのでしょうね。

>破滅が近い
同感です。未来が無いと思います、年長者達の自己満足の為の村。薬が手に入ると分かれば森に入る者はまた現われると思います。
でも、深読みしてしまうと面白かった気持ちが半減してしまうので、私は見たままの映画を素直に受け入れたいです。

シャマラン監督は「サイン」の時に結構長く出てました。白人ばかり出ていたので浮いてましたよ。

投稿: hello nico | 2004/09/30 01:32

宗教にくわしくはないですよん。ただ、欧米の映画だとか絵画だとか小説だとかを楽しむときに、物語としての聖書の知識があったほうがより楽しめることが多いので、関連書とかをちょっと読んだことがあるだけです。中年のおじさんたちが忠臣蔵の話とかに詳しいのと同じようなもんですね(自分は忠臣蔵の話をぜんぜん知らないけど)。

聖書って、どうしても宗教・キリスト教というのが前面に立ってしまいますが、それを取っ払って、単純に「ドラマ(小説)」としてとらえれば、かなりおもしろいものだと思います。旧約は壮大なスペクタクルロマンですし、新約はエキセントリックなベンチャー社長の立身出世物語(成功しすぎて最後にはねたまれてつぶされちゃうけど)。どっちもある種のSF小説みたいなもので、そこに「宗教」とか「教え」とかを見る必要は、自分はないと思います。「過ぎ越し」の話だって、ホラー映画みたいだと思いません?

文庫で出ている『小説「聖書」』は本当に「聖書というドラマ」を小説にしてあって、読みやすいし、小説としておもしろいのでおすすめです。

あと、来年1月に発行予定の『絵で読む聖書50の物語(仮題)』は、現在原稿の段階だけど、もう爆笑ものです。有名な人類史上初の殺人事件(しかも兄弟間)であるカインとアベルの物語のところでは、神様のことを「こってり系が好き」とかキャラ付けしちゃってるし(神様は、農民であるカインの出したささげ物=野菜類には目もくれず、狩人であるアベルの出したささげ物=羊の肉ばっかり喜んで食べるんです。それに嫉妬したカインがアベルを殺すっていう話。野菜嫌いで肉好きな神様って、やっぱり「こってり系が好き」なんでしょう)。はやく発行したいぞ。

それと、すでに発売中の『外国映画の歩き方』も、その実態は「西洋カルチャーの解説本」で、おもしろいですよ。自分で制作担当しておいてなんですが(笑)。機会があったらぜひ読んでね。
『外国映画の歩き方』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4769608276/qid=1096505081/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-4642558-6669143">http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4769608276/qid=1096505081/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-4642558-6669143

投稿: もあ | 2004/09/30 09:55

聖書は難しいという印象でしたが、『小説「聖書」』面白そうですね。映画を見るうえで宗教の知識があればもっと理解が深まるとは思ってました。
『絵で読む聖書50の物語(仮題)』こちらに興味があります。出版されたら書店で見てみますね。面白そうだったら、もちろん買いますよ。
『外国映画の歩き方』こちらは書店で探してみます。

投稿: hello nico | 2004/10/05 01:16

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