« 2004年5月 | トップページ | 2004年7月 »

2004年6月

2004/06/30

THERION / SIRIUS B

傑作アルバムとなった『Secret of the Runes』に続くTheion(セリオン)のアルバムは、『Sirius B』と『Lemuria』と題されたアルバムが1パッケージに収められた2枚組というかたちになりました。で、とりあえず今日は『Sirius B』のほうを聴いての雑感を。

前作『Secret of the Runes』でオーケストラ入りドラマティック・ユーロピアン・クワイア・メタル(そんなジャンルがあるのか?)の頂点へと登りつめたTherion。その前の数作からこの方向性を模索してきたようですが、その探求が結晶となって、非常にすぐれた形で記録されたのが前作だったと思うわけです。そんな傑作のあとにリリースされるアルバムというのは、いろいろな面でプレッシャーやハンディキャップを負うわけで、その点、Therionも同じだったかなという感じです。

初期のデス・メタルから、オーケストラおよびクワイアの導入により独自のドラマティック・メタルをつくりユーロピアン・ロマンを前面に押し出してきたわけですが、前作でその頂点を極めてしまったので、次の方向としては、同じ道筋でさらに高みをめざすか、あらたな道筋を探すか、あるいは自分たちのたどってきた道筋を一歩引いて見つめなおすかといったことになるのでしょう。そしてTherionは、最後の道筋、自分たちのたどってきた道筋を客観的に見つめなおすという方法をとったような気がします。

一見すると、一歩後退に見える、ということです。『Deggial』のころに戻りつつある感じ。あいかわらずクワイアは全編で響き渡りますが、オーケストラの活躍頻度は下がり、ヘヴィ・メタルらしいバンドの演奏が力強く響いてきます。この傾向はもう1枚の『Lemuria』でさらに顕著になっているように思うのだけど、それについてはまた後日。

オーケストラとクワイア、それにヘヴィ・メタルな演奏がすぐれたバランスのうえで渾然一体となって鳥肌モノのユーロ世界を築きあげた前作とくらべると、バランス感が悪いです。ただ、それはきっと、Therionが「ヘヴィ・メタル・グループとしての自分たちのアイデンティティを再度、見つめなおそう」と考えたゆえの、重心位置の変化によるものだと思います。たんに「後退」したのではなく、さらに次へ進むために今一度、足元を固めようという意識ではないでしょうか。

そういった姿勢は好ましいですし、クワイア・メタル(というジャンルはあるのか?)の作品としても高いクオリティを持ったアルバムだと思います。思いますけど、やはり『Secret of the Runes』の衝撃が大きかった分、ちょっと落ちるかなとも思ってしまうわけです。とくに自分の場合、ヘヴィ・メタルではなくプログレッシヴ・ロック/ユーロ・ロック的なものとして前作を楽しんでしまったので、よりヘヴィ・メタル的になったこのアルバムは、ちょっと自分の守備範囲から遠ざかりつつあるわけで。

それでも、パイプ・オルガンから始まり、アコースティック・ギターのアルペジオのうえで混声合唱が厳かに響きわたるM7などは、プログレッシヴ・ファンとしての心がかなり揺さぶられました。ヘヴィ・メタル回帰の意識は散見されるものの、まだまだ侮れませんよ、Therionは。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/06/29

神楽坂のイタリアンでランチ

昨日のランチは、神楽坂のカンティーナ・フィレンツェという店でランチを食べたのだわ。まだオープンして2か月くらいらしい。

落ち着いた内装で、静かで、感じはいいです。店だけでなく、スタッフも。ランチのセットは、パスタメインのものが1200円だったかな。アンティパストとプリモのセットが1800円。セコンドもついたコースが2800円。

で、メニューを持ってきたカメリエーレに、12時50分までには店を出なくちゃいけないのだけど、いまからセコンドつきのコースを注文したとして、時間までに全部の料理を提供できるかとたずねてみた。結果は「ちょっと難しいです」。ちぇっ。セコンドが食べたかったのに。しかたがないので、アンティパストとプリモのセットを選ぶことにした。

しかし、なんで日本のイタリアンレストランは、セコンドメインのランチセットをつくらんのかね。プリモはいらんから、アンティパストとセコンドでセットにしてほしいわ。あたしゃセコンドが食べたいのよ、お昼休みの時間に。

料理の内容は、野菜とパンを煮込んだトスカーナ風のスープ(トスカーナの家庭料理ですね。こういうのをメニューに載せてるのは好ましいです)、スモークサーモンのそば粉入りクレープ巻き(そば粉を使うのって、北イタリアのほうでしたっけ?)、そしてプリモは、パスタではなくアサリと野菜のリゾットを選んでみました。パスタにすると、仔牛のラグーのフジッリか、イカとバジルのスパゲッティ。なんか、普通だから。デザートは、生クリームを薄くスライスして焼いた(のかな?)ナスでくるんだものにチョコレートソースがかかったもの。不思議な感じ。それにグラスでドルチェット・ディ・ドッリアーニをつけました。ワインが1000円で、トータル2800円。

うん、普通においしかったですよ。グリッシーニが出てくるあたり、ちょっとうれしいです。おかわり自由だし(そんなには食べないけど)。パンは、トマトを練りこんだパンと、オニオンを練りこんだパン。これはこれでおいしいけど、普通のトスカーナパンにしてほしかった。日本の人って、小麦の味しかしないパン、あまり好きじゃないのよね。アメリカ人かよ。

全体に塩味薄め。女性客を意識したか? オリーブオイルの香りも弱めで、よくある「日本人向けに上品にまとめちゃいました」って味ですね。スープはあまり野菜の味がしないし、塩もきいてないので、なんとなくぼけた味わい。だけど、からだにはよさそう。リゾットも、米の芯までしっかり火が通っていて、ほとんど雑炊もしくはおじや。「生煮えだ!」という勘違いなクレームを防ぐためですか?

というわけで、普通においしいんだけど、イタリアンを食べたーって感じはあまりしません。これで1800円……どちらかというと「やっちゃったなぁ(残念)」という感じです。塩を抑えるなら、もっと本来の味がしっかり感じられる素材を使わなくちゃ。やっぱり、いきつけのビストロ「イデアル」とリストランテ「ステファノ」のほうが美味しい。コースの料金も安いし、きちんと素材の味がするしね。ワインも、1000円とってあれかよって感じです。量も少ないし。

でも、もっとも残念だったことは、料理以外にあるのだ。

いちばん最初に、カメリエーレにいったんですよ。「12時50分にはここを出なくちゃいけない」って。そのうえで、それに間に合うセットということで、注文したのね。そのカメリエーレは、ずっとホールに、自分のテーブルのそばにいたのですよ。中間下げも、料理提供のたいはんも、ついでに料理についての感想を聞きに来たのも、その若いカメリエーレの兄ちゃんです。

で、最終的に自分が店を出られたのは12時56分。昼休み中に会社にたどりつけないじゃん。なんのためにこのコースにしたんだよ。12時50分には店を出なくちゃいけないことを聞いていながら、どうして「ほんの一呼吸はやい中間下げと料理提供」ができないんだよ。毎度毎度、次の皿に移るまでにあんだけのブランクがあるのはどういうことだよ。キッチンにひとこと伝えられなかったのかよ。最後の皿からデザート&コーヒーに移るタイミングだけでももっとはやくできたんじゃないの?

ていうか、あんたけっきょく、客がいったこと、覚えてないし、重要なことだとも思わなかったでしょ? そんなあわただしいスケジュールで昼のセットなんか食べにくるなよとか思ったでしょ?

素敵な笑顔にスマートな身のこなしで小奇麗にホール・サービスはまとめてた。きっと、ホールでのサービス・スキルに関するトレーニングは受けたんでしょう。この兄ちゃんに限らず、店のスタッフはみんな素敵な笑顔で動いていたから、その部分での教育はきちんとしてるのかもしれない。だけど、サービス・パーソンとして大切なこと、「お客さんを見て、お客さんの言葉を聞いて、お客さんの要望を探り、それに応える」というマインドの部分を、この人は教わっていないんだな。残念です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ANYONE'S DAUGHTER / ADONIS

Adonisっていうのは、ギリシャ神話にでてくるのでしたっけ? 女神アフロディーテに愛された美少年でしたよね。そのAdonisをテーマにしたコンセプト・アルバムのようです。

Anyone's Daughter(エニワンズ・ドーター)といえば正統的なジャーマン・シンフォニック・ロックを演奏するグループで、そのひたすらに美を追求した演奏や曲には好感を持てます。デヴュー作となるこのアルバムでも、クリーンで透明感のある美しいシンフォニック・ロックを聴かせてくれます。とくにLPのA面すべてを使った「アドニス組曲」は、彼らの持ち味をよく表わしてるといえるでしょう。

彼らの演奏って、派手なところがないので、あまりテクニック的にハイレベルな感じはしないのですが、よく聴くと、じつはドラムがけっこうすごいです。すごく細かくハイハットやらスネアやら叩いている。でも、それがぜんぜんうるさく感じないのは、ヴォーカルも含めたアンサンブルのなかで「歌うように」プレイされているからなのでしょう。

エレキ・ギターも、クリーン・トーンによる細かいアルペジオとウォーミーなディストーション・サウンド(フロント・ピックアップを使ってるのかな)を上手に使い分けて、イギリスのファンタジック系シンフォニック・ロックに引けを取らない夢見心地の演奏を聴かせてくれます。

ヴォーカルは線が細くて、あまり主張がないのだけど、美しく澄んだメイン・ヴォーカルの大部分にハーモニーをかぶせ、曲の持つファンタジックさをさらに高めています。そういう意味では、曲調によくあったヴォーカル・スタイルだと思います。とくにA面4曲目「Adonis part IV: Epitaph」の終盤で聴かれるハーモニーなどは、まさに天使の歌声って感じです。ヴォーカルだけでなく、この曲はこのアルバムのなかでもベストの1曲だと思います。

これらの各種インストゥルメンツにくらべると、キーボードがちょっと個性的に弱いかなという気もしますが、必要なとき以外はやたらと主張しないというスタイルは好ましいです。これはキーボード以外のインストゥルメンツ全体にもいえるように思えるので、Anyone's Daughterのメンバー全員が持っている気質のようなものなのかもしれません。

このアルバム、自分はLPしか持っていなくて、ほんとにひさしぶりに聴いたのだけど、いいアルバムですね。すがすがしくて美しいシンフォニック・プログレッシヴ。Sebastian Hardie(セバスチャン・ハーディ)の持つ南半球らしいあたたかでおおらかな感じを、そのままヨーロッパの持つあたたかさとおおらかさに置き換えたような、そんな印象を持ちました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/06/27

デイ・アフター・トゥモロー


CGはなかなかよかったです。「いかにもCG」って感じではなくて。ストーリーはシンプルですね。人間由来の自然災害(言葉として変だな)で北半球が凍結し、北半球の人類はほぼ滅亡。それを予測していた(到来時期は思いっきり読み間違えてたけど)気象学者が、凍結したニューヨークに残っている息子を助けに行く。そのくらいの話です。たいして深みはありません。でも、見た目の部分の大仰さで楽しめたから、それでよしとしましょう。

主人公の親子以外に、登場人物、ちょっと多すぎですね。それらの人々になんとなくバックストーリーを持たせたのに、それを少しも掘り下げることなく映画は進んでいくので、彼らのストーリーが何の意味を持たずに凍結していく。なので、彼らの「生きた姿」がぜんぜん感じられない。主人公親子の妻・母親である女医と病気の子供とか、スコットランドあたり(だっけ?)で海流の温度をずっと計測している学者さんたちとか、そのほかにも「ドラマ」を持ってそうなほのめかしのある人たちがいっぱい出てくるんだけど、みんなほったらかしです。

そもそも主人公親子自体、人としてのドラマが薄いですね。父と子の関係も、それぞれがどういったキャラクターを持った人物であるかについても、説明的なシーンがちょろっと入るだけで、実感として伝わってこない。人間ドラマの部分を観て楽しむことはできない映画だと思います。

地球に氷河期が訪れ、北半球が凍結するという現象が起こりうる理由については、それなりに映画のなかで説明されていたので、学問的なことはわからないけど、そういうこともあるのかもなということで、映画の設定のなかに入っていく助けになりました。でも、異常気象が始まるときには、なぜ始まるのか、この先どれほど被害が大きくなっていくのかについて調査し、騒ぎ、絶望するシーンとかがいっぱいあったのに、あの終わり方はなに? 異常気象の終結については、なんだか気づいたら終わってたみたいな感じで、あまりにあっけない。どうして終わったのか、そろそろ終了ということは観測から予想できなかったのか、NASAや気象学会はなにやってたんだよという印象ばかりが残ってしまいます。

主人公息子が思いを寄せる女性の敗血症にしろ、船のなかでのオオカミとの戦いにしろ、あまりにあっさりしすぎ。主人公はもっとすごく大変な困難に向かい合わないと。ていうかあんたたち、何日も建物内に避難しているわりには、みんな身奇麗すぎ。あの状態でみなさん、毎朝ひげをそってらっしゃったんでしょうか。それと、主人公父と一緒にニューヨークをめざした仲間たち。なんだか全然意味がなかったぞ。主人公父ももっともっと大変な困難に立ち向かわないと。

などなど、突っ込みどころというか、突っ込まずに流して観てしまったほうがいいところは満載です。でも、それはそれとして、目の前に映し出されていることをそのままに観て「寒そう」とか「すげぇ」とかいって楽しんじゃえば、それでいいんじゃないんでしょうか。

ちなみに、主人公息子と一緒に図書館に避難していて最後まで助かったおじさんは、図書館の館長なのかしら? ずっとグーテンベルクの初版本聖書を抱えていた人。暖を取るために図書館内の本をどんどんと暖炉にくべる主人公たちからその本を守るために抱えていたわけですが、最後に救出されてヘリコプターに乗るときも抱えてましたね。映画内ではこのおじさん、「私は神を信じてなどいない」とかいってたけど、ここってすごく宗教くさいシーンだと感じました。

グーテンベルクの初版本聖書。世界で最初の、人類初の「印刷された神の言葉」てことですよね。これってモーセの十戒に見立ててるのかなぁ。神の十戒が刻まれた石版って、おそらく人類史上初めて「文字」というかたちで神の言葉が人々に渡されたものなんですよね、きっと? はじめての印刷物と、はじめての石版。なんとなく、リンクしません? 十戒を守っているかぎり、ヤハウェはイスラエルの民を見捨てない、必ず救う。聖書を守っているかぎり、キリスト教信者は父と子と聖霊により救われる?

ほかにも聖書の投影っぽいシーン、シチュエーションがいくつかあります。

たとえば、主人公父がもうすぐ主人公息子の下にたどりつくという少し手前、主人公父は、凍死して雪に埋もれた真っ白な死体をいくつも見つけます。彼らは、もとは主人公息子と一緒に図書館に避難していた人たち。図書館の外を多くの人たちが避難していくのを見て、正確な情報も持たないまま、自分たちも街を出ようと決めた人たち。主人公息子が止めたのにもかかわらず、気象学者の父が「嵐はますますひどくなる、屋内でじっとしていろ」といった言葉を伝えたのにもかかわらず、自分の考えで出て行った人たち。彼らがみんな、真っ白になって死んでいるんです。まるで「塩」のように真っ白になって。

滅ぼされた街と、塩の塊にされた街の住人。これって、ソドムとゴモラ? 神の言葉を忘れ、私利私欲、悪徳、男色に満ちた街をニューヨークに投影したんだろうか。

気象学者である「父」は、これからニューヨークになにが起きるかを知っていた。それを「子」に伝えた。「子」は「父」の言葉を「民」に伝えたけれど、その言葉を信じたのは一部の者だけ。「子」の言葉に背いた者たちは死んだ。

すべてを知る「父」なる神は、神の言葉を伝えるために「子」であるイエスを地上に降ろした。「子」であるイエスは「民」を救うために「父」である神の言葉を説いた。しかし「民」の多くは「子」イエスを信じず、「父」である神の言葉に背き、滅びへの道を選んだ。

めちゃめちゃ自分勝手な深読み・邪推ですが、なんとなく関連性を感じてしまいます。あと、よく覚えてないんですが、スコットランド沖で海流の温度が極端に下がったっていうところ、下がった温度は13度ではなかったでしたっけ? 13。不吉な数字。それを観測していた学者のチームは3人で、主人公父のチームも3人。3は聖三位一体につながるのでラッキーナンバーですね。

なんてことを観たあとに考えるくらいには楽しい映画でした。

| | コメント (4) | トラックバック (3)

2004/06/25

MONA LISA / AVANT QU'IL NE SOIT TROP TARD

Mona Lisa(モナ・リザ)はAnge(アンジュ)と並ぶフレンチ・シアトリカル・ロックのトップ・バンドといわれてますが、Angeとくらべると、ちょっと小粒な感じは否めません。ヴォーカルのシアトリカルさ加減はAngeに肉薄、ときには超えるかというところもありますが、演奏にそこはかとないチープ感、スカスカ感が漂っていて、厚みと奥行きのあるAngeの演奏には追いつかないよなと感じてしまいます。

とはいえ、このチープ感、スカスカ感は、けっして悪い感じではないんです。この感じがあるために、Angeとは違った、安い芝居小屋やサーカス小屋、あるいは街角楽師のような、独特の哀愁を漂わせることができるのだと思います。曲も、きちんと構成された印象のあるAngeとは違い、ある意味で行き当たりばったりというか、そこでなんでそんなコミカルなフレーズに?みたいなところがあって、そういう点でも「世俗の楽しみ」に近い感じを受けます。このあたりの「世俗っぽさ」がMona Lisaの魅力のひとつといえるかもしれません。

このアルバムはMona Lisaの4作目で、前作の『Le Petit Violin de Mr.Gregoire』と並んで彼らの名作と呼ばれています。そして実際、名盤の名に恥じない内容になっていると思います。ほとんど歌メロのない「語り」ヴォーカルが炸裂するアルバム・タイトル曲から、シアトリカルな世界へと一気に引き込んでいきます。フランス語の響きを最大限に活用したヴォーカルは圧巻で、それだけでもかなりの魅力ですが、そこに世俗な哀愁とふざけた感じ(?)の入り混じった演奏がかぶさることで、Mona Lisa独特の世界が構築されます。

アルバムのなかで独自の世界をつくりあげ、音楽を聴いているだけでその世界が目に見えるような錯覚を起こさせる。シアトリカル・ロックの醍醐味ですね。「舞台」ぽさを感じさせるという点では、Angeよりも上かもしれません。Chen Noir(シェン・ノワール)とかのほうが近いかも(こっちは完全に舞台音楽だったかもしれません)。

とても魅力的なアルバムだと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/06/24

POOH / ASCOLTA

Pooh(プー)のファンのあいだでは、すでに「傑作」との声も高い2004年の新作です。デビューはたしか1960年代の中ごろだったと思うので、すでに40年も現役で活動を続けているわけですが、いまでも2~3年ごとに新譜を発表してますし、ぜんぜん衰えをみせませんね。

自分はとくに熱心なPoohファンというわけではないので、アルバムもそれほど持ってません。1970年代の、いわゆる「プログレ期」のものは数枚持っていますが、それ以降のものは、たまたま中古で安く売ってるのを見つけたとか、そんな感じで入手してるので、ぽつぽつとあるだけです。それでも、彼らのアルバムは、どれを聴いても、いつ聴いても、イタリアらしいやさしさとあたたかさと美しさにあふれた人懐っこいポップ・ロックで、安心できますね。

で、このアルバムです。あいかわらずPoohらしさ全開、Poohの魅力満載です。ただ、自分がこれまでに聴いたことのある彼らのアルバムとくらべると、ちょっと「重い」感じがするんですよ。全体に音づくりやアレンジが重厚で、曲調もちょっとマイナーめのものが多いような。最近のPoohって、こんなに重い感じのロックを演奏するグループでしたっけ?

もちろん、Poohならではのヴォーカル・アンサンブル、コーラス・ワークは健在です。いつもどおり、素晴らしい歌声を聞かせてくれます。演奏力も高く、ギターなんかずいぶん活躍してます。シングルカットされた「Capita quando capita」など、いかにもPoohらしい曲ですよね。

でも、このシングル曲でさえ、なんか重くないですか? Poohの曲って、厚みのある演奏・アレンジをしても、どこか人懐っこい笑顔を感じさせるような、街角でばったり会って「よぅ、カフェでも飲みにいこうぜ」と声をかけられているような、そんなイメージが自分にはあるんです。とくに1980年代以降は(ちょっとしか聴いたことないけど)。でも、この最新シングルは、自己完結しちゃってるというか、街角でばったり会ったら人懐っこい笑顔で「やぁ、いまみんなでカフェを飲んできたところなんだよ。またな」っていわれちゃったような、そんな印象を受けてしまいました。

シンフォニックなオープニング曲から、ポップなシングル曲、美しいバラード、ちょっとハードなロック・チューンなど、さまざまなタイプの曲が収録されていて、それぞれのクオリティはとても高いと思います。曲のヴァリエーションが多彩なのに、アルバムとしてばらけた感じがしない、きちんとPoohのアルバムとしてのまとまりとストーリーを見せるところなど、完成度は高いです。優れたイタリアン・ポップスのアルバムだといえるでしょう。ただ、自分個人の気持ちとしては、少し完成されすぎちゃってるかな、Poohにはもう少し、人の良さゆえの無防備さというか、気軽さというか、そんなものを期待しちゃいます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/06/23

PINK FLOYD / ANIMALS

最近はイタリアン・ポップスを中心に聴いているけれど、自分はもともとはプログレッシヴ・ロックのファンなんですよ。なかでもPink Floyd(ピンク・フロイド)。それまで普通の(?)洋楽ロックしか聴いたことがなかった高校1年のときにはじめて聴いた『The Dark Side of the Moon』は、ほんとに衝撃でしたわ。その後の音楽生活が全部変わっちゃいましたからね。

というわけで、基本的にPink Floydは全肯定です。全肯定なんだけど、そのなかにやはり好きなアルバムとそうでもないアルバムがありまして、じつは『Animals』はそうでもないアルバムなんですの。

正直にいってしまって、全体に曲が退屈でない? あまりにもわかりやすすぎるコンセプト・アルバムっていうのも、どうかなぁと思ってしまうし。SEの使い方も、あまりにもひねりがない感じ。David Gilmour(ディヴィッド・ギルモア)のギターも、「Dogs」ではそれなりに活躍しているし、あいかわらずいい音を出してると思うのだけど、他の曲ではあまり目立たないよね(自分はギター弾きだったこともあり、Davidのギターが好きなんです)。

その他もろもろもあって、彼らのディスゴグラフィのなかでのこのアルバムの個人ランキングは、あまり高くないのでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/06/22

おしぼりアート

日経レストランONLINEマガジンにURLが載ってた。

おしぼりアート

すごい!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

メゾン・ド・ラ・ブルゴーニュでランチ

自分が勤めてる会社は神楽坂。その神楽坂に今年のはじめごろ、新しくフレンチの店ができ、ランチもやっているというので、いってきました(アド街っく天国とかいう番組でも紹介されたらしい)。

「東京グルメ」の投稿記事によれば、ランチのコースが2つほどあるはず。これは期待です。ワクワク。

と思っていったんですけど、いってみたらコースはなかった。以前はあったのかな。でも、少なくとも今日の時点では、サンドイッチとかキッシュとかの軽食ばかり。

「メイン」が食べたくて、わざわざ会社から10分くらいあるここまで歩いてきたのだから、ともかくなんでもいいので「メイン」な料理を……と思ってメニューを見たのだけど、あったのはステーキ&フリット(1200円)くらい。しかたがないので、それにしましたよ。もちろん、グラスで赤ワイン(600円)もね。

出てきた料理は、大皿にビーフステーキと山盛りのフレンチフライ、ちょこっとのサラダが盛り合されたもの。普通だ……普通すぎる。オーストラリアのバーで400円くらいで食べたランチと変わらんぞ。パンも、普通のバゲット。フォションのものほどとはいわないけど、もう少し小麦粉の味のするものが食べたかった。ワインは……ここは店の名前からもわかるようにブルゴーニュワインが得意なはずなのだけど、さすがにグラスでブルゴーニュは出せないか。どこのだろうなぁ、おそらくルーションかどこかだろうな。

洗練されていないサービスも、家庭的とかいうよりは、たんに「慣れてないだけ」な感じ。ホールスタッフ(日本人男女各1名+フランス人男性1名)がカウンターのところに固まってしゃべってばかりなのもいまいち。居心地悪っ!

ディナータイムはまた雰囲気も料理も違うのかもしれませんが、少なくともランチには、もういきたくはありません。遠いし、高いし(料理・雰囲気その他すべてを含めたコストパフォーマンスという意味で)。

あぁ、こんなことだったら、行きつけのイデアルか、せめてエリゼにしておくんだった。後悔。ステーキのソースが少し垂れてしまい、シャツに染みをつくってしまったのがショックに追い討ちをかけたな……。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/06/21

オレンジデイズ

けっきょくちゃんと見たのは5回くらいだった気がする。熱いな。青いな。若者は(笑)。

で、昨日は最終回だったんですけど、これってもしかして『愛しているといってくれ』の裏ヴァージョン+『ふぞろいのりんごたち』なのかしらん。柴崎コウ=豊川悦司(こんな字だっけ?)で妻夫木聡=常盤貴子? 相手をどうしても呼び止めたくてついに声を出すシーンとか、塀によじ登って木になっている果物を取ろうとしているところで出会うシーンとか、果物を投げて渡すシーンとか、なんか、えらく懐かしいというかノスタルジックというか見たことあるよこのシーンって感じなんですけど。

このドラマって若者向けだと思ってたのだけど、じつは30代なかばから40代くらいのおっちゃん・おばちゃんをもターゲットに想定していたのかしらんと思ったのでした。ていうか、若者的にはどうだったんでしょ、この話?

| | コメント (0) | トラックバック (1)

もう、バカバカバカ~ぁ

今朝は機嫌が悪いです。夜、ほとんど眠れなかったから。暑くて暑くて。窓開けて、扇風機かけて寝たんですけど、あまりの蒸し暑さに20分ごとくらいに目が覚める。じっとり汗かいてベタベタ。

しかも!

夜中に放送されたF1アメリカ・グランプリ、ヴィデオに録画して、朝5時くらいに起きて出勤前に見ようと思ってたのに、タイマーのセットまちがえて録れてなかった。佐藤琢磨が3位表彰台という、これを見ずしてなんのために今年見てきたんだっていう大事なレースだったのに!

どうせ暑くて夜眠れなかったんだから、起きてテレビ見てればよかった。生放送だったんだよね、たしか。

すっげー悔いが残る朝です。めちゃめちゃ機嫌が悪いです。眠いです。ばか~ぁ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/06/20

Gigondas 1998 / Domaine Santa Duc

2年前にオークションで1410円という、いまでは考えられないくらいに格安で落札したサンタ・デュックのジゴンダス。ずっとセラーのなかにとっておいたのだけど、昨日、ついに飲んじゃいました。

これを飲むのは3回目。最初は2000年の12月に懸賞で当たって、2001年の1月に飲んだ。はじめて飲んだジゴンダス、はじめて飲んだサンタ・デュックだったけど、もう、グルナッシュってこんなに美味いんだ!て感動しましたよ。

2回目に飲んだのは2年前。そう、このときに2本落札したんです。超ラッキー。届いてから3週間ほどセラーで休ませてから飲んだのだけど、同じヴィンテージでも熟成がすすむとこれほどまでにワインを美味しくするんだと、さらに感動したのだわ。2001年に飲んだときは力強さがかなりあったのだけど、2002年の10月に飲んだときは、旨みが凝縮され、穏やかさと落ち着きを感じる味わいになってた。

そして、今回。さらにさらにおだやかで丸い味になり、でも旨みの強さ、豊かな果実実などはそのままで、もうほんと、至福。めっちゃ美味い。飲んでしまったのがほんとにもったいないくらい。まだあと数年寝かせてみたのも飲んでみたかったぞって。

サンタ・デュックのジゴンダスが1000円台で買えることなんて、もうないんだろうな。安くても3000円切るかどうかだもんな。しかも、最近のヴィンテージばっかり。6年熟成のものなんて、もう飲めないな。2000年ヴィンテージくらいのものを買って、セラーで3~4年寝かせておこうか。その前に飲んじゃうだろうなぁ。

ほんと、マジで美味しかったです。グルナッシュ好きです!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

離風霊船はやっぱりうまかった

離風霊船はやっぱりうまかったです。役者さんがかまないもん(そんなところで評価かよ!)。ここ2年ほど公演がないのだけど、以前によく観にいってたTokyo Fとか一夜城とかは、役者さんが大切なシーンでカミカミで、はらはらしながら観るというある種の緊張感を楽しむ舞台でしたけど(そうか?)、離風霊船にはそういうことがないですね。役者さんたちに余裕があるというか、だからきちんと間をはかれるっていうか。やっぱ、上手なんだよな、役者さんも脚本も。

でも、今回の舞台、話の内容はどうなのかなぁ。ていうか、途中で話自体を変えたでしょ? だって、公演チラシに書かれている『渚家にて』の紹介文と、実際の舞台の内容、ぜんぜん違うもん。公演チラシでは、東京郊外のある一家庭で、普段はたがいに干渉しないようにしている家族4人が、ある日たまたま夕食時に勢ぞろいしてしまい……てなふうになってるのに、舞台では東京なんか出てこない。ていうか、日本じゃないどこかの国での話になってるし、家族じゃないし、8人出し(笑)。イラクでの人質事件のニュースを見て急遽、話自体を全部つくりなおしたのがありあり。なので、話の内容と公演タイトルにまったく関連性がなくなってしまってる。そういうのは、どうなのかなぁ。

急ごしらえでつくった(と決め付けてますが)にしては、ストーリーに破綻がなく、うまくまとまってたと思うけど、その分、深みとか奥行きもなかったな。ステレオタイプで平凡。テーマの重さのわりに、登場人物たちの内面への踏み込みとかが足りない。そのへんが残念だわ。なまじっか「上手」にやれてしまう劇団だから、まとめられちゃうのがかえってツライ。もっと時間をかけて書かれた脚本を、じっくりと練って揉んで深みを引き出した状態での芝居が観たかったですわ。

次回に期待。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/06/18

今日の夜は離風霊船

今日の夜は中野に離風霊船の芝居を観にいきます。離風霊船ひさしぶり。
ここのところ、楽しみにして観にいった芝居がずっと「あれ、あれれ~」って感じで、もっとちゃんと芝居を観たいよーな気持ちが高まってるので、今日の離風霊船はすっごく楽しみです。離風霊船ならあれれ~てなることもないでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ANDREA TICH / MASTURBATI

Andrea Tichは、どういうふうに発音するんだろ。アンドレア・ティック? それはさておき、このアルバム、かなりいいと思うんですよ。どこがどういいっていうのを説明するのが難しいんですけど。

タイプとしては、サイケデリック・フォークをベースにしたフォーク・ロック、かな。プロデュースが、あのClaudio Rocchi(クラウディオ・ロッキ)ですから、当然といえば当然な音楽ですね。ふわふわとした浮遊感。魂を解放し自由に漂わせるようなアンサンブル。こういったあたり、初期のClaudio Rocchiに印象がよく似てると思います。

部分的に地中海風な香りが漂いPremiata Forneria Marconi(プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ。PFM)を思い出したり、フォーク風の曲ではまだサイケデリックの香りが残っていたころのPink Floyd(ピンク・フロイド)を思い出したり、サイケがかったロックぽい曲ではなぜか日本のピカレスク・オブ・ブレーメンの初期のころのアルバムを思い出したり……ていう自分は変でしょうか?

ともかく、なんだか聴いててとても気持ちのいい、解放される感じの音楽なんです。アコースティックな演奏がやわやわと魂を包み込んで、空中へといざなってくれるような、そんな感じ。なんだかぜんぜんわかりませんね、これじゃ。Claudio Rocchiの「Volo magico」とかを「気持ちいい!」と感じる人なら、きっとこのアルバムも好きになるんじゃないかしらん。

しかし、Andrea Tichはカンタウトーレなんですよね。つまり、シンガーでもあるわけですよね。なのに、このアルバムを聴いてても「ヴォーカル」の印象がぜんぜん残らない。Claudioは歌声にクセがあるので、けっこう曲のなかでもヴォーカルが主張しますが、Andreaの歌声は演奏と同化してて、演奏のなかでふわふわと漂っているような印象です。こうして「ヴォーカルも含めた曲全体」が浮遊してる感じが、なんだかとっても気持ちいいです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/06/17

お箸のほうがよろしいんでしたっけ?

っていわれたの。会社のそばのファミリーマートで。お昼にイタリア風パスタサラ(そんな名前だったか?)を買ったとき。

2週間くらい前だったか、このファミリーマートで冷製パスタを買ったのですよ、お昼に。お弁当のパスタを買うと、どこのコンビニもプラスティックのフォークをつけてくれるんだけど、あれ、食べづらいんだよね。つるつるすべっちゃってさ。だから、フォークじゃなくて、箸にしてくれますか? って頼んで箸にしてもらったことがあるの。1回。

で、今日のパスタサラ。普通だとパスタだしサラダだからなにもいわずにフォークがつけられるところなんだけど、レジのお姉さんがおもむろにいったんですよ。箸のほうに手を伸ばしながら、「お箸のほうがよろしいんでしたっけ」。

この姉さんに「箸にして」って頼んだのは、何週間か前の1回だぜ。でも、覚えてたんだな、この人。こういうの、すごいよなぁ。マニュアルにはない対応だろ、これって。マインドだよなぁ。いいよ、あなた!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

IRENE GRANDI / VERDEROSSOEBLU

Carmen Consoli(カルメン・コンソリ)やGiorgia(ジォルジァ)などと一緒に「新世代の歌姫」などと呼ばれていたのは、もう何年か前のことになりますね。その間にIrene Grandi(イレーネ・グランディ)も30歳を超え(たんだっけ?)、すっかり中堅どころになってきました。

この人の歌声って、魅力的だと思うんですよ。元気があって、力強くて、迫力もあって、でも乾いた明るさもある。アメリカン・ロックとユーロピアン・ロックの双方のいいところが上手に交じり合ったような、そんな印象があります。

だからね、曲自体に魅力が乏しいのが、ちょっと残念なんです。曲さえ魅力的なものを与えられれば、それを上手に歌い上げて聴き手の心をつかむことができるのに。2000年のサンレモ音楽祭参加曲の「La tua ragazza sempre」なんて、よかったですよね。

Ireneは自分でも少しは曲づくりに関わるようですが、もっともっと勉強して、もっと魅力的なメロディを自分で書けるようなれれば、彼女のアルバム自体の魅力ももっと上がりそうに思います。

というわけで、このアルバムも全体に「魅力的なメロディを持った曲」が少ないです。彼女のヴォーカル・スタイルだと、もっとスピード感のあるストレートなロック系の曲のほうがあうと思うんですが、もっと大人びた線を狙ってるのかな。

リズム・セクションの演奏・録音がかなり重く、これはなかなか自分の好みです。せっかくヘヴィで粘っこいリズムを持ってるんだから、それに耐えられるようなヘヴィな感じの曲をもっと増やしてもよかったかもしれません。M1「Eccezionale」なんて、かなりかっこいいと思います。メロディもキャッチーだし。この曲、Carmen Consoliぽくないですか? Carmenが歌ったら、さらによくなりそう。

Ireneのアルバムは、これを含めて2枚ほどもっているのですが、何曲かはいいメロディを持った曲があり、部分部分にも魅力を感じるのだけど、その割合がけっこう低い(あくまでも自分の個人的な好みに対して、ですよ)ので、いつも「ちょっと残念だよなぁ、もっと魅力的になる潜在能力はあるだろうに」と思ってしまうのでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/06/16

MASSIMO DI CATALDO / IL MIO TEMPO

気がつくと、いつのまにか中堅カンタウトーレになっていたMassimo Di Cataldo(マッシモ・ディ・カタルド)のベスト盤。新曲が2曲収録されているらしいのですが、いま手元にトラック・リストがないし、自分は彼のオリジナル盤を1枚しか持っていないので、どれが新曲なのかわかりません。

Massimoに限ったことではありませんが、ベスト盤って、基本的に退屈です。「ベスト」というくらいだから、個々の曲はどれもクオリティの高い曲、キャッチーでシングル向きな曲が集められているのでしょうが、そういう曲を集めた結果、同じようなクオリティ、同じような傾向の曲ばかりが収録されてしまい、CDトータルとして聴いたときに飽きてきちゃうことがしばしばです。これがオリジナル・アルバムだったら、途中でわざと「はずす曲」を入れたり「遊ぶ曲」を入れたり「つなぎの小曲」を入れたりなどして、アルバム全体としてのリズムや抑揚をつけることができるのですが、ベスト盤ではそういった曲はカットされちゃいますからね。ベスト盤に限らず、アルバムは「シングル(にもできる)曲の集合体」と考えている(のだろう)最近のアーティストのアルバムも、ずっと聴いてるとやはり退屈。そういう意味では、否定的な意味でむかしよく使われていた「捨て曲」というのも、じつは必要なのかもしれません。

で、MassimoのこのCDですが、個々の曲はまぁまぁいいです。でも、すごくいいというわけではなく、アヴェレージ。普通です。Massimoのヴォーカルも、まぁまぁうまいんだけど、個性があまりありません。普通です。結果として、曲も歌も「普通にきれいでいいんじゃない」という感じになってます。

この「普通」さが、かなりの弱点だと感じます。いま手元にクレジットがないので確認できませんが、聴いた感じでは、M5ではEros Ramazzotti(エロス・ラマッゾッティ)、M6ではRenato Zero(レナート・ゼロ)が参加して、Massimoとデュエットしていると思います。Massimoにとって残念なのは、Erosの声が入ると、その曲はErosの曲に聞こえてしまうこと。Renatoのヴォーカルが入ると、その曲はRenatoのものに聞こえてしまうこと。ErosやRenatoがソロでヴォーカルをとってるパートだけでなく、Massimoのヴォーカルとかぶさっているときでさえ、Massimoの曲じゃないように聞こえてしまうんです。

相手がErosにRenatoと、イタリアン・シンガーのなかでもとくにヴォーカルに個性がある人だからということもありますが、それでも、自分でつくって自分がメインで歌っている曲なのに、ちょっと参加してるだけの彼らに全部持ってかれちゃうような印象を与える(少なくとも自分にはそう感じられた)ってのは、カンタウトーレとしてはかなりきついと思います。曲にも歌声にも個性がなさすぎなんですよ。

いいものは持ってます。平均点はラクにクリアしています。あとは、もっと「Massimoならでは」といった部分があればなぁと、自分としては残念に思うシンガーなんですよね、彼。ま、そういった個性(=クセ)がないところが、聴きやすくていい、評価できるっていう考え方もあるのではありますが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/06/15

FRANCOISE HARDI / MA JEUNESSE FOUT KE CAMP


邦題は『もう森へなんかいかない』でしたっけ? アルバム・タイトル曲であるM1の、フランスでしかありえないといってよいであろう哀しみと哀愁と叙情に満ちた美しさは、いま聴いてもやはり胸にしみます。

Francoise Hardi(フランソワーズ・アルディ)って、日本では「アンニュイ」っていう言葉で表現されることが多いように思うんですが(いまはもういわないのかな)、それってなんか違う気がします。Francoise=フランス人=パリ=「パリのアンニュイ」みたいな連想からきたのかなぁ。そういえばデビュー当時の桃井かおりさんも「アンニュイ女優」といわれてましたね。映画のタイトルは『もう頬づえなんかつかない』でしたっけ? このアルバムタイトルと似てますが、なにか関連があったのだろうか。

それはともかく、このアルバムで聴かれるFrancoiseの歌は、M1では美しい哀しみ、引き裂かれたような淋しさに満ちていますが、他の曲は、じつはけっこう明るい印象です。M3「Point」なんて、能天気なフレーズで「ぽわ~ん」とか歌ってますし。

でも、どんな曲を歌っても、そこはかとない哀愁がただよってしまうのは、語り的要素の強いフランス語で歌われているからだろうし、Francoiseのちょっとウィスパー気味の歌い方のためでもあるでしょう。

ガットギターやオーケストラの使い方もツボを押さえていて、Francoiseの歌声を邪魔することなく、味わいを深めています。M8「Si mi caballero」ではむせび泣くようなハモンド・オルガンがヴォーカルのうしろで静かに響き、涙をそそります。

Francoiseのアルバムは数枚しか聴いたことがないのですが、なかでもやはり、このアルバムは名盤だと思います。いまではさまざまなフランスの情報が日本にも入ってきて、フランスという国についての印象は人それぞれなのだと思いますが、そうなる以前、まだヨーロッパに旅行するにはロシア(当時はソ連)を避けてアンカレッジ経由で24時間近くかけて行くしかなかったころ、ヨーロッパに1週間旅行するには100万円以上の費用が必要といわれていたころ、海外旅行自体が日本人にとって大イベントだったころに、多くの日本人がフランス(=パリ?)に対して抱いたイメージ、憧れの国の雰囲気を、存分に感じさせてくれるアルバムだし、シンガーなのではないかと思います。

そういえば、4年くらい前に日本に来たフランス人の学生さんが、Francoiseのアルバムが日本でたくさん売られていて驚いたといってました。本国ではもう過去の人になっているみたいですね。

| | コメント (1) | トラックバック (2)

2004/06/14

カルパッチョにグレープフルーツ

今日のお昼は、会社のそばにある行きつけのリストランテ・イタリアーナ「ステファノ」でコースを食べたのだわ。ここのシェフのファストロ・ステファノさんとも、カメリエーレのカトーさんとも、すっかり顔なじみになってしまった。

アンティ・パストは真鯛のカルパッチョ。これになんと、グレープフルーツが載ってるの。カルパッチョといえば普通はレモンだよね。グレープフルーツってのはびっくり。ちょっと甘くて、さわやかな酸味があって、身のしまった鯛とおいしく食べられたのだわ。

プリモ・ピアットはくるみとアサリのパスタ。アサリのパスタ(スパゲッティ・アッレ・ボンゴレ)はどこでもあるけど、くるみが入ってるのってめずらしくない? くるみの甘くて香ばしい風味と、ぷっくりとしたアサリが、ふわぁってオイル・ソースであえてあって、これまたおいしゅうございます。

セコンド・ピアットは仔牛のグリル・ツナソース。ローストビーフ状にじんわりと火を通した仔牛は、なかはピンクでふわっとやわらかくて、甘くてジューシー。そこにツナでつくったソースがかかってる。こういう料理、あんまり見たことがないんだけど。肉に魚のソースだよ。でも、魚臭さはぜんぜんなくて、とってもいい風味が仔牛の甘みとよくあってる。このソース、ヴェネツィアで食べたチケッティのペーストにちょっと似てるかな。

どれも、はじめて食べるような料理法ばかり。シェフのステファノさんはヴェネト州トレヴィーゾの出身なんだけど、ヴェネトの料理法なのかなぁ。

こんなおいしい料理があるのに、ワインを飲まないわけにはいかない。というわけで、昼だけど、グラスワインを1杯だけいただきました。ヴェネトなので、ここは無難にソアーヴェでね。もちろん、会社の人にはナイショ。

あぁ、おいしかったわぁ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Teresa De Sio

Teresa De Sio(テレーザ・デ・シオ)は、ナポリの歌姫でしたっけ? シチリアだったかな。いずれにしても、南イタリア出身の女性シンガーですね。たしか、Mauro Pagani(マウロ・パガーニ)のファースト・アルバムやEmilio Locurcio(エミリオ・ロクルチオ)のポップ・オペラ『L' Eliogabalo』にも参加してて、独特のエキゾティックな歌声を聞かせてくれていたはず。

で、このアルバム。Teresaの名前がそのままアルバム・タイトルになっていますが、デビュー作ではなく、1982年のセカンド・アルバムです。

じつは自分、Teresaのアルバムってほとんど聴いたことがなくて、彼女に対する印象は、MauroやEmilioの作品など、彼女が参加した別のアルバムからのもののほうが強かったんですよ。なので、もっと地中海風、民族音楽風かなと思ってたんですけど、思ってたより、というか、かなりこのアルバムはポップです。Sheena Easton(シーナ・イーストン)かよってくらいに、明るくてやわらかでポップなメロディがあふれてます。

でも、Teresaの歌声は、やっぱり独特なんですね。曲調やメロディ、アレンジは英米のポップ・ミュージックとそれほど大きく違わないのだけど、Teresaの細かく震える歌声には、やっぱり南イタリアの香りが色濃く漂っています。Teresaのビブラートにあわせるように細かいビブラートをかぶせるハーモニカなんていうにくいアレンジもあり、センスのよさをうかがわせます。

アルバム全体としてはポップすぎて、個人的な好みとは少し違うのですが、Teresaはやっぱり味わいのあるシンガーだなと思います。また、個性的な彼女のヴォーカルを活かすのは、こういった曲調ではなく、やはりもう少しエキゾティックな、エスニックな、トラディショナルな雰囲気を持った曲なんだろうなとも思うのでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/06/13

パスタをもっとも美味しく食べるには

思ったんですけどね、美味しい麺を、美味しい塩をたっぷり入れてしっかり塩味をつけたたっぷりのお湯でゆでて、茹で上がったらすぐに中部イタリア産の青草の香りのする美味しいオリーブオイルをささっとあえて食べる……これがいちばん美味しいんじゃないかしらん。シンプルがいちばん!

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2004/06/11

『ユーロ・プログレッシヴ・ロック』発売されてました

シンコーミュージックのディスク・ガイド・シリーズ『ユーロ・プログレッシヴ・ロック』が発売されました。昨日の仕事帰りに書店で見つけました。まだなかをほとんど見てないんだけど、イタリアン・プログレッシヴを中心に、東欧のものまである程度フォローしてあって、かなりいい感じ。マーキーの『~集成」シリーズがほとんど手に入らないいま、これはなかなか貴重ですね。しかも、紹介されているのはどれも「CD化されたもの」らしいです(現在も流通しているかどうかは別にして)。そのあたりもうれしいです。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

BARCLAY JAMES HARVEST / OCTOBERON

うちにあるこのアルバム、CDじゃなくて、古い輸入盤LPなんですよ。20年くらい前に中古で安く買ったんだったかな。なので、盤の状態とか、あまりよくないんです。プチプチいうノイズがけっこうたくさん入ってる。でも、このプチプチいう音が、それほどいやじゃないというか、Barclay James Harvest(バークレイ・ジェームス・ハーヴェスト)のこのアルバムでは、雰囲気をつくるのにかえって役立っているような、そんな印象すら受けてしまいます。CDのクリアな音しか聴いたことのない若い世代の人たちには、こういう感覚って、わかりにくいだろうな。

まだ輸入盤店や中古盤店が一般的でなく、一部のコアなファンが行くような店だったころ、日本盤がリリースされていないアルバムやアーティストを、数少ない情報を頼りにマンションの一室でやっているような店に探しに行き、棚を端から探し回ったあのころを思い出します。ちょっとかび臭さが混じったビニールの匂い。BJHのこのアルバムには、あのころの、「音楽が音楽ファンの宝物」だったころの匂いがするんです。いまのように「みんなの大衆消費財」じゃないころの匂い。

イギリスの田園風景を思わせるような牧歌的な香り、ゆったりとしたあたたかなメロディ、美しくやわらかなオーケストレーション。ときにロック風のギターも入るけれど、基本は典型的なシンフォニック・ロックでしょう。いまではほとんどみることのできない「ヘヴィ・メタルの洗礼を受けていない」グループ(古いグループだから当然ですが)。M2「May Day」などでは男声・女声のコーラスも入るのですが、それがクワイア(声楽的な合唱)になるのではなく、中学校の合唱部がうたうような、とっても世俗的なコーラスになっているのも好ましいです。

演奏もけっしてうまくないし、難しいこともやっていない。大仕掛けな構成や展開があるわけでもない。そういった見かけ上のものではなく、もっと根源的な「ハート」のあたたかさを大事に大事に表現しているような、そんなアルバムだと思います。全体にどこかふわふわと漂うような浮遊感があり、聴き手の心を殺伐とした現代から救い出し、桃源郷へといざなってくれるような、そんな印象を受けます。強い刺激を求める人にはおもしろみのない音楽でしょうが、こういう音楽って、必要なんですよね。そういうときが必ずあると思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/06/10

I CALIFFI / FIORE DI METALLO

なんか、あんまり話題にならないグループですよね、I Califfi(イ・カリッフィ)。まぁ、アルバムを聴くと、話題にならなくてもしかたないかなという感じもするんですが。とくに日本では(本国イタリアでも?)、プログレッシヴ・ロックのジャンルで扱われるグループですが、プログレっぽさが希薄というか、けっこう普通のロック。だから、バリバリのプログレッシヴ・ファンにはウケが悪そうです。

曲によっては大幅なパイプ・オルガンの導入とかもあるんですよ。でも、そのパイプ・オルガンが、あんまり壮大には響かない。Jacula(ヤクラ)ほど爆発しなくてもいいけど、せっかくのパイプ・オルガンですからね、Hunka Munka(フンカ・ムンカ)くらいには壮大さを出してほしい。それと、パイプ・オルガンでの細かなコード・ストロークってのは、ちょっと無理があるんじゃないってパートもあります。

でも、彼らの基本って、おそらくポップス・グループなんでしょうね。いや、ロック・グループなのかな。そのへんのスタンスの曖昧さが、もうひとつ人気があがりにくい要因かもしれません。La Bottega dell'arte(ボッテガ・デッラルテ)とかのようなプログレ風味のポップス・グループぽさを出しながらも、ヴォーカルはあまり感情が乗らないような処理をしてるのも不思議。

聴いてて思ったんですが、このアルバムの印象って、初期のアート・ロックと呼ばれていたころのDeep Purple(ディープ・パープル)に近いところがあるんではないかなと。思わず「Hushかよ!?」って思ってしまう曲もあるし。ポップスあり、ロックあり、プログレ風ありと、けっこうとっちらかった曲調にもかかわらず、それでもあまりばらばらな印象にならないのは、ヴォーカルに意外と求心力があるからなのかなぁ。

イタリア好きの自分としては、けっこう楽しんで聴けるアルバムでしたが、イタリア初心者やプログレ初心者にはあまりおすすめしません。ほかにもっといいアルバムがたくさんあるはずだから、まずはそっちを聴いてからね。イタリアのさまざまなポップ・ミュージックになじんだあとに聴けば、こういうアルバムも「愛らしくて素敵」と思えるようになるはずです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/06/09

ビッグマック200円

いつから始まって、いつに終わるのか知りませんが、ともかくいまは、ビッグマックが1個200円です。創業当時の価格らしい。

自分は、マクドナルドはけっこう好きなんですが、ビッグマックはそれほどでもありません。ほとんど食べない。でも、安くなってたから、ひさしぶりに買ってみました。

やっぱね、これ、バランスが悪いと思うんですよ。パンに対して、ハンバーグの主張が弱すぎ。あんまり「ハンバーガー食ったぞっ!」って気がしないんだよなぁ、パテが2枚も入ってるのに。

マックってもともと、パテの味が弱いですよね。自分は以前にあったダブルバーガーが好きだったんですが、あれはパテ2枚以外に余計なものが入ってなくて、とっても「ハンバーガー食ったぞっ!」て感じがしたからなんですよ。いまはたしか、もうないんだよね?

ダブルチーズバーガーはあるけれど、あれ、チーズにパテが負けてる。ダブルでそうなんだから、普通のチーズバーガーなんてチーズの味しかしない。もっと肉っ肉って感じを出してくれ。ビッグマックも、真ん中のバンズはいらんから、パテ2枚+野菜でつくってくれ。ほんと、あの真ん中のバンズが余計だわ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/06/08

テンションあげていこーっ!

このあいだ観た映画『ロスト・イン・トランスレーション』で、CMの撮影スタッフ(テレビ屋さん)が外国人の出演者に対して、やたらと「テンションあげて」って注文してたんですよ。もちろん、日本語で。で、日本語のわからない外国人俳優は、すっごく微妙な顔をしてるわけ。日本語はわからないけど、テンション(Tension)っていう英単語は聞き取れるんですよね、きっと。

最近では頻繁に日本で使われてる「テンションあげていこう」。なんだかよくわからないことばですよね。緊張していこう? 張り詰めていこう? おそらく“日本語”の「テンションあげて」は「気持ちを高めて」っていう意味なんだろうけど、英語のTensionにそんな意味はあるんだろうか。と思ってジーニアスで調べたけど、ありませんね。

あの映画、日本語を英語に訳す通訳のいいかげんな仕事とか、英語が日本語になる際の意味の失われ方、その他もろもろの「外国人(異邦人)と日本の間」で起きるロスト・イン・トランスレーション(翻訳の際に失われるもの)がテーマで、そこには言葉だけではなく気持ち・心なんかも含まれるんだけど、やっぱり視点が外国人(英語ネイティブな人たち)からのものなんですよね。英語に堪能でない自分なんかは、登場人物の日本人が使う「テンションあげて」とかには、それほど違和感を感じず、そのまま受け止めちゃう。でも英語ネイティブの人には、やたらと「テンションテンション」いう日本人自体が不思議なものに見えるのだろうな。こいつら、なにいってんだろみたいな。そのへんの「外国人が感じる違和感」みたいなものは、字幕じゃわからないし、違和感を撒き散らしてる日本人の側にいる日本人にも感じにくいものなんだろうと思います。

この映画を観て、ほんと、英語がもっとわかればなぁと思った自分でした。
ちなみに、最近では「テンション」というけれど、自分がすっごく小さかったころ(30年くらい前)のお兄さん・おじさんたちは、「ヴォルテージをあげていこう!」ってよくいってましたよね。電圧をあげる? これもよくわからん表現だ。気持ちはわかるけど。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2004/06/07

It Bites "The It Bites Album"

プログレッシヴ・ロックのファンのあいだで妙に評価の高いIt Bites(イット・バイツ)。でも、自分には彼らの魅力がよくわからないです。

たしかにね、すごくうまいんですよ、演奏が。むちゃむちゃテクニカルで複雑なことをやってるんだけど、さっと聴いた感じではそんなことをぜんぜん思わせない、必死さとかはまったく無縁の、すごくナチュラルかつ楽しげに演奏してる。そういったところがプログレッシヴのファンとかには受けるんだろうな。

自分も、もともとはプログレッシヴ・ロックのファンです。いまもけっこう好きです。でも、自分はプログレッシヴ・ロックそのものよりも、初期のころのイギリスのプログレッシヴ・ロック・グループ、King Crimson(キング・クリムゾン)だとかGenesis(ジェネシス)だとかPink Floyd(ピンク・フロイド)だとかが持っていた「雰囲気」が好きなんですよね。そのむかしにプログレの三重苦といわれた「重い・暗い・長い」が好きだったし、クラシック・ミュージックへのコンプレックス(?)からくる大仰な構成と美しいメロディにアンサンブル、無理やり・強引な展開によるドラマ性、その背後に見える強烈なイギリスやヨーロッパの匂いが好きで、そういう匂いや雰囲気を持った音楽を探したら、プログレッシヴ・ロックに多かった、くらいの感覚なんです。

その点でいうと、It Bitesにはそういう匂いが希薄です。あまりにうますぎる演奏、破綻のない構成、流れるような展開――すべてがあまりにスタイリッシュでソフィスティケイトされてる。一見スマートだけど細かいところに職人の技が見えるという点で評価される、玄人ウケ、通ウケのするグループなんだろうとは思いますが、自分としてはもっとベタな「ドラマティックさ」を望んじゃうわけでして、だったらIt BitesよりもカナダのTriumph(トライアンフ)とか北欧メタルなどのほうがより「自分の好きなプログレッシヴ・ロックの雰囲気」を持ってると感じてしまうわけです。

すっごくうまいグループなんだけど、曲やメロディに魅力を感じない。多くのプログレッシヴ・ファンのみなさんが高い評価をしているのに申し訳ないんだけど、ちょっと自分の好みとは方向性や考え方が違うグループなのでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/06/06

美しきものの伝説

舞台作品としては有名な芝居だそうです。大正デモクラシーの時代を舞台に、思想や芸術のために魂を、命を、全人生を傾けた若者たち(=美しき者たち)を描く青春群像劇。初演が1968年で、有名な脚本なので、これまでにあまたの劇団が舞台にかけているそうですが、自分が観てきたのはA・M・D企画というセミ・プロ(アマチュア?)演劇プロデュース集団のものです。知り合いの役者さんが出てるんで。場所は赤坂のシアターVアカサカでした。

えっとですね、自分は社会科系がすごく弱いんです。地理とか歴史とかって、なんだかぜんぜんわからない。学生時代にちっとも興味を持てなくて勉強しなかったものだから、ぜんぜん知識がないのですわ。大人になってからも勉強してないし。で、このお芝居なんですが、おそらく明治から大正にかけてくらいの日本史、社会情勢や政治情勢等の知識がないと、かなり楽しむのが難しいと思います。実際、自分は観てて、よくわからんかった。ボリシェビキってなんだったっけ? むか~しに学校の教科書で見たことがある言葉な気がするんだけど。

若者による社会主義活動だとか、それに対する国の弾圧だとか、ロシア革命の影響だとか、なんだかどれもこれも「遠い世界のお話」で、それに対して自分がどういうふうに感情移入したり、反応したりすればいいのか、わからないんですよ。登場人物はみんな、その時代になにがしかの足跡を残した実在の人物なのだそうですけど、そんなこといわれても、みんな知らない人たちばっかりだもん。

それにね、いっちゃ悪いんだけど、やっぱり演技がねぇ、あまり上手ではないのよ。というか、みなさん、カツゼツが悪いですわ。とくに主役の大杉栄をやった人(劇団しゃばだば座の座長だぜ)、ほとんどなにいってるかわからん。まずいだろ、それじゃ。ちなみに、知り合いの役者さんもあまりカツゼツがよいほうではないのですが、声がいいのだわ、彼は。それに今回はあんまりセリフも多くなかったし、よかったよかった。

それはともかく、芸術座の主宰者をやった役者さん以外は、みなさん微妙なお芝居&台詞回しで、困っちゃったなぁという感じです。あ、芸術座の音楽担当(作曲家)さんをやった役者さんは、なかなかよかったな。あと、女給&女優の役で女優さんが3人出てたのですが、そのなかの一人がめっちゃかわいかった。飯島直子さんの若かったころを思い出させるような笑顔が素敵で、他の出演女優さんたちとはちょっと違ったたたずまいを持ってる。と思って調べたら、この人、レースクイーンで、グラビアアイドルで、写真集3冊にDVDも出てる人だったのね。なるほど。この娘を含め、女優さんたちはみんな、けっこうがんばってたな。もうひとりの主役である野枝さんを演じた女優さんも上手だったし。こういった小さな劇団さんは比較的どこも女優さんのほうが男優さんよりもうまい傾向がありますね。

途中で10分の休憩を挟んで、上映時間が3時間弱と長いのだけど、脚本自体は悪くないと思うんですよ。何の話だかわけわからんってところはあるけれど、それは観る側の知識・情報の不足による「入り込めなさ」が原因で、ストーリー自体は破綻がないし、密度も濃い。いかにも芸術が熱かったころの芝居らしい芝居なんでしょう。でも、その芝居のコアとなってる社会主義や無政府主義への渇望、歌舞伎とは違う新しい大衆芸術への欲求といった精神的な背景がね、いまの時代にはぜんぜんぴんとこないと思うんです。政府による言論統制とかもね。観客がみんな、そういった時代や状況についての知識や実感がある人なら、脚本だけでもなんとか舞台につなぎとめていけるかもしれないけど、そうでない自分にとっては、やはり「演技」「芝居」の部分、つまり動きや台詞回し、そして「間」のうまさといった部分でひきつけてもらわないと、コアとなる話=脚本だけでは、3時間弱はちょっときついです。

今回の出演者さんたちには申し訳ないけど、この舞台を誰かもっと演技力のある役者さんたちの配役で観ていたら、わからないなりにも、もう少し時代の空気やそこに生きる人たちの魂のようなものが伝わってきたんじゃないかなぁと、そんなふうに思うのでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

蒸し暑いときにスッキリ

うちは1年中、サン・ペレグリーノを常備してるんですよ。前は750ミリのビン入りを買ってたんだけど、最近はずっと500ミリのペットボトルだな。安いし、炭酸が抜ける前に飲みきれるし。そのボトルをね、ケースで買って、いつも1~2本、冷蔵庫に入れてる。在庫が少なくなってきたら、またケースで買ってって。

前はね、コーラとか果汁100パーセントのジュースとか、あるいは麦茶とかも冷蔵庫にあったんだけど、けっきょく、のどが渇いてるときにきちんとのどの渇きを癒してくれる、そんでもっておいしい、食事のときにも料理と合わせられるものって、炭酸入りのミネラルウォーターなんだよな。で、個人的にペリエやスルジーヴァよりもサン・ペレのほうがおいしいと思うので、ずっとサン・ペレです。

とくに最近のように蒸し暑くなってくると、サン・ペレは最適です。ごくごく飲んじゃいます。そして最近、さらに暑い日にスッキリできる飲み方を発見したのだ。

グラスにね、ほんのちょっとワイン・ヴィネガーを入れて、そこにサン・ペレをどばどば入れて飲むの。これがうまいんだ。個人的には酸味の強いフランス産ではなく、やさしい酸味のイタリア産赤ワイン・ヴィネガーがおいしいです。ヴィネガーの酸味と香りが炭酸と溶け合って、とってもスッキリさっぱり飲めます。レモンを絞るのもいいけど、ヴィネガーのほうがあと味がさっぱりしてる気がする。酢は体にもいいはずだし、ミネラル分も採れるし、夏におすすめ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/06/04

ドーン・オブ・ザ・デッド

観てきましたよ、『ドーン・オブ・ザ・デッド』。事前情報で、ゾンビが走って追いかけてくるのがおかしいということを聞いてたんですが、ほんと、おかしい。だって、ゾンビですよ。死んでるんですよ。なのに、走って追いかけてくるの。それも、全速力で。もう、爆笑しそうでしたよ。

特殊メイクとかはね、よくできてたんじゃないかと思います。ショットガンで頭が半分吹っ飛ぶところとか。しかし、ゾンビという別の物体(生き物じゃないですよね? 死んでるんだから。でも、頭を打たれると死ぬ?のはなぜ???)とはいえ、人のかたちをしたものを、ゲームのように屋上から狙撃して楽しんでるシーンは、あまりいい気分がしませんね。むかしむかし、ヨーロッパの貴族が森に奴隷を放ち、馬で追って矢で射ったフォックス・ハンティング(狐狩り)ゲームとか思い出しちゃいます。ほんのちょっとのことで「こいつは人間じゃない、狐だ」って思って、人型のものを楽しんで撃ち殺せる。人間ってやっぱり罪深いのかしらん。だからゾンビになっちゃうのね。

ちなみにゾンビってのは、もともとはブードゥー教(だったよな)の処刑方法だそうです。ただ殺すだけでは飽き足らない極悪人を、1回殺して魂を奪ったのちに、ゾンビパウダーという特殊な調合役を飲ませるだか塗りつけるだかして生き返らせ、以後は魂のない生ける屍としてずっとこき使うっていうものなんだとか。しかしそれがヨーロッパなどのキリスト教国に渡ると、最後の審判の日に、すべての死者が生き返り、善き人と悪しき人を神が分かち、善き人は天(神の国)へ召され、悪しき人は苦しみの地に残される(てなことでしたよね?)っていう聖書の話へとリンクされちゃうんだろうな。ゾンビはみんな、けっきょく悪しき人?

そういえば、映画のなかに出てくる犬。チップスという名前でしたっけ? あの犬、ぜったいゾンビを呼んでるよね。あいつが吠えるとゾンビがわらわらとやってくる。犬(Dog)は神(God)のスペルをさかさまにしたものなので、悪魔の使いといった意味合いを持たせられることがあるらしい。今回のチップスは、きっとそういう役割なんだろう。

ジョージ・A・ロメロのオリジナルを観たのはもうずいぶんむかしなので、どんなストーリーだったか覚えてないんだけど、このリメイクは、大枠で踏襲されてるんだろうか? なぜゾンビが大量発生したかという原因もわからず、この騒動がどう収束するのか(もしくはしないのか)といったことも描かれず、なんだかわけもわからないままに混沌として終わるっていうのは、気分はよくないけど、このいや~な感じがいいね。救いがない映画って、そんなに嫌いじゃないんです。

しかし、やっぱゾンビはゆらゆらと追っかけてくるほうが怖いぞ。ゆらゆらで足が遅いのに、逃げ切れないってほうが。追っかけてくるゾンビよりも、ゾンビが打たれて頭が吹っ飛ぶシーンよりも、逃げるおっちゃんがクルマの中で誤ってチェーンソーで一緒に逃げる姉ちゃんを切り殺してしまうシーンのほうが、なんか怖かった。チェーンソー、痛そうだった。『テキサス・チェーンソー』よりも、あの姉ちゃんが切られるシーンのほうがきつかったわ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Gianfranco Manfredi "Zombie di tutto il mondo unitevi!"

この人のこと、自分はぜんぜん知らないんですけどね、Gli indimenticabiliシリーズの再発は安いし、内容もいいものが多いし、ジャケット・アートも変で気になるしってことで買ってみました。そしたら、なにげに曲作りやアレンジでClaudio Fabi(クラウディオ・ファビ)やRoberto Colombo(ロベルト・コロンボ)とかが関わってて、なかなかおもしろい作品になってます。ヴァイオリンでLucio Fabbri(ルーチォ・ファッブリ)とMauro Pagani(マウロ・パガーニ)も参加してるし、PFM人脈の中に入る人なのかな。

都会と未開地、現代と原始時代、地球人と宇宙人(?)――そんなものが入り乱れたようなイメージのジャケットは、怪しさ満載です。でも曲のほうはそれほど怪しいことはありません。インディーズ系フォーク・ロックっぽい感じですが、そのなかに地中海風味があったり、泥臭いフォークがあったり、古い時代のヨーロッパの街角楽師を思わせるようなノスタルジックな曲があったり。そんな感じでいろんなタイプの曲が入り乱れているところは、ジャケットの混沌とした印象とあっているかもしれません。

でも、それが変にプログレッシヴとかアートっぽいとかいうことはなく、全体に聴きやすいと感じるのは、Gianfranco Manfredi(ジァンフランコ・マンフレディ)のヴォーカルが、なんだか田舎臭くて垢抜けてないからかな。ちょっとにごった感じの声だけど、なんか、人がよさそうなんですよ。この声が意外と求心力があって、どんなタイプの曲でもGianfrancoのものにしてるんでしょうね。

なかなかにおもしろいアルバムでした。新品で5ユーロという値づけ以上の楽しみがありますね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/06/03

Antonello Venditti "Antonello nel paese delle meraviglie"

ゆうなれば、Antonello Venditti(アントネッロ・ヴェンディッティ)のベスト盤みたいなものです。ただ、普通のベスト盤と違うのは、全曲がアレンジ違いで再録音されていること。しかも、全曲を通してバックにブルガリアン・シンフォニー・オーケストラがつき、コーラス隊が入り、シンフォニック・アレンジがされてます。

……って、ここまで書くと、もう間違いなく自分の大好きな“ツボ”です。フルオーケストラにコーラス隊。合唱ポップス・ファンの自分にはたまらないはずなんですが、じつはそれほど燃えないのよねぇ、聴いてても。

なんかね、このオーケストラ、音色に艶がないんですよ。東欧のオーケストラってそういう傾向が多いようなんですが、つややかでしなやかというよりは、ちょっとざらついた音色で「ひなびた感じ」がそこはかとなく漂っちゃう。ヨーロッパの歴史と伝統をまとった重厚で深遠な、かつ華麗な感じがね、あんまり感じられない。

さらにね、このオーケストラのアレンジは、どうなんでしょ? どうも落ち着きがないというか、いろいろと音やフレーズを出しすぎというか、そんな感じ。オーケストラの担当をしたの、いったい誰だよ!? と思ってみてみたら、Renato Serio(レナート・セリオ)だからなぁ。クラシカルなアレンジが上手な人なのになぁ。

オーケストラの音色とアレンジがもうひとつ自分の好みにはまらないのが、いまひとつ聴いてて燃えられない理由の大きな要素ではあるのですが、もっと根本的な部分でいうと、Antonelloの曲って、こういったオーケストラ・アレンジにもともと向いてないような気がします。Antonelloの曲自体は、自分は嫌いじゃないんですけど、オーケストラにしちゃだめなんだろうな。クラシカル・ミュージック的な要素が少ないんでしょうね。だから、せっかくコーラス隊が入って美しい合唱を聞かせてくれているのに、そこに声楽的な、あるいは賛美歌的な、精神の高揚といったものが感じられない。一生懸命オーケストラが鳴っているのに、クラシックというよりは安い劇伴風になっちゃう。そして致命的なのは、オーケストラの音色と演奏が、Antonelloのヴォーカルおよび曲と融合していない。それぞれがバラバラに、ときにはぶつかってしまっているように聞こえるんですよ。

ま、これはこれで楽しめはするんですが、たとえばRenato Zero(レナート・ゼロ)の最近の作品とか、Amedeo Minghi(アメデオ・ミンギ)のライヴ盤とかとくらべると、オーケストラの“輝き方”“生き方”がぜんぜん違うなぁと。Antonelloは変にオーケストラへの色気なんて出さないで、普通にポップ・ミュージックのアレンジでやってたほうが、おたがいにとっていいんじゃないかなぁと、そんなふうに思ったのでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/06/02

Amedeo Minghi

Amedeo Minghi(アメデオ・ミンギ)のファースト・アルバムがやっとCD再発されました。プログレッシヴ・ロックからイタリアン・カンタウトーレに入ってきたファンにとっては、Amedoのアルバムのなかでも、『Cuori di pace』『La nuvole e la rosa』とならんで、もっとも興味をそそられていた作品でしょうね。マーキーの『イタリアン・ロック集成』に取り上げられていたのは、この3枚だけですから。インターネットが普及する以前は、マーキーのこの本はほんとに貴重な資料でしたね。

個人的な意見としては、Amedeoの最高傑作は『I ricordi del cuore』だと思っています。プログレ的見地からも、イタリアン・ポップ・ミュージック的見地からも、彼の作品のなかでもっとも密度が濃くてクオリティの高いアルバムですね。それまでの作品は、ここへと至る過程であり、これ以降の作品は、これを基盤にイージーな方向にヴァリエーションを広げていった(なんていうとコアなファンの方に怒られそう)という印象があります。

ただ、一貫して、AmedeoのアルバムにはAmedeoらしいフレーズが必ずあり、Amedeoらしいオーケストラ・アレンジがあり、けっきょくのところ、この人の基本的な音楽性はむかしから変わってないんだなと、そう思っているのですが……。

このデビューアルバムがリリースされたのは1973年。そのあとに兵役に行ってたかなんかで、活動期間にちょっとブランクがあるんですね。セカンド・アルバムの『Minghi』リリースは7年後の、1980年のことでした。このセカンド以降のアルバムはずいぶん前からすべてCD再発がされていたので、自分もおそらく全部持ってます(サントラ盤は除く)。そこから得た印象が、基本的な音楽性はむかしから変わってない、ということ。でも、このファースト・アルバムは、セカンド以降の彼の作品とは、ちょっと(かなり?)肌触りが違う気がするんですよ。

もちろん、彼らしい(いまと変わらない)フレーズはね、はしばしに聞こえます。中期以降はキーボードに完全に置き換わったオーケストレーションは、初期のころは生のストリングス・オーケストラを使っていますが、これもちゃんと入っています。声も、中期以降のえらく落ち着いた感じはありませんが、若いながらもほどよく落ち着いていて、Amedeoらしいです。

でもね、なんか違う。なにが違うんだろう?

楽器の音が悪いのは、しかたありませんね。ぼこぼこしたベースの音なんて、『Profondo rosso(Suspiria 2)』のサントラかよとか思っちゃいました。でも、同時代の他のアーティストのアルバムでは、もっときれいな音でベースが録音できてるんですよ。てことは、ちょっとは「狙い」があってこの音なのかな。フレーズもロックぽくてベンベンしてる。このあたりが違和感。

曲の持つ雰囲気が妙に明るい。セカンド以降も、1980年代のアルバムには明るい印象の曲がちらほら散見されますが、その明るさにも「ヨーロッパ的なもの」を感じるのに対し、このアルバムの明るさにはあまりヨーロッパを感じない。

そして、メロディ。細かなフレーズではいまと変わらないAmedeoらしさがあるんですが、トータルとしてのメロディが、こじんまりしてるんです。いや、ある種の壮大さをもったものではあるんですが、その壮大さの方向が、歴史の重みと陰影、情感にあふれるヨーロッパへ向かうのではなく、なんかアメリカっぽい軽さを感じてしまう。

ついでにいっちゃうと、曲調にばらつきがあって、アルバムとしての統一感に乏しい。ばらついたなかでも、とくにポップな曲、リズミックな曲のクオリティが低い。

なんて、悪口ばっかり書いちゃいましたが、けっして悪いアルバムじゃないんです。ただ、Amedeoの一連の作品とくらべると、デヴュー作だからか、彼の持つポテンシャルをきちんと表現できてないなという感じがするわけです。だからCD再発が最後になったのかな。

1970年代初頭っていうのはイタリアのポップ・ミュージック界に大きな動きや変化があった時代ですよね。そのなかでLucio Battisti(ルーチォ・バッティスティ)が出て、Fabrizio De Andre'(ファブリツィオ・デ・アンドレ)が出て、Claudio Baglioni(クラウディオ・バッリォーニ)もデビューして、若者たちによる新しい時代が始まろうとしてたわけです。

Amedeoのこのアルバムにも、そういった時代の流れのなかに生まれた「新しさ」を求める姿勢が見える気がするんですが、そこにまだ「迷い」もある感じ。他の、カンタウトーレ・イタリアーノを引っ張っていくことになるアーティストたちにくらべると、新しいものへの信念やパッションをストレートに表現することに、ちょっと抵抗があったのかな、と。そうするには、ちょっと心が成長しすぎていた、頭で考えすぎてしまった――少し「大人びて」いたのかな、と。そんな印象を受けるのでした。

悪いアルバムじゃないし、聴いていて気持ちのいい音楽ではあるし、イタリアン・ポップスのファンとして愛することのできる作品ではあります。でも、過去から現在までの、これだけたくさんのイタリアン・ポップス作品がCD化されているいま、このアルバムの持つ音楽的(音楽史的な、ではなくてね)な意味や需要は、やはり低いかなぁ。Amedeoのファンが、あるいはカンタウトーレ・イタリアーなのファンが、資料のひとつとして所有し愛聴するためのCD再発、という気がします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/06/01

ソロからバンドのヴォーカルへ

自分は日本の音楽ってほとんど聴かないので、日本のミュージック・シーンがどうなってるのか、ぜんぜん知らんのですけど、ソロ・シンガーとして一部に熱狂的なファンのいる椎名林檎さんが、今後はソロ活動を停止し、ロック・グループ「東京事変」のヴォーカリストとして活動していくんだそうだ。ふ~ん。

アナキンさんのBlogに、この件について、

「バンドからソロへの転向はよくあるが、その逆はというのは珍しい形ではあるけど、面白い形ですよね。普通はバンドで成功したから、それぞれの音楽を追求するためにソロに転向するって言うのが、通例ですからね。」

と書かれていたのだけど、自分らくらいの世代のポップス・ファンなら、きっとあの人の名前とあのグループの名前が即座に心に浮かんだに違いない。

菊池桃子、ロック・グループ「ラ・ムー」のヴォーカリストとして再デヴュー!

そんな日もあったのだよなぁ(遠い目)。東京事変がラ・ムーのようになって、いつの日か林檎さんのバイオグラフィから抹殺されるようなことのないよう祈る。

ちなみに、林檎さんの歌う「木綿のハンカチーフ」を聴いて、不覚にも涙してしまったことがある。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2004年5月 | トップページ | 2004年7月 »