« 2004年6月 | トップページ | 2004年8月 »

2004年7月

2004/07/30

MIA MARTINI / CHE VUOI CHE SIA... SE T'HO ASPETTATO TANTO

Mia Martini(ミア・マルティーニ)の声って、伸びやかで、優しくて、女性的な美しさにあふれているのだけど、多くの女性シンガーにある、こびたところや甘ったるいところ、あるいは耳障りな甲高さとかがなくて、その点が自分にとってはとても好ましいです。

1976年のアルバムなので、Miaもまだ若かったことと思いますが、この落ち着きはなんなのでしょう。もともと声自体も落ち着いた感じではありますが、Miaの声質と伸びやかな歌い方を上手に活かせるような曲で構成されていることが、このアルバムを名盤にしている理由のひとつでしょうね。

M6を除いたすべての曲のアレンジをLuis Enriquez Bacarov(ルイス・エンリケス・バカロフ)が担当しています。L.E.Bacalovといえば、Claudio Baglioni(クラウディオ・バッリォーニ)の『Sabato pomeriggio』やNew Trolls(ニュー・トロルス)の『Concerto Grosso』の素晴らしいアレンジなどで、イタリアン・ポップス/ロックのファンにも有名ですね。このアルバムでも、でしゃばりすぎない、つぼを押さえた美しいストリングス・アレンジを聴かせてくれます。

全体におだやかな曲が多く、よい時代のイタリアン・ポップス/カンツォーネらしいなめらかなメロディとはっきりした抑揚が楽しめます。なかでも、Amedeo Minghi(アメデオ・ミンギ)の曲であるM1、Dario Baldan Bembo(ダリオ・バルダン・ベンボ)のM3、Mango(マンゴ)のM4などは、さすがの楽曲だと思います。

M1ではやわらかなガット・ギターのアルペジオが美しく、M3ではカンツォーネ的なヴォーカル・ラインの伸びやかさが耳に残ります。

M4はMangoの初期の名曲ですね。彼自身のアルバムにも収録されていて、甘くロマンティックなオーケストレーションがたっぷり施されています。Mangoのオリジナルは甘さと切なさのようなものが入り混じった、ちょっとしめっぽい感じのロマンティック・ポップスになっていましたが、Miaの歌には甘さがなく、すっきりと歌っています。その分、メロディそのものが持つ美しさが強調され、Mangoとは違ったかたちの切なさや悲しさのようなものが際立って聴こえるように思います。

M6は唯一L.E.Bacalovがアレンジを担当していない曲ですが、だからといって他の曲から浮くとかクオリティが低いということはありません。カンツォーネらしい流れとフォーク風味が感じられるやさしい曲です。おそらくMia本人による多重コーラスが聞け、Schola Cantorum(スコラ・カントルム)をちょっと小ぶりにしたような印象を受けました。

数曲、リズミックな曲や、変なシンセサイザーのアレンジが乗っかっているものもありますが、全体に、とてもおだやかなアルバムです。カンツォーネとフォークの持つやさしさと美しさ、イタリアン・ポップスの持つおおらかで、ときに激しく場面展開する構成といったものが楽しめます。いいアルバムだと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/07/29

ENZO GRAGNANIELLO / BALIA

個性的な歌声を持つEnzo Gragnaniello(エンツォ・グラニャニエッロ)はナポリ出身のヴェテラン・カンタウトーレ。自身のアルバムも多くありますが、ナポリ周辺のアーティストのアルバムへのゲスト参加も多く、活動自体も彼の声と同様にユニークです。

ナポリのカンタウトーレというと、Pino Daniele(ピーノ・ダニエーレ)などの少しジャジーなタイプや、Nino D'Angelo(ニーノ・ダンジェロ)やGigi D'Alessio(ジジ・ダレッシオ)などのナポレターナを基本にしたポップなタイプというのが多いと思うのですが、Enzoはそのどちらにも属しません。もちろんナポレターナなども歌うのだけれど、Indaco(インダコ)への参加などにも見られるように、彼の感性はよりプログレッシヴです。Daniele Sepe(ダニエーレ・セーペ)などと同様、ナポリという地域に押し込められない、地中海的な広がりのある音楽性を持っています。

このアルバムには、そういったEnzoの、地中海音楽アーティストらしい「なんでもあり」てきな要素がうかがえます。基本はナポリに根ざした哀愁の歌ですが、それが広く南イタリア、南ヨーロッパ的な哀愁へと広がります。かと思うと、曲によってはパンフルートが入ってフォルクローレ風になったり、日本の琴のような楽器の音色が聞こえる曲もあります。また、ラップもあります。

このように曲調にいくつかの変化をつけてはいますが、どのような曲でもEnzoの個性の強いヴォーカルが乗るだけで「Enzoの曲」になります。うなるような渋いだみ声で、日本の演歌とか漁師歌に似合いそうなヴォーカルが、強烈な求心力を持っているからでしょう。

アルバムによって、完全なナポレターナだったり、実験的なポップスだったり、南伊カンタウトーレ風だったりと、ちょっと性格が違うため、はじめて聴くアルバムをどれにするかで印象が違ってしまう感じがするEnzoですが、曲のスタイルは違ってもEnzoのヴォーカルは変わりません。1度、彼の歌声の魅力にひきつけられてしまえば、それ以降はどんな曲を歌っても「Enzoの曲だ」と思えるようになってしまいます。

こういった、個性の強い歌声を持ったカンタウトーレって、自分は大好きなんです。日本ではあまり(ぜんぜん?)人気がない感じですが、非常にイタリアらしいカンタウトーレだと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/07/28

DAVID BOWIE / HEATHEN

David Bowie(デヴィッド・ボウイ)のアルバムを聴くのって、すごくひさしぶりです。というか、自分は彼のアルバムってほとんど聴いたことなかったんですけどね。でも『Heroes』とかはかっこいいアルバムだと思ってました。

しかし、Davidって何歳になるんだろう? もう結構な年のはずなんですが、ぜんぜん衰えを感じさせませんね。独特の陰影をまとったちょっとエロティックなヴォーカルとか、むかしとまったく変わらない気がします。

ちょっと落ち着いた、抑えた感じの曲から始まり、その感じが少し続くので、このまま落ち着いたアルバムになるのかなと最初は思いました。バックで楽器はけっこう鳴っているのだけど、比較的空間があって、その空間の広がりを上手に活用しているあたりは、新人にはなかなかできないヴェテランならではの味だと思います。

落ち着いた作品になるように見せかけて?おいて、「Slow Burn」あたりから一気に音が分厚く、ゴージャスになります。こういったゴージャスさはグラム・ロックを思い出させますね。グラム・ロックがはやった1970年代って、印象はゴージャスなんだけど、演奏自体は意外と軽い感じがしたりしたものですが、いまは当時とくらべると楽器自体の持つ音圧の高さなどが違うので、印象だけでなく、音自体もかなりゴージャスに鳴ってます。

抑えた感じの曲でも、ゴージャスな感じの曲でも、リズム隊の音がいいな。ベースとドラムの音に重さと厚みがあります。こういったところがやっぱりブリティッシュですね。Davidの声やヴォーカル・スタイルも、やっぱりブリティッシュだよなという印象を強く受けますし、メロディやアレンジにも往年のブリティッシュの香りがたっぷりです。ロマンティックで、ドラマティックで、どこか危険?な感じがして、音でさまざまな映像や心象を思い浮かばせる ―― 1970年代から80年代くらいにかけてイギリスのロックが持っていた魅力が失われずに現代の音楽として表現されている、という感じがします。

David Bowie、かっこいいぞ。他のアルバムも聴きたくなってきた。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2004/07/27

カレー食べながら飲んじゃった

昨日の夜はカレーだったんですよ。日曜日につくって用意しておいたの。でもご飯炊いてる時間がないから、パンにつけて食べた。というより、中辛のルーで野菜こんもりでつくったので、かなりマイルド~な味になってたから、パンにもつけず、ほとんどカレーだけ食べてたけどね。

来週は健康診断があるので、そろそろアルコールを控えなくちゃなぁ~と思ってる。んでもってカレーだから、今日は飲まん、飲むんだったら牛乳! のつもりだったんだけど、やっぱり飲んじゃいました。カレー食べながら。

まずはアサヒが最近発売したフルーツ果汁入り発泡酒「アサヒフルーツブルワリー」のラズベリー。きれいなピンク色で、ほんのりとフルーツの香り。ちょっと甘いけど、あまりべたべたした感じがしないのはベースが発泡酒だから? けっこう美味しいぞ。フルーツチューハイよりもこっちのが自分の好みだな。さわやかカクテルといった感じか。この甘みがカレーのお供にも悪くないじゃん。

発泡酒1缶なんて、すぐに飲み終わっちゃう。というわけで、次はカリフォルニアのストーン・ヴァレーというワイン(安い)をあける。葡萄はカベルネ・ソーヴィニヨン。自分はフランスのカベルネは苦手なんだけど、いわゆるニューワールドのカベルネはそれほど苦手じゃない。カリフォルニアワインは甘みが強いものが多くて、きっとカレーにもいけそうと思ってこれにしたんだけど(あと、強力に合わなかった場合でもそれほど惜しくない程度の値段だからというのもあるが)、思ったとおり、けっこういけました。完熟系の甘さがあって味も強めのワインだから、カレーにも負けない。カレー食べたあとに飲んでも、それほど味が変わったとか味がしなくなっちゃったといった感じがないな。恐るべし、安カリフォルニア。

うん。ちょっと甘口のアルコールはカレーといけるね。これならオーストラリアワインなんかもよさそうだ。ただ、今回のカレーは野菜たっぷりでやさしいお味のイギリス風(東インド会社経由風)だからいいんだろうな。タイ風とかインド風だと、またちょっと違う気がする。

ていうか、けっきょくまた飲んじゃったじゃん。だめだって。そろそろ納豆とか食べて「血さらさら計画」を始めねば。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2004/07/26

RON / CALYPSO

もともとはRosalino Cellamare(ロザリーノ・チェッラマーレ)という名前(本名?)で活動していたRon(ロン)。活動期間も長く、アルバムもたくさんリリースされていますが、自分はじつは3枚ほどしか聴いたことがありません。そのうえ、どちらかというとあまり興味のないカンタウトーレだったりします。

Ronの書くメロディって、きれいですよね。なめらかで破綻がなく、上手にまとまっていると思います。歌声もほどよく甘く、ほどよくひび割れて、聴き心地のいい声だと思います。Sergio Caputo(セルジォ・カプート)などにもちょっと似た声かもしれません。

素直できれいなメロディで、ほどよく聴き心地のいい声なんだけど、それが自分にはちょっとものたりないんです。イタリアのポップスには、きれいなだけでなく、ときにいびつなくらいの強引な展開とか強い個性(クセ)を持ったヴォーカルとかを期待してしまいます。

『Calypso』とタイトルがつけられたこのアルバムも、ほどよく甘くきれいなメロディを持った曲がたくさん収録されています。カリプソというのはたしか南米のほうの音楽だったと思いますが、このタイトルにふさわしく(?)、明るくあたたかなリゾートでリラックスしたような気分になれます。

乾いた音色で美しいフレーズを奏でる演奏は、イタリアというよりはアメリカのポップスを思わせます。メロディ的にも洗練されたものがあり、これもイタリアというよりはアメリカ風。ときにセンチメンタルなオーケストレーションがあり、これがイタリアの味わいをアルバムに加えてはいるものの、中心となる演奏は明るい音色のキーボードが性格づけをしていて、あまり情緒やイタリアの哀愁といったものは感じられません。それに、このキーボードのアレンジが平凡で艶がなく、曲をちょっと退屈なものにしているように感じます。

楽しげで、気楽な感じで、明るくて、美しくて、そういう点ではいい感じのアルバムだと思います。ただ、日本ではなかなか見つけにくい、手に入れにくいイタリアのポップスを、わざわざイタリアやスイスなどから取り寄せて手に入れている自分がイタリアのポップスに望むのは、もっと「イタリア!」を感じさせてくれるものなんですよ。その点からいうと、Ronの作品は、自分の耳には凡庸に聞こえるし、わざわざイタリアじゃなくてもいいのではないかなと感じてしまうんです。

逆にいえば、イタリアにあまり思い入れのない洋楽ポップスのファンには聴きやすいのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/07/24

うちの冷蔵庫が……やばい

あきらかにね、冷蔵庫よりワインセラーのほうが冷えてる。ワインセラーは12度から14度のあいだの保つように調整してある。それより庫内温度が高い冷蔵庫って……。冷蔵品って基本的に「10度以下で保存」だよねぇ。
やばい。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2004/07/23

Umberto Balsamoが入荷

ガーデン・シェッドの新入荷情報を見たら、去年リリースされたUmberto Balsamo(ウンベルト・バルサモ)の新譜『 ...VORREI APRIRE IL CIELO SABATO SERA A SPINA DI ROSA』がいまごろ入ってきてた。

これ、いいアルバムなんですよ(Pensiero! に雑感を書いてあります。こちらを参照してね)。Umbertoはむかしからぜんぜんかわらんねぇ。

このアルバム、イタリアでもあまり出回らなかったみたいで、リリースされたこと自体あまり知られていないようですが、過去に日本盤が出たことのある彼の作品群がお好きな人には、きっと素敵な贈り物になるはず。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/07/22

魔璃鴉 / MARIA

1970年代中ごろに活動していたらしい、日本のプログレッシヴ・ロック・グループです。MARIAというグループ名は、イギリスのイエスをJesusだと勘違いした(本当はYes)らしい当時のメンバーが、イエスよりも偉大なグループになろうと、イエス(Jesus)を生んだ母マリアをグループ名にしたらしいというおバカな逸話がライナーノーツに書いてあります。脱力です。

録音はスタジオを使ってされていますが、マスターテープが紛失しているとかで、カセットテープからのCD化になっています。そのため、録音状態はあまり(かなり)よくありません。音の抜けとかすごく悪い。でも、演奏自体は迫力があり、とくにドラムはかなりすごいです。福島正彦という人なんですが、その後も音楽界に残ったのだろうか。アマチュア・バンドで終わらせてしまうにはもったいない。

迫力のドラムと、うなるベースの、リズム・セクションがしっかりしているので、演奏がすごく安定しています。キーボードもまずまず。ギターは、ちょっとバッキングのアイデアが乏しいかな。1970年代中ごろだと、このくらいでしかたないかなとも思えますが。

初期のYesやGenesis(ジェネシス)、Pink Floyd(ピンク・フロイド)などからの影響がうかがえるアレンジと演奏。ときにCosmos Factory(コスモス・ファクトリー)を思い出させるところもあり、あの時代のジャパニーズ・プログレッシヴらしいなという感じです。ヴォーカルに、ロック・ヴォーカリストとしての魅力が弱いという点でもジャパニーズ・プログレぽいです。布施明とか尾崎紀世彦とかカルメン・マキくらいの歌唱力があればなぁ。

そして、歌メロの魅力のなさは致命的な感じです。せっかく演奏面ではブリティッシュな、ユーロピアンな重厚さを発揮しているのに、歌メロが出来の悪い歌謡曲。もう少しなんとかならなかったんだろうか。メロディ・メーカーとしてはいまいちですね。改めてカルメン・マキ&オズの偉大さを感じてしまいました。

などという弱い点も多々ありますが、イギリスから渡ってきたプログレッシヴ・ロックに心奪われ、自分たちで日本のプログレッシヴ・ロックをつくろうとした当時の若いミュージシャンたちの熱い気持ちは存分に伝わってきます。こうしたグループたちの音楽が、のちのNovela(ノヴェラ)などといったグループにつながり、そこからさらにX Japan(エックス・ジャパン)やMalice Mizer(マリス・ミゼル)などにつながっていったんだよなぁなどということを考えると、なかなか感慨深いものがありますね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004/07/21

ラタトゥイユとお米のサラダ

フランス人の知り合いに聞いたのだけど、ラタトゥイユってフランスでは夏の料理なんですって。

ラタトゥイユ。トマトとか野菜とかを煮込んだスープみたいなもの。そういえば、あそこに入る野菜ってトマトをはじめ、夏野菜かも。でも、スープだから、温かい料理だから、夏に食べたら暑いんじゃん?……って聞いたら、あれ、冷やしても食べるんだそうだ。

そういえばフレンチとかでアントレの盛り合わせとか頼むと、冷たいラタトゥイユが少し乗ってることがあるな。そうか、冷やして食べればいいんだ。

ちなみに、教えてくれたフランス人いわく、冷蔵庫で冷やしておけば5日は持つのだそうだ。月曜につくって、金曜日まで食べられる。ただし、数日間保存するときは、たまねぎは入れちゃだめなんだって。たまねぎを入れると痛みやすくなるらしい。だから、すぐ食べるときはたまねぎを入れるけど、冷やして数日に分けて食べるときは入れない。ここ、気をつけてねといわれた。

ちなみにイタリアの南部のほうではカポナータという料理があって、これがやっぱりトマトとかの野菜を煮たもので、見た目ラタトゥイユにそっくりなんだけど、そのフランス人は知らなかった。ていうか、イタリア人でも中部より上に住んでる人は知らないことが多いらしいけど。これもそういえば、アンティパストの盛り合わせを頼むと冷たいやつが乗ってたりしたことがあったような気がする。

そうか。夏はカポナータ(ラタトゥイユ)か。おいしいな。

夏の定番といえば個人的にはお米のサラダ(夏だけじゃなく、自分は1年中食べてるけど)。自分がはじめてお米のサラダに出合ったのはイタリア・トスカーナのシエナだったから、うちでつくるお米のサラダはイタリア風(トスカーナ風?)にワインヴィネガーもしくはレモン汁とオリーブオイルに塩の味付けなんだけど、北フランスでは、味付けがぜんぜん違うらしい。

フランス人の彼いわく、味付けはマヨネーズとケチャップなんだそうだ。ただし、この味付け、日本のお米でつくるときはすすめないといってた。日本の米は甘みが強いので、ケチャップの甘みとぶつかって、変な味になるんだそうだ。

う~ん、マヨとケチャップかぁ。なんか、アメリカ人とかが好きそうな組み合わせだ(偏見)。自分はやっぱ、イタリア風のお米のサラダのほうが好きだなぁ。

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2004/07/20

4人の食卓

映画『4人の食卓』を観てきました。

『猟奇的な彼女』主演女優による韓国ホラー映画みたいに紹介されていたような気がしますが、これはホラーじゃないですね。トラウマ系サイコ・スリラー?

ところどころ、エグイです。高層マンションの上階から幼児を落とすシーンとか、坂道の途中に座っている子供がバックしてきたダンプカーに踏み潰されるシーン、その踏み潰された子供がマンホールのなかに捨てられてるシーンとか、飛び降り自殺して落下していく女性と目が合ってしまうシーンなど、見てて厳しいです。そういったことが主人公ふたりのトラウマになり、そのトラウマが心に引き起こす夢とも幻とも現実とも判然としないヴィジョンに苦悩していくんですね。

電車のなかで母親に毒殺されたふたりの子供がなぜ“彼”の「食卓」に現われるのか、その理由はよくわかりません。ただ、「ふたりの子供」が目の前で死んだ、「ふたりの子供」を助けられなかったということが、“彼”にとってはヴィジョンをよみがえらせるトリガーにはなっていますね。電車のなかで死んだ、ふたりの子供。幼少期に“彼”の目の前で死んだ、ダンプに踏み潰された子供と家事で焼け死んだ妹。

たまたま“彼”の食卓で「ふたりの子供」を見てしまった“彼女”にとっても、霊媒体質というご都合主義的な能力を与えられているのがなんだかなぁという部分はありますが、子供がふたりというのは意味がありそうです。映画のなかでは、マンションのベランダから落とされて殺される子供は、“彼女”の子供ひとりしか映りませんでしたが、投げ落とした“彼女の友人”は育児ノイローゼで、「子供を私に近づけないで」といっていました。それに対して“彼女”は「あなたの子供じゃない」と答えているシーンがありました。ということは、きっと、実際に“彼女”の目の前で死んだのは、“彼女”の子供と友人の子供のふたり。ふたりとも、マンションの下のコンクリートに打ち付けられて死んだのじゃないでしょうか。

つまり、“彼”の食卓で「死んだふたりの子供」を見た“彼”と“彼女”には、その時点でどちらにも「目の前で死んだ子供、助けられなかった子供」が、ふたりいたわけです。“彼”にとっては、忘れていたその記憶が、目の前で実際に見たふたりの子供の死体というかたちで現われたのかな。では、“彼女”も同じ「形」で見たのはなぜ? やはり霊媒体質だからなのでしょうか。このへんが、釈然としないといえば、釈然としない。

あと、“彼”の婚約者の役割、立場というのも、ちょっとよくつかめなかった。けっきょく婚約者は、“彼”の元には返ってこないのでしょう。最後のほうで“彼”が、“彼女”が選んだガラスの食卓を(この食卓に死んだふたりの子供がいる)粉々に壊し、“彼女”に「戻ってきてくれ」と電話をするシーンがあります。しかしいちばん最後のシーンでは、食卓はそのままで、“彼”のほかに「死んだふたりの子供」と「死んだ“彼女”」が食卓を囲んでいます。自分が思うに、おそらくこちらが真実。“彼女”を信じられなかった(信じたくないと思った)せいで、結果として“彼女”を死に追いやってしまった“彼”。またひとり、“彼”の目の前で死んだ、助けられなかった人が増え、その人が“彼”の食卓に着くのです。

あれ、もしかして“彼”も死んでしまったのかな。“彼”が“彼女”を信じなかったせいで“彼女”は死んでしまった。“彼”の婚約者も“彼”を信じようとせず、話を聞こうともしなかった。ここに関連性を求めるなら、婚約者に信じられなかった“彼”も死への道を進むのかも。ということは、食卓は本当に壊され、最後のシーンがヴィジョン? う~ん、よくわからなくなってきたぞ。

いずれにしろ、怖い映画というよりは、悲しい話だと思います。横溝正史や江戸川乱歩が好んで書きそうな、あるいは『人間の証明』などにも通じそうな、悲しみを感じます。貧しい時代の貧しい生活のなかで避けることができずにおきてしまった忌まわしい出来事が深く心の奥底に暗い影を落とし、貧しさから抜け出した現在にも一点の染みとなって悪い影響を与えることから、あらたな忌まわしい出来事が起きる……。

観終わったあとに、いろいろなことを考えさせる、思わせる映画でした。もう1回観ようかな。それとも小説のほうを読んでみようか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/07/16

KINGS OF METAL / MANOWAR

暑苦しいっ! ひさしぶりに聴いたんですが、アルバム冒頭でバイクのエンジンの爆音からスピーディなリフに入るところからして、マッチョで革ジャンな男の汗臭さがむんむん漂ってきそうな暑苦しさ全開です。

むかし、まだへヴィ・メタルをたくさん聴いていたころは、Manowar(マノウォー)って、暑苦しさのなかにブリティッシュ様式美メタルの要素を盛り込んだヘヴィでドラマティックで分厚いロックというイメージを持っていたような気がするのですが、いま改めて聴いてみると、たしかにヘヴィで分厚いんだけど、それほどドラマティックじゃないですね。

曲によってはほんのりクワイアっぽい男声コーラスも入るし、なんとなく大仰なバラードやスローな曲もあるんだけど、歌メロや構成がどれも単調で盛り上がりに欠けるため、ドラマティックになりません。なんか、見掛け倒しというか、張りぼてっぽいドラマティックさ。メロディメーカーとしての力量が少し低いのかな。スローな曲ではメロディが際立ってしまいますから、いいメロディが書けないと厳しいです。彼らは、スローな曲はあまり得意じゃないみたいですね。

スピーディな曲に関しては、ぶんぶんうなるベースや空間をぼってりと塗りつぶすディストーション・ギターが疾走して、ヘヴィ・メタルとしてかっこいいんじゃないかと思います。シャウト・ヴォーカルもいい感じに耳に突き刺さります。最近の自分はヘヴィ・メタルをほとんど聴かないから、聴いててちょっと体力的に疲れるところはありますが、若いころはこのくらいのパワーと熱さが心地よかったんだろうな。

しかし、歌詞はくだらないですねぇ。こんなこと、歌ってたんですねぇ。「Pleasure Slave」なんて間違いなく女性人権団体とかから抗議・非難をやまほど浴びそうです。あまりのばかばかしい歌詞に脱力です。ヘヴィ・メタルって、歌詞を聞いちゃいけないんですね、きっと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/07/15

素足にサンダル

もう、めちゃめちゃ暑い。なわけで、街を行き交うお姉さん方も薄着になって、それはそれで素敵なんだけど、薄着のきれいなお姉さんもやっぱり汗はかくわけで、混んだ電車の中でノースリーブから伸びた汗でべとついた腕とかがこちらに触ったりすると、やっぱりイヤンな気分なのだわ。

それよりも怖いのが、素足にサンダルで満員電車に乗ってるお姉さん。お姉さん自身はあまり気にしてないのかもしれないけど、まわりに乗ってるおじさんとしては、すごく気を使うんですけど。

電車が揺れたとき、もし足を踏んでしまったらどうしよう。靴の上からならまだしも、素足サンダルだとかなり痛いはず。ほんのちょっと軽く踏んでしまっただけでも、おおげさに「いたいっ!」とかいわれそう。

サンダルのつま先から少しはみ出ている足の指。もし電車が揺れたりしたときに足の位置をずらしたら、こちらの靴の横のでっぱりがお姉さんの足の爪に引っかかって、そのまま爪をはいでしまったりしたらどうしよう。踏んだ程度とは段違いに大騒ぎされそう。

そもそも、こんな混んだ電車に素足サンダルで乗り込んだらどんなアクシデントが自分に降りかかる可能性があるかなんて理解できそうなものだけど、それでも乗ってくるってことは、アクシデントが起きたときは自己責任と納得しているのか、それともアクシデントなんて起きるはずがない、考えたこともないのか。おそらく、それがどんなに危険な行為(笑)か、理解してない、気づいていないんだろうなぁと思うわけで。

理解してない、気づいていない、自分にはまったく悪いところはないと思っていそうだから、もしそんなケースに陥ったら、こういうお姉さん方は自分側の非なんて一切認めず、ひたすらに大騒ぎして加害者側を攻撃するんじゃないか、するんだろうな、きっとする……こわいこわい。近づかないようにしよう。と思ってしまう。

素足にサンダル。素敵なんですけどね。満員電車では勘弁してください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/07/14

MONA LISA / LE PETIT VIOLON DE MR. GREGOIRE

次作の『Avant Qu'il Ne Soit Trop Tard』と並んで名作・傑作といわれているサード・アルバム。

シアトリカルなヴォーカルが炸裂しています。パワフルにさまざまな歌い分けができている点で、このジャンルのトップ・グループであるAnge(アンジュ)に比肩する、ところどころで凌駕しているとさえいえるでしょう。

バンドの演奏力(というよりも、音づくりなのかな)がAngeにくらべるとかなりチープで、いくぶん粗くもあり、それゆえパッと見(パッと聴き?)で損をしているようにも感じますが、このチープさが身近感や世俗感をより強く生み出しているともいえそうで、悪くはありません。しかしこのキーボードのアレンジと音づくりの薄っぺらさは、もう少しなんとかしたほうがよさそうには思いますが。

意外とポップなメロディもあり、シアトリカル・ロックとしてはとっつきやすいかもしれません。しかし場面展開のヴァリエーションは豊富で、幻想的なフルートなども入り、シアトルカル・ロックの楽しみを存分に感じられる作品です。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2004/07/13

思わず笑ってしまった

「似ているよな。更新。」を読んで、思わず笑ってしまった。
親指って(笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/07/12

今日もステファノは美味しかった

今日のランチは行きつけのリストランテ・ステファノへ。ここは毎週月曜日にランチのメニューが変わるのよん。

ランチ・メニューは3種類。ひとつのプレートにサラダ、パスタ、メインを盛り付けたワンプレート・ランチと、アンティ・パストとプリモにドルチェがついたパスタ・コース、そしてアンティ・パスト、プリモ、セコンド、ドルチェのフルコース。自分はいつも、その週のセコンド(メイン)がなにかを見て、そのセコンドがすごく食べたかったらフルコース、そうでもなかったらワンプレートを選ぶことにしてる。ほんとはアンティ・パスト+セコンドのコースとか、プリモ+セコンドのコースとかがあるといいんだけどな。

んで、今日はセコンドがチキンのグリルかスモーク・サーモンのミラネーゼ。サーモンが食べたかったのでフルコースにしました。アンティ・パストにはヴェネト産のサラミにセミ・ハードのチーズ(グラナ・パダーノかなぁ)のスライスがかかっているもの、セコンドは煮込んだチキンの入ったリゾットにしましたわ。そんでもちろん、グラスワインを1杯。銘柄忘れちゃったけど、Nino Negriの白でした。Nino Negriって、Valtellinaとかつくってる生産者だよね。てことはロンバルディーアの白なのかしら。

んん~ん、んまい! ステファノの料理はちゃんと「イタリアン」な味がするよなぁ。といっても、日本で一般的にイメージするトスカーナ以南のイタリアンというよりは、シェフのステファノさんがヴェネト出身だけあって、やっぱり北っぽい。しっかり、どっしりした感じのイタリアン。ちゃんと「食べた~っ」て感じがする。リゾットもきちんとお米がアルデンテだし(見習おうね、カンティーナ・フィレンツェ)、サーモンもすごく香りよくスモークされたものをミラノ風にフライにしてある。ワインもイタリアっぽい果実味とさわやかさがバランスよく感じられ、ランチのお供にぴったり。ここのグラスワインもはずれたことがないよなあ(ふたたび、見習おうね、カンティーナ・フィレンツェ。1回しか行ったことないけど)。

やっぱうまいのだわ、ステファノは。しかし、オフィシャルページはいつまでたっても本格稼動しないな。

そうそう、今日はBGMにかかっているCDもよかった。以前はEros Ramazzotti(エロス・ラマッゾッティ)とかもかかっていたのだけど、ここのところ小野リサばっかりだった気がする。でも今日は、とても落ち着いた女性ヴォーカルで、最初Alice(アリーチェ)かなと思ったんだけど、Aliceよりも渋い。聴いたことのある声で、というか、きっとうちにアルバムがある人だと思うんだけど、思い出せなくてたずねたら、Fiorella Mannoia(フィオレッラ・マンノイア)だった。そういわれるとたしかにFiorella。うん、やっぱりいい声だし、素敵なヴォーカルだね。Fiorellaは自分も好きです。

しかし、聴いてて気がついたのだけど、Fiorellaの声とか歌い方って、ドイツ出身でニューヨークに渡りアンディ・ウォーホールにかわいがられ、The Velvet Underground(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)のデビュー・アルバムにも参加した、女優でシンガーのNico(ニコ)にちょっと似てる。Nicoが亡くなってずいぶん経つけど、好きだったんだよな、あの声と歌い方。だからFiorellaも好きなのかなと、ワインを傾けながらNicoのアルバムをよく聴いていた学生だった日々を思い出した今日のランチタイムなのでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

IVAN CATTANEO / UOAEI

なんだかわからないけど、すごくいい!

Ivan Cattaneo(イヴァン・カッタネオ)は、ウェブで調べると結構な枚数のアルバムを出しているので、イタリアではそれなりの知名度があるカンタウトーレなんだと思います。でも、日本ではあまり知られていませんよね? 自分も聴くのははじめてです。

ほぼ100%裏声を使った、変なヴォーカル。幻想的なフルート。神経を逆なでするようなヴァイオリン。音楽のタイプとしては、アヴァンギャルド風味のあるサイケデリック・フォークに地中海風味がちりばめられた感じ、でしょうか。

いちおう歌詞はあるようだけど、歌詞の意味よりは言葉や発生の持つ「音」の面白さに重点を置いているような歌い方です。ちょっとふざけたような裏声ヴォーカルは、むかしのアヴァンギャルド系プログレッシヴ・ロック・グループにときどきありましたよね。ちょっと記憶があいまいですが、日本のAfter Diner(アフター・ディナー)やQuasimode(カジモド)、Katra Turana(カトラ・トゥラーナ。つづりこんなでしたっけ?)などのヴォーカルがこんな感じだった気がします。あるいはEduardo Artemiev(エドゥアルド・アルテミエフ。つづり間違ってるかも)の『Warmth of Earth』の中間部あたりでもこんなヴォーカルが導入されていたような。ちなみにM7では、自分は矢井田瞳を思い出しました(笑)。

なんと表現したらいいのかわからないんですが、ともかく変な、とても個性的なアルバム。変な声で変な曲で変な演奏。でもメロディそのものはやわらかくきれいだったりします。こういうのを楽しめるのは、やはりサイケがかった初期プログレとかを楽しんで聴ける人なんだろうな。このヴォーカル・スタイルがだめな人はぜんぜんだめでしょうけど、この声も含めて、すべてがとても魅力的に感じます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/07/10

映画『21グラム』を観てきました。

『アイ・アム・サム』の予告を観たときも、『ミスティック・リバー』を観たときも、もしかしてそうかなぁと思ったんだけど、この映画を観ていっそう確信しました。

自分はショーン・ペンの顔が嫌いだ。

映画は全編にやり切れない悲しさや苦しさ、切なさがただよっていて、観ているこちらまで気分が沈んできます。でも、じつはこれって「雰囲気一発」映画な気がします。

たしかにテーマは重いし、ある種の哲学的命題を感じさせるようにも思えるのですが、それもみんな、時間軸が交錯し、混乱した時間軸のなかで主要人物3人の物語がぶつぎれでカットインしてくることによる効果の部分が大きいような。時間の流れに沿って事件を見せ、それぞれの人物の物語も整理して映し出したなら、意外と平凡な映画になったように思います。

とはいえ、この「時間」と「想い」の交錯と混乱が、事件の当事者、関係者たちの不安定で混乱した心情を表わしてるともいえ、そういう意味では「うまい構成だな」と感じます。

しかし、ベニチオ・デル・トロのダメ男演技はしびれました。彼がもっとも「21グラム」の重さに押し潰されていましたね。あと、音楽がけっこうよかったな。

それなりに見ごたえのある映画で、なかなか楽しめました。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2004/07/09

明日は日比谷の野音で

HOOTENANY(フーテナニー)が何年ぶりかで復活。産経新聞や日経MJでも取り上げられていましたね。自分は、出演はしないけど、見には行くつもり。

15年ぶりくらいかな、見に行くの。今回の復活フーテには、大学時代に一緒に活動していたサークルの同期や先輩が何人か出演者として参加してるし、長いこと顔を見ていない同期の連中も何人か来るみたい。顔とか、見分けられんかもしれないな。ずいぶん経つから。ていうか、同期以外は名前とかちゃんと覚えてないぞ。やばい。

しかし、暑そうだな。そして、熱そうだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

MATTHEW FISHER / JOURNEY'S END

Matthew Fisher(マシュー・フィッシャー)のソロ・デヴュー作。若い人はMatthewのことを知らないかもしれませんね。自分らくらいの世代の人ならほとんど誰でも知ってるだろうと思われるProcol Harum(プロコル・ハルム)の超名曲「青い影(A Whiter Shade of Pale)」で印象的なハモンド・オルガンを弾いてた人です。Procol Harumには2枚目くらいまで在籍し、その後、ソロに転向しました。

「青い影」は世界中にProcol Harum=クラシカルといったイメージを植え付けちゃいましたが、じつはProcol Harumってそれほどクラシカル・クラシカルなグループじゃありません。意外といなたい世俗感が魅力だったりします。とすると、クラシカルなアイデンティティはMatthewが担ってたのかなぁと思い、このソロ・デヴュー作をある種の期待を持って聴いたのですが、出てきたのは「小粒なProcol Harum」でした。

ハモンド・オルガンはあいかわらず魅力的な音色で響いています。でも、導入比率はあまり高くありません。全体にリラックスした、ちょっとひなびた、いうなれば「疲れたおじさん」風なある種の色気?がイギリスらしい趣をともなって響きます。そもそもファーストアルバムなのに「旅の終わり」なんていうタイトルをつけるあたり、なんだかお疲れって感じです。

古いブリティッシュな響きは、自分にはとても心地よいのですが、あまりにも小粒かなぁ。Procol Harumを思わせるところがところどころにあるのですが、Gary Brooker(ゲイリー・ブルッカー)の味わい深いヴォーカルにくらべるとMatthewの歌はひ弱だし、せっかく盛り上がりそうな展開になっても盛り上がりきれない。Procol Harumだったらさらにもう一段の盛り上がりでドラマティックに演出するのに、って思ってしまいます。

おだやかで、あたたかで、やさしくて、いい作品だとは思うんですよ、こじんまりとしてて。でも、なんていうのかな、瞬発力? それが足りない。演奏にも、曲の構成や展開にも、そして歌にも。静かな曲、おだやかな曲でも、そのなかで「ここは!」ってところには一気に気持ちを高めたりしないと、ただだらだらと静かなままで終わっちゃうじゃないですか。その「一気に」を可能にするのが瞬発力だと思うんですけど、それが弱いんですよね。だから、牧歌的なままで通り過ぎてしまいます。田園風景がずっと続く電車の窓から外を眺めているように。それは、気持ちよくはあるのだけど、気持ちよすぎて眠くもなってしまいます。そんな印象のアルバムでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/07/08

お米のサラダ

好きなんですよ、お米のサラダ。家でもよくつくる。

イタリアとかでは生のお米をアルデンテに茹でるところから始めるようだけど、日本のお米でそれをやると、外はべとべと中は硬っ!みたいになっちゃったりするので、自分は普通に炊いたお米を使ってつくります。

でも、炊きたてのご飯でつくると、なんかやわらかくなっちゃうんですよね。なので、前の日の晩に炊いて冷蔵庫に入れておいたご飯が個人的にはベスト。大きめの器に入れて、刻んだトマトとカルチョーフォ(アーティチョーク)、オリーブその他、そのときにあるサラダにできる野菜類をいろいろ入れて、たっぷりめのワインヴィネガーまたはレモン汁と美味しいオリーブオイルを和えたら、冷蔵庫に1時間くらい入れてなじませる。美味しいですわぁ。うちの妻は冷やしたユカリご飯にヴィネガーとオリーブオイルを和えたスタイルを開発して、これもけっこうおいしかった。

で、昨日の晩もつくったんですよ。トマトとカルチョーフォ、コーン、それにアンチョビを少し入れてみました。うん、コーンの甘みがやさしげでいいぞ。アンチョビはもっと入れればよかったな。

しかし……、昨日使ったご飯は、一昨日炊いて2日間冷蔵庫に入れっぱなしのものだったのですよ。水気が抜けてぱさぱさ。ヴィネガー多めに入れてちょっとジャブジャブ状態にすれば水分吸って少しはふっくらするかなと考えたのだけど、あまかった。味はすってくれたけど、やっぱり芯のほうはぱさぱさのままなのね。1晩くらい置いておけばなかまでしみこんだのかなぁ。味付け的にはいい感じだったのに、肝心のお米がぱさぱさだったのがちょっと切ない昨日の晩なのでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

RED CANZIAN / IO E RED

Pooh(プー)のベース・プレイヤー、Red Canzian(レッド・カンツィアン)のソロ・アルバムです。

Redといえば、Poohに入る前はCapsicum Red(カプシクム・レッド)というプログレッシヴ・ロック・グループのメンバーで、クラシックをアレンジしたシンフォニック・ロックなどを演奏してました。Poohに加入しての最初のアルバムが『Parsifal』というクラシカルでドラマティックなシンフォニック・ロック作品になったのは、Redの加入が大きく影響したのではないか……などといわれていた時期がありましたね。

実際に『Parsifal』にRedの影響が強く出たのかどうかは知りませんが、このソロ・アルバムを聴くかぎり、Red自身にシンフォニック・プログレッシヴへの憧れや志向があるようには思えません。もちろん、Capsicum Red在籍時や『Parsifal』制作時とでは音楽シーンも違うし、Red本人の年齢も違いますから、当時がどうだったかはわかりませんけれど。

Poohの他のメンバーもソロ・アルバムをリリースしていますが、Poohの大半の曲を書いているRoby Facchinetti(ロビー・ファッキネッティ)のアルバムが「ひとりPooh」だったのに対し、Redのこのアルバムには、あまりPoohの匂いがしません。もっと軽快でリズミカルな印象です。もちろん曲によってはPoohを思わせるものもありますが、じつはRedってこんな感じの曲がやりたかったのかなぁ、Poohにいてフラストレーションがたまらないのかなぁと、ちょっと余計な心配をしてしまったり。

全体の曲調は、自分の好みとは少し違うな。自分はもっとロマンティックな感じのほうが好きです。でも、Redの弾くフレットレス・ベースのあたたかい響きとなめらかなフレージングは、いつもとても魅力的に感じます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/07/07

THERION / LEMURIA

前作『Secret of the Runes』でドロマティック・オーケストラル・クワイア・メタルの頂点を極めたTherion(セリオン)の、待望の新作は、それぞれ『Lemuria』『Sirius B』と名づけられた2枚のアルバムが1つのパッケージに収められた2枚組みとなりました。今日は、そのうちの『Lemuria』のほうの雑感を。

『Sirius B』でも感じられたのですが、Therionは、傑作となった『Secret of the Runes』の次に進む方向として、この路線をさらに高い次元にまで持っていくことをめざすのではなく、原点回帰というか、初期のころの自分たちが持っていたアイデンティティをもう一度確認することを選んだのかなという気がします。

このアルバムでも、男声・女声を巧みに使ったクワイアは健在です。でも、その密度は下がってきているように感じます。また、ひさしく聴いていなかったデス声(ヴォォォォォ~とかいうヴォーカル)がこのアルバムでは一部導入され、彼らがもともとはデス・メタル・グループであったことを思い出させますし、さらにはちょっとハイ・トーンめのシャウト・ヴォーカルもあり、ヘヴィ・メタル・グループであることも主張しています。

オーケストラは使われていますが、『Secret of the Runes』のようにクワイアとともに全編に響き渡るということはなく、要所要所で顔を出すといった感じになっていて、楽曲およびアルバムのなかにおける重要度・貢献度は下がっています。また、オーケストラを使う曲とそうでない曲に明確な差が出てきていて、ヘヴィ・ロックとクワイア入りオーケストラの融合をより高い完成度で実現させるスタイルを追求してきた前作までの試みが、このアルバムではあまり重視されていないように感じます。ロック・グループとオーケストラが別物として存在していて、おたがいにあまり深くかかわってない印象です。たとえばDeep Purple(ディープ・パープル)の『Concerto For Group And Orchestra』みたいな感じでしょうか(だいぶ違うな)。

結果として、ひとつのパッケージでリリースされた『Sirius B』よりも、さらにヘヴィ・ロック・グループとしてのTherionの姿がシンプルかつストレートに感じられる作品になっていると思います。その分、プログレッシヴ・ロック/ユーロ・ロック的なおもしろみや味わいは減っていますが、それでもユニークな音楽性を持ったグループであることには、変わりはありません。

ここ数作の流れが、オーケストラル・クワイア・メタルとしての高い完成度を追求し、ひとつの頂点を極めた次に、ヘヴィ・ロックとしてのアイデンティティの強化を追求というふうになっていることを考えると、この次の作品がどうなるのか、オーケストラやクワイアは楽曲のなかに生き残るのか、それともよりヘヴィでデスな初期に近づいていくのか、気になるところです。彼らの音楽にプログレッシヴ・ロック的なもの、ユーロピアン・ロック的なものを求めている自分としては、このアルバムよりもさらにオーケストラやクワイアから離れていく・遠ざかっていくのであれば、彼らに対する興味はここまでかなという感じです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/07/05

COS / BABEL

自分は細々ながらもけっこう長くプログレッシヴ・ロックのファンをやっていて、ウェブ上や友人間での会話などでもプログレッシヴ・ロックについて書いたりしゃべったりすることもときどきあるわけですが、けっこう困るのが、プログレッシヴ・ロックを知らない(聴いたことがない)人に「プログレッシヴ・ロックってどんな音楽?」と聞かれることだったりします。プログレッシヴ・ロックの黎明期のころなんかだと「クラシック・ミュージックのアイデアやスタイルをロックに取り入れ、歌詞にも思想性などを持たせた、芸術的なロック」とか、いま考えるとワケのわかんない説明ですが、それでもなんとなくそんな感じで表現できたのだけど、その後「プログレッシヴ・ロック」はどんどんスタイルを多様化させていってしまい、もうひとことでは説明できなくなっちゃいました。

で、ベルギーのグループ、Cos(コス)なんですが、こういうグループがいるから一層、「プログレッシヴ・ロックってどんな音楽なんだ?」という質問に答えにくくなってしまいます。ここには、いわゆるイギリスのメジャー・プログレッシヴ、たとえばKing Crimson(キング・クリムゾン)だとかYes(イエス)だとかPink Floyd(ピンク・フロイド)だとかGenesis(ジェネシス)だとかEmerson, Lake & Palmer(エマーソン・レイク&パーマー)だとかThe Moody Blues(ムーディ・ブルース)だとかに聴かれるような要素は、ほとんど皆無だといっていいでしょう。

軽やかで、ユーモラスで、ジャズ風味があって、どこかふざけたような、人を馬鹿にしたような演奏。意味のない音の羅列でしかないヴォーカル。冗談なのか本気なのかよくわからない曲。でも、これも「プログレッシヴ・ロックなの?」と聞かれれば、「プログレッシヴ・ロック……だと思うよ」と答えるしかなさそうです。だって、「プログレッシヴ・ロック」に含める以外に、こういう曲は、いったいどういうジャンルに入れればいいんでしょうか。

そうです。既存のロック・ジャンルに含めるのが「なんだかなぁ」というロックはみんな「プログレッシヴ・ロックの一形態」なんですよ。そして、そういった「はみだしちゃったからプログレッシヴ・ロック」の最右翼グループのひとつがCosなのかなと思うわけです。

プログレッシヴ・ロックをそれなりに聴いている人には、いわゆるカンタベリー系のヴァリエーションのようなもの、といったほうがわかりやすいでしょうね。ユーモアと軽やかさを感じさせるジャジーなポップ・ロック、といってしまったらそれですんでしまいますが、本家イギリスのカンタベリー系よりも、さらにふざけた感じで、かつ力が抜けているように思います。なんだか楽しげです。

こういうグループもプログレッシヴ・ロックに含めてしまうから、プログレッシヴ・ロックの世界はおもしろいし、深いし、厚みがあるし、だけどワケがわからんのだよなぁ。そういったもろもろの意味も含めて、なかなか魅力のある作品だと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/07/02

ASIA / same

あまりにも有名な、あのAsia(エイジア)のデヴュー作。

正直にいって、自分は彼らがあんまり好きじゃなかったんですよ、デヴューしたころ。King Crimson(キング・クリムゾン)、Yes(イエス)、EL&Pのメンバーが集まって、なんでこんなにアメリカンな音になっちゃうんだろうって。これじゃJourney(ジャーニー)やStyx(スティックス)とたいして変わらんと。

JourneyやStyxはね、べつに嫌いじゃないです。というか、Styxなんて、けっこう好きです。でも、それは、彼らが「もともとそういう音楽性を持った人たち」だったから。だけどAsiaは、もっと違う、もっとブリティッシュな音を持ったグループ出身者じゃないですか。それもトップ・グループ。当然、それらの音がミックスされた、たとえばKing CrimsonのパワーとEL&Pの派手さをYes風に制御したような音楽とかをね、期待してたわけですよ。

なのに、最初にラジオ(テレビの「ベストヒットUSA」だったか?)で耳にした曲が「Heat of the Moment」ですからねぇ。

というわけで、プログレッシヴ・ロックに思い入れがあった学生時代に聴いてしまったために、長いこと正当に評価できなったわけです。でもいまは、グループのメンバー構成だとか、それぞれのメンバーの履歴だとかにあまり興味がなくなってしまい、単純に「いま聞こえている曲」をどう感じるかという聴き方をするようになってきたためか、これはこれでいいんじゃないかなぁと、べつにJourneyもどきでもいいかなぁと、そんなふうに思えます。

とはいえ、あまりにアメリカンだなぁという学生時代に感じた印象は、いまもたいして変わりません。「Only Time will Tell」とか「Sole Survivor」とか、曲名忘れちゃったけどM7とかは、それなりに「ブリティッシュ志向のアメリカン・グループ」風な印象があって、以前からけっこう好きだったけど、それ以外はなぁ。

「Only Time will Tell」とM7のベースはいい音ですね。ぶぃぶぃいってて。ちょっとKing Crimsonを髣髴させます。M7は、このアルバムのなかではもっとも「プログレッシヴ・ロック」を感じさせる曲じゃないでしょうか(あくまで「感じさせる」程度だけど)。

ちなみに自分は、Steve Howe(スティーヴ・ハウ)のギターの音色がダメなんですよ。なんで彼の弾くギターって、あんなに音が汚いんだろ。キンキンしてて、とんがってて、情感が薄い。Yesがそんなに好きになれないのって、彼のギターが好きになれなかったからっていう要素が大きいんだよな。Asiaになっても、ギターの音色の汚さは変わりませんね。

プログレッシヴとかポップスとかにこだわらず、お手軽に気軽に楽しむ「ブリティッシュ風な雰囲気も持ったアメリカンなロック」(みんなイギリス人なのに)として楽しむのが、自分にとっては正解な感じのアルバムです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004/07/01

ICONOCLASTA / same

Iconoclasta(イコノクラスタ? アイコノクラスタ?)はたしか、メキシコのグループでしたっけ。セカンド・アルバムが日本に入ってきたとき(もちろん、LPでした)、「混声合唱入りのすごいシンフォニック・プログレッシヴ!」ということでずいぶん話題になった記憶がありますが、今日聴いているのはファースト・アルバムのほうです。

しかし、なんでこの曲をアルバムのトップに持ってきちゃったのかなぁ。いやね、気持ちはわかるんですよ。華やかで、演奏面での派手さもある曲ですから、ここでしっかり「つかんで」おきたいってことだったんだろうと思うんですが……キミたち、演奏ヘタすぎ!(笑)

アルペジオで1音1音の長さをそろえられないキーボードとか、細かいフレーズのスピードについていけていないリードギターとか、やっぱまずいでしょ。しかもインストゥルメンタルだからねぇ。あまりにもチャレンジングです。これだったら、学生時代に自分が加入してたグループのほうが演奏うまいぞ。それに、学生時代の自分のほうがギターもうまかったぞ、きっと。

自分たちでつくった曲に要求される演奏技術に本人たちの技量が追いついていないという弱点はあるのだけど、曲自体は、なかなかかわいらしくて好感が持てます。あたたかみのある音で、やわらかく明るいシンフォニック・ロックを演奏してます。Camel(キャメル)とかGotic(ゴティック)を少しテクニカルにした感じでしょうか。いわゆる南米ぽさというのがどういうものかはわかりませんが、ユーロピアン・ネイティヴとは少し違った、でもユーロピアンな雰囲気を多分に持った、なかなか魅力的なアルバムです。

ちなみに、A面1曲目(うちにあるのはLPなんです)以外は、それほど「速いパッセージの応酬」といったパートはないので、「めちゃめちゃ演奏ヘタじゃん」と笑ってしまうようなこともあまりありません。というか、1曲目で「この演奏力で大丈夫か?」と心配させられた分、2曲目以降では「なんとかがんばってるじゃん。よしよし」と、成長過程の子供を見るようなあたたかいまなざしで彼らを見つめちゃいます。それが狙いだったのだろうか。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2004年6月 | トップページ | 2004年8月 »