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2004/05/16

パッション

映画『パッション(The Passion of the Christ)』を観てきました。

いやぁ、うわさに違わず「痛い」映画だった。執拗に続く拷問の描写が、かなり厳しいです。

映画は、イエスが十字架にかけられるまでの最後の12時間を克明に描いてるのだそうです。いきなり、山に登っての最後の祈りのシーン(「目を覚ましていろ」といわれたのに2回も眠りこけてしまうダメダメなペテロたちの場面)から始まって(それも2回目の居眠りから)、すぐにユダが兵隊連れてやってきちゃう。できれば最後の晩餐の席から観たかったなぁと思います。というか、いきなりこのシーンからじゃ、新約聖書終盤の知識がない人には、なんだか全然わからないでしょうね。

同様にエンディングも、十字架上で息絶えて、キリストの降架(ピエタ)のあといつの間にか墓の入り口が閉じられ、すぐに墓のなかで復活(そんなシーンは聖書にはなかったように思うんだけど)で終わってしまう。そのあとの、弟子たちの前に姿を現わすシーンとかがないので、これまた中途半端な感じ。弟子の前に姿を現わし、最後に光とともに昇天するシーンを観たかったし、それがないとやっぱり知識のない人にはわけわからん状態だろうな。

では、なんでここだけ抜き出して映画にしたんだろう。なぜあそこまで執拗にイエスを痛め付ける場面ばかりを映し続けたんだろう。

映画系の掲示板等では、痛め付けられるイエスおよびイエスを痛め続ける行為に注目が集まってる気がするのですが、自分はその行為を行なったり観ていたりしている人の心の動きに引かれました。

イエスを深く愛していたのに、イエスへの直接的な迫害・拷問の引き金を引いてしまったユダの心の動き(しかも、その行動は最初から、神から与えられた役割として予定されていたんですよね。なのに後世まで「裏切り者」扱いされてかわいそうなユダ。自分はちょっとユダびいきなんです)。

いちばんの弟子を自認していながら、イエスへの迫害をくいとめられなかったばかりか、イエスの予言どおり3回もイエスを裏切ってしまったペテロの心の動き(イエスが復活したときに、イエスに3回「私を愛しているか?」と聞かれるんです。3回の裏切りには3度の償いを。泣かせるシーンです)。

イエスから多くの救いと愛を受けたのに、それを見ていることしかできなかったマグダラのマリアの心の動き。

人の子の母としてひどく心を痛めるのと同時に、神の子の母としてイエスの運命を受け入れようとするマリアの心の動き。

民衆の集団的な狂気に押し切られ、不本意ながらもイエスを磔刑にしてしまったピラトの心の動き。

司祭らの扇動のおかげで釈放されることになったバラバが一瞬、イエスに対して見せる改悛に似た表情からうかがえる心の動き。

イエスに肉体的苦痛を与える「仕事」をしているうちに、いつのまにか我を忘れて「苦痛を与える行為」にのめりこんでいってしまうローマ兵たちの心の動き。

イエスとともに十字架をゴルゴタまで運んだ男の心の動き。

痛めつけられるイエスを見て、痛めつけるローマ兵に同化していく民衆と、逆に悲しみや不安、後悔を感じていく民衆たちの心の動き。

そういった揺れ動く人々の心が、わずかな表情の変化などからうかがえます。そして、その揺れ動きに呼応するかのように、現われては消えるサタンが暗示する、人間の心に生まれる意識的な、あるいは無意識的な悪意。

人物についての描写が少なくてわけわからんという意見も多いのだけど、自分はそうは思いません。たしかに「背景」に関する描写は少ないけど、それは「聖書の物語を知っている」ことが前提になっているからで、その部分は、この映画を見るうえで観客に課されている義務でしょう。というか、もとからキリスト教国の観客に見せることを考えてつくられているので、当然でしょう。その前提のもとで、この映画で切り出された「最後の12時間」にかかわる人々の、その12時間のなかでの人物描写は、とてもよく描かれていると思います。

聖書の知識があることが前提になっていること、主人公がイエス・キリストであることから、どうしても宗教映画ととらえられてしまうのはしかたがないのだけど(ネット上でも宗教対決みたいになってるところがたくさんありますね)、じつはこの映画の主役はイエスではなく、イエスを取り巻く人なのではないでしょうか。イエスの受難を見るのではなく、受難を与えている人を見る映画なのではないでしょうか。

そう考えると、これは人間が普遍的に持つ悪意と善意を描いたもので、聖書はそのための「舞台」にすぎず、宗教やキリスト教自体は、じつはあまり関係ない気がします。なまじっか「聖書」「イエス」というキャラの強いキーワードが前面に立っているため、見るべきポイントがずれてしまってはいないでしょうか。

であれば、新約聖書のなかで大きな意味を持つと思われる「イエスの復活」があれほど簡単にしか描かれず、その後に続く昇天は無視されていることが、なんとなく納得できる気がするんです。キリスト教的考え方を描き出すことより、世界中で起きている、無益で未来のない、非人道的で悪意に満ちた残虐な戦いや諍いが、キリストのいた時代からなくならずにいることを観客に見せつけ、それに対してどう感じるか、ひとりの人間としてなにができるか、なにをすべきかを、問いかけているのかな。そんなふうに感じた映画でした。

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ずっと見ようと思ってたパッションを昨日見てきた。 映画「パッション」見て女性がショック死 ↑の通り、話題の映画。映画見てショック死というのはすごい。残酷な描... [続きを読む]

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