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2004/06/02

Amedeo Minghi

Amedeo Minghi(アメデオ・ミンギ)のファースト・アルバムがやっとCD再発されました。プログレッシヴ・ロックからイタリアン・カンタウトーレに入ってきたファンにとっては、Amedoのアルバムのなかでも、『Cuori di pace』『La nuvole e la rosa』とならんで、もっとも興味をそそられていた作品でしょうね。マーキーの『イタリアン・ロック集成』に取り上げられていたのは、この3枚だけですから。インターネットが普及する以前は、マーキーのこの本はほんとに貴重な資料でしたね。

個人的な意見としては、Amedeoの最高傑作は『I ricordi del cuore』だと思っています。プログレ的見地からも、イタリアン・ポップ・ミュージック的見地からも、彼の作品のなかでもっとも密度が濃くてクオリティの高いアルバムですね。それまでの作品は、ここへと至る過程であり、これ以降の作品は、これを基盤にイージーな方向にヴァリエーションを広げていった(なんていうとコアなファンの方に怒られそう)という印象があります。

ただ、一貫して、AmedeoのアルバムにはAmedeoらしいフレーズが必ずあり、Amedeoらしいオーケストラ・アレンジがあり、けっきょくのところ、この人の基本的な音楽性はむかしから変わってないんだなと、そう思っているのですが……。

このデビューアルバムがリリースされたのは1973年。そのあとに兵役に行ってたかなんかで、活動期間にちょっとブランクがあるんですね。セカンド・アルバムの『Minghi』リリースは7年後の、1980年のことでした。このセカンド以降のアルバムはずいぶん前からすべてCD再発がされていたので、自分もおそらく全部持ってます(サントラ盤は除く)。そこから得た印象が、基本的な音楽性はむかしから変わってない、ということ。でも、このファースト・アルバムは、セカンド以降の彼の作品とは、ちょっと(かなり?)肌触りが違う気がするんですよ。

もちろん、彼らしい(いまと変わらない)フレーズはね、はしばしに聞こえます。中期以降はキーボードに完全に置き換わったオーケストレーションは、初期のころは生のストリングス・オーケストラを使っていますが、これもちゃんと入っています。声も、中期以降のえらく落ち着いた感じはありませんが、若いながらもほどよく落ち着いていて、Amedeoらしいです。

でもね、なんか違う。なにが違うんだろう?

楽器の音が悪いのは、しかたありませんね。ぼこぼこしたベースの音なんて、『Profondo rosso(Suspiria 2)』のサントラかよとか思っちゃいました。でも、同時代の他のアーティストのアルバムでは、もっときれいな音でベースが録音できてるんですよ。てことは、ちょっとは「狙い」があってこの音なのかな。フレーズもロックぽくてベンベンしてる。このあたりが違和感。

曲の持つ雰囲気が妙に明るい。セカンド以降も、1980年代のアルバムには明るい印象の曲がちらほら散見されますが、その明るさにも「ヨーロッパ的なもの」を感じるのに対し、このアルバムの明るさにはあまりヨーロッパを感じない。

そして、メロディ。細かなフレーズではいまと変わらないAmedeoらしさがあるんですが、トータルとしてのメロディが、こじんまりしてるんです。いや、ある種の壮大さをもったものではあるんですが、その壮大さの方向が、歴史の重みと陰影、情感にあふれるヨーロッパへ向かうのではなく、なんかアメリカっぽい軽さを感じてしまう。

ついでにいっちゃうと、曲調にばらつきがあって、アルバムとしての統一感に乏しい。ばらついたなかでも、とくにポップな曲、リズミックな曲のクオリティが低い。

なんて、悪口ばっかり書いちゃいましたが、けっして悪いアルバムじゃないんです。ただ、Amedeoの一連の作品とくらべると、デヴュー作だからか、彼の持つポテンシャルをきちんと表現できてないなという感じがするわけです。だからCD再発が最後になったのかな。

1970年代初頭っていうのはイタリアのポップ・ミュージック界に大きな動きや変化があった時代ですよね。そのなかでLucio Battisti(ルーチォ・バッティスティ)が出て、Fabrizio De Andre'(ファブリツィオ・デ・アンドレ)が出て、Claudio Baglioni(クラウディオ・バッリォーニ)もデビューして、若者たちによる新しい時代が始まろうとしてたわけです。

Amedeoのこのアルバムにも、そういった時代の流れのなかに生まれた「新しさ」を求める姿勢が見える気がするんですが、そこにまだ「迷い」もある感じ。他の、カンタウトーレ・イタリアーノを引っ張っていくことになるアーティストたちにくらべると、新しいものへの信念やパッションをストレートに表現することに、ちょっと抵抗があったのかな、と。そうするには、ちょっと心が成長しすぎていた、頭で考えすぎてしまった――少し「大人びて」いたのかな、と。そんな印象を受けるのでした。

悪いアルバムじゃないし、聴いていて気持ちのいい音楽ではあるし、イタリアン・ポップスのファンとして愛することのできる作品ではあります。でも、過去から現在までの、これだけたくさんのイタリアン・ポップス作品がCD化されているいま、このアルバムの持つ音楽的(音楽史的な、ではなくてね)な意味や需要は、やはり低いかなぁ。Amedeoのファンが、あるいはカンタウトーレ・イタリアーなのファンが、資料のひとつとして所有し愛聴するためのCD再発、という気がします。

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